3.アルムム御殿
まず、コックローチから買い取った情報は何も間違っていなかった。
つい先刻、私がコックローチの気配に気づいた頃合い、ウィータ教会からイムベル大聖堂に連絡が入った。カエルムおよびシルワからの返信がようやく届いたのだ。そこに書かれていた内容、そして運んできた聖戦士たちの情報は、コックローチが語った内容とほぼ一致した。
殉職者の正しい数は分からない。ただ、ウィータ教会を経由して伝わった情報では、明確に空巫女ネグラと地巫女グリスの訃報を伝えるものが含まれていた。ご遺体は見つかっていないとコックローチは言っていたはずだが、ここではそう聞かなかった。
それにしても、カエルムもシルワも滅茶苦茶であることはよく分かった。その根拠は、情報をイムベル大聖堂まで運んできた人選にもあった。
ウィルとカルロスに挟まれながら私が通された会議室には、驚くことに鳥人聖戦士と角人聖戦士がそれぞれ待機させられていた。いずれも、カエルムとシルワの伝令を運ぶ際に活躍したらしい。本来ならばラケルタ島に向かう船に乗ることさえ恐怖するはずなのに、促されてみればあっさり乗れてしまったのだという。
リヴァイアサンもそれを拒絶しない。それはつまり、リヴァイアサンと反発するだけのジズやベヒモスの気配が今の彼らに足りないからだというのが教会の見解だった。実際、待機させられていた鳥人聖戦士ラミエルと角人聖戦士イポリータは、両者ともかなり戸惑った様子だった。
そんな彼らを見せられた後、私の愚かな行動はウィルによって会議室に待機していたすべての聖戦士たちに晒された。ちなみに、ブランカやその従者たちはいない。彼女たちは神聖な日を前に、別室で待機しているようだ。恐らく、この内容がブランカの心を深く傷つけ、混乱させると判断しての事だろう。
「アマリリスさん、あなたは約束を違えました。どんな事情であれ、指輪を外部に持ち去れば、あなたは断罪を免れない。あなたは、ルーナさんが可愛くないのですか?」
ウィルに冷たく言われ、さすがに動揺してしまった。
「可愛いに決まっています」
どうにか答えれば、カルロスが呆れたように唸る声が聞こえてきた。だが、めげずに付け加えた。
「私の不注意です。そのことについては謝罪します。申し訳ありません。でも、ルーナは関係ないはず……あの子を盾にするつもりですか?」
「いいえ。あなたに罪があろうと、ルーナさんには危害を加えないと約束しましょう。ですが、花売りにさらわれれば、どんな未来が待っているか分かっておりますね? もう二度とルーナさんに会えなくなるかもしれない。それに、ルーナさんが敬愛するあなたの名が、貴重な指輪を一つ失う要因となった罪人の名になってしまうのですよ?」
ウィルに言われ、黙って観念した。その通りだ。返す言葉もない。彼らには邪魔をされたのではない。救われたのだ。閉ざされた未来に足を踏み入れかけたところを、力尽くで引き戻してもらっただけ。そこを間違ってはいけない。
たとえ、彼らの導く未来もまた閉ざされていようと、だ。相手が教会か、翅人共かの違いに過ぎないかもしれない。だが、そこはさすがに大きい違いと言えなくもない。
「説教は後にしては?」
口をはさんできたのは、会議室に同席していたメリュジーヌ隊長だった。金髪に見えるものはおそらく鬣だろう。鱗の名残はあまりなく、見た目は殆ど人間に近い。だが、その赤い眼や牙は人間を名乗るには鋭すぎる。ウィルと同じく竜人の血が濃いということがよく分かった。
「それよりも、現状について確認すべきだろう」
メリュジーヌ隊長の鋭い視線が向くと、ラミエルとイポリータは怯えたようにすくみ上った。二人とも聖獣の子孫のはずだが、身分が違いすぎるのかもしれない。
「私から見てもこの二人より偉大なあの方々の気配を感じない。我らが母リヴァイアサンも二人の侵入をあっさり認めたとなれば、伝承は本当なのだと考えざるを得ない。しかし、ジブリール女史にフィリップ氏、ミケーレ隊長やリル隊長まで無残にやられたのだとだけ聞かされて、どうしろというのだ」
半ば苛立ち気味にそう言った。ミケーレ隊長もやられているのは情報漏れだ。隊長たちは有事の際に真っ先に敵に立ち向かう。指示を送るだけが隊長ではない。もちろん、出来るだけ生き残ることも大事だが、だからこそ敵に狙われやすい立場でもある。そんな立場の二人がことごとくやられたという。相手は数にモノを言わす死霊共だろうか。それとも、まさかとは思うがゲネシスがやったというのだろうか。
「幸いにもここは離島です」
そう言ったのは、メリュジーヌ隊長の部下であるらしいルノーという男性戦士だった。
「水際対策を徹底すれば、奴らの侵入は防げるはず」
「本当に、そうだろうか」
異論を唱えたのはカルロスだった。
「奴らに人道を期待していけない。罪なき船乗りを殺してでも奪い取ると考える方がいいし、どんなに人員を割いても船着き場で出来ることも限られる。少しでも可能性があるのならば、ここまで来ないという期待は捨てるべきだと思いますよ」
その言葉に、ルノーはすっかり黙ってしまった。他の竜人戦士たちが顔を見合わせる。いずれもメリュジーヌ隊長の部下たちなのだろう。
「ヴィトゥス、アントニウス、お前たちはどう思う?」
やがて、ざわつく会議室内でメリュジーヌ隊長が名指しで訊ねた。いずれも鱗の色は黒く、輝いている。竜人の血が濃いとみられる男性たちだ。どちらがヴィトゥスで、どちらがアントニウスかは分からないが、その一方、鬣が金色に輝いている方が応えた。
「私個人としては、敵の行動について、より詳しいと思しき人物に問いただすべきかと」
気取った様子の丁寧な声で、彼は一人の人物を睨みつけた。会議室の片隅でヴィヴィアンたちと出席しているアルカ聖戦士のグロリアである。他の者たちの視線も鋭く、一斉に彼女に向いていた。罪人と親しかった学友という事実はそれほどまでに足かせとなるのかと驚いてしまうほどである。
「確かにそうだな、ヴィトゥス」
メリュジーヌ隊長が厳しい口調で言い、赤い目でウィルを軽く睨みつけた。荒々しいが一応、礼儀の最低ラインは守っているらしく口は噤む。だが、何を促されているのかは伝わったのだろう。ウィルは低く唸ってから、改めてグロリアへと視線を向けた。
「グロリア」
その声には多少の遠慮が見られる。シルワからここまで共にやってきたのだ。その間の関りである種の親しみが生まれてしまうのは仕方がないことだろう。
「君の意見を聞きたい」
ウィルに命じられ、グロリアはそっと立ち上がった。グロリアは野性味あふれる美の宿る人物だ。魔の血を一切引かないところはヴィヴィアンやニフテリザも同じはずだが、置かれている立場の違いか異様に感情が抑えられた印象だった。
「彼の行動について、そして心情について、私にも分からないというのが本音です」
メリュジーヌ隊長のきつい視線をものともせず、彼女は言った。
「イグニスの都で会ったとき、彼の様子は前とさほど変わりがありませんでした。シトロニエ国のジュルネの町で起こった盟友の不幸について語るその姿はカンパニュラで交流した頃と何も変わっていないように思えました。まさか、こんな事になるなんて今でも信じられないほどです」
「そんな話はどうでもいい!」
メリュジーヌ隊長がグロリアを睨みつけた。その表情は聖リヴァイアサン礼拝堂に飾られていた聖竜像にも似ている気がした。
「ゲネシスというその男はどのように戦い、どのように行動するのか。私が聞きたいのはその情報だ」
やや激しい口調だが、その意見には共感する。グロリアを責めるつもりはないが、敵の情報を少しでも得ることは望ましい。いずれ戦うことになるはずだ。死霊よりも得体の知れない人間について今は知っておきたかった。
「コソコソ隠れて確実に勝利を狙う男なのか、はたまた正面から堂々と切り込む男なのか、何でもいい、お前の知っていることを話せ」
聖戦士の世界は序列社会だと聞いている。アルカ聖戦士は聖戦士の中でもある程度の地位を約束されるものだと聞いているが、さすがに聖地に在留する隊長ほどは偉くないらしい。グロリアは歯向かいもせずに静かに考え、冷静に回答した。
「アルカ聖戦士はだいたい同じですよ、メリュジーヌ隊長」
まっすぐ相手を見据える姿が凛々しい。
「私の知っている彼ならば、私と同じです。アルカ聖戦士は美しい勝利ではなく生き延びて任務を遂行することを優先します。したがって、その選択ですと『コソコソ隠れて確実に勝利を狙う』という方に属するでしょうね」
丁寧だが棘を感じる口調だ。メリュジーヌ隊長も同じように思ったらしい。しかし、隊長とて力だけではなく人格者でなければなれないものだ。メリュジーヌ隊長は感情的な反論の一切を飲み込み、燃えるような真っ赤な目をウィルに向けた。
「ウィル、今のイムベルには竜人以外の魔物が少ないのだ!」
吠えるように彼女が言うと、竜人戦士たちがそれぞれ俯いた。
「コソコソ隠れて戦う敵を相手にするのは、人狼、吸血鬼、夢魔、翅人、その他、数種の精霊などがお得意だろう。しかし、イムベルにはその在籍数が少ない」
歯を噛みしめながら言うメリュジーヌ隊長を前に、ウィルが頷いた。
「その件に関して、ウィータ教会の司教が各所に手配を要請したと聞いている。特に被害のないイグニスには多数の魔物たちが潜んでいるからね。今いる人数をどうにか割り当てて、あとは……借りられるだけ借りて敵襲に備えるしかない」
「それで間に合うのか……間に合うとあなたは思うのか? 司教はもうずいぶん前からイグニスに手紙を送り続けてきたのだぞ!」
メリュジーヌ隊長の恨み節に、ヴィヴィアンたちが顔を見合わせた。私もそろそろ居心地の悪さを感じ始めていた。彼女が言いたいことが分かる気がしたからだ。対策が後手後手になっている。イグニスの長官方の対応がそれだけ遅いのだ。それについて、彼女は文句を言いたくて仕方がないのだろう。
もちろん、彼女の部下たちはぎょっとしていた。ここは大きな組織の一部なのだ。それも厳しい序列がある。誰もかれもが好き勝手に発言していいわけではない。発言が身を亡ぼすことだってある。しかし、そんなことは本人も承知済みだろう。切羽詰まっているのだ。カエルムとシルワで起こったようなことが此処でも起こるかもしれない。
戦士たちのほとんどが言葉を発せぬ中、ウィルがふと私を横目で見つめてきた。
「アマリリスさん」
先ほどよりは苛立ちのおさまった声で、私に注目を促す。メリュジーヌ隊長の鋭い眼差しも再び私に向き、言葉の通じぬ猛獣や魔獣と出会ったような緊張感に見舞われた。思っていたよりもか細くなってしまった声で答えれば、ウィルは苦悶の表情を浮かべつつも訊ねてきた。
「あなたは情報を買っていましたね。……どんな内容でしたか」
会ったことを咎めた手前、非常に聞きづらかったのだろう。だが、四の五の言っている場合ではない。彼の心情は軽く理解しておき、私は大人しく答えた。
「ある翅人情報屋の見たカエルムとシルワの惨状の記憶です」
私は慎重に答えた。
「死霊たちは弱い立場の者から襲い、すみやかに手駒にしたようです。人の血を継ぐものならば、誰しも狙われます。魔族だって例外ではありません」
そこで、メリュジーヌ隊長の厳しい視線に耐える。話はまだ終わっていない。
「空巫女様および地巫女様にあった不幸を彼は直接見ていないようでした。しかし、事後のゲネシスとソロルの気配が異様だったと主張していました。とくに、ソロルは何かを楽しんだ後の表情をしていた、と」
「死霊の目的は海巫女様の命だ」
ウィルは言った。
「きっとそういう事なのだろう」
不安で仕方ないといった様子だ。当然だろう。彼は誰よりも長くブランカの傍にいたのだ。そんな彼にとってのブランカは、私にとってのルーナと等しいだろう。
「ほかには?」
カルロスに短く促され、私は頷いた。
「情報屋によれば、巫女様方のご遺体は見つからなかったそうです。代わりに、聖シエロ礼拝堂と聖ティエラ礼拝堂は激しく損壊し、それぞれ大きな鳥と馬や犀の間のような生き物の亡骸が残されていたのだと。もしやそれは……ジズとベヒモスなのでは」
「……馬鹿な」
呟いたのはメリュジーヌ隊長の部下の一人だった。ヴィトゥスでもアントニウスでもない。緑色の男性竜人だ。
「聖獣たちのお姿は見えないのだ。我々とは別次元におられる方。そんな方々をどうやって……馬鹿げている」
確かに、あまり想像はつかない。
ジズやベヒモスの存在を否定するわけではない。祝福の儀の際にその気配を身近に感じたからだ。しかし、彼らは実体のある生き物とは思えなかった。そんな彼らがどうして亡骸となるのだろう。
だが、一人、控えめに物申す人物がいた。グロリアだ。
「そういえば、イグニスで彼に訊ねられました」
その言葉に耳を傾ける。
「『神を殺せる力があるとしたら、お前はどうする?』と。悪い冗談にも程があると咎めてみれば、彼は笑って流しました。……そのことと何か関係があるのでしょうか」
コックローチの情報を思い出す。
ゲネシスの持つ剣が怪しく光っている。その剣の怪しい輝きこそが、「神を殺せる力」というものだろうか。神というのはきっとリリウム教会の信仰する唯一の神ではない。聖獣たちが聖獣でなかった時代のことだろう。
神殺しの武器。そういう伝承は珍しいものではない。だが、いずれも単なる伝説だ。人間が思っているよりもこの世は不思議な力が蔓延しているが、人間が信じているほどその力は万能ではない。それが、人間にとっては得体が知れなくて仕方ないだろう魔女の私でさえも常々思うことだ。
「彼の持つ聖剣に秘密があるのかもしれません。怪しいきらめきがあると情報屋も述べておりましたので」
私が静かに意見すると、メリュジーヌ隊長たちは不思議そうな顔をした。
「聖剣に秘密?」
同じく不思議そうにそう言ったのはグロリアだった。
「そうは見えなかったけれど……」
ぼそりと呟き、そのまま思考に耽りだす。実際に見たことのあるコックローチとグロリアの感想が異なるのはまあいい。訓練しているとはいえ、グロリアは魔の血をひかぬ人間だ。対して、コックローチは翅人。捕食者の多い翅人の方が危険なものに敏感である。だからこそ、情報屋などという職業をやりながら生きながらえることが出来ているのだ。
カルロスがウィルと顔を見合わせてから発言した。
「少なくとも決めておくべきことは、どのように戦うべきか。大量の死霊が襲ってきたときに、どのように対処しするのが正しく、間違っているのかということでしょう」
その言葉に、一同がそれぞれ考え込む。何分、死霊というものは研究が少ない。有名なのは、死人に化け、人の血を継ぐものを襲って食べる、縁者がいれば強いが、いなければ弱いということくらいだ。同調するということも分かったが、それ以上の事は謎に包まれている。どのように死人の魂をとらえ、この世に現れるのかというその仕組みも、何に強く、何に弱いかも、今はまだ想像と伝承ぐらいでしか分かっていないくらいだ。
真実に近いとすれば、伝承だろう。古の人々の見聞きした記憶の欠片は、今の私たちにとって大変貴重なものに違いない。しかし、当事者のすっかり消えた世界において、過去の証言はいかなる見方もできるがために混乱するものだ。
結局、この場にいる者たちの抱く死霊への見識の中で、その脅威の正体をより掴んでいると思われるものは何一つなかった。何一つ、だ。




