3.保護理由
過去を正確に思い出すということはとても難しいことのはずだ。それでも、カリスは暗記でもしているかのように語ってくれた。初めは不本意ながらという調子の語り口だったが、喋っているうちに気が乗ったのか、ついには本腰を入れて語りだした。
ヴェルジネ村を騒がせ、数名の少女を殺し、〈金の卵〉を窃盗しようとした犯人。
私の任務で斬り損ねた相手が共に焚火を囲んでいる。
聞いているうちにぞわりとした危機感と呼ぶべきものを覚えたが、カリスの方もそれに気づいているかどうかは分からなかった。
ただ、彼女はひたすら語ったのだ。その村で失った旧友のこと。
生まれてしばらくは行く当てもなく、何の縁かもわからぬうちに毛皮商人に手を引かれながら冥界へ連れていかれるところを、たまたま通りがかった魔女に救われ、ラヴェンデルの片田舎にあったという人狼の里に引き渡されたという話もついでに教えてくれた。
そこから始まり、突然の終わりを迎える友人の話。悲劇的な結末を聴き、ようやく私は一つ納得した。カリスの目の輝きがどうして濁ってしまったのか。その理由は友の死を防げなかったという実に人間らしいものだった。
「ルーカスは……悪い奴じゃなかった」
カリスはそう言った。
「生きていくためには人肉が必要だ。そのための殺しまでを悪と言われてしまえば、我々は死ぬしかない。だが、ルーカスはそんな事情を抱えつつも、それならばせめて獲物となる人間に敬意を払おうという誠実な男だった」
力なく語るその眼には、友への情が溢れていた。別に恋慕とは限らないだろう。まるで、子ども時代の友人を語るかのように、彼女はルーカスの思い出を語った。同種族の男と連れ立っていたからといって、恋人や夫婦などではなかったのだろう。そこにあるのは純粋なる友好の眼差しと、もう会えないことによる哀愁ばかりだった。
「獲物となる人間選びは慎重だった。生きていくのが辛く、ただ死ぬ勇気もなく、生きながら屍のようになっている者たちを狙った。特に、心に傷を負った少女を見つけては攫い、一瞬で楽にしてやったのだ。あの頃はそうだった。私も獲物の心身で遊んだりはしなかった」
淡々と語るカリスの眼差しは何処に向いているのだろう。
「それが変わったのか。ルーカスが死んで」
訊ねれば、カリスは額に手を当てた。捕まえた獲物で遊んだことを楽しそうに語っていた時とは比べられないほど、深刻な表情だった。
「変わった……みたいだ。今となってはよく分からない。その時の心情も、今の心情も……どうやら、考える術を忘れてしまったかのようだ」
怯えたような表情は、そのアマリリスという魔女のせいか。人狼。アマリリス。
「……ともかく、あの時、ヴェルジネ村で、ルーカスは勝てると思って、依頼の邪魔になりそうな魔女に襲い掛かったのだ。私は止めたんだ。おかしな雰囲気を感じたためでもあるし、単純に、その魔女の顔が幼き日の命の恩人に似ていて嫌になったのもある。ただ、ルーカスもまた魔女への危険を感じていたから勝てると踏んで挑んでしまった。そして、あっさりと殺された。蜘蛛の糸が彼を瞬殺した。……その光景を目撃してしまった」
蜘蛛の糸。
「思い出したぞ……【人狼狩りの魔女アマリリス】だ」
カンパニュラでそういう話を聞いたことがあった。いや、他にも数か所で、だ。伝承のようなもので、人狼たちが震えあがる存在だった。彼らが言うには、幼い子供が言うことが聞かない時は、「アマリリスが来るぞ」と脅すこともあるらしい。そうだ。彼女だ。本当に存在する魔女ということか。
「ああ、そうだ」
カリスが恨めしそうにこちらを見つめてきた。
「それに、もう一つ肩書が増えたな。【〈金の卵〉泥棒の魔女アマリリス】だ。言っている意味が分かるか?」
なるほど、どちらかと言えば、そちらの肩書が興味深い。
「ヴェルジネ村を恐怖に陥れたのは彼女か。……なるほど、保護理由ができたかもしれないな」
「そうか、その筋で訴えればよかったのか。ならば、証拠もあるぞ。奴が連れている〈金の卵〉の少女だ。ルーナという名前がある。宵闇のような黒髪に輝かしい満月のような色の目。ヴェルジネ村の長にでも確認すればいい。大事な母親候補のはずだからね」
「成熟間近の〈金の卵〉が盗まれたというのは聞いている。名前までは聞いていないが、たしかに繁殖用の雌個体だと。発情期が間もなくやって来るから、その前に帝都に納品し、多額の資金を受け取るはずだったのだとか。このままでは賠償金で村が成り立たなくなってしまうと村長が恐れていた。可哀想に、領主はかんかんだったから、確かにまずいことになりそうな雰囲気ではあった」
「ほら、重罪じゃないか」
カリスが面白そうに言ったが、私は首を振った。
「これはクロコ帝国――それもヴェルジネ伯領の問題だ。リリウム教会が口出し出来ることではない。〈金の卵〉を取り返したければ、クロコ兵やクロコ国に所属したクルクス聖戦士がどうにかするしかない。私の任務は人狼狩りだったからね」
そう言ってちらりとカリスの顔を見れば、彼女は不敵な笑みを浮かべた。このまま剣を向けられたとしても恐れないといった表情だ。それだけ自分の実力に自信があるのか、はたまた、アマリリスへの恐怖のあまり冷静でないのか。
「……と言っても、報告してしまった以上、私の役目は終わった。犯人は不明のまま。奴がヴェルジネ村の少女をこれ以上襲わないというのなら、危険は去ったと判断するしかない。……ただ、これでそのアマリリスという魔女が、〈金の卵〉の件で首を刎ねられるかもしれないと言われれば、休暇中であろうと協力せざるを得ないだろう」
〈赤い花〉の保護は教皇領の中心都イグニスにいらっしゃる聖下の願いでもある。むやみに彼らの平穏を脅かすのも罪だが、何らかの事情で彼らに危険が迫っているとなれば、また違う。もしもクロコ帝国に捕まって残酷に首を刎ねられてしまうとしたら――実際、教皇領以外の諸国は〈赤い花〉の保護意識が低いため、あり得る話だ――そのアマリリスという魔女を見つけ出し、シトロニエやディエンテ・デ・レオンなどで保護するべきともいえる。
「保護、か」
カリスは疑問をその表情にも浮かべる。
「教えてくれないか。〈赤い花〉の保護はどんな環境で行われる? まさかとは思うが、せっかく密告したこの私を騙してそいつの餌にするなんてことはないだろうな?」
本気で怯えている様子だったので、はっきりと否定してやった。その手の事は、クルクス聖戦士ほど明るくないにせよ、聖職者全体が共有する一般常識程度には心得ている。
我らアルカ聖戦士は派遣先で〈赤い花〉を保護する機会があるかもしれない。だからこそ、よほど任務外の事に無頓着な者でない限り、我々は保護した〈赤い花〉の行く末くらいには興味があるものだ。私もその一人で、すでに確認済みだった。
「保護した魔女や魔人は魔力の通じぬ檻の中に入れられる。しばらくは不自由な生活を強いられるが、従順ならばそこから聖職者を目指すことも出来よう。ただ、その性が大勢の日常を乱すとなれば別だ」
アマリリスとかいうその魔女の性は人狼狩りだっただろうか。一般的にはあまり知られていないが、聖戦士などの聖職者にも人狼は少なくない。教えを頑なに守るような善良なるものの命も危険にさらすとなれば、何かしらの対策が必要となるだろう。
「人狼殺しが性だというのなら、考えられるのは、人狼囚人を捧げるという方法だ」
昔、似たようなケースはあった。「ルージェナの悲劇」と呼ばれる事例だ。あるアルカ聖戦士が、現在のラヴェンデル、ローザ、クロコ、カンパニュラの境あたりにある村で、死霊に襲われていた〈赤い花〉の少女ルージェナを保護した。しかし、育ててみれば、開花した魔女の性が人殺しであったために大問題となったのだ。
結局、我々は身も心も血に染まる判断を下したのだ。……つまり、穀潰しと判断された死刑囚を一か月に二人、彼女に捧げることとなったのだ。
「だが、いつまでもそれが通用するとは限らない。七日に一人? そんなに罪を犯す人狼は多くない。それに、この保護の仕方は対象となる魔女や魔人の精神を追い詰めてしまうようだ」
結局、その人殺しの魔女ルージェナの保護期間も長くはなかった。同盟国の協力もあって死刑囚の確保は可能だったが、神の教えを知りながら育ちながら、そのような生活を繰り返すことにルージェナの心の方が持たなかったのだ。良心の呵責に耐えかねて、彼女は人々の隙を見て自害を選んだ。よりによって、リリウム教会の教義が禁じる自害だ。気付いたときには何もかも手遅れで、その血は一滴たりとも次世代に残されなかった。
この例は〈赤い花〉の保護における失敗例として、末端の聖職者まで皆が学ぶこととなっている。どうしたら、ルージェナを救えたのか。その答えを求め、教会ではある計画がひっそりと進められていた。
「じゃあ、どうするつもりだ? 〈金の卵〉みたいに子どもを数名産ませて、処分するのか? それとも、錬金術の材料に?」
恨んでいると聞いたが、どこか心配そうにカリスは訊ねてきた。
親しい友を殺した女の話のはずだが、そういえば命の恩人に似ていると言っていたか。少なくとも彼女がアマリリスという女の不幸を心から願っているわけではないということは理解できた。
「いや、どちらも違う……違うと言っても、その手の協力はしてもらうかもしれないが、無下にすることはない。リリウム教会はいまだに偉大な錬金術師の力も借りられる。魔を断つ聖武器だけではない。〈赤い花〉の聖女の指輪伝説を聞いたことはないか?」
カリスは首を傾げ、そして頷いた。
「リリウムの三つの聖地の話か。本当かどうかは知らんが、巫女に協力する聖女となった〈赤い花〉は、魔女の性が封印されて聖なる力が宿るのだと……つまり、アマリリスもその聖女に祀り上げられるというわけか?」
「そういうことになるな」
指輪は現在一つしかない。一つで十分だと長く言われていたからだ。
しかし、最近になって量産が話し合われている。指輪はもともと剣の形をしていたのだが、溶かされている。その素材はイグニス大聖堂で大切に保管されており、聖下の許可さえ下りればいつでも指輪に変えられる。
〈赤い花〉を保護し、増やすとなればとても役立つ聖具だろう。魔女や魔人の性がいかなるものであろうと、それが他人に害をなすものだった場合の対策としてとてもよろしい。
だが、歴代の教皇はどのお方々もご決断をなさらなかった。慎重に身構え、リリウム教会を中心とする歴史の端々にまで目を通され、聖典より伝わる主のご意向を読み解かれ、そのうえで首を横に振ってきたのだ。
もともとは剣を扱いやすくするために指輪にしたのが始まりだった。ただでさえ畏れ多いことをしたというのに、その量産は罪深いことに他ならないのだと。
自らの意思で協力した聖女の遺物を勝手に作り替え、その末裔を支配する拘束具として使用するのは果たして赦されることなのだろうか、と。
それでも時代は移り変わり、川の流れにも人々の心にも変化が訪れるものだ。〈赤い花〉の数が減り、死霊たちの怪しげな動きの見え隠れする不穏な空気のために、リリウム教会全体としても歴史的な判断が下されようとしていたのだ。
これならば、世界各地で恐怖の対象となっている〈赤い花〉を保護し、聖女や聖人として教皇領に留めておける。判断が下されるまで間もなくとは思うが、アマリリスとやらがその第一号になるかもしれない。
そんな考えを巡らせていると、カリスが舌打ちをした。
「――気に入らん」
「何が気に入らないのだ?」
「アマリリスのことだ。〈赤い花〉の聖女だと? 忌々しい。捕獲だけでいいだろう。家畜よろしくぞんざいに扱ってプライドも何もかも圧し折ってくれやしないのか」
そう言って顔を背ける。
「リリウム教会がそんなことをするとでも?」
一応、否定はしたが、実のところ堂々としたものではない。リリウム教会は皆が皆同じ心や正義を持っているわけではない。中には保護した魔女を聖女扱いすることに異を唱える者もいるだろう。
カリスの方がどう思っているかは分からない。ただ、私の言葉に対して不快そうな眼差しをこちらに向けてきただけだった。
「お前たちなど〈赤い花〉を隠し持つ花売りと変わらん。知っているか。奴らは隠れ家を作り、そこに反抗心を壊して手懐けた〈赤い花〉を隠しているとの噂だ。諸々の事情で彼らが枯れ果ててしまうまで商売道具として大切に守り、〈赤い花〉の血肉を求める強欲な人々に提供しているそうだぞ」
「噂話では聞いたことがある。だが、誰もそのアジトを突き止めてはいない」
花売りの噂は聖戦士の中でも有名だ。翅人という種族が差別的な目で見られる理由の一つであり、根拠のない噂と偏見による彼らの生きづらさは、多くの国における社会問題でもある。
だが、多くの翅人が花売りとしてマグノリアなどに〈赤い花〉をひっそりと持ち込んでいるらしいことは事実であるし、〈赤い花〉の失踪に大きく関わっているというのも決して否定出来ない。
「悪しき所業だ。証拠さえ突き止めればすぐにでも処罰できるだろう」
難しいとは分かっているが、こちらにも翅人戦士はいるのだ。時間がかかろうが、いつかは彼らの悪事も明るみに出るだろう。だが、目の前にいる人物の意見は私とは違った。
「効率のいい方法だとは思わないか」
カリスはそう言ったのだ。
「慎重になりすぎるお前たちよりも、奴らの方が確実に〈赤い花〉を増やすことに成功している。その用途が売るためであり、顧客はどれも身勝手な連中ばかりのようだから大人になる〈赤い花〉の数はなかなか増えない。だが、教会が同じことをすれば〈赤い花〉の絶滅なんぞに怯えずに済むと思うのだが……」
「馬鹿げたことを」
思わずそう唸った。
「〈赤い花〉を何だと思っている。彼らは……聖女の末裔だぞ」
「だからなんだ?」
カリスは冷たい目でこちらを睨みつけてきた。
「聖女の末裔? だから、何だというのだ。その聖女の末裔をこれまで散々火炙りにしてきたのはお前たちではないか。それに、聖女でなければいいのか? お前たちは今も〈金の卵〉をそうやって管理しているではないか。奴らは人語も解し、きちんと学べば人並み以上に賢くもなるというのに」
「それは……」
情けないことに、盗賊風情のカリスにそう言われただけで返す言葉がすぐには見つからなくなってしまった。
〈金の卵〉は錬金術で生まれた合成生物であるし、神が生み出したと言われている我々とは違う。ましてや聖女の末裔である〈赤い花〉と同じには出来ない。
しかし、そうはいっても、〈金の卵〉だって何もない所から生み出された生物ではない。その親をたどれば畏れ多くもカエルムの空巫女より生まれた卵に行き着くのだ。現在繁栄している〈金の卵〉自身は多種多様な血を混ぜられているし、卵生ですらないのだが、それでも空巫女の血筋と呼べない理由はない。
そういう種族を、人々の平和であるから仕方ないと言って、家畜同然に扱って屠畜することは赦されることなのか。こちらは、聖下すらも口を噤んだままだった。
アルカ聖戦士になる以前よりカンパニュラで学びながら考えてきたことだが、いまだに明確な答えは見つからない。疑問はこれだけではない。リリウム教会に忠誠を誓い、生きてきてはいるが、信仰と現実との矛盾は時折頭が痛くなるものだった。
しかし、だからと言って剣を投げ出すことはこれまでなかった。どんなに疑問に思おうと、リリウム教会を中心として人々の動きは統制され、争いを速やかに解決させることも出来るのだ。諍いをなくし、平穏を呼び込むためには、時に剣も必要だ。いつか、時代が移り変わり、本当の平穏が訪れてこそ、やっと矛盾に立ち向かうことが出来ると思っていたからこそ、私は納得してきたのだ。
だが、こうした事情を何故、今日会ったばかりの女に話す必要がある。結局、黙り込むしかなかった。
そんな私を前に、カリスは勝ち誇ったように鼻で笑った。
「結局、お前たちは正義を言い訳にし、実際はその傲慢さのために、同じく言葉を喋れる生命に格差をつけて管理しているに過ぎない。花売りをする翅人と何が違うのだか、私にはさっぱりだね」
言わせておけばいい。どうせこの女は同胞じゃないのだから。
それに、我々を馬鹿にしている様子であっても、根っから嫌いになれない。なぜなら、カリスの方が、いまだ友好的な表情を見せてくるからだ。鼻で笑いつつも、こちらへの好奇心を隠さない眼差し。長くアルカ聖戦士として暮らしてきたが、このような表情でこちらを窺ってくる盗賊は初めてかもしれない。
「この話はもういい」
そう言って、身を乗り出しながら訊ねてきた。
「違う話をしよう。今度こそ、お前の話をしようじゃないか。私は話してやったのだ。お前の方も何か話せ」
乱暴なアルカ語だ。そうとしか喋れないのかと最初は思ったものだが、この表情を見るに、もしかしたらわざとかもしれない。だが、そうであったとしても、別に構わなかった。
「何を聞きたい?」
「サファイアだ」
カリスはにやりと笑って私の表情が変わるのを楽しんだ。
「流浪の民と言ったな? どんな女なのだ? 結婚しているのか?」
「そんなこと、聞いてどうする」
「いいじゃないか。興味があるだけだ。それに、実を言えば、人間の愛や夫婦について、あまりよく知らないんだ。どういうものなのか聞いてみたい。単なる好奇心だ」
そして、実に楽しそうに笑って見せた。
好意的な笑みなのかもしれない。少なくとも、敵意は感じない。だが、気は乗らなかった。ただでさえ、今夜は話しすぎた。休暇中とはいえ、アルカ聖戦士としてこんな態度は間違っているだろう。
信仰心が足りないのか、気が緩んでいるのか。
それほどまでに私は気が触れてしまったのだろうか。信仰心に篤かった養父に申し訳が立たない。カンパニュラに入れたのだって彼のお陰だったというのに。
「なあ、話してくれよ」
アルカ語で馴れ馴れしく語り掛けてくるカリスを無視する形で私は目を閉じた。
「悪いがもうそろそろ眠る時間だ。寝込みを襲わないでくれるのなら、このまま立ち去ってくれないか」
すると、瞼の向こうで彼女が舌打ちするのが聞こえた。不本意だったのだろうが、それでも殺伐としたものは感じ取れなかった。
「つまらん奴。そうか、それならいい」
またしても素が出たのか、ラヴェンデル語だった。今度ばかりは彼女も本気でへそを曲げたと見えて、わざわざアルカ語には戻さなかった。
「もういい。眠るなら寝てしまえ」
それっきり、彼女の文句は聞こえなくなった。いなくなったのだろうかと目を閉じたまま呆れる。だが、その呆れも長くは続かず、ほどなくして睡魔が幕のように下りてきた。動きがあればすぐに起きられるように。そんなケダモノのような眠りでも、心身への癒しにはなるものだ。




