2.次なる獲物
ヴェルジネ村に問題が起こっていると聞いたのは一昨日の話だ。
お喋りの村人によれば、年頃の村娘が相次いで姿を消しており、生きているか死んでいるかも分からないらしい。そういう事件の大半は魔物が絡んでいると人々は知っている。そして、姿を消した者たちがもうこの世にはいないこともよく知っている。だから、魔物に対抗するべく領主に訴えた。その領主の願いを聞き入れ、帝都レオーネを経由して教皇領へと要請し、やっと質のいい聖剣士を派遣してもらうことになったのだと村人は言っていた。
騒動の原因はルーカスだ。彼はもういない。聖剣士も必要ないだろう。しかし、そう伝えてやるつもりはなかった。下手に首を突っ込めば、私も疑われる。人間にとってみれば、人狼も魔女も変わらない。多少人の血を引いているからと言って仲間だと思わない方がいいというのが育ての母である魔女ニューラの教えだ。彼女の元を逃げ出して何年も経つが、いまだにその教えはしっかりと守っている。
それに、村娘たちの誘拐犯はルーカスだけではない。ルーカス一人で娘たちを消してしまうことは、いくら魔物でも難しい。共犯者は今も村の何処かに隠れている。そして、その共犯者こそ、今の私が探し求めている人物でもあった。
――この気配はきっと雌だ。
心臓が高鳴っている。肉の柔らかい雌狼の気配がする。傷つけるのは私の手ではないが、蜘蛛の糸の魔術が確かに血肉に触れる。だからだろう。食欲は確かに満たされるし、美味すら感じることができた。
こんな私を人狼たちは恐れるだろう。だが恨むのなら、私にこんな性を与えた神を恨むがいい。塵の晴れた村をこっそりと放浪しながら、私はひとりそう思いながら彼女を探し続けた。今も何処かに隠れている雌狼。きっと仲間の死を知り、怯えているのだろう。もしかしたら夫婦かもしれないと思ったが、どうも違う。夫婦ならばかたき討ちに来るはずだから。
関係などどうだっていい。手に入れば同じこと。幸いにも時間はたっぷりある。ルーカスの命を隅々まで堪能した後だから、一週間は持つ。その間にゆっくりと彼女を追い詰めればそれでいい。だが、だからといって悠長に構えていれば逃してしまう。つかず離れずの距離がいいのだ。どうせ放浪の身。気長に距離を縮め、捕らえようじゃないか。
その為にも、追い求める人物の顔くらいは見ておくべきだ。気配もしっかり覚えてしまえば、どんなに離れても見失うことがない。だから、私は念入りに彼女のことを探し続けた。
そうしてたどり着いたのが、ヴェルジネ村の外れにひっそりと建つ小屋。異様なほどに施錠されていた。
小屋の周辺は静まり返っている。施錠だけではなく、窓には格子もついている。だが、全ての生き物の侵入を阻むにしては頼りない。
人狼は影道という影の中に潜み、移動することもできる。扉の隙間から忍び込むことが出来るはずだから、あの施錠が役に立つのは他の魔物や魔族、そして人間の悪人に対してだろう。ついでに言えば、中から外へと逃げ出すことも出来ない。どちらかと言えば、後者かもしれないと感じた。
そっと近寄り、中の物音を探ると、微かにだが声は聞こえてきた。
人がいる。いや、厳密にいえば、この中には人間の血を引くものなどいないのだろう。鍵穴に手をかざしてみて、気づいた。ここの戸締りは、しっかりと魔術を学んだ魔女や魔人に対しても無力なようだ。
扉を開けて中に入れば、二人の人影が一斉にこちらを振り返った。一人は少女。一人は大人の女。そのうちの大人の方に視線は引き寄せられた。誰もが彼女を人間だと思うだろう。
だが、私の目は誤魔化せない。彼女こそルーカスの仲間。麦色の髪に緑の目が印象的な美しさと色気のある雌狼だった。
「……もう来たか。アマリリス。人狼狩りの魔女」
焦りを見せながら彼女は言った。私の正体に気づいている。少女の手を乱暴に掴みあげると、小屋の周囲を窺った。
「無駄よ。それを諦めない限り、あなたに逃げ道なんてないわ」
そう教えてあげると、彼女は私の目を見た。視線が合うと、すぐにその名前は浮かび上がった。
「カリス」
美しい名前だ。魂の輝きが見えてきそうだった。ルーカスの命をいただいていなければ、一分も経たないうちに手を出していただろう。これからしばらく、おそらく一週間ほどかけて追い詰めていく獲物の名前である。楽しみで仕方ない。
少女の手を乱暴に引っ張りながら、カリスは私から距離を取った。少女を諦めれば逃げ道も見つけ出せるだろう。しかし、諦める気はないらしい。今晩の獲物か、はたまた別の目的があるのか。仲間ではないことは、怯えきった少女の反応から確かだった。
もしも私が聖剣士だったら、少女を憐れんで助けようと思っただろう。しかし、私は魔女だ。獲物の顔を見に来ただけ。覚えに来ただけ。今日はもうお腹がいっぱいだ。いずれ食べるのなら、それまで元気でいてもらわねばなるまい。だから、私は静かに道を開けた。
「行きなさい。今なら村人もいない」
ヴェルジネ村のことなんて興味はない。カリスを見逃すことで、村人たちがどれだけ困るかなんて関係がなかった。
しかし、カリスが私のことを信用するわけがない。仲間を殺した魔女なのだから、当然だ。困惑を隠せぬ表情で、彼女は低く唸り始めた。
「何を企んでいる……」
「企んだりしていない。ただ、今日はもうお腹がいっぱいなの。せいぜいこの村を出て、その獲物でも食べればいい」
「……そうして油断させるのがお前の手口なのだろう。ルーカスの時のように」
「仲間を殺した私が憎い?」
「憎いに決まっている。奴はいい友人だった。同胞としても素晴らしい男だった。必要以上に殺さない。糧に感謝し、獲物を無駄にしたことがない。そんな人物をお前は殺したのだ」
「じゃあ、仇を取ってみたら?」
微笑みかければ、カリスもまた目を細めた。
「それもいいな。……だが生憎、私は自分で戦うことが嫌いでね」
そう言って、カリスは姿を変えた。
狼の姿。だが、見慣れたはずのその姿を目にしたとき、私の心は囚われてしまった。カリスの真の姿。麦のような色は人間の時と変わらない。だが、その表情、光沢、全てにおいて、想像していた以上に素晴らしい獲物だったのだ。
猟師ならばきっと毛皮にしたいと夢見ただろう。
生きながら支配できればいいが、私の性を満たすには殺さねばならない。だが、心に決めた。あの毛皮は剥ぎ取ろう。手元に置いて、好きなだけ愛でてやろう。
しかし、夢物語に浸れたのはそこまでだった。狼と化したカリスは、先ほどまで盾にしていた少女に噛みついた。その衝撃で、少女の姿までもが歪んだのだ。
さすがに身構えた。あの少女。村人たちによって小屋に閉じ込められ、カリスが連れ去ろうとしていたのにはわけがある。相次いで犠牲となった村娘たちとは全く違うのだ。今、この場所にいる者の中で、わずかながらにでも人間の血を引いているのは私だけ。姿を変容させる少女もまた、完全なる魔物であるのだ。
「こいつと遊んでいるがいい」
そう言い捨ててカリスは姿をじわじわと消していった。影道に逃げたのだ。追いかけられるのは同じ人狼だけ。あとに残されるのは私と姿を変えた少女のみだ。
少女はというと、さっきまでか弱い姿をしていたというのに、いまや立派な黒豹の姿をしていた。長い牙に胸元には不吉なほどに白い逆さ十字の模様。黄金の眼差しがこちらを睨み付けている。恐怖にかられた彼女に宿るのは怒り。カリスに噛まれた興奮は頂点に達し、結果、目の前にいる私へと向けられていた。
「いいわ、遊んであげる」
後ずさりをすれば、黒豹も動き出す。ただ、この場所はあまりよくない。獣を惹きつけながら、私は小屋から逃げ出した。