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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
7章 グリス

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52/199

1.シルワの都

 カエルムからシルワまで近いわけではない。

 それなりに距離はあり、聖山登りを思い出せば険しいとは言えないが、楽なものでもない。従って、シルワの都にたどり着くまでにはそれなりの時間を要した。


 シルワの都にあるレスレクティオ教会。そこで、出迎えてくれたのはシルワに君臨する聖獣ベヒモスの血を引く角人戦士たちだった。ここを取り仕切る司教は人間ではなく角人である。温かく出迎えてくれた彼の生き物らしい表情に、ようやく落ち着くことが出来た。


 角人戦士は独特な容姿をしている。その素顔はいつも馬面のマスクに覆われており、目の色すらはっきりと分からない。都に住まう角人達はさすがにそんな恰好をしていないが、戦士たちの印象が根深く、他国で描かれる絵画の中の角人は必ずそのマスクをつけているほどだ。角人の聖戦士たちは建前上、教皇と神に忠誠を誓う存在だが、リリウム教会統合以前から守り続けた伝統の風貌を崩さない。不気味な馬面マスクは小さな子どもに泣かれることがあると聞いたことがあるが納得もいくものだ。私も幼い頃だったら恐れていただろう。


 ちなみに彼らの素顔は人間によく似ているが、一本もしくは二本の角があり、耳は馬やロバに似ている。さらに、下半身には首から下の馬の胴体が引っ付いているという奇妙な姿をしている。このような形態の者たちは四本足と呼ばれ、研究対象にもなっているらしい。馬やロバ以外にも、虎や豹、狼、山猫、獅子、縞馬、サイ、カバ、鹿、山羊、牛、キツネなどといった形態が目撃されているらしいが、詳しいことは分かっていない。私もあまりこの目で見たことがない。ただ唯一といっていいほど人間と関わりの深い種族がこの角人というもので、研究も主に角人に寄り添うものが多いのだ。


 角人の場合、地に着く四本の脚はすべて馬のものに似ている。素早く安全に走るために蹄鉄を履いており、歩くたびにカツカツと音が響くのもシルワならではの風情として有名である。私としても興味を抱くものだった。痛くないのだろうか。どうやって打ち付けるのだろうか、等といったことだ。


 私たちを客間のあるヨクラートル館まで案内してくれる角人司教の場合、はっきりとした蹄鉄の音は聞こえなかった。聖戦士と違うその衣装からは足元が見えないので、何を履いているのか分からない。司教は角人だが、四本足の角人ではない。私たちと同じような体格をしているため、ひょっとしたら足元も人間のようである可能性もある。角人の特徴として確認できたのは耳と一本角、栗色の鬣くらいのものだ。尻尾が生えているかどうかもわからない。


 司教は角人と何かしらの種族の混血であると思われる。おそらく、混ざっている大部分は人間のものなのだろう。そう思えば、彼が司教という地位までいけたことにも納得がいった。よくよく見渡せば、四本足でない角人もそれなりに存在する。カエルムでの嘴のないアズライルのような存在だろう。

 ただ、聖戦士の格好をしている者は、四本足である者が大半である。そういうものと認識されているのかもしれない。


「シルワ大聖堂までのご案内は、レグルス聖戦士のフィリップに任せてあります」


 司教はにっこりと笑いながら言った。


「フィリップは普段、大聖堂におります。今夜にはこちらに着くはずです。その後、打ち合わせを行いますので、それまではお休みください」


 だいたいの流れはカエルムの時と同じだろう。


 ウィルはここでも留守番をすることになり、私たちはブランカと共に聖森を突き進む。今度は山登りではないから楽だと思いたいが、森というものも侮れないことは知っている。休息は大事だろう。

 しかしながら、そう思うのは私だけだったらしい。〈赤い花〉の聖女とその付き添い人にと用意された客間のベッドに寝そべっているのは、今や私だけだ。案内されてから一時間も経っていない。ニフテリザは当然のように聖戦士たちのもとへ向かい、ルーナは私の目を盗んで遊びに行ってしまった。


 仕方なく一人きりで客間にこもる際、ふと待っている気配がある。カリスだ。今や、彼女が獲物だった時のことを思い出せないほどである。最後に分かれたのはカエルムのカントル館でのこと。あれからどうなったのか。いまだに報告はなかった。


 カエルムは今頃、どうなっているだろう。カリスがやっと教えてくれた情報は、すみやかにウィルやカルロス、そしてカエルムの聖職者たちにも伝えた。すみやかにゲネシスなる人物の特定は始まり、彼の友人であるグロリアの特定も行われた。必要とあらば、グロリアにも協力を願うというところで私たちはカエルムを去ったのだ。


 続報は鳥人戦士が運んでくれるとの約束だった。

 始終移動することとなる私たちのもとではなく、ここ、シルワのレスレクティオ教会に運ばれるはずだった。ここならシルワ大聖堂とは違い、鳥人戦士も立ち入れるのでちょうどいい。


 しかし、たどり着いてすぐに確認したが、カエルムからの続報はまだ届いていなかった。いつ届いてもおかしくはないが、カリスの姿もあれから見ていないこともあって、そわそわしてしまう。

 カリスは無事に思いを成し遂げられただろうか。情愛を捨てて誇りある選択をした彼女。それが幸せであるなどとは到底思えない。脅しながら約束を取り付けた私だが、諦めの心は強い。もう二度と、カリスには会えないのだろうか。そう思うと、心が張り裂けてしまいそうだった。

 惚れ込んだ獲物だ。ソロルなんかに渡したくはない。それだけだろうか。もっと違う種類の執着が生まれてしまっているような気がして、我ながら怖かった。揶揄いの言葉や気配すら、いまや懐かしい。


「カリス……今、何処にいるの」


 呟く声に返答はない。客間の何処を見渡しても、不自然な影は出来ていない。


 寂しさを感じていると、客間の扉がノックされる。返答するも、相手はすぐに開けない。仕方がないので開けに行ってみれば、そこには意外な人物が立っていた。

 カルロスの部下だ。名前はヴィヴィアン。ニフテリザと仲の良いクルクス聖戦士だ。栗色の毛を三つ編みで一つにまとめているのはいつものこと。軽量の鎧は脱いだ姿をあまり見たことがない。ただ、険しい表情はいつ見ても同じだ。鼻の頭にわずかにそばかすがあるのは、今日初めて気づいた特徴である。


「お休み中、申し訳ありません。少し、お時間よろしいですか」


 その一言と、水色の目の険しさで、入れろと言っていることは伝わった。

 私に対してあまり友好的な内容ではなさそうだが、面倒は御免なので従うほかない。素直に応じれば、ヴィヴィアンは距離を感じるほど礼儀正しいふるまいで入室した。扉はきちんと閉めたが、あまり内部まで踏み込んでは来ない。私を警戒しているのか、そもそも友好的なものを抱いていないのか。分からないが、別に構わない。

 そんな彼女に私は椅子を指した。


「座ってはいかが?」

「いえ、このままで結構です」


 距離を感じるのはやはり気のせいではないだろう。


 一対一の空気がピリピリとした。まるで、指輪を受け取る前の頃のようだ。あの頃ならば、私を魔女と見抜いた聖戦士とこんな風に睨み合うこともあっただろう。だが、今は味方同士のはず。睨まれる覚えはない。

 こちらの不満が見え隠れしたのか、ヴィヴィアンの表情がやや変わった。


「すみません。稽古を抜け出してきたので」


 きっと私の機嫌を損ねたと思ったのだろう。一応、私を気遣おうという心はあるらしい。


「そう、それなら仕方ありませんね。……それで、何か用なの?」

「ええ、お話がございます」

「話?」

「ルーナさんのことです」

「ルーナが何か?」


 また、カンパニュラのことだろうか。しかし、そっちはもう譲歩したはずだ。となると、その先、私の選択の事だろうか。何しろ、これまでのことがあっただけに身構えてしまった。しかし、ヴィヴィアンの話は違った。


「ルーナさんの監督責任についてです」

「監督責任?」

「ええ、誠に言いづらいことではありますが、アマリリスさん、あなたは〈金の卵〉の保護者としてどれだけの意識をお持ちですか?」

「意識って……」


 ヴィヴィアンは獰猛な番犬のように私を睨みつける。


「たとえば、今のように勝手に彼女が出かけて行ってしまうことについて、どう思っていらっしゃるのか聞きたいのです。お困りなのでは?」

「困っては、いるわ。でも、どう言い聞かせてもあの子は出かけてしまうのだし……」

「そこがいけないのです!」


 ぴしゃりと言われて怯んでしまった。このような説教には慣れていない。コックローチのことでカルロスに苦言を言われた時もそうだが、聖戦士とはこういう堅物ばかりなのだろうか。言い返したい気持ちもあるが、言い返せばさらに面倒なことになりそうだ。私は黙って彼女の言葉に耳を傾けた。


「いいですか、アマリリスさん。〈金の卵〉は人を疑いません。疑わないように作られているためです。どんなに教えようと、人の悪意には気づけないのです。私は学生時代に志願し、〈金の卵〉の飼育を経験し、その一生が終わらされるまでを見守りました。だから、あの種族の事はある程度理解しているつもりです。カルロス隊長はご存じでないようですが、どんなに自覚を持たせてもダメなのです。あからさまに乱暴な相手には近づかないでしょう。しかし、善人のふりをした悪人にはどうしても騙されてしまう生き物なのです」

「……ルーナに何かあったの?」


 まくしたてるような言い草に、不安が生まれた。ルーナがいなくなったのはニフテリザよりも後だ。何処に行くなどとは言っておらず、こちらもまた何処に行くなとも言えていない。ヴィヴィアンはあきれたように私を見つめ、そして頷いた。


「先ほど、レスレクティオ教会で一般参拝者向けの礼拝があったのです。その人混みに紛れてよからぬ者がいました。おりしも、ルーナさんは好奇心のままに礼拝を覗きに行ってしまったようで、そこへ、そのよからぬ者が声をかけ、言葉巧みに気を引いた。あとはお分かりですね?」

「ルーナ……!」


 ようやく事の重大さを知って動揺した。無意識に体が動き出しそうになる私を、ヴィヴィアンは片手で制する。


「ご安心ください。ルーナさんは無事です。直前に、わたし達が気づき、保護しました。今は稽古場でニフテリザと一緒にいますよ。マチェイやベドジフも一緒なので心配いりません」


 その言葉を聞いて、体の力が一気に抜けた。後になって、鼓動の速さが伝わってくる。こんなに恐怖を感じたのは久しぶりかもしれない。


「……ありがとう」


 辛うじてそう言うと、ヴィヴィアンは眉をひそめた。


「いつもいつも今日のようであるとは限りません。聞けば、あなたはルーナさんを魔法で従者にしているとか。それなら、あなたには主人としての責任があるはずです。ルーナさんに何かあれば、悲しむのはあなただけではありません。ブランカ様もカルロス隊長も、そしてニフテリザも大変悲しむでしょう。だからこそ、あなたには自覚を持っていただきたいのです」

「ルーナの置かれている現実は理解しているつもりです。けれど、今後はもっと言い聞かせましょう。必要ならば、魔法の使用も考えます」

「そこまでしろとは言っておりません。それに、ルーナさんだけのことではないのです。ルーナさんを誘拐しようとしたのは金になればなんにでも手を出すような悪党でした。珍しい存在ではなく、どこにでもいる悪党です。種族、性別、年齢など関係なしに、ああいった者たちはいます。〈赤い花〉であるあなたも、いつ、そんな輩に目をつけられてもおかしくはないということを忘れないでいただきたいのです」


 ヴィヴィアンのまなざしに、カエルムのことを思い出した。


 コックローチのことで彼女の上司に咎められた時のことだ。彼らにとって、それほどまでに〈赤い花〉という存在はひやひやするものなのだろうか。私としては余計なお世話だし、放っておいてほしいくらいだ。それでも、つい一言口を滑らせてしまうほど、危険があるということはよく分かっているつもりだ。


 この優秀な聖戦士は、私の傲慢さについて見抜いているのだろう。


「言いたいことはそれだけ?」


 出来るだけ声を落ち着かせて訊ねてみれば、ヴィヴィアンはその瞳に動揺を現した。怯えているのだろうか。頭に血が上ると恐れを忘れてしまうタイプなのかもしれない。ともにゴールを目指す仲間のことは重要だ。傾向の一つとして覚えておこう。


「それだけ……です」


 返答をしっかりと受け止めてから、私は返した。


「そう。では、心得ておくわ。イムベルにて、我らが海巫女さまと偉大なる海の御方が感動的な再会をなさるまでの間、私とルーナの行動決定権はカルロスとウィルにあるものだと覚えておきましょう」

「アマリリスさん――」


 反論するべきか迷っている様子のヴィヴィアンに、笑いかける。こういった揶揄いが通用するタイプではないのだろう。


「冗談よ。御免なさい。あなた達を不安にさせるというのなら、ルーナにもよく言い聞かせておくし、私自身も気を付けると約束します。だから、安心なさって」


 すかさず詫びてみれば、ヴィヴィアンは反論の続きを飲み込んでしまった。言いたいことは色々とあるだろうけれど、今のところそれをぶつけるというつもりはないようだ。


 姿勢を正すと、ヴィヴィアンは張りのある声で告げた。


「――では、私はこれで。約束は確かに覚えておきますので、よろしくお願いします」


 丁寧だが棘がある。

 見た目こそ素朴な愛らしさを持つ町娘にすら見えるのに、会話をしながら伝わってくる印象は、町で上司にこき使われながら酒場で発散する末端兵士の小僧のそれだ。

 それでも、構わない。彼女に期待しているのは人当たりの良さなどではない。そういったことは、ブランカやブランカの従者に期待すればいいことだ。ヴィヴィアンはクルクス聖戦士の中で、この輿入れの儀に選ばれるほどに期待されている人物である。

 いけ好かない奴であろうと、居てもらわなければ困る人材に違いない。


 それに、今回は素直に感謝しなければならない部分が大きすぎる。


「ヴィヴィアン」


 退室しようとする彼女に、私は改めて礼をした。


「ルーナのこと、感謝します」


 揶揄いでも何でもない。心からの思いだった。彼女が見つけてくれなければ、ルーナは何処に連れていかれていただろう。考えたくもない未来が待っていたに違いない。その恐怖はじわじわと私の心身を蝕んだ。

 ヴィヴィアンにもそんな思いは伝わったのだろうか。あちらもあちらで再び向き合って、姿勢を正した。


「礼には及びません。当然のことをしたまでです」


 頼もしいほどにはっきりとそう言うと、今度こそ退室してしまった。

 ニフテリザもルーナもいない部屋。カリスの気配も近づかない状況の中で、私は再び一人きりにされてしまった。

 傲慢になってはいけない。怠慢は身を滅ぼしかねない。様々な思いがよぎる中、今一度、私はベッドに横たわった。

 ついさっきのヴィヴィアンとの会話を振り返りながら、これからのあるべき姿をおぼろげながら思い描いてみた。

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