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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
5章 ウリア

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6.従者の少女

 眠れない夜が来た。


 塵の降る時刻、ニフテリザがうなされる声が聞こえてくる。聞いているだけでも苦しそうなその声から逃げるように客間を出てみれば、月明かりに照らされた塵の美しい銀色の光が窓から入り込み、宮殿の廊下が輝いて見えた。


 警備にあたる聖戦士たちは主に外を見張っているらしい。じきに鉢合わせるかもしれないと思いつつも、客間付近の廊下をふらふらと思うままに歩いてみた。眠気はすっかり冷めてしまっている。これも長年の夜型生活のためだろう。夜の静けさが心地よい。だが、それを共有できるものがいない。

 寂しさを歩くという行為自体で紛らわせていると、ふと廊下の向こうに人影があるのに気付いた。聖戦士だろうか。それにしては不可解だ。もっと小柄で挙動がおどおどしている。まさか侵入者だろうか。警戒心が生まれる。こちらに気付いているらしく、だんだんと近づいてきた。そして、その姿が陰から月影へと至るとき、私は別の驚きを感じた。そこにいた者は、今やよく知っている少女だったのだ。

 その少女から目をそらさず、そっと指輪をなでながら意識を高める。


 ――ブエナ。


 名前は容易に読み取れた。確かに彼女だ。海巫女ブランカの血族の一人であり、彼女の従者として故郷から遠くのイムベル聖堂で暮らすこととなる者の一人。ここにいて当たり前の人物ではある。

 驚きは消えない。なぜなら、ブランカの血族は皆、混じりけのない人間であるのだと思っていたからだ。魔の血をひかぬ人間はこの塵を嫌うはず。どんなに訓練したところで、あのように平然と歩くことはできないだろう。

 ブエナのほうは気恥ずかしそうに笑い、私に近づいてきた。その気配も人間と変わらない。ただし、どうやら事情があるようだ。


「驚かれました?」


 響かぬような小声で、ブエナは話しかけてきた。


「御覧の通り、私は塵が平気なのです」

「もしや、竜人の血を?」


 大いにあり得ることだろう。そう考えるのが当然だ。崇高なる巫女の血族に混ざるとすれば、それは巫女に寄り添いながら反映する神の子孫に違いない。

 だが、ブエナは寂しそうに首を振った。


「いいえ、違います。そうだったら、どんなによかったでしょうね」


 意外な答えだ。何より、悲しそうに見えた。


「私の母は両親ともに巫女の系譜である血筋の確かな人です。でも、父は西風の魔物と呼ばれる下級精霊。気に入った人間の女性を見つけると近寄り、悪さをする。いつの間にか母は身ごもり、私を生んだのです」

「下級精霊の子……?」


 驚いてしまったのは、ブエナが日ごろ、しっかりと巫女の従者として認められているように見えたからだ。


 西風だけではなく、この世には様々な下級精霊たちがいる。彼らは突如として人との交わりを求め、混血児を生ませたり、生んだりする。夢魔もその一種だが、西風はその夢魔よりも不確かな世界で生きているとして有名だった。

 母親が精霊であった場合、子どもは生まれたころから人間の世界からいなくなってしまう。人の血を継ぐ彼らが精霊たちの世界でどう生きているのか、魔女や魔人ですらも多くを知らない。だが、父親が精霊であった場合は、さまざまな例が知られている。魔女が母親である場合は、力ある後継者として期待されるが、ただの人間の場合は違う。多くの場合は、母親の家族の決定で子どもは捨てられてしまうか、最悪、殺されてしまう。各地の教会が引き取る例もあるが、成長してもその教会の外に生きていける世界はないものだと聞いていた。


 しかし、ブエナは違う。巫女の従者に選ばれたということは、そうした生まれが彼女の足かせになっていないということだ。


「私はブランカ様と同じ時に生まれました。ウィル様は新しく生まれた私とブランカ様を見比べて、ブランカ様が確かに海巫女の生まれ変わりであることを見抜かれたのです」


 聞いたことはある。海巫女の護衛――レグルス戦士に選ばれる聖獣の子孫は、生まれつき「それが巫女であること」を見抜ける力があるのだと。

 生まれた時から自分で見つけ、ずっと傍にいることはどんなに愛着がわくことだろう。そう考えてしまうほど、確かにウィルはブランカのことを大事に思っていることが窺えた。

 だが、ブランカへの敬愛については、目の前にいるブエナも同じくらいのものに思える。ウィルとのような特別なつながりはないだろう。だとすればこれは、ブエナによる純粋な信頼というものなのだろう。


「ブランカ様の幼馴染なのですね」

「ええ。幼い頃は私の生まれを揶揄う人もいました。……今も、父のことについて触れる人がいます。でも、ブランカ様はいつもかばってくださるのです。私も一生懸命仕えてまいりました。こうして、従者に選ばれるなんて母も祖父母も思わなかったでしょう。ブランカ様の下で働くと決まった時でさえ、母は泣いて喜びましたから」

「そうだったのですね。従者として今もしっかり働くあなたの話を聞いたら、きっとお母様もさらに喜ばれるでしょうね」


 彼女の父親が精霊の世界で誇りに思っているのかどうかは分からないところだが、もしも、子どもが欲しくて交わりを望んだのなら、やはり同じように喜ぶのだろう。何より、母親が彼女を拒絶していないことは幸運なことだろう。

 ブエナはにっこりと頷き、そして何故かさみしそうな表情を浮かべた。


「……でも、贅沢ですが、やっぱり私も疎外感を覚えてしまうのです。共に従者として選ばれたゾロとゾラは双子の兄妹で、しかも、その血統は、近い先祖に巫女が生まれた家族がいるのです。まさに、ブランカ様に仕えるに相応しい人たちなのです」

「けれど、ブランカ様はあなたを一番信用していらっしゃるように思えるわ」


 思い出すのは、日々のブランカの姿。

 そういえば、いつも隣にはウィルやカルロスだけではなくブエナもいる。ゾロやゾラも他者に比べれば巫女に近い立場の者だが、まず気軽に話しかけている相手はブエナであったような気がした。


「ブランカ様はお優しい人なのです。私に配慮してくださっているのですよ」


 窓より差し込む銀の塵の輝きがブエナの肌を青白く照らす。その髪は優しいオレンジ色で、西風の吹く夕暮れ時を思わせるものだ。いつもはブランカの栄光の陰に隠れてしまっているが、こうして見てみるとブエナもまた十分美しい。美しさとともに哀愁漂う表情で、彼女は語った。


「アマリリスさんに指輪を渡したことについての是非も、いまだに悩んでいるようなのです」


 まるで、彼女自身もブランカの代わりに悔やんでいるようだった。


「それについては、仕方ないことだったと思っています。それに、聞かされていなかったのだと」

「いいえ、仕方ないでは済まされない。そうブランカ様は仰っていました。確かに、指輪がそんなに危険なものだなんて、教会の先生たちは誰もブランカ様に教えてくださらなかった。ウィル様たちでさえ知らない情報でした。……けれど」

「でしたら、なおさら、あなた方が悔やむことではありません」


 ウリアも念を押していたことだ。ブランカを庇うようなことをわざわざ周囲が言っているということは、相当、彼女も気にしているということだろう。


「もともと私は救われた身です。聖戦士に害をなせば死罪。その罪が赦されるというのなら、指輪のことくらい大したことではありません」


 ブランカがもしも私をいらないといえば、私は聖剣で貫かれ、即死していただろう。ニフテリザは保護されただろうか。いや、無慈悲にもクロコ帝国へ送還されたかもしれない。ルーナだって同じ。その価値を巡って何らかの交渉は発生するだろうが、どういう決着がつくにせよ、〈金の卵〉の多くが辿る道へと戻されていただろう。

 少し踏み違えば、私たちの未来は闇に沈んでいたはずだった。しかし、そうならなかった。私が〈赤い花〉であったからだろうか。いや、それだけではない。ブランカという人が、民衆の信じる巫女の理想そのものの人格をしていたからだろう。この旅の中でブランカの様子を見れば見るほど、この私でもそう信じられるようにはなっていた。


「あなたがそう仰ってくださると、ブランカ様のお心も慰められるでしょう」


 ブエナは静かにそういうと、胸に手を当てた。塵の輝きが止もうとしている。その銀の煌めきを窓より受ける彼女の姿は静かな夜にこそ映えるものだ。人間離れしてはいるが、ブランカと血のつながりがあることは、浮かべる表情の柔らかさからよく納得できた。


「指輪の分まで、ブランカ様はあなたを気にかけておいでです。ニフテリザさんも、ルーナさんも、あなたのご友人として相応しい身分として暮らせるよう、取り計らうようにと教会に願い出ています。彼女たちがクロコ帝国に引き渡されるようなことはありません。私からも断言できます」

「……実を言えば、私どもの事情を言い当てられたのは、私を脅すためだと思っておりました」


 正直に言ってみれば、ブエナは寂しそうにうなずいた。


「そう思われても仕方ありません。聖戦士や修道士の中には、ニフテリザさんたちを人質としてマルの里に残すべきだと主張するものもおりました。〈赤い花〉が指輪をしたまま逃げだせば、大変なことになると。もちろん、ブランカ様はそんな意見を許さず、彼女たちの希望通りにするようにと強く要請しました。ニフテリザさんの同行したい気持ちを後押ししたのも、こうした背景からブランカ様の意を酌んで、ウィル様やカルロスが直接彼女と話した結果でもありました」

「……そうだったのですね」


 ルーナはともかく、ニフテリザはあのまま里に残る可能性もあった。しかし、里に残ったとしたら、ブランカの監視が外れたあとで、暴走する聖職者が現れ、私が逃げ出さぬように彼女を幽閉していたかもしれない。そう思うと、ウィルやカルロスの計らいはまっとうなものだったのだろう。

 しかし、そうした空気などニフテリザは全く気付いていないようだった。私だってそうだ。そのような話し合いを重ねていることを知らずにいた。ウィルもカルロスも自然に促したのだろう。幸いにもニフテリザは真面目で、私についてくることを希望していた。事がうまく運んで、さぞほっとしたことだろう。


 ただでさえ死霊の脅威が常につかず離れずのところにあるというのに、どうやらブランカは相当頭を抱える立場にあるようだ。しかし、悩める海巫女はあまりにも気高く、自分本位な生き方しか知らない私であっても敬意を示さずにはいられなかった。


 指輪を持ち逃げするなんてとんでもない。そんなことをすれば、ブランカの立場は非常にまずいものとなるだろう。ルーナをやさしく見守る聖戦士や、彼らに多大な影響を及ぼしている若き海巫女のことを思えば、里にいたという過激思想の者たちの懸念など鼻で笑ってやりたいくらい、あり得ないことだ。


「この通り、わが教会は必ずしも善良であるわけではありません。一生、神に仕えると誓った者であっても、正義の名のもとに現代の教義に背くようなことを主張することはしばしばあります。しかし、ブランカ様はそうした人々の主張に簡単には惑わされません。信用のおける者は誰なのか、しっかりと判断してから人を選ぶことができるお方です」


 だから、とブエナは私をじっと見つめながら主張した。


「アマリリスさん、どうか、ブランカ様を……私たちをもう少し信用なさってください。指輪の件は申し訳ありません。しかし、あなたの自由は奪ってしまったかもしれませんが、あなたの宝物までも奪うつもりはありません。ただ大事にお預かりするだけです」

「……ルーナとカンパニュラのお話ね」


 あるいは、私の今後の話だろうか。指輪は魅力的だ。外せば私の心はどうなるか分からない。巫女のために戦い続けた善良なる魔女や魔人が悪人として処分された歴史を考えれば、それだけ指輪による負担は精神を汚濁するということなのだろう。

 今は何の実感もない。はめている限りは安全だ。選択次第では広い世界を旅して回った時間は終わりを迎えることになるが、飢えることを恐れながら殺戮を繰り返してきた日々とどちらが自由なのかと考えれば、自分でもわからなくなってしまう。


「もしもあなたがカンパニュラをご希望でしたら、ルーナさんと共に滞在できる場所を用意できるそうです。有事の際は再び協力をお願いいたしますが、何事もない限り、お二人でカンパニュラの美しい日々をお楽しみいただけます。決して、悪いようにはさせないとブランカ様は強く仰っています」

「……そこまで尽くしてもらって、私は幸せな魔女ね」


 我ながら皮肉めいた言葉となってしまった。


 カンパニュラを夢見て一生を終えるような人々にとっては贅沢この上ない悩みだろう。だからこそ、不安だったのだ。この世界でカンパニュラのような場所に招待されるということは、あまりにも恵まれている。旨すぎる餌なのだ。これまで旨い餌に釣られて不幸に落ちていく者を目の当たりにしてきたからこそ、私は怖かった。

 しかし、ブエナが嘘をついているようには見えない。ウィルたちが私を騙すような人にも思えない。そして、ブランカにそれほどまでの権限がないようには見えない。

 ここしばらく、彼らと共に旅をしてきて、彼らの人格というものも大体わかってきた。信用できないというのは言い訳で、もしかしたら私は、環境がガラリと変わる恐ろしさに戸惑っているだけなのかもしれない。一方で、ブランカたち以外の者たちが信用しきれないという事情もあった。


 複雑なこの感情のすべては伝わらないだろう。しかし、ブエナは何かしら察してくれたのか、それ以上は何も言わず、ただ窓の外へと視線を送った。


「塵、止んだようですね」


 気づけば外は寂しいほどに何もない。あれほど降っていた綺麗な塵は止み、風に吹かれて消えてしまっていた。月明かりが澄み渡る空気に光をもたらしている。魔の血をひかぬ人間たちにとって、寝心地のいい時間が訪れたのだ。

 私にとっては退屈な時間の始まりでもある。


「そろそろ戻らなければ。心配性のゾラに気づかれたら、ブランカ様を起こしてしまうかもしれないわ」


 そう言って、ブエナは私ににこりと笑いかけた。


「私はこれで失礼します。アマリリスさんもどうぞお休みになってください」

「……ええ。お休みなさい」


 すっきりしない気持ちを抱えたまま、私はブエナを見送った。風の精霊のように見えるのは、きっと彼女の背景を知ってしまったからなのだろう。去っていく彼女を十分見送ってから、私もまた部屋に戻った。頭の中に浮かぶのは数字。この旅が終わるとされるまでの時間が、頭のなかに浮かんでは消える。

 私はどうすればいいだろう。ルーナのために、そして、私のために、どうすればいいのだろう。どうしたいのだろう。この教会を本当に信じていいのだろうか。決め切らない思いで心が張り裂けそうだ。


 結局、この晩も、決断ができないまま過ぎ去ってしまった。

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