3.聖獣の子孫たち
祭儀が終わって間もなく、リリウム宮殿の贅沢な客間に通された。しばらくは呑気に寛いでいたのだが、気づけばルーナが勝手にいなくなっていた。ここ最近は、よくあることだ。だが、私に何も言わずにいなくなるのは、よろしくない。
ちなみにニフテリザもいないが、彼女の行先は分かっている。先ほどマルの里から同行した三名のクルクス聖戦士たち――ヴィヴィアン、マチェイ、ベドジフに誘われて稽古に出てしまったためだ。
どこで稽古をしているのかはしらないが、最近、ニフテリザは彼らと親しい。特に、三名の内の紅一点ヴィヴィアンとは稽古以外の時もよく話している。聞けば、彼らから聖戦士の学校について詳しく聞いているそうだ。どこの学校は入りやすく、どういう特徴があるのだということを、時々私にも教えてくれる。
ニフテリザはそれでいい。好きに過ごしてもらえば十分だ。だが、ルーナはそうはいかない。単純に危なっかしいということもあるが、ニフテリザがいない間も勉強してもらわねばならないという事情もある。
ルーナのアルカ語は困らない程度にはなってきているが、まだまだ不十分だ。口語はよくとも文語はまだまだだ。これから先、アルカ語が読める方が好奇心旺盛な彼女にとってもいいことのはずだし、知識や教養は身を守るための防御にもなる。普通の人間は知性や教養のある相手に対して、そう簡単に暴力をふるえないものだと感じているし、ルーナ自身が賢くなれば、騙されて危険な目に遭うことも減るはずだからだ。思わぬトラブルを避けるためにも、文字は正確に読めた方がいい。
「仕方ないわね」
しぶしぶ探しに行くも、宮殿は非常に広い。そのうえ、客人とはいえ立ち入りが許されない場所はたくさんある。そういった場所に入り込んでいないといいのだが。
探し始めてしばらく、私の心配をよそに楽しそうにはしゃぐルーナは見つかった。一緒にいるのは二名の鳥人戦士だ。よくよく見れば片方は知っている人物だった。アズライルである。
「あ、アマリリス!」
元気よく手を振られ、これまでの苛立ちも紛れてしまった。ルーナの無邪気さは魔性だ。愛らしく手を振られると何でもかんでも許してしまいそうになる。
この感情がルーナの相手をしてくれていた鳥人戦士にとっても同じものなのかというところは問題である。アズライルの方は微笑ましそうだが、共にいる鳥人戦士は表情が読めない。見たところ、純血の鳥人なので表情が読みづらいのは生まれつきなのだろうけれども、心配になる。
慌てて近寄れば、ルーナに抱き着かれた。手触りのいい黒髪を撫でてやると、少女の姿をしているにも関わらず、猫のように喉を鳴らした。
「あのね、色々聞いていたの」
たどたどしいアルカ語で彼女は言った。
「何を聞いていたの?」
訊ね返すと、ルーナは嬉しそうに答えた。
「学校! 聖戦士の学校について聞いていたの! カンパニュラ!」
はしゃぐ彼女を撫でながらアズライルを見れば、彼は屈託のない笑みで答えた。隣に立つ鳥人男性は鷹のような目をこちらに向け、礼儀正しく胸に手を当てる。非常に立派な翼が音を立てて揺れる。
「お相手してくださりありがとうございました」
礼を言えば、アズライルは首を振った。
「いえ、いいんです」
そしてその手を隣の彼に向ける。
「紹介します。こちらはウリア。私の同期でこの春よりクルクス戦士団の若き団長に任命された優秀な人です」
「初めまして」
低い声でそう言うと、鋭い眼差しでウリアはこちらを見つめてくる。その姿はまさに二足歩行の猛禽だ。しかし、ルーナが全く怖がっていないところを見る限り、怖がらせるようなことは一切してこなかったのだろう。
それにしても、クルクス戦士団長といえばこれまた高い身分の聖戦士だ。教皇領に所属する聖戦士は駐在型のクルクスと派遣型のアルカに分かれるが、その両方の長たる存在が、クルクス戦士団長だと聞いている。詳しい上下関係は私の知るところではないが、その身分はだいたい司教と同程度だと聞いている。若くして任命されるということは相当優秀な人なのだろう。
「ウリアはこの通り、真面目な男です。リリウム教会の長官方からの評価や信頼も厚く、アマリリスさんたちの事も任されております。何かありましたら、まずはウリアにお願いするといいですよ」
何故かアズライルが説明すると、ウリアは黙ったまま頭を下げた。人懐こい性格らしいアズライルとは違って、ウリアは口数が少ないようだ。有り難いことだが、気軽に話しかけるには、こちらとしても少し気が引けてしまう。
緊張気味の私のことなどお構いなしに、ルーナは腕を引っ張ってきた。
「ねえ、アマリリス」
耳を傾けてやれば、ルーナは嬉々として主張した。
「わたしも学校に通いたい。カンパニュラに行きたいな。お歌を習いたいの」
「カンパニュラに……?」
難しい要望だ。カンパニュラは聖戦士になりたい者以外も通える学園都市ではある。ルーナが言うように本格的に音楽を学ぶこともできるだろう。しかし、彼女が〈金の卵〉であるというところが引っかかる。連れていくことは出来るだろうが、通わせるとなるとかなり非現実的だ。
困惑する私の表情を見て、ウリアがそっと口を開いた。
「聖下はおっしゃいました。窮地の我々の元に現れたあなたは、主が遣わした〈赤い花〉の聖女。その要望ならば多少非現実的であっても考慮すべきことだと。……もしも、ルーナさんをお預けする安全な場所をお探しながら、我々が力になれるかと」
「カンパニュラに預けてもいいってこと?」
有り難いことだ。頼もうと思っていたことでもある。無理ならば片田舎の教会に隠してくればそれでいいと思っていた。それが、カンパニュラだなんて恵まれすぎなくらいだ。
本当に信用していいのだろうか。……いや、そう簡単に信じられるはずがない。いったいどの組織がルーナたちを厳しく管理をしているのか忘れたわけではない。カンパニュラ出身の聖戦士たちには確かに純粋な者もいるだろう。だが、一人一人がそうであっても、全体がそうであるとは限らない。特に、巨大な組織の長となれば、全体の和を重んじるあまり、個を切り捨てかねないのではという不安もある。
こうも条件がいいと、急に怖くなってしまう。
「考えておくわ」
誤魔化し気味にそう返答したもののウリアの表情は優れない。さり気なくアズライルと視線を合わせてから、彼は私に切り出した。
「少しお時間よろしいでしょうか」
私の返答を待たずに、アズライルがルーナの手を引っ張る。預かっておくということだろう。ルーナは戸惑っていたが、そんな彼女に彼は優しく告げた。
「ルーナ、宮殿を案内しましょう。向こうに素敵なステンドグラスがあるんですよ」
その言葉にルーナは目を輝かせた。私が何を言おうと、彼女の好奇心を抑えることは出来ないだろう。
心配せずとも、今ここでルーナに何かをされるということはないはずだ。アズライルは親切心からルーナの相手をしているだけ。だが、問題はこのウリアという男。アズライルがルーナを連れていく姿を見送ってしまうと、ウリアは声を潜めながら私に語り始めた。
「その指輪の件で、お話ししたいことがあります」
「話?」
「はい……その指輪は古代より伝わっておりましたが、混乱を招くとして今より七百年ほど前に在籍していたという祓魔師ピウスによって祈りがかけられました。魔女や魔人に課せられし性を取り払い、底なしの魔力を与える。その発動の鍵を〈赤い花〉に限定したのです」
「言い伝えは本当のようですね。おかげでこのところずっと、人並みに生活が出来ております」
人狼を食べなくていいと言っても、飲まず食わずで生きていけるというわけではないらしい。指輪をしてからは、私もルーナやニフテリザのように食事をとっていた。与えられる食事は一見、質素なものだが、さり気なく高級な食材が使用されている。おかげで飢えることもなくここまで来ることが出来た。
指輪は確かなものだ。しかし、ウリアの表情は硬いままだった。
「気を悪くなさらないでほしいのです」
そう言ってから、彼は告げた。
「このままですと、その指輪はいずれ返してもらわねばなりません」
「ええ、もちろんよ。そのあとは前と同じ生活の始まり。人狼を食べるためにこの世界を放浪するの。聖戦士は二度と標的にしないからご心配なさらず」
「……申し訳ありません。ブランカ様は何も知らずにそれを渡したのです」
「何のこと?」
問い返せば、彼は目を伏せてから答えた。
「魔女や魔人の性というものは、我々から見れば、時に悪魔の所業かと思うほどに凶悪なものもありますが、これもまた神の定めた掟に違いありません。逆らうと言う事は不自然なこと。指輪をはめて生活するだけでも、あなたの心身には多大な負担が生じているはずです」
その言葉を聞くと、指輪のはまっている辺りがやけに冷たく感じてしまった。
だが、不自然なのは承知だ。これまでカリスを前にあのように冷静でいられたためしはない。カルロスに対してもそうだ。今はもう殺そうとは思わない。しかし、これはおかしいことなのだ。後で負担が生じたとしても、不思議なことではないだろう。
それは分かっているつもりなのだが、こんなにも深刻な顔で言われることとはどういうことなのか。不安が生じる中、ウリアは教えてくれた。
「この祓魔師ピウスのいた時代よりこちら七百年の間に、指輪が使用された記録は多々あります。しかし、その時にもてはやされた〈赤い花〉の聖人たちは、いずれも指輪を返還した後で不幸な末路をたどっているのです。一時は、救い主とまで言われた彼らが、魔女や魔人の性によって大罪を犯し、断罪された歴史もあります」
「魔女の性が暴走するということ?」
詫びられるほどのこととは思えない。何故なら、私だって普段から処刑されてもおかしくないふるまいをしてきているからだ。魔女や魔人とはそういうものだ。聖戦士などと付き合えるものは、性によって人間たちと寄り添えるような者だけだろう。人に迷惑をかけないものはもちろん、人助けや、喜ばせることが性である魔女や魔人は幸せだ。しかし、世の中にはそうでないものもたくさんいる。私だって善良に生きる人狼からすれば、迷惑この上ない存在だろう。そういうものなのだ。
けれど、それにしてはウリアの表情は深刻なものだった。もしかすると、私が想像しているよりも、反動は大きいものなのかもしれない。
「おそらく、長い間、指輪によって抑え込まれていた反動によるのでしょう。あなたの性は人狼殺しだと聞いておりますが、ひょっとすると被害は人狼以外にも及ぶかもしれません。もちろん、我々もできる限りのことはします。……人狼を欲するのならば、処分に困った罪人たちがおりますので。しかし、それであなたの性の暴走が収まるかどうかが分からないのです」
およそ教会の中で語られるとは思えない内容に、少し驚いた。しかし、それだけ指輪の効果は甚大であり、危険なものなのだろう。たしかに魔女の性を満たしていないのに魔法が使えるのはおかしいことだ。
強力な武器だと言われればどうにか納得できるが、私自身が武器として利用されているような被害妄想に陥ってしまう。苛立ちは冷静さを欠く危険な状態だ。だが、不満は抑えられず、ため息になって少しだけ漏れ出した。そんな私の様子をウリアもまた窺っている。
「ルーナもいずれ、私の狂気の被害に遭うということかしら……」
はっきりと言葉にしてみれば、自分でも思っていた以上にショックが大きかった。あんなにも愛している隷従をどうして傷つけられるだろうか。しかし、ウリアが慎重な態度で言うということは、あまり楽観視していいわけではないらしい。
静かに頷くウリアを見て俯いた。床はぴかぴかだ。こんなにも綺麗な場所にいるのに、心はまったく穏やかではない。この指輪さえあれば。この指輪さえはめつづければ、そんな恐怖からも逃れられるのだろうか。思いが彼にも伝わったのだろうか。私が何を問うわけでもないままに、ウリアは言った。
「我々も日々、話し合いを重ねております」
丁寧だが緊迫した様子に、そっと顔をあげた。猛禽そのものの目が獲物を狙うように私を見ている。いつもは全く怖くない類の目だが、今だけは不気味な光に感じられた。
怯えは必死に隠した。だが、ウリアは気遣うように言葉を選んだ。
「〈赤い花〉は希少となってしまった血脈。このまま暴走の未来を歩ませ、断罪するという未来はできれば避けたい。それに、お役目を果たされた後、みすみすここを発たれてしまうのももったいないという声も出ております」
「私も教会に居ろと、そう言いたいの……?」
反発心が芽生えてそう尋ねてみたが、ウリアの表情は全く変わらない。気遣ってはいるが、不必要にへりくだるような者ではないのだろう。
「もちろん、我々があなたの同意なしに拘束することはありません」
きっぱりと彼は言った。
「聖下のお言葉により、〈赤い花〉がいかに美しかろうと野に咲くものを摘む行為は野蛮だとされております。ですので、我々は何もあなたに命じることはできません。……ただ、我々がしたいのはお願いなのです」
「お願い……」
「今後、お役目を果たされたあとも、教皇領のいずれかの教会で過ごしてくださるのなら、我々はその指輪をあなたに託します。何なら、ルーナさんと共にカンパニュラで過ごされるのもいいかもしれません。指輪をはめ続けるならば、殺戮衝動にも悩まされず、ずっと生き続けられることでしょう。我らの領地で一輪の〈赤い花〉が咲き続ける。それだけでも、我々にとっては平和な世界のための大きな希望となるのです」
「指輪の代わりに……カンパニュラに……」
少なくとも、世界中の〈金の卵〉のように家畜同然の扱いを受けるようなことはないのだろう。ルーナと二人でカンパニュラに。悪い話ではない気もした。きっと、代わりに求められるのは、〈赤い花〉とこの指輪の力が必要となったときの協力だろう。今のように。それくらいならば、煩わしいこともないのではないか。
しかし、不安は消えなかった。〈赤い花〉が目的でとどまるようにと言うようなものは信用するなというのがこれまでの旅で学んできたことだったからだ。私自身は、その家畜同然の扱いを受けずにすむのか。ついて行ってみて、檻の中に閉じ込められ、話と違うと嘆くようなことにはならないか。
指輪は魅力的だ。だが、この誘いは私や、何よりもルーナにとって、乗っても安全なものなのかどうか。
「話は分かったわ」
私はどこか茫然としたままウリアに告げた。
「少し考えさせてください。役割が終わるころまでには、結論を出せるようにしますから」
すると、ウリアはようやくほっとした表情を見せたのだった。
「ありがとうございます」
そうして、長きに渡って私の思考をわずらわせそうな悩みの種は増えたのだった。




