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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
8章 ゲネシス

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1.イムベルの都

 旅が終わろうとしている。その感覚はイムベルと呼ばれる地を踏みしめていくうちに段々と強くなっていった。


 イムベルの都は聖海の沿岸にあり、温暖な気候は三つの聖地の中で最もよく感じられる。都の美しさはもちろんだが、高台から見下ろした聖海の美しさは言葉に尽くせぬほどで、ありふれた言い方になるが青々としたサファイアが溶けだしたような鮮やかさに驚いてしまった。


 噂には聞いていたが、思っていた以上に美しい。だが、サファイア。その名を思い出し、身が震えた。これまではただ美しく、予言者や聖職者たちもすがるような神秘的な宝石の名前であったのに、とある故人とその遺族のせいで私の中ではすっかり不吉な言葉になってしまった。


 シルワの今の様子はまだ分からない。ただ、シルワの都をもう間もなく発つという時、カリスが目覚めたという朗報が届いていた。意識もしっかりしており、もう少々休めば人狼としての力も取り戻せるだろうとのことだ。

 出来れば一目会いたかったが、それを叶える時間は残されていなかった。


 ソロル達は私の居場所を常に気にしているだろうが、だからと言って好き勝手に時間を調整できるわけではない。輿入れの儀は時間や日付に縛られる。花嫁たちの身体を十分に気遣った日程ではあるが、いつまでももたもたしてはいられないのもまた確かなこと。

 辛いところだが、言伝を頼むしかない。言伝を受け取ったシルワの人々は、きっと、シルワで何かがあれば、カリス本人が影道を走って伝えてくれるだろうと言ってくれた。実際にカリスがそこまで回復できるかどうかはともかく、以前のように彼女が目の前に現れる日を待つばかりだった。


 そうした心境でそわそわしていたこともあり、イムベルの都で目立つウィータ教会にたどり着いた後も、何処となく落ち着かなかった。迎え入れてくれたのは、竜人の血をわずかに引くという司教であった。引いているといっても、そのオーラからは魔物の気配を全く感じない。竜人の祖先から得たものは少なく、生物としてはケモノ――つまりただの人間として存在するのだろう。


「お待ちしておりました。ええ、とても」


 司教は、その表情に感激を隠すことなく私たち一団を見つめて言った。


「各聖地の知らせは聞いておりました。腑に落ちない状況でもありますが、何はともあれ無事にお帰りになられて私も嬉しく思います」


 深々と頭を下げ、彼はウィルとブランカを見比べた。


「イムベルは長い間、御二方のお帰りを待っておりました。海巫女ブランカ様、そして彼女を守るべきと定められしレグルス聖戦士ウィル。あなた方こそ、この聖地イムベルの顔です。ここまで本当にご苦労様でした」


 そして軽く手を合わせる。その仕草は男性ながら妙に女らしくもあった。


「大聖堂までは船を使って渡ります。ラケルタ島はご覧になられましたか?」


 問われ、ブランカが丁寧に答える。


 高台からウィルが教えてくれたのだ。ラケルタ島はイムベルの都から聖海を渡ってそう離れていない場所に浮かんでいる。島全体が聖堂および御殿となっており、リリウム教が普及するより前から海の女神とされる竜への祈祷が行われていたらしい。


 ラケルタ島で祀られるのは、ウィルたちすべての竜人の血を引く者の母。リヴァイアサンと伝えられる他、マルの里に痕跡があったようにセルピエンテという名前で信じられていたり、ウロボロスと呼ばれていたりしたこともあったらしい。

 しかし、今はリヴァイアサンである。リリウム教会がそう定めて以降、それ以外の名前で呼ぶものは殆どいない。それこそ、魔族や魔物の一部など異端の信仰を頑なに守るものだけだろう。


 育ての親であるニューラは精霊信仰に傾倒している人だった。彼女はリヴァイアサンのことをなんと呼んでいただろう。ふと思い出そうとして、思考を止めた。最近は彼女の事を思い出そうとすると、妙に心が痛む。


「ここまで来ていただければ安心……と言いたいところですが」


 司教がその表情をがらりと変える。先ほどまでの嬉しくてたまらないといった様子から、一気に神妙な顔つきになった。


「不安はまだ残っております。特に心配なのがカエルム……そして、シルワです」

「シルワ?」


 ウィルがすぐさま訊ね返した。その竜の目に緊張が浮かんでいるのが見える。


「――ええ、シルワからは確かにあなた方ご一行が出発したという知らせを受け取りました。もちろん、大聖堂で起こった異様な事態――ジブリール殿のことも耳にしました。しかし、その後、数回のやり取りを経て、突然、返信が途絶えたのです」


 同じだ。カエルムの時と。


「あまりにも遅いため、返信を催促する手紙をイムベルの都に待機されていた角人の姉妹戦士に預かってもらい、四本足を駆使して走ってもらったのですが、途中で引き返してきたのです。なんでも、シルワに近づいた途端、複数のソロルやフラーテルの妨害を受けたとのことで」

「シルワでも同じことが……?」


 ブランカが怯えを表情に浮かべる。その唇より小さく、グリスの身を案じる声が漏れ出した。ルーナの手をしっかりと繋ぎ、私はその様子を静かに見守り続ける。できれば、カエルムでとどまっていて欲しかった異変が、シルワまで侵食している。


 現在も混乱が続いているのか、いないのか。犯人は目星がついている。角人の女性戦士の足を止めた死霊たちは、ゲネシスと共にいるはずのサファイア――つまり、強い力を持つソロルと同調しているのだろう。

 グロリアが眉を顰め、唸る。


「……ゲネシス」


 その声は苦渋に満ちている。親しい友人だったと聞いている。だからこそ、あの苦い表情なのだろう。

 道中、彼女と個人的に話したことはない。ルーナは好奇心に負けて何度か話をしたようであるし、ニフテリザもカンパニュラについて控えめながら話を聞いているようだった。しかし、私は話しかけなかった。彼女もまた同じである。ただ、私に厳しい眼差しを向けてくることは全くなかったので、それだけで十分だった。


「アマリリスさん……でしたね」


 ふと、司教の視線が私に向けられ、内心慌ててしまった。司教の視線が私の指で輝く指輪へと向いている。その眼の色合いに、少々、竜人らしさがあるような気もした。


「お話は聞いております。ここまでお付き合いくださり本当に感謝いたしております。しかし、あなたの自由をお返しできるのはまだまだ先の事になりそうだと、教会を代表して今よりお詫びさせてもらいましょう」


 ここまで覚悟はしてきた。じわじわと強まる空気の中、指輪の返却という選択が遠ざかり続けていることは理解している。まずはゲネシス、そしてソロルをどうにかしなければ、平和は訪れない。聖獣たちであっても、混乱を防げないというのであれば、ソロルが唯一恐れているらしいこの指輪と〈赤い花〉に賭けるしかない。

 しかし、覚悟と同時に不安もあった。この際、不自由さは我慢しよう。道具のように扱われる理不尽さも我慢する。可愛いルーナの学費稼ぎだと思えば、許容範囲内だ。残酷な世界において多くの〈赤い花〉たちが晒されている現状を考えるならば、私はまだ恵まれている方だと諦められる。


 そうではない。私が怖いのは、迫りくる混乱の日についてだ。シルワでもおかしなことがあったというのなら……つまり、あまり考えたくはないが、グリスの身に何かあったのだとすれば、きっとゲネシスとソロルはイムベルにも来るだろう。今まで、どんなに指輪を避けてきたといっても、もしもあの二人がカエルムとシルワを沈黙に陥れたのだとすれば、私一人がどんなに脅威であろうと関係ないのではないか。


 また、不安なのは犠牲者の数である。そのうちの魔の血の薄い者たちは、死霊に囚われる可能性が高い。同調現象というものが認められるのならば、思っている以上の相手と戦わねばならない時が来るかもしれない。

 そうなったときに、私たちはブランカを守れるのか。そもそも、ルーナやニフテリザは無事でいられるのか。


 嫌な予感が寒気となってわが身を襲う。怯えは大敵だと分かっているのだが、どうにもならなかった。ただ、都合のいい話かもしれないが、もはや神に祈るしかない。異教徒ながらここまで尽くしてきたのだ。どうかルーナやニフテリザに輝かしい未来が訪れるように。そう祈るしかない。

 だが、祈れば祈るほど嫌な予感は広まってしまう。大変良くない事だった。


 結局、ウィータ教会に併設されたサルタトル館の客間へと案内されてからも、心苦しい気持ちは変わらなかった。


「ねえ、アマリリス」


 客間で寝転がって久々のベッドの感触に癒されていると、我が隷従が愛しい少女の姿で無邪気にも添い寝してきた。


「なあに、ルーナ」


 黒い髪を手で梳いてやりながら返事をする。ニフテリザはさっそく稽古場を見学に行っている。ここ最近はヴィヴィアンたち共々、グロリアからアルカ聖戦士風の剣術を見せてもらっているらしい。ヴィヴィアンたちとはまた違ったグロリアとの交流は、ニフテリザのいい刺激となっているようだ。

 そんな血の気の多い交流はルーナにとって退屈らしい。カルロスもさすがにいつまでもルーナの遊び相手をしてやれる空気ではなく、カエルムの異変があって以降は特に部下たちの稽古を真面目に見てやっていると聞くので、なおさら、ルーナの居場所はないようだ。


 そのため、ルーナの遊び相手と言えば、畏れ多くもブランカ様やそのお付きの人々、それ以外ならば私である。その中でも、主人であるはずの私はルーナにとって最も不適当な遊び相手のようだ。起きている間には昼寝しかしてくれないのだから当然だろう。

 それでも、そろそろあの時期がやってくる。ヴィヴィアンにそれとなく聞いておいたので確かなはず。緑の葉っぱが色を赤らめ死に始める頃合い、恋が実らなかった〈金の卵〉の雌たちは再び異性を求め始める。

 そんな時期の気配は、山々を眺めれば確かに伝わってくる。ルーナもまた全身でその感覚を味わっているのだろう。撫でてやる私にそっと身を寄せて、彼女は甘えた声で囁いてきた。


「アマリリス」


 頬がすっかり紅潮している。可愛いものだ。


「わたし……わたしね」


 クロコ語になっている。要望をはっきりと述べるのは恥ずかしいのだろう。全て言わずとも悟って欲しい。そんな思いが彼女を苦しめていた。

 それでも、こうして触れ合っていると意地の悪さが顔を覗かせる。


「どうして欲しいの、ルーナ?」


 そうアルカ語で訊ねてみる。

 すると、ルーナは耳の先まで真っ赤になってしまった。何を考えているのやら。いや、分かっている。盛りのついた猫たちを見ればすぐにわかることだ。そういう煩悩でルーナは苦しんでいる。冗談でもなく、深刻なほどに。

 それでも、主人の命令だからだろう。ルーナは顔を真っ赤にしながら、目を潤ませつつ、果敢にも私に囁いてきた。


「あのね……わたし……――」


 そして、泣き出しそうな顔で、彼女は願望を言葉にした。クロコ語で言いかけるところを、きちんとアルカ語に変換するとてもいい子の姿がそこにはあった。羞恥心で顔を真っ赤にしたルーナにそっと口づけをした。

 ウィータ教会の鐘の音が聞こえてくる。神聖なその音を聞きながら、私はただ目の前にいる隷従のすべてを味わった。

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