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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
1章 ルーナ
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3.金の卵

 今頃、村人たちは無人となった小屋に気づいているだろうか。気付いていたとすれば、大騒ぎになっているはずだ。

 しかし、そうであろうと、森の奥深くへと入り込んでしまえば村人たちに見つかる可能性も低くなる。


 今も追いかけてきている黒豹。彼女は魔物だ。私と違って人の血を全く引いていない。だが、人狼に怯えていた通り、あまり強い力を持っているわけではない。姿を変える力は立派なものだ。それでも、彼女はただ姿を変えることが出来るだけであって、人狼のように強靭な肉体を持っているわけではない。


 こうして今は私を追いかけてきたが、正気に戻ればすぐに逃げ出してしまうだろう。それでもいいかもしれないが、逃げ出した少女の存在によって、私のことが村人に知られるのも厄介だ。だから、私は黒豹姿の少女の注意を引き、煽った。


「来なさい」


 面白いほどに彼女は素直に飛び込んでくる。

 見た目は猛獣。人の血を受け継がない魔物という生き物は、猛獣以上に恐ろしい存在だ。魔女の心臓を継ぎ、魔の者として恐れられる私であっても、普通ならば手古摺る相手だろう。


 しかし、この少女は普通の魔物でもない。

 人狼カリスが盗もうとしていた者。ただの人間に過ぎない村人たちに閉じ込められていたひ弱な存在。こうして黒豹の姿を借りているのは、私を恐れているからなのだ。

 飛びかかってはくるが、私を殺せるとは思っていないだろう。僅かに残った怯え。私への恐れ。黄金の目にうっすらと宿る戸惑いは、私にもしっかりと読み取れた。


「ルーナ」


 その名前は私の頭に刻まれた。

 ルーナ。誰が付けたかも分からない少女の名前。ルーナは動揺した。名前を読み取られるという魔術を前に、純粋に怯んだ。それこそが敗北の兆し。ルーナの動きは手に取るように分かり、魔術は容易く彼女を捉えた。


 ――蜘蛛の糸の魔術《緊縛》


 癖となっている数唱すら顔を覗かせる暇がなかった。

 見えない糸が集まり、黒豹の手足を一瞬で拘束した。ただし、ルーカスにやったものとは違う。切断するよりもわずかながら魔力の消費も低い技だ。

 何かを殺すという行為にはエネルギーが必要だ。カリスの気配はもう遠い。彼女を追い詰めるまでは、出来るだけ魔力も節約しなければならない。生きたまま相手を屈服させられるのであれば、そうした方がいいだろう。


「痛い……」


 黒豹の姿のまま、ルーナは悲鳴を上げた。


「痛い、痛いよう……痛い!」


 泣きじゃくりながら姿を変える。黒豹の姿から、先ほどと同じく黒い服を着た黒い髪の少女へ。素晴らしい変身能力こそ彼女に与えられた唯一の取柄である。今はもう人間のように見えるが、人間ではない。人間のように見せかけているだけで、本質は全く違う。


 蜘蛛の糸で動けぬルーナに視線を合わせ、その姿をまじまじと見つめた。黒髪、黄金の目。そこは黒豹の時と同じだ。この魔物の真の姿がどういうものなのかは誰も知らないらしい。それこそ、生みの親だけが知っていたのだろう。

 彼女は特別な魔物だ。人間たちが人間たちの社会の為だけに生み出した錬金術の賜物。〈金の卵〉と称えられる家畜である。


「お願い……殺さないで……」


 怯えきった様子でルーナは私を見つめる。


 見れば見るほどよく変身できている。か弱い少女の姿をしているのは、そうするように命じられたからなのか、はたまた、ルーナ自身の姿がこれに捉われているだけなのか。いずれにせよ、雌雄があり、繁殖もできるような魔物だ。雌であるのは確かなのだろう。


 大量に繁殖できると言っても、養育に時間のかかる〈金の卵〉の成熟体は貴重な存在だ。変身できるのは並々ならぬ魔力の証拠。人型と獣型に完全に変身できるこのルーナもまた、一応は大人なのだろう。しかし、せっかく魔力が成熟しても、それを攻撃に利用できないのがこの哀れな家畜の特徴でもあった。まやかし程度に変身することしかできない。

 こうして縛ってしまえば、もう彼女は何もできない。先の運命は私の気分次第となることを、ルーナ本人が一番よく知っていた。


「御免なさい……御免なさい、御免なさい……怖かったの。人狼に食べられちゃうって……だから、興奮して何が何だか分からなくって、あなたが人狼に見えてしまって……御免なさい……許して!」


 怯えている。

 さて、どうしよう。殺すのにもエネルギーはいる。特にこの魔物の処理は面倒くさい。だいたい、殺した後の死体はどうするのか。


 クロコ帝国を含む各国での〈金の卵〉の管理は厳しい。ルーナが暮らしていたような簡素な小屋であっても、普通の人狼ならば中にいる〈金の卵〉だけの為に忍び込んだりしないものだ。なぜなら、危険すぎるからだ。

 この魔物は神の恵みで誕生したと言われている。利用目的は聖なる油の製造。特別に加工すれば魔物を殺す毒を生み出すことが出来るため、力のない人間どもはすがるように〈金の卵〉を増やしている。これはクロコ帝国に限った話ではない。世界各地で〈金の卵〉は生み出され、そして屠畜されている。


 〈金の卵〉を養育する環境は貴重なものだ。帝都ですべて管理できればいいが、あまりに膨大な数の管理は施設を圧迫する。そこで、繁殖用にまわせる雌個体の一部に限り、各地方に養育を依頼するというのが慣例となっていた。貧しい農村にとっては財源でもあるらしい。このヴェルジネ村もまた大金を受け取り、ルーナを養育していたわけだ。逃がしたり、死なせたりとなれば、重大な責任を負うことになるということは、世界を放浪する私もかねがね窺ってきたものだ。


 ルーナがいなくなったことでヴェルジネ村は必ず混乱に陥る。その混乱を長引かせるにはどうすればいいのか。そう、ルーナをこのまま村に返さず、森の奥深くへと隠してしまえばいい。深い森に逃げた魔物を追うことは優秀な聖剣士であっても困難なこと。死体が見つからない限り、真相は分からないまま。生きているか、死んでいるかも分からない状態からならば、十二分に時間を稼ぐことが出来るだろう。


 では、具体的にどうやって隠すか。

 なにもルーナを殺すこともない。それよりもこの娘は今後役に立つのではないだろうかと思いついた。


 〈金の卵〉は他の魔物を惹きつける生き物だ。その皮脂から作られる聖なる油は魔物を殺すが、特別に処理しなければ魔物にとって有益な効能をもたらすらしい。それに肉は美味だとも言われている。

 カリスもこの贅沢な御馳走を色々と楽しむために、ルーナを狙ったのだろうか。確実に私から逃げるために、力を蓄えておきたかったのだろうか。はたまた、人狼が請け負いがちな黒い仕事の内容がルーナの誘拐だったのか。


 何にせよ、この娘は役に立つ。カリスだけではなく、この世に存在する多くの人狼が彼女を狙ってのこのこ現れるだろう。それを想えば、なかなか魅力的な生き餌ではないか。


「ルーナ」


 怯えるその頬に手を添えてみれば、ルーナの身体は震えだした。いよいよ殺されると覚悟を決めたのだろう。愚かで弱々しくて愛らしい。だが、人狼とは違って殺したいという欲求は生まれない。


「私の目を見て」


 命じれば、面白いまでに従う。生き残りたい一心なのだろう。黄金の目が私の目を見つめる。その目に微笑みかけ、私はルーナに告げた。


「死にたくないのなら、死なない方法を教えてあげる」

「本当?」

「ええ、本当よ。だから、復唱しなさい」


 ルーナがおずおずと頷くのを見つめた後、私は唱えた。


「ルーナは誓います。心臓をかけて誓います」


 同じ言葉を彼女が言い終わるのを待ってから、続ける。


「神より賜れた寿命を返上し、〈赤い花〉の魔女アマリリスに生涯尽くすことを誓います」


 意味など分かっていないのだろう。心も伴っていない。全く戸惑いもせずにルーナは復唱した。それでも、彼女の目の色は次第に変わってきている。自分の頭の中で起こっている変化に、ルーナは気づいているだろうか。


「この誓いは永久に取り消しません。死が二人を別つ後も、ルーナはアマリリスに尽くします」

「ルーナはアマリリスに……」


 その目からはすっかり怯えも取れていた。ようやく彼女は気づいたかもしれない。自分の中で重大な変化が起こったことに。しかし、逃げることは出来ない。残り少しの言葉は、ルーナ自身にも止められなかった。


「尽くします」


 主従の魔術により、私達は結ばれた。

 これでもうルーナは逃げられない。村人たちの元に帰り、屠畜までの時間を退屈に過ごすこともなくなる。私の存在を人々に伝えることも出来ないし、このまま自由と共に魔物らしく放浪し、誰かしらに捕食されるということもない。


 ルーナは私の隷従となった。私だけの為に生き、付き従う存在となったのだ。


 この魔術はローザ大国にて暮らしているはずの育ての親ニューラが教えてくれたものだ。

 しかし、実際に使うのは初めてだった。殺すよりも複雑な業に思えるが、殺すよりも遥かに魔力は軽減される。使用者が魔女や魔人であり、相手が魔物であるという条件さえ満たせば、誰だって使うことのできる魔術だ。主従を逆転させてしまえば、今のように復唱させることなく結ばれることもできるらしい。もっともそんな変わった趣味の者なんて、なかなかいないとは思うけれど。


 さて、この魔術。術者である私の思考も縛られるというちょっとした副作用がある。

 だが、そのちょっとした副作用が思っていた以上に大きいものだと今になって気づかされた。これは計算外だ。だが、後悔するという感情すら、今となっては生まれない。


「ルーナ」


 いつの間にか私は緊縛の魔術を解き、ルーナを抱きしめていた。


 ルーナ。私だけの魔物。〈金の卵〉を手に入れた。

 当初の目的通りだ。しかし、どうしてだろう。少し前まで生き餌にいいと考えていたはずなのだが、いまはその結果、ルーナが人狼に食べられてしまったらと思うと恐ろしくなっていた。

 これが主従の魔術の副作用だ。ルーナが私に縛られたように、私もまたルーナに縛られた。今はもう、この子が可愛くて仕方ない。


 それは、新しい日々の幕開けでもあった。

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