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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
2章 ジャンヌ

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3.悲愴

 教会は妙に殺伐としている。無理もない。ここの修道士が一人、人狼によって殺されているのだ。いつ自分もその一人になるか分からないという恐怖は、教会だけでなく町全体を暗い空気で包んでいる。また、人間だけではなく、魔族や魔物と思しき住人達も同じだ。平穏に暮らしたいと願っている彼らにとって、悪目立ちをする魔の者は脅威でしかない。ジュルネ教会の敷地の隅でじっとしていても、緊張感は風に乗って伝わってきた。


 だが、落ち着き払っている者も多い。ジャンヌが犯人の人狼を探すために出動したからだろう。彼女は歓迎されていないと思っていたようだが、そうはいってもアルカ聖戦士として働き続けている戦士でもある。女性でありながら長らく認められているということは、それだけ有能であるという事だ。ジャンヌに対して露骨に嫌な態度を取った者もいたようだが、多くの沈黙した者達は落ち着けるだけ期待しているということだろう。


 ジャンヌは人狼狩りで名声を上げてきた猛者である。人を油断させて騙す天性の才能が人狼たちにはあるらしいが、ジャンヌはジャンヌでその者たちと渡り歩けるという危険な才能に恵まれているようだ。人狼がどのように戦い、どのような手を使うのかを、私などよりもよく見てきた人物でもある。今回のジュルネを荒らす人狼がどういう者かは分からないが、私が相手をするよりも、ずっといいはずだ。


 問題があるとすれば、クリケットの情報に関することである。彼が言っていたことが本当ならば、ジャンヌが退治しようとしている者と、カリスに何か深い繋がりがある。このことはかなり気がかりだった。だが、確かめようにもカリスの方が時間を取らせてくれない。

 ジャンヌと別れた今も、カリスの気配を待ち続けるばかりだった。


 日が傾きだしてしばらく、教会の庭に影が複数生まれた頃に、奇妙な気配を感じた。怯えることはない。いつも感じているあの気配だ。この状況下で、求めていた気配でもある。


「何処に行っていたんだ、カリス」


 姿を見せる前に呼びかけると、影の中より蠢くような反応があった。が、姿を見せようという気配はない。影から出てこないまま、返答があった。


「ゲネシス……」


 間違いなく彼女だった。だが、様子がおかしい。


「どうした。何かあったのか?」

「エリーゼが殺されてしまった」


 呆然と語る彼女からは死臭がした。ヴィア・ラッテア大渓谷で一度嗅いだあの臭いに似ている。不吉な気配をまとわりつかせた魔物の姿は正直怖い。だが、その内心を隠したまま、私はカリスに向き合った。


「エリーゼ? 誰のことだ?」

「ルーカスの……妹……この町を荒らしていた犯人だ……」


 クリケットの情報の質が証明されたと同時に、カリスの落胆ぶりが痛いほどよく理解できた。

 共に旅をしていたというルーカス。彼の話は何度も聞かされた。聞いてもいないのに、楽しそうに語り、そしてその死を静かに悼む姿を何度も観てきた。

 そうか、彼の妹だったのか。退治したのはジャンヌだろうか。そうだとすれば、少し厄介なことになりそうなのだが。


「誰にやられた?」


 念のため、確認をしてみると、足元で唸り声があがった。怒りと悲しみが混ざった、とても悲痛な獣の声だ。そして、震える声に乗せるようにその名を唱える。


「……アマリリスだ」


 意外なことに、ジャンヌではなかった。だが、納得はいった。先にそちらに会ってしまったということか。仲間の死を嘆くカリスには申し訳ないが、少しほっとしてしまっていることに気づき、複雑な気分になった。


「奴が、私の目の前であの子を……。私は……引き留めることが出来なかった。あの子は……兄の敵討ちをしたいと言い続けていたんだ。まだ若く、どこまでも真っすぐな子で……妹の様な存在で……ここ数日、故郷に帰るように説得していた」


 だから、落ち着いて話をする機会すらなかったというわけか。彼女が人を食っていると知っていたから、私に話せなかったのだろう。


「黙っていてすまない。お前の傍にいない時の半分は、エリーゼと会っていたんだ。彼女がシトロニエにいるって知っていたから……ちゃんと話せばよかった。こんなことになる前に……あんな目に遭わせてしまう前に……」


 泣いているらしい。だが、その姿は見えない。

 私の影の中に閉じこもったまま、その涙を見せることはなかった。それが人狼としてのプライドなのか、カリス個人の性質によるものなのかは分からない。ただ、悲しむカリスの声は聴いているこちらも非常に苦しく悲しいものがあって、どうも落ち着かない。


「エリーゼ……か」


 黙っていることが辛すぎて、私は足元へと視線を向けながら言った。


「ジャンヌ……旧友のアルカ聖戦士がジュルネを荒らした狼を探していた。アマリリスを倒していたとしても、君の友人はアルカ聖戦士の断罪を免れなかっただろう。……それに、誰しも死を恐れるものだ。捕食者となれば当然の事。起こってしまったことは変えられない。未来を見つめることを考えろ。エリーゼの分まで、お前が生きるしかない」

「――アマリリスを捕まえてくれ」

「努力はしている。今の時点で出来ることはした。ジャンヌにも伝えたし、ジュルネ教会に伝えれば、そこを経由してマルの里にも伝わるはずだ。あとは彼らに任せるといい」

「仕返しがしたい。殺すのがダメなら、殺さぬ程度に痛めつけてやりたい」


 唸るようなカリスの言葉が、ぐさりと心の奥へと差し込まれていく。

 復讐心。憎しみ。怒り。激しく歪んだ感情が影を震わせていた。現実を受け止めきれず、爆発しそうな感情を何かにぶつけて解消したいという心。覚えがあった。赤の他人ではない。こういう感情は、私にも覚えがあったのだ。


 ――ミール。


 サファイアは事故だった。許せぬ事故だが、よくある事故でもある。美しく尊かったあの姿が見るも無残な亡骸に変貌してしまったが、それでも、きちんと弔い、送り出すことが出来た。

 しかし、ミールは違う。彼の別れについては、きちんと向き合えていないままだ。


「復讐は、推奨出来ない」


 こちらもまた声が震えていた。


「だが、お前の気持ちは分かる気がする」


 本心からそう言って、崩れかけた石垣に座る。そんな私を影からカリスは見つめているらしい。先ほどまでの負の感情が弱まり、やがて不思議そうな声が聞こえてきた。


「分かる……? どういう意味だ」


 吐き捨てるようなアルカ語で訊ねられ、素直に答えてやった。


「おれも、復讐したい奴がいるという意味だ」

「復讐? 誰に?」


 そういえば、彼女にはこの話をしていなかった。


「ローザ大国――フリューゲルとチューチェロの境にある美しい森を縄張りにしている魔女だ」

「魔女? どんな魔女なんだ?」

「ヴァシリーサと呼ばれる霧の塔の女王だ。美しい子供を攫い、人形にしてしまう。ある人物によれば、そんなさがを抱えながら、子どもの姿のまま何千年も孤独に生きてきたという。そんな伝説の魔女だ」

「何千年……まるでおとぎ話のようだな」


 力なく笑ってから、カリスは急に声色を変える。


「どうしてそいつを?」

「ミールの仇だ」


 たった一言、はっきりと口を出しただけで忘れかけていた感情が蘇る。


「サファイアを失い、ミールをリリウムの学校に入れるためにローザ大国を抜けようとしていた旅の途中、ヴァシリーサの襲撃を受けた。類稀な魔術はおれを倒すことではなく、ミールを奪う事だけに専念していた。霧の向こうにいつもはないはずの城が見えて、取り憑かれたようにミールが歩いていく姿が忘れられない。そして、勝ち誇ったように笑う少女の姿も」


 未来を信じて歩みだした我々の前に突如現れた憎らしい悪魔。何千年もあの姿で獲物を探してきたのだとすれば、どれほど罪深い存在だろう。


「ミールは……殺されたのか?」

「おれの目の前では、死んでいない。だが、城に攫われた子供は人形にされる。人形にされれば、二度と人間には戻れない。そもそも、ヴァシリーサの住む城にたどり着くことすら、我々には不可能だ。この別れは死別に等しい。周囲には諦めろと言われてきた」


 私の眼光も、〈シニストラ〉も、義弟ミールを――愛らしいサファイアの忘れ形見を守ることが出来なかった。私が無能すぎたのだろうか。濃霧はどこまでも広がり続け、魔女の姿も、ミールの姿も、二度と見せてはくれなかった。あの頃から、私の心の一部は何処かに置き去りにされたままだ。


「もしも神が奇跡を起こしてくださるのならば、ミールを取り戻す力をいただきたい。そして、多くの子どもやその家族を悲しませた魔女の恐怖を終わらせたい。これも、復讐心の一種だ。アルカ聖戦士などという肩書に守られてはいるが、怒りと暴力の願いはいつだって私と共にいる」

「でも、諦めたのか? 周りが言ったように」


 カリスに問われ、返答に詰まる。しかし、考え直してとりあえず頷いた。


「彼女の住む城はいつも霧に守られている。その内部へは、城主に認められぬ限り、一生たどり着けない。ヴァシリーサはそのくらい、偉大な魔女であるのだそうだ。〈シニストラ〉の輝きも、いかなる権威も、孤独な彼女を脅かせはしないだろう。今も人形となった子どもたちに囲まれながら、次の獲物を探しているに違いない」

「……辛い思いをしたのだな、お前も」


 他人の同情心は時に不快なものを産むものだ。それでも、カリスのその言葉は、人肌によく馴染む水のような柔らかさがあった。久しぶりに感じたものだが、そのことがかえって複雑な感情を産む。不快でないからこそ、不安になってしまったのだ。

 私を孤独にしたのは伝説の魔女だけではない。この社会全体だ。彼らはこれほどまでに愛してきた家族であったが、ハダスの民であった彼らに対する反応は生前も冷たいものだった。

 ミールには未来があったはずだった。サファイアには自分を大事にしながら生きる権利があったはずだった。しかし、彼らの悲劇に対して、ローザ大国に暮らしていたリリウムの教えを守る人々の冷たさがいつも以上に身に沁みた。


 いつの間にか、それが社会だと信じていたらしい。だからこそ、カリスの寄り添いは恐ろしく思えてしまった。

 それに事故で死んだサファイアのこと――そして、これから約束の地で再会するはずの“彼女”のことを思うと、カリスの寄り添いを素直に受け入れるということに不安が生じる。不寛容と無理解が当然になっていた私にとって、歩み寄るという態度がそれだけ恐ろしく思えたのだ。


 この優しさを受け入れるべきか、疑うべきか。

 薄っすらとだが、大きく二つの道が見える。私はどちらを選ぶべばいいのだろう。


 静かに悩んでいると、カリスが影から姿を現した。教会の庭の敷地ぎりぎりの地点にある木陰で、項垂れるように座り込む美しい女性。恨みと疲れの宿った顔つきだが、その眼の表情だけは怒りの抑えられた輝きが浮かんでいる。


「分かった。アマリリスへの恨みは忘れよう」


 カリスは口を開いた。


「だから、外れ者の私に見せてくれないか。愛と平和を必死に説く、お前たちの世界がどんなものなのか」


 翡翠の眼差しを向けられて、思わず動揺してしまった。すがるようなその目つきは、果たして純粋な動機によるものなのか。こうも疑い深く彼女を見てしまうのは、やはり人狼という種族の多くが敵対する関係にいたからだろう。味方もいたし、頼りになると実感したことは何度もあったが、敵対したときの方が圧倒的に印象に残るものだ。それに、人狼被害で嘆き悲しむ遺族の悲鳴はいつまでも耳にこびりついて離れない。


 人狼も、魔女も、はっきり言ってしまえば嫌いだ。私の家族を奪った種族でもある。しかし、罪を犯していない、改心しようとしている者ならば、受け入れなければいけない。そう信じてきた。サファイアはきっとそれを願っている。何度もそう信じた。アルカ聖戦士としてこれからも一人で生き続けるための支えにしなくてはと信じ続けた。

 しかし、ふとした時にその意識が不安定になる瞬間がある。本心から、私はカリスを救おうとしていたのか。ただ義務感だけで、ここまで連れてきたのではないのか。カリスのその元来の純粋さらしきもの見た瞬間、そして、私の中に現れる信じるか疑うかという葛藤と、新しい可能性の気配に、戸惑ってしまうのだ。


「お前に見せてくれるとしたら、それは私ではなく、他の誰かかもしれない」


 突き放すように答えたが、カリスの表情はあまり変わらない。ただ翡翠の双眸をこちらに向け、無表情のままだ。そんな彼女に、私は言った。


「だが、もしも興味があるなら、命は大事にしておくといい。心配はいらない。お前の事をジャンヌに伝えたんだ。彼女なら、私よりもしっかりとお前を援助できるだろう」

「ジャンヌ……」


 そこでようやくカリスの表情に変化が訪れた。戸惑いと警戒だろうか。やはり、ジャンヌが推察していた通り、警戒心の強い人狼には不安な話なのかもしれない。


「安心してほしい。ジャンヌは話の分かるやつだ。一度、会えば分かる。人狼狩りで有名な戦士だが、救済を求める人狼までを殺すような女ではない」


 すると、カリスは考え込みだした。迷いが見られる。不安と恐れによるものなのか、はたまた違う何かがあるのか。


「何より彼女は、今、私がもっとも信頼できる人物なんだ。安心して託すことが出来る相手だ」


 付け加えてみれば、カリスは戸惑うような視線をこちらに向けてくる。じっと見つめ、人間の姿ながら、まるで獣がこちらを恐れるような、切なげな表情を一瞬だけ浮かべた。だが、その理由をこちらが探るより先に、彼女は目を逸らしてしまった。


「……そうか」


 カリスはやっと返答した。


「お前がそう言うのなら……教会の連中よりも一番信頼できるというのなら……会ってみよう」


 疑わしいが、とりあえず納得したというところだろうか。麦色の髪の毛先を風に遊ばせながら余所を見つめるカリスは、妙に儚げだった。そのうちに秘めたる心が、今、どんな色に染まっているのかまでは、鍛えられたアルカ聖戦士でも見抜けない。だが、それでも会ってくれるというのならば、ひと安心していいだろう。


「それなら決まりだな」


 そう言ったとき、ジュルネ教会の鐘が鳴りだした。その澄み渡る音が、今の時点でどれだけジュルネの町の人々の心に響けているのかは分からない。長きに渡ってその立場は不変のものだろうとさえ言われてきたリリウム教会の力が、ここに来てシトロニエ国内で弱まってきていることはさすがに実感できた。

 同じ信仰を守るはずの者たちでも、革新派と保守派で対立してしまう現実がある。このまま教会が信頼を損ない続ければ、溝はさらに深まる一方なのだろう。

 大事なことは、溝を埋める努力なのかもしれない。異教徒で、信仰心に目覚めるかどうかも分からないカリスを保護し、共に生きる道を与えるということは、私にとって、きっとそういうことなのだと思うことにした。


 ――彼女は、サファイアを殺した奴とは違う。


 それでも、この事実を何度も自分に言い聞かせ、そして、言い聞かせなければならない現状に、気づいてしまう。子どもの頃より聞かされてきた自分自身との戦いとは――悪魔との戦いとは、こういうことなのだろうか。

 さまざまな思いを抱きながら、私はカリスに向かって言った。


「ジャンヌはしばらくジュルネ教会にいるらしい。彼女の時間が取れそうなときに呼ぶから、耳を傾けていて欲しい」


 彼女は黙ったまま頷き、そのまま影の中へと消えていった。

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