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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
7章 グリス

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3.一角獣の巣穴

 ため息が漏れてしまう。この表現すら陳腐なものだ。カエルム大聖堂は荘厳で気高い印象が強い場所だったが、シルワ大聖堂は生命が溢れる温かな美を宿していた。その美は完璧かつ孤高なものではない。私から見てそれは、あらゆる種族の子供たちが宿している無邪気さにも似ていた。

 きっと、大聖堂のあちらこちらで走り回る〈果樹の子馬〉たちの姿があったからだろう。優しく彼らをサポートする角人たちと並べば、それだけで絵になるものだった。


 ここは人間の世界ではない。巡礼者のほとんどは人間の姿をしているが、彼らをもてなす側のほとんどは人間ではない。カエルムといい、此処といい、世界のすべてがまるで魔の血に寛容であったかのようにすら思えてしまう。


 ああ、なんて落ち着くのだろう。なんて良い場所だろう。

 人と魔が交流している。カエルムもそうだったはずなのに、シルワの空気は本当に軽くて美味しい。こんなにも親近感と好感を抱いてしまうのも、ここが私も含めた魔族のための聖地だからなのだろう。

 古より伝わる〈赤い花〉の聖人たちを死後慰めているとされるのもこのシルワだ。地巫女、花嫁守り、ベヒモス、司祭といった面々がそれぞれ魔族への祈りと共に、特別に〈赤い花〉のための追悼を行うという。

 私もいつかここで名前を呼ばれる日が来るのだろうか。


 シルワ大聖堂の回廊には歴代の〈赤い花〉たちの呼び名が刻まれた石碑があった。フルネームの者もいれば、あだ名としか思えない名前の者もいる。皆、同じ指輪で繋がっているのだ。そして、殆どが不幸な末路をたどっている。そのため、鎮魂のための祈りは何度も行われるそうだ。


 祝福の儀が行われるのはサンタティエラ礼拝堂だ。非公開の場所なのでまだ見せてもらっていないが、おそらくこちらはカエルム大聖堂にあった聖シエロ礼拝堂とさほど変わらないとみた。

 案内ついでに見せてもらったのは聖ベヒモス礼拝堂とコルヌ礼拝堂であり、そのうちの聖ベヒモス礼拝堂にて〈赤い花〉のための鎮魂の祈りは捧げられるそうだ。そんな話を聞かされたため、今回の案内でもっとも印象に残ったのはやはり聖ベヒモス礼拝堂だった。中をのぞけば、案の定、ベヒモスを模った像や、地巫女ティエラの像が飾られている。だが、それとは別に、聖ベヒモス礼拝堂のみにもう一体の女性像があった。こめかみに花を咲かせ、美しい手に指輪をしている。彼女こそ、最初の聖女なのだとすぐに察した。私まで〈赤い花〉を継がせた先祖かもしれない人。


 ここは〈赤い花〉伝説が色濃く残る場所だ。そう思うと、なんだか嬉しくて、温かく、そして同時に苦しくなる。神格化された聖人たちはどれだけ素晴らしい人材だっただろう。彼らの末路に関する悲劇を強く伝えたという事は、それだけ惜しい人だったのだ。

 だが、私はそういう者ではないと自覚していた。大勢の人々に縋られるだけの器ではない。たまたま同じ血を引いていたがために、たまたま見つかってしまったがために、たまたま数を減らしてしまっていたがために、私はここにいる。その事実を思うと苦しくて、何もかも忘れて指輪を外してしまいそうになる。これまで好き勝手に生きてきただけの私にとって、この責任はやはり重すぎるのだ。


「どうしたの、アマリリス?」


 シルワ大聖堂の案内の最中、少女姿で手を繋いでいるルーナが私を窺ってきた。そんなに気になる表情をしていただろうか。微笑みを返したものの、ルーナはまだ心配そうだった。


「疲れちゃったの?」

「そうね、たぶん」


 ルーナにしか聞こえないほどの小さな返答だったと思うのだが、聞こえてしまったのか案内は手短に終わった。おかげで助かった。もうふらふらだ。客間に帰されてベッドにダイブするなり、睡魔は私にそっと寄り添ってきた。うとうとしていると、ニフテリザが私にひと声かけてきた。


「ちょっと出かけてくるね」

「行ってらっしゃい」


 何処へなんてもはや聞く必要はない。今日も稽古を積むのだろう。本当によく続くものだ。もっとも、他人事などではなく、私の方も誰もいないときにでも稽古場に赴き、蜘蛛の糸で案山子の首を飛ばす練習くらいはした方がいいかもしれないのだが。

 うとうとしながら反省していると、わざわざ同じベッドで眠ろうとするものが現れた。少女の姿のルーナだ。珍しくニフテリザについていかなかったらしい。レスレクティオ教会でのことが、そしてその後に私の苦言が効いたのだろうか。


「今日は遊びに行かなくていいの?」


 うとうとしつつ訊ねてみれば、ルーナは私の胸元に顔をうずめながら肯いた。


「アマリリスと一緒にお昼寝する」


 ちっとも眠くなさそうなのだが、まあ、それはいい。昨日の事を反省している結果ならば、いい傾向だ。それに、愛しいペットと共に眠るのは至福の瞬間でもある。

 問題があるとすれば、ルーナがやたらべたべたとくっついてくることだろう。しかも、たまたまだろうか。その手が私の胸元を何度も触れてくる。まるで、こうして欲しいと無言で訴えているかのように。


 まさか、もう発情の時期が来たのだろうか。やはり今後のためにも、年頃の〈金の卵〉の飼い方について、ヴィヴィアンの話をよく聞くか、もしくは資料でも求めてみた方がいい。……しかし、今はそのために部屋を出る気力もなかった。ひと眠りしてからの事になるだろう。


 念のため、私はルーナ本人に訊ねてみた。


「何しているの?」


 すると、意外な答えが返ってきた。


「あのね。カリスが言っていたの。アマリリスが疲れていそうなときは、わたしが癒してあげるといいんだって。癒すためには、前に体がおかしくなった時にしてもらったようなことをしてあげるといいって、カリスがね、その時に直接教えてくれたの。わたし、ちょっと試してみる。だからさ、アマリリス、服脱いで」


 頭が痛い。

 つまり、揶揄われたわけだ。いったい、いつの揶揄いだろう。いつでもいい。とにかく、時限式の魔術のように今頃になって発動した。非常に煩わしい。そもそも、直接教えたとはどういうことだろう。もしかして、そういうことなのだろうか。腹立たしい。再び無事に会えたなら苦情を言ってやりたいし、質問攻めにしてやらなければ気が済まない。

 しかし、本人はカエルムで別れたっきりだ。腹立たしさよりも今は、余計に心配になってしまう。これでは文句も言えない。早く報告に来ないだろうか。揶揄う彼女の表情がとても懐かしかった。


 それはそうと、今はルーナだ。

 とりあえず、その無邪気な腕をつかみ、動きを止める。驚く彼女を引き寄せると、そのままうるんだ唇に口づけをしてみた。その味は、別に美味しくはない。ただ、疲れていた心が落ち着いた気がしたので、カリスが言っていたこともあながちただの揶揄いではないのかもしれない。


 解放されると、ルーナは不思議そうな顔をした。


「脱いでくれないの?」

「――カリスの言うことなんて信じないで。試さなくていいの」

「でも!」

「キスだけで十分よ。一緒にお昼寝だけしましょう。おやすみ」

「やだ!」


 今は無視して眠ることにしよう。


 だいたい、発情期でもないのならばルーナとの怪しげな関係を今すぐに深めることはない。キスに留めておくのが一番だ。なぜなら、ここは〈一角獣の巣穴〉と呼ばれる場所。聖堂や御殿のあちらこちらに侵食する植物たちは、〈果樹の子馬〉と会話が出来るのだという噂を聞いたことがあったのだ。

 この客間の壁にも植物の蔓が隙間より入り込んで茂っている。もしも見られていたらと思うと、ルーナの誘いに乗ることなんてできなかった。そもそも、しもべであるルーナに主導権を握られるのは全く面白くない。


「ねぇ、アマリリス、ねえってば! 服脱いでよぉ! お願い、試してみたいのー!」


 目をつぶって無視していれば、ルーナは果敢にも服をめくろうとしはじめた。好奇心旺盛の彼女だ。前にカリスに教わったということを試したくて仕方ないのだろう。しかし、負けるわけにはいかなかった。


「ねえー……きゃっ!」


 駄々をこねるルーナを取り押さえ、そのままくすぐってやったのだ。


「あはは、やめて、やめてよぉ!」


 笑いながらもがくルーナを見ていると面白くなってしまった。抵抗されつつくすぐり続けてしばらく。捕食された哀れな獲物が生を諦めるかのように、ルーナはぐったりとしてしまった。


「分かったよう……じゃあ、一緒にお昼寝する……」


 分かってくれたようで何よりだ。そういうわけで、私も再び横になった。何をするつもりだったのか気にならないわけではないが、どうせカリスの入れ知恵。ろくなことじゃない。

 一般的に人狼はその手の攻めもうまいものだ。決してそういう趣味ではなく、それもまた食事の一つだと聞いたことがある。相手を殺したくない場合、そして、そういうことが出来る場合、その方法で気休め程度に食べることがあるのだと。ルーナが直接教わったとかいうのはその手順だろうか。

 悪い冗談だ。だいたい、植物が見つめているのだ。今ここで教えてもらうこともない。発情期が再び来た時には、むしろこちらが思い知らせてやろう。

 背を向けて眠っていると、ルーナはそっと寄り添ってきた。


「ねえ、アマリリス」

「なに?」


 振り返らずに答えれば、ルーナは楽しそうに笑った。


「おやすみ」


 大人しいものだ。今度から、手に負えないときはくすぐってやろうか。そんな意地悪なことを考えつつ、返答する。


「おやすみなさい、ルーナ」


 間もなくして、ルーナの姿が縮んでいく。その様子を背中で感じながら、私もまた沈黙の中に意識を沈めていった。


 目が覚めたのはそれから少し経ってからの事だ。ニフテリザが戻り、夕餉の後で、再び稽古場に戻ってしまうのを見送って、私はルーナと二人でインシグネ御殿の探検をした。

 こうして可愛い隷従の好奇心に真面目に付き添った覚えがない。前にもあったかもしれないが、ここ最近は違ったかもしれない。今までもこうするべきだったのだろうか。慣れないことにぎこちなさを感じつつも、ルーナの無邪気な表情を独占するのは楽しかった。


 しかし、その独占もすぐに終わった。

 ブランカとその従者たちがインシグネ御殿の廊下で談笑していたからだ。


「ブランカ様!」


 嬉しそうにルーナは駆け寄っていく。

 ブランカが静かな笑みでそれを迎える。三名の従者たちも温かく受け入れてくれた。こんな光景もいつの間にか当たり前になってきている。私の不注意から始まった旅だったが、ルーナにとっては新しい世界に触れる大きな機会となったわけだ。楽しそうに過ごしている我が隷従の笑みを見つめる度に、多少の苦痛なんてどうでもよくなってくるのも確かだった。

 ゾラがそっと身を引いて場所を空けてくれた。ルーナの隣だ。私が来たことを感じると、すぐさまルーナは手を繋ぎ、ぎゅっと握り締めながらブランカをまっすぐ見つめた。


「何を話していたのですか!」


 とても元気がいい。

 アルカ語の丁寧な言葉遣いも前に比べて流暢になってきている。私と二人きりの時はクロコ語に戻ってしまいがちだが、肝心な時に話せるのならば問題ない。

 カンパニュラでも困りはしないだろう、と安心しつつ、難しいと言って投げだしていた頃をついつい懐かしんでしまうものだった。


「グリス様やフィリップさんとのお話が終わったので、シルワを散歩しながら翠の美しさに感心していました。ルーナさんもアマリリスさんと一緒にお散歩ですか?」

「はい! インシグネ御殿を探検しているんです!」


 いちいち楽しそうに会話をするものだ。手を繋ぎながらしみじみと思った。

 猫というよりも人懐こい飼い犬のような態度でルーナは目を輝かせる。ブランカはそんなルーナを前に、ひたすら穏やかに接してくれた。

 私よりも短い時間しか生きていないはずなのだが、その立ち振る舞いはやはり大人びている。


 この人を見ていると、カエルムのことがより一層心配になった。ネグラはどうしているだろう。カリスの作戦は成功したのだろうか。いまだに何の情報も得られないことが、もどかしかった。


 ルーナとの雑談をひとしきり終えると、ブランカは表情を変えて、私へと視線を送ってきた。


「少しよろしいでしょうか」

「……ええ」


 断る理由もなく肯けば、ルーナはじっと私たちを見つめてきた。すかさず、ブランカの従者たちがルーナの気を引こうとする。


「すみません、ルーナさん。アマリリスさんを少しお借りします」

「ルーナ……みんなと一緒に居るのよ」


 目を合わせてそう語り掛ければ、ルーナはしぶしぶながら頷いてくれた。


 ブランカは歩き出し、ルーナたちから距離を置こうとする。私は静かに従った。

 とぼとぼと歩いてインシグネ御殿からシルワ大聖堂まで。その回廊へと差し掛かったところで、やっと何処に向かっているのかが分かった。

 回廊には石碑がある。歴代の〈赤い花〉たちへの哀悼が込められている神聖な場所だ。


「最初の〈赤い花〉の聖女は剣をふるって巫女たちを守ってくださったそうです」


 思っていた通り、ブランカは石碑の前で立ち止まった。


「その時の剣は聖女亡き後、聖剣として後世に伝わりました。しかし、聖女の奇跡の力の源が聖剣にあったのだと気づいた祓魔師ふつましが、聖剣を溶かして指輪にしたと伝わっております。あなたの嵌めているその指輪です」


 人差し指を締め上げる指輪に視線を落とす。

 この指輪の事でブランカが心を痛めていると聞いたのはイグニスでのことだ。今思えば懐かしい。あの時に何度も顔を合わせることとなったウリアは元気にしているだろうか。


「指輪の弊害の歴史について、わたしは無知でした。何もかも教会任せにした結果でしょう。そんなわたしのことをあなたはお許しにならないかもしれません。しかし、それを承知でお願いしたいのです」

「恨んではいません。私は欲望のままにあなたの住まいを侵し、カルロスを殺そうと誘き出したのです。そんな私が殺されずに済んだ理由があなた。ルーナやニフテリザのことを思えば、あなたを恨めるはずがありません」


 一応、心からの言葉のつもりだが、ブランカには伝わっただろうか。黙ったまま彼女は俯いている。その美しい横顔は三日月を思わせる。太陽のような人にも思えるが、ここ最近は夜の空に浮かぶ月のように静かな美しさと物悲しさをまとわりつかせている。


「――あなたに頼みたいことがあります」

「何でしょうか」

「その指輪を外す未来を回避していただきたいのです。指輪を返上した聖女や聖人たちの末路をカエルムで聞きましたね。わたしはあなたが断罪される知らせを聞きたくはありません。檻であろうと何だろうとあなたが無事に過ごせる場所に居て欲しいのです」

「ずいぶんと直接的なお願いですね。そのことなら、一度だけ否と返事をしました。しかし、もう少し、考えさせてください。心配なさらずとも、脅威がなくなるまでは私はお傍にいると約束しますよ」


 イムベルについたとして、ソロルの気配が消えなければ役目は終わらないだろう。

 真に自由になれるのは、ソロルとゲネシスの存在が消えたと確認できた後。もう誰もブランカのことを狙わないと分かって以降のことだろう。

 それまでは尽くすつもりだ。役目を放棄するなんてことは考えていない。ルーナとニフテリザの今後のためでもあるし、今や他人とは思えないブランカ自身のためでもある。

 この決して短くなかった旅の中の馴れ合いは、長年孤独にさまよい続けた私に人間らしい感情を与えてくれたのかもしれない。


「全てが終わったその後も、わたしはいいお返事を期待しているのです」


 ブランカはため息交じりに言った。


「やはり、わたしは怖いのです。情けないと思うかもしれませんが、恐ろしいのです。あなたが去った後で、また誰かがソロルやフラーテルに縋るかもしれない。そうなれば、今度こそ殺されてしまうかもしれない。リヴァイアサンのことを疑っているわけではないのです。わたしは彼女のために生まれたのですから。しかし、聖獣たちには現世に関われる限度があるのです。同じ世界を生き、確かにお守りくださるのはいつだって聖戦士の方々。そして、その聖戦士の大半は、死霊に食べられてしまうかもしれない。そんなわたし共にとって、あなたは……〈赤い花〉は明日への希望でもあるのです」


 どう応えるべきか分からず、私は黙り込んでしまった。

 私は意固地になっているのだろうか。ここまで求められて、それでも尚、彼らの元を去ろうとしているのは何故か。


 生きるのは大変だ。人狼狩りだって以前のようにはいかないかもしれない。処分に余った人狼なんて無限にいるものでもないはずだ。そうなれば、私はどうなるだろう。昔のように見境なく人狼を襲う可能性があるとなれば、今度は教会も黙っていられなくなるだろう。では、檻に入った猛獣のように隔離される日が待っているのだろうか。

 それなら最初から、指輪を大人しくはめて待機し続ける方がいいのではないか。これまでだって理由のない人生だった。気の向くままに放浪し、気分のままに人狼を殺し、気まぐれに人間を救ったこともあった。もう十分、自由に生きてきたかもしれない。それならば、指輪をしたままリリウム教会の権力下にある何処かでひっそりと暮らすべきなのではないか。


 だが、頭ではそう思えても、心の深い部分が拒絶している。自分でもどうにもならないプライドが、それを許そうとしないのだ。


「もちろん、あなた一人にすべてを賭けるなんて残酷なこと、長官方は考えておりません」


 力なくブランカは言った。


「指輪は今のところ一つしかありません。しかし、指輪の素は大切に保管されています。許可さえ下りれば増産も可能だとか。〈赤い花〉が他にも集まれば、聖地に一人ずつ配属することも考えられています。あなたは嫌がるかもしれませんが、いずれかの聖地に留まり、世界に散らばった貴重な〈赤い花〉を安心させて呼び寄せる模範となって欲しいそうです」


 さぞ窮屈な生活になるのだろう。


 私が訪れる前、マルの里の人々が手を染めようとしていたことを思い出す。

 世界各地で行われている花売り行為は、教会が重い腰を上げなければ止めることが出来ない。その方面の話し合いが進まない限り、いつまでも地下街で怯える魔女や魔人の子どもの数は減らないはずだ。


 そんな状況で模範とは。ここは〈赤い花〉の楽園たりえる場所になるとでも言うのだろうか。

 いや、少なくとも今は、とてもそうは思えない。


「とんでもない人々だとあなたは思うでしょう。けれど――」


 と、ブランカが言いかけたところで、教会の鐘が鳴った。

 すべてを浄化するような澄み切った音だ。何処に行っても大して変わらない音。しかし、すっかり馴染みのある音として記憶されてしまったものだ。

 ブランカはその音に囚われたように口を閉ざした。鳴りやむまで黙り込み、やがて、その余韻すら聴き取れなくなってから、ようやく俯き気味に口を開いた。


「すみません。話し込んでしまいました」

「いいえ」


 短く答えると、、ブランカはそっと歩き出した。

 進行方向は元来た道だ。もういいのだろうか。


「わたくしがあなたに求める答えは変わりません」


 歩きながらブランカは言った。


「けれど、あなたには拒否する権利もあります。それだけは約束しておきましょう」


 それはまるで自分自身に言い聞かせているようでもあった。

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