2.聖山
カエルム大聖堂まで続く道もまた険しい。
巡礼者は多く、教皇領以外の世界各地から人が訪れるものだ。多種多様の人種がいるものだが、一見すると鳥人やこの聖山に所縁のあるとある種族以外の魔物はいないように思えてしまう。
しかしこれはとんだ勘違いで、実は巡礼者の六割ほどは魔物か魔族であると言われている。たぶん、純血の人間の多くはその事実を知らない。私が魔女であるから、耳にすることとなった事実だ。
聖職者たちは知っているようだが、公にしない。
隣にいる他人が魔の血を引いているかも知れないというのに、魔を排除する国の者たちが恐れないはずがない。ディエンテ・デ・レオンだって表面上は平等であっても、実は見えない壁があるものだと聞いている。教皇領もまた魔の血を引くものが当然の権利として働き、生活しているのだという事実を、多くの国の人々はきちんと理解していない。
だから、混乱を避けるため、このように事実は隠されてしまっているのだろう。
ちなみに、自分らしくここにいる権利を勝ち取っている人間以外の種族は鳥人以外にも幾らか存在する。とくにカエルムでは、鳥人のほかにもう一種族、一般礼拝者向けの山道側でちらほらと姿を見ることができる。
中には巡礼までの案内役に徹していたり、生まれ持った能力を生かして荷物持ちなどをしていたりするようだ。おそらく彼らもカエルムの都に住む一般人なのだろう。
当然のように巡礼を手伝っている彼らが魔物であることもまた、多くの人間たちは知っている。鳥人を怖がらないように、人々は彼らのことをあまり怖がらない。一目で魔物だとわかる姿をしていることもあるし、人間とあまり変わらない見た目のものもいる。その姿は彼ら自身の気分で決まる。どの姿でいることが望ましいかで、自在に姿を変えてしまえるのだ。
よく似た力を持っている者がいる。ルーナたち〈金の卵〉だ。そう、彼らは〈金の卵〉に最も近い種族のものたちである。彼らは、最初の〈金の卵〉の素材となった生き物なのだ。〈金の鶏〉と呼ばれる一族だ。
鶏といっても、彼らは鳥類ではない。鶏のような姿になることも可能だが、それが彼らの本来の姿というわけではない。変身能力は無限の可能性があり、なれないものはないとまで言われているほどで、鳥類に限ったことではない。
ただ、卵生であり、鶏の卵によく似た形状のものを産み落とすという特徴と、傾向として金髪の者が圧倒的に多いというところからこうした名前が付けられたらしい。
カエルムにはこの〈金の鶏〉がとても多い。なぜなら、カエルムにて暮らす空巫女が〈金の鶏〉の一族から生まれるからだ。
ルーナたちの祖先と、〈金の鶏〉、そしてジズに仕える空巫女との関連は結構深いものだ。
その昔、錬金術師は当時の空巫女の産み落とした卵をどうにか譲ってもらい、それをもとに〈金の卵〉を生み出したと伝えられているためだ。
その卵はいくら待っても子が孵らぬものだというが、そうであろうと、今の感覚で聞けば罰当たり甚だしい。だが、当時は巫女たちの地位はそこまで高いものではなく、さらに、生涯未婚である空巫女とその周囲にとって、一生のうちに何度も産むことになる子の宿らぬ卵の始末は周囲の者たちにとって非常に煩わしいものだったという事情が重なった結果、錬金術師のちらつかせた金銭に目がくらんだ当時の関係者たちが譲ってしまったという説が主流である。
そのために〈金の卵〉は誕生し、悲劇は現代まで繰り返されている。
しかし、考え方を変えれば、ルーナと私を会わせてくれた有難い歴史でもある。〈金の卵〉の存在は確かに悲劇的だが、ルーナが誕生しなければよかったのかと問われればどうしても頷けない。
簡単には片付かない、複雑なものがそこにはあるのだ。
〈金の鶏〉と〈金の卵〉が一度に見比べられる機会もない。カエルムに当然のようにいる彼らだが、カエルム以外では、ディエンテ・デ・レオンのシエロの里以外にあまり見かけることもない。
あまり触れられないことではあるが、〈金の卵〉と〈金の鶏〉の利用価値にさほど違いはない。良心を失ってしまえば、〈金の鶏〉のつがいを攫って新しい商売を始めることだって出来なくはない。現代の教皇領でやれば重罪だが、法や勅令で規制されない国もいくつか存在する。
〈金の鶏〉は魔物であるから、〈金の卵〉と同じ扱いになってしまうらしい。変えるべき蛮習として度々、クロコやシトロニエ、カシュカーシュやローザの一部地域などの数国が名指しで批判されているが、なかなか変化は訪れない。
そのくらいの違いしかないのだが、少なくともここでは〈金の鶏〉に限っては一般市民として当たり前のように暮らせる。観光客たちも教皇領やディエンテ・デ・レオンでは彼らを差別したり、危害を加えたりすることで罰せられるので、これまでの常識を捨てよと助言されるのだと聞いている。
だからだろう。山を登りながらちらほらと目撃できる〈金の鶏〉たちと観光客の組み合わせは、誰もが和気あいあいとしていた。ルーナがたびたび立ち止まり、羨ましそうに見つめてしまうほど、巡礼のための山登りはどこか楽しそうな雰囲気すらあるようだった。
一方、関係者山道を登る私たちの方は堅苦しいものだ。ルーナも〈金の鶏〉と偽って、観光客と話をさせてやりたいところだが、万が一、〈金の卵〉であることが分かれば、あまりよくない。八割がたは珍しがるだけだろうけれど、二割ほどは悪いことを考える可能性がある。人の集まるところは危険だ。だから、ルーナがどんなに一般巡礼者山道を眺め始めても、私は何も言わずに先に進むことを促し続けた。
カエルム大聖堂までの道のりは巫女とそのお供にとって険しいものであるらしい。一般巡礼者向けの山道よりも、関係者向けの山道の方が険しい理由は、かつて、この山登りで汗を流していたのがジズの子孫である鳥人たちだけだったからだと聞いた。
巫女や御付きの者は輿に乗せられ、大聖堂まで移動していたのだ。しかし、鳥人の数がゆるやかに減りつつある今、輿の文化は廃れてしまったらしい。
そんな歴史を教えてくれたのは、遥か前を進む真っ白な鳥人ジブリールだ。彼女はある程度進むと立ち止まり、列のすべての者がきちんとついてきているかを確認している。鳥人女性らしい顔つきではあるが、筋力は他種族の男性より優れているのだろう。聖槍を手にこちらを見つめているその姿は、表情こそはっきりと見えないものの、魔の血を継ぐすべての者を監視する天使のようで恐ろしく思えた。
「アマリリス、疲れた? 大丈夫?」
急に訪ねてきたのはルーナだ。
その姿はいつもの愛らしい少女のものではなく、たくましい黒豹や黒い雌獅子のような姿だ。私とルーナの荷物を巻き付けられている上に、太陽の真下にいるわけだが、幸いなことに平気そうにふるまっていた。本当に平気であるのならいいが、ひょっとしたら意地もあるかもしれない。というのも、モルス教会でジブリールと対面した際、いつもの少女の姿で挨拶をしたところ、山登りに耐えられるのかを心配され、ムッとしていたからだ。
同じように心配されたニフテリザも張り切って登っている。彼女は自分で自分の荷物を背負っている。ルーナが持ちたいと訴えたが、これも鍛錬だと聞かなかった。今は彼女も遥か前にいる。ジブリールよりは後ろだが、ヴィヴィアンたち人間の聖戦士たちに後れを取っていない。
ちなみに、カルロスは私たちよりも後ろだ。海巫女ブランカと歩調を合わせ、従者もろとも身辺警護をしつつも陽気に雑談をしてブランカを励ましている。そして、最後尾にはジブリールの部下である二人のクルクス聖戦士。名前は確かルドルフとクロスだ。ルドルフは実は人狼であり、クロスは実は吸血鬼だと聞いている。よって、太陽の照り付ける昼は苦手と思われるが、魔物であることを隠さずに採用されている聖戦士とだけあって、顔色一つ変えずに私たちの歩みを見守っていた。
こんな状況なので、歩みは一定の速度を保っている。早すぎでもなければ、遅すぎでもない。しかし、さすがに疲れは感じていた。それが表情に現れていたのだろう。大きな猫のような顔に窺われ、私は笑みを浮かべた。
「大丈夫よ。あと少しのはずだから」
「本当? ならよかった。……それにしても、ニフテリザはすっかり前にいっちゃったね。後で疲れちゃわないかなあ」
「どうだろう。いつも鍛えているものね。ルーナはどう? 疲れた?」
訊ねてみると、ルーナは胸を張った。
「ぜーんぜん! だから、ジブリールに見せつけてやるの。わたしは子どもなんかじゃないんだって!」
その言動がすでに子どもっぽいということは黙っておいてやろう。
「それにね」
と、ルーナは猛獣の目を細める。
「カンパニュラでは体力作りの授業もあるんだって聞いたの。いいお歌を歌いたいなら体づくりをしなきゃいけないんだって。鍛えればいい声が出るものなんだって」
無邪気に語る彼女の姿に少しだけ心が痛んだ。
カンパニュラ入学の件で、私とウリアがどんな話し合いをしていたのか、私がどんな疑惑を抱いていたのか、ルーナが知ってしまったら、きっとショックを受けるだろう。
「……そっか。だから張り切っているのね」
「うん! でも、それを言っていたの、カルロスなんだよね。体鍛えても音痴は治らないってことかなあ?」
笑いそうになるのを堪えたところで、後ろからぬっと何かが顔を出してきた。
「聞こえているぞ、お嬢ちゃん。誰が音痴だって?」
カルロスだ。いつの間にかブランカやブランカの従者たちもいる。追いつかれてしまったらしい。彼は狼の姿のまま、その鼻先で私の背中を軽く押す。間違いなく人狼にそうされているというのに、特別な感情は抱かない。ただせっつかれるままに先へと進むだけだ。
ルーナも焦り気味に前へと進んだ。内緒話が聞かれてしまった焦りもあるだろう。尻尾をぶんぶんと左右に振り、誤魔化しながら答えた。
「な、なにも言ってないもん! 違う人の話だもん!」
「ばっちり、カルロスと聞こえたんだが?」
カルロスが意地悪く突っ込むと、ルーナはびくりと耳を立ててそのまま走り出してしまった。
「違うもん! カルロス違いだもん!」
私の荷物も持ったまま、置いていかれてしまった。
ただ放浪していた時よりも、ルーナは体力がついたかもしれない。毎日遊ばせてもらっているのも大きいのだろう。稽古場でも獣の姿でカルロスと取っ組み合いをしていると聞いている。知らず知らずのうちに、体も成長しているのだろう。
――あとは心ね。
そんなことを思いながら、私も先へと進む。さすがにブランカたちに越されてしまうのはよくない。少しでもルーナに追いつけるように意識しながら歩くしかないだろう。
こういう時こそ、変身の魔術でも覚えておくのだったと後悔する。たとえば、鳥にでもなれたらとても楽だったかもしれない。だが、変身の魔術は才能に大きく左右されるものだし、私にその才はない。箒などにまたがって空を飛べる魔術があるらしいが、それもまた才能なので私にはできない。私の友である虫の魔術のどれか一つでも移動を楽にしてくれるものがあったらよかったのに。
そんな現実逃避をしていると、いつの間にかジブリールの姿がさらに遠くへと移動していた。ニフテリザも遥か前だが、先ほどよりも距離が近づいてきている。ルーナはとっくに彼女に追いついていた。ヴィヴィアンたちはどうだろう。さらに前を見てみれば、ジブリールにそろそろ追いつこうかというところだった。
ジブリールの向こうを見て、私は目の覚める思いをした。果てしなく道が続くだけだと思っていたが、この道もいつかは目的地にたどり着く。山登りにも終わりはくるのだ。その証が、続かない坂道である。そう、ジブリールの背後にはもう坂道はなかった。代わりにちらりと見えるのは、美しい三角の屋根。時を告げる鐘の姿がちらりと見えた。
カエルム大聖堂。ブランカを祝福するために、聖鳥ジズに仕えし空巫女が待っている。ジブリールをこちらに寄越してくれた人物でもある。イグニス大聖堂で体験したものとは少し違う空間が、待ち受けているはずだろう。
急に厳かな空気が降りてきているような気分になった。終わりのない道はないのだ。今は苦痛でも、登り続ければ終わりはくる。終点が見えた途端、気持ちはだいぶ楽になった。




