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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
2章 ニフテリザ
8/199

1.情報屋

 ヴェルジネ伯領を抜ければすぐにアリエーテ地方の土を踏むことになる。

 この地域の要はアリエーテの町だけであり、それ以外にはさほど注目点はない。

 だが、だからと言って過疎地というわけではない。アリエーテの町はヴェルジネ伯領に存在する村や町の数々と比べると、びっくりするくらい栄えている。

 位置的にクロコ帝国の外部と帝都を結ぶ中間地点にあるためだろう。おかげでアリエーテ地域の実際は未開な土地ばかりなのだが、都会のイメージすらあるらしい。


 そんなアリエーテの町はもうすぐそこにある。小高い丘の上から見渡せば、町の半分ほどを眺めることが出来る。星空の下で、私は座ってその光景を眺めていた。膝の上ではルーナが少女の姿で眠っている。さっきまで町の光景を見て、さんざん騒いでいたが、とうとう眠ってしまった。

 お陰で今日はまともに勉強をさせられなかった。


 それでも、勉強の進み具合は順調といえる。ヴェルジネ伯領からアリエーテ地域までを移動する間に、ルーナはクロコ語のあらゆる単語を覚えてくれた。それに、文字だけではなく、クロコ帝国という場所のことについても少しだけ詳しくなった。

 知らないことだらけの彼女だが、疑問に思うたびに私に質問し、一度知ったことはなかなか忘れない。きっと頭はいいのだろう。すっかり寝入ったルーナの背中を撫でながら、私はそんなことを思っていた。


 ふと、夜空を埋め尽くすほどの星々が徐々に消え始めた。見上げてみれば、灰色の雪のようなものが降り始めてきた。塵の時間が始まった。アリエーテの町を確認してみれば、少しずつ明かりが消えていく様子が窺えた。だが、本格的に塵が降ると、明かりが消えずにとどまってしまった。恐らく、明りを消すことすらできない人間たちがいるのだろう。

 まるで、町全体の時間が止まってしまったかのようだ。そこはことない寂しさすら感じ取れる。

 この塵の中、あの町の人間たちは何を感じているだろう。塵が降れば人間は動けなくなる。犬も猫も馬も、大半が同じだ。魔の血を引かぬ者は平等に悪臭に苛まれ、塵を憎むのだと聞いたこともある。


「こんなに綺麗なのに」

「どんなに綺麗でも、悪臭というものは我慢ならないからね」


 ふいに背後から声が聞こえてきた。

 振り返るその前から、私は少々気分を害していた。聞こえてきたのが、ルーナと二人きりで落ち着いている幸福感を邪魔する類の声だったからだ。

 想像していた通り、後ろには知っている男性が立っていた。マグノリア王国にいる紳士のような姿の男性。しかし、塵の世界で平然と立っているところから分かる通り、人間なはずもない。それなのに彼は人間ぶって帽子を脱ぎ、座ったままの私に対して丁寧に礼をした。


「お久しぶりだね、アマリリス。しばらく見ない間に伴侶を手に入れているとは驚きだ。それも、物珍しい家畜ときた」

「冷やかしならお呼びじゃないわ。それに、ルーナに興味がおありなら、力にはなれなさそうね。この子を売るつもりなんてないから」

「人聞きの悪いことを。そんな無礼なことは提案しないさ。これでも私も魔人の端くれだ。さがに囚われぬ虫けらに違いないけれどね。ともあれ、私のすることはただ風の噂をお届けすることだけ」

「コックローチ」


 その名を呼ぶと、彼は笑みで答えた。


 コックローチ。恐らくマグノリア風の偽名に過ぎないのだろうけれど、何度聞いても彼にしっくりくる名前だ。しぶとさは確かにその名前の通りなのだろう。彼は何処にでも現れ、消えてしまう。それなりに値の張る情報を売りに来る。それも、こちらが金を手に入れたという時を見計らってだ。

 彼は翅人しじんという生き物である。〈赤い花〉と同じように魔と人の血を継ぐ魔族の一種だ。しかし、〈赤い花〉などの特別な心臓を持つ魔女や魔人とは違い、彼らはさがというものに縛られない。その代り、まやかし程度の魔術しか使用できず、虫けらのように世界をさまよい、どうにか生き延びている。


 しかし、私はたまに思う。心身ともにしぶとい事こそが強者の条件ともいえるのかもしれないと。すなわちコックローチは、私から見て強者にすら思える頼りがいのある情報屋であった。


「あなたが私の前に来たという事は、それなりのネタがあるということなのでしょう?」

「御名答。君がもし、あの乱暴な女人狼にばかり固執するようだったら考えものだが、君だってそこまで愚かではないようだからね」


 彼の眼差しは私の懐にしまわれた金品に向いているのだろう。


 この金品が私のものになったのはつい最近のことだ。ヴェルジネ村からルーナを連れ出して二週間。ここに来るまでに、計二名の人狼を見つけ、捕らえた。いずれもカリスではない。当初の目的からだいぶ逸れているが、ルーナを囮にして狩りをするという方法だけは上手くいっている。

 金品は道中で犠牲になった二人の人狼のものだった。運の悪い彼らはどちらも男だった。旅をしていただけなのか、カリスのように何かしらの黒い仕事をしている最中だったのか、いずれも私に負けるなどと直前まで気づかず、死の間際になってようやく怯えを見せた。しかし、それを楽しむという余裕がなかった。本当に欲しいものが手に入らない。その苛立ちが食欲を刺激し、狩りに身を投じる私を焦らせたのだ。


 こんなにも味わわずに人狼狩りをしたのは初めてかもしれない。人狼一匹に惑わされ続けることには苛立ちすら感じる。

 すべて、カリスのせいだ。

 ずっと狙っているのはあの美しい女人狼だというのに、彼女はまだ私の指にかすりもしない。

 それでいて、忘れさせてくれないほどには姿を現す。生き延びるために私の命を奪おうという考えを変えていないためだろう。それが苛立つ原因だった。手に入らないのなら、もういっそどこかに消えてほしいくらいなのに、時折現れて可愛いルーナを狙おうとするのはいただけない。

 一匹の狼にここまで煩わされたのは初めてだったかと思う。楽しんでいた時期もあったが、今はただただ煩わしい。さっさとあの魂の味を知り、美しい毛皮を手に入れて愛でてやりたいというのに。


「詳細は?」


 苛立ちを抑えて私はコックローチに訊ねた。いつものことだ。買ってみて必要のない情報だったら困る。無料の範囲でヒントを聞いてから買うのは許されている。それに、完全に無視するには惜しいほどに彼の情報の質はいい。


「〈御馳走〉がいくつか。だが、残念ながら君の追い求めているケダモノについてではない」

「それだけじゃ買う気にはならないわね。今はお腹がいっぱいなの」

「おや、それは困った。せっかく君にぴったりな情報なのに。じゃあ、これならどうだい。君たちが向かっているアリエーテの町に関する耳寄りな情報だよ」


 手持ちに余裕がないわけではない。それに、純粋に気になった。アリエーテの町に関する情報。何も知らずに踏み入れるほどには町という場所も簡単ではない。危ないことも多い以上、確かな筋から情報を仕入れておくことは当たり前のことでもある。自分一人ならまだしも、可愛いルーナを連れて危ない目に遭うわけにはいかない。

 落ち着いて考えたのち、私はさらにコックローチに訊ねてみた。


「その情報のタイプは?」

「〈処刑台〉だ」


 短い答えに、すぐさま私は決心した。


「買うわ。いくら?」


 聞き捨てならない単語だったからだ。


 コックローチの情報には様々なタイプがあり、それぞれに独特な名前がつけられている。〈御馳走〉は私の追っている獲物に関する情報であり、〈王冠〉はその場所の領主や時には国王に関する情報である。他にもさまざまなタイプが存在するが、中でも気を配りたいのが今聞いた〈処刑台〉という単語だった。


 処刑台。それは、どの国でもたびたび見かける死神である。人間たちの集団はトラブルが起きては仲間を処分して解決をはかろうとし、時々その光景を目にすることがある。中には解決したと言えるのか疑問に思う例も多い。誰かに罪をおしつけて、皆でそのことを忘れようとしているようにすら見えた。真実などそこにはない。だが、犠牲にならなかった者たちは、誰もそれを深く考えずに生き続けようとする。


 そして最近多く耳にするのは、流行り病など何かしらの不幸の発生とそれに伴う魔女狩りの噂だ。魔女が人間たちに牙を剥く。それ自体は魔女の私としても不思議には思わない。私は違うが、魔女の中にはさがによって人間を襲う者もいる。病を魔術で流行らせて大量の人間を苦しめることに幸福を感じるような悪魔も中にはいるだろう。しかし、問題はそうした魔女がいたとしても、それを特定して処罰する力を人間たちが持っていないことだ。

 そのため、魔女狩りは拡大する。見当違いの犯人を吊し上げ、惨殺してしまうことも珍しくない。そういう場所は要注意だ。なぜなら、騒動の発端となっている魔物や魔族が本当に紛れ込んでいる場合もあるからだ。見当違いの者たちが身代わりになるのを見つめつつ、様子を窺いながら居座り続けていることも多い。


 ヴェルジネ村もそうだった。カリスとルーカスによる被害は、村人たちの仲間割れを引き起こした。私がたどり着く頃にはすでに、数名の怪しい村人たちが断罪された後だったらしい。村長が領主にそれを咎められてからは聖剣士を待ちながら、互いに互いを疑い続けていたと聞いている。

 どうしてそうなったかと言えば、人間たちの知識不足のせいだ。人狼は食い殺した者に化けて村に潜むと信じられていたため、互いに互いが信じられないという状況が続いてしまったのだ。勿論、それは間違った知識だ。カリスやルーカスを見れば分かるように、人狼は死人に化ける力など持っていない。


 真実を知ったあと、村人たちは何を思うだろう。罪なく死んでいった仲間に対して謝罪をするのだろうか。それとも仕方のない事だったと納得するだろうか。どうであれ、真犯人であるカリスが処刑された村人たちに謝罪することはないはずだ。

 魔物とはそういうものだ。自分や仲間が生きていくことを優先的に考え、行動する。だから、利害関係のない赤の他人の死など心苦しく思わないし、思ってはいけない。むしろ、賢い魔物ならば他者が自分や仲間の邪魔や脅威となると判断すると、排除するために接近してくるものだ。それがジズの加護を受ける魔物たちの常識である。それを咎める権利など誰にもない。


 〈処刑台〉という名前がつけられた情報は、ただ単に殺伐とした町の雰囲気だけではなく、そうした魔物の存在も示唆されている。買わずにいられるだろうか。

 無言で指定された金額をしっかりと握らせると、コックローチは紳士的にお辞儀を見せてから、喋りだした。


「アリエーテの町の広場は今、常に処刑台が置かれている。理由はお察しの通り、魔物の被害が立て続けに起こっているからだ。ちょうど五日ほど先だったかな。一人の女性が処刑されるのだそうだ。可哀想に、彼女はただの人間だ。しかし、運悪く身の潔白を証明できるものがなく、魔物の疑いで処分されることになった。中には同情する者もいるが、皆、恐れていてね、判決がおかしいと思っていたも誰も覆す努力をしな――」

「それで、何の魔物なの?」


 長そうな語りを遮りながら問いかけてみれば、コックローチは目を細めたままゆっくりと答えた。


「吸血鬼の男だ。不老のタイプで繁殖相手を探している。人間とも子を作れるはずだから、ただ巣食っているわけではなく花嫁を攫いにきたのだろう。どうやら純血の人間がお好みの様子」

「一時的に滞在しているということね?」

「そういうことだろう。それに、もう目星はつけているみたいだった。彼の故郷はアリエーテの迷いの森の先――人間の足ではたどり着けない場所にある。頃合いを見て、ターゲットを連れ出すつもりのようだ。生き餌と繁殖相手を兼ねた人間のようだ」

「純粋の魔物のくせに人間を花嫁にするのね。血が混ざるのは気にしないのかしら」


 私は吸血鬼についてあまり詳しくはない。ただ知っていることは、彼らはいくつかのタイプに分けられ、そのすべてが魔物であるということくらいだ。魔物であるのは人狼と同じ。その祖先は空よりジズによって運ばれた魔物たちに繋がる。魔物は魔物と結ばれて子を産むものだが、時折、人間との混血が生み落とされ、魔族の祖となることは聞いたことはある。しかし、それも稀なことだと思っていた。


「吸血鬼は特殊な魔物でね」


 と、コックローチは教えてくれた。


「相手が人間であろうと魔族の者であろうと、生まれた子供の半数ほどは純粋な吸血鬼と変わらずに生まれてくる。残りの半数は吸血鬼ではなくなってしまうが、それでも、純粋な吸血鬼の血筋が途絶えるわけではない。孫以降の代で吸血鬼となる場合もよくある。混血はダンピールと呼ばれて区別されるが、本質的には吸血鬼か、それ以外ってだけで混血児に特別な能力が備わるというわけでもない……と、どこぞの学者先生が言っていたよ」

「よく分からないのだけれど、魔女や魔人と同じような仕組みなのね?」

「おそらくそうだろう。まあ、私は学者じゃないのでね、聞きかじった知識だ」


 魔女や魔人も他の魔族や魔物、人間などとの間に子を産んだ場合であっても、いくらかの確率で純粋な魔女や魔人の子を産めることがあると聞く。博打のようなものだが、可能性が少しでもあるのなら問題ないということだろう。そう思えば納得は出来た。もちろん、攫われる花嫁は気の毒だ。吸血鬼の花嫁なんて生き餌もかねた奴隷でしかないのだから。それに、ただの人間が生まれてきてしまったらどうなるというのだろう。あまりいい想像は出来ない。


「彼の計画はどうやら終盤らしい。そこへ君たちが入り込めば、面白くないだろうね。それに、君たちは面白い組み合わせだ。どちらも高値で売りさばくことが出来る。故郷への手土産にもってこいだ」


 ひっそりと滞在しても、いきなり襲い掛かって来てもおかしくはない。そう思うと確かに不安だった。


「……吸血鬼は厄介ね。人狼と違って勝負に楽しさも感じられないし」

「ああ、それにもっと気を付けるべきこともある。聖剣士の存在だ」

「聖剣士……」

「そうだ。アリエーテの町には今、リリウム教皇領から来たアルカ聖戦士がいる」


 聖剣士がいるのは厄介だ。

 彼らの持つ聖なる武器は人間たちに牙を剥く魔物への対抗手段でもある。〈金の卵〉からとれる聖なる油で出来ており、その名の通り、魔物に致命傷を負わせる力を持つ。特に魔女や魔人には強く効果を発揮し、触れただけでも即死してしまうほどの威力を叩きだすものだから質が悪い。

 さらに言えば、星の数ほどいる聖戦士の中でも教皇領から特別に派遣されるアルカ聖戦士という者たちは、装備、技術、知性の質のよさで有名であった。魔物ならばなるべく避けておくべき相手だろう。


 聖剣士は聖剣を持っている者を差す。つまり、私にとっては切り傷をつけられただけでも即死してしまうような危険物を持ち歩いているということだ。


「どうも別件でアリエーテ地方まで来ていたところを居合わせたようだけれどね、教義に従い、この吸血鬼事件にも関わるらしい」

「吸血鬼にアルカ聖戦士……ずいぶん賑やかな場所のようね」

「人間たちはすっかり安心していた。アルカ聖戦士さまにはまだお目にかかっていないのだが、どうやらなかなかの好青年らしい。でも、彼もまた少し困っているのだとか。次に処刑される予定の女性と特別な関係のようで、どうにか助けてやりたいのだとか。彼をよく知るお兄さんが酒場でこっそり教えてくれた」


 暗い内容にも関わらず、コックローチはどこか上機嫌だ。

 その嫌らしい笑みをを見てから、私は再びアリエーテの町へと目をやった。


 避けるという選択はあるだろうか。町でのトラブルを回避するには町に入るのを断念することが手っ取り早い。しかし、それでは予定が完全に狂う。

 迷っているのは、町を楽しみにしているルーナをがっかりさせるという理由ではない。それは別の町に期待を向けさせることだってできるだろう。そうではなく、単純に、私自身がアリエーテの町で一休みしたかったという事情があったせいだ。


 ここ最近、私はろくに眠れていない。野宿が続くということは深く眠ることが出来ないということである。数日くらいならばいいが、それが続けば暖かい寝台の上で眠りたいという気にもなってくる。隣でルーナが眠るようになってからは特にその思いが強くなった。


 一日でいい。ルーナと二人でのんびり眠れる時間が欲しい。


 本来、人間の社会で暮らす必要性なんてないのに、わざわざ町に滞在するのにはそんな理由もあるのだ。力こそ正義というこの世界において、それだけ、人間の社会が便利であるということだ。あの場所では金さえあれば、足りない力をカバーできるのだから。


「気休めかもしれないけれど」


 断ってからコックローチは言った。


「吸血鬼は花嫁候補に御熱心のようだし、アルカ聖戦士様の狙いもこの騒動の鎮静だ。今のあの町に人間に関わらない魔女とそのペットが迷い込んだところで、あまり注目しないという可能性もある」


 本当に気休め程度の言葉だった。

 だが、かけてもらえるだけましだろう。私はとりあえず一息ついて、コックローチに言った。


「とにかく注意する。役立つ情報をありがとう」


 すると、コックローチの姿は、風と共に消えていってしまった。

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