5.海巫女
落ち着かない。落ち着くはずがない。
何故、私はここにいるのだろう。
通されたのはセルピエンテ教会の奥にあるアスル御殿だ。一般人が立ち入れるはずもないその場所に、私は通されていた。無論、変な行動にうつれるはずもない。傍にはカルロスやウィルといった人外の聖戦士たちが、聖なる武器を携えた状態で待機しているのだ。私が変な動きをすれば、釈明の機会もなく死を賜れるだろう。さすがに、そんな大馬鹿者ではないので、私の方も首根っこを掴まれた猫の子のようにじっとしていた。
応接間はやや広い。だが、一般人の立ち入りが許されていた礼拝堂を思えば、かなり狭い。炎がめらめらと燃えている以外の光はあまりなく、白石の壁に掘られた竜神の彫刻が不気味に照らされている。緊迫感のある中で、じっと待っていると、やがて、奥の扉が開き、私をここに呼んだ張本人が侍女に連れられてやってきた。
鱗とタテガミを象った水色の礼服を着せられた人形のような娘だった。年のころは二十かそこらといったところだろう。その肌はやけに白く見えた。
髪は赤毛で、こちらを見つめる双眸は人間のものでしかない。その証拠に、青いオーラを隠してもいない。それなのに、何故だろう。彼女を真正面から見つめていると、動揺を感じた。
人形のような娘。ただの人間に過ぎない娘。しかし、巫女として生まれ、聖竜――古の竜神のもとへ捧げられる特別な存在である為だろうか、私から見ても、海巫女様とやらは怯えを抱くほどに神々しくみえたのだ。
不気味なものだ。
自分の鼓動を感じながら、私は思った。
いつもは半信半疑のはずなのに。
信仰心が全くないとは言わない。何かしらの不思議な力は信じよう。でないと、魔女として魔法を使えるだろうか。魔法というものの全ては解明されていないのだ。だから、古からの伝承もある程度は信じよう。
しかし、私はこれまで信仰の為に盲目になる愚民は軽蔑していた。特に、自分の力の及ばぬものに対し、神に救いを求める他ない人間たちのことは。それが、何故だろう。今は私の方がその愚民になってしまったかのようだった。
恐る恐る頭を下げ、私は巫女の視線から逃れた。精神を守るためである。魂までも乗っ取られてしまいそうで、怖かったのだ。
「アマリリスさんと言いましたね」
海巫女が口を開いた。
「わたしは第六十三代目の海巫女。ブランカといいます。どうか、顔を上げて」
「――いいえ、このままで」
懇願に近い言葉に、ブランカとやらはそれ以上強制してこなかった。どうやら、優しさはあるらしい。
「分かりました。では、続けます。アマリリスさん、あなたが〈赤い花〉であることをお聞きしました。そこで、失礼を承知でお願いがあるのです」
ちらりと見上げれば、ブランカの目は真っすぐこちらを見ていた。やはり恐ろしい。海の底を思わせるその目で見つめられると、魂が凍ってしまいそうだ。何故怖いのだろう。ただの人間のはずなのに。
しかし、ブランカはそんな自分の威圧にも気づくことなくこちらに告げた。
「お力をお借りしたいのです」
力を借りる。魔女の力が欲しいのならば私でなくともいいだろう。〈赤い花〉である必要がどこにあるのだというのか。……いや思い当たることはあるのだ。しかし、あまりにも現実離れしている。
「――話が見えません」
正直にそう言うと、ブランカは微かに頷いた。
「順を追って説明しましょう。わたしは近いうちにこの里を去り、リリウム教皇領へと赴き、三聖地のひとつイムベルにて聖竜リヴァイアサンのもとに捧げられます」
「そのことならば、存じております」
「その道のりは、決して楽なものではありません。リリウム教皇に祝福いただき、教皇領の聖地を巡り、すでに捧げられた二人の巫女からも、祝福をいただかなくてはならないのです」
「輿入れの儀式についても、少しは」
短く答えると、ブランカはじっと私を見つめ、暗い顔をした。
「ならば、これはご存知でしょうか。捧げられる巫女には天敵がいるのです。古より、巫女の輿入れには〈赤い花〉の戦士が同行しました。理由は、外敵への牽制です」
「牽制ならば、優秀な方々がいらっしゃるように思えますが」
皮肉交じりにウィルに視線を向けてみた。二人は勿論、侍女たちすら床に目を落としたまま目を合わせようとはしない。誰もかれもこういう場では私情というものを消してしまえるのだろうか。表情も読めなくてやはり不気味なものだった。
「レグルス戦士のウィルは確かに優秀です。近衛の長であるカルロスも私の信用する優秀な戦士です。それだけでなく、同行予定のカルロスの部下たちは有事の際は小隊長として活躍される優秀な方々です」
「――では、どうして」
「祝福の際に訪れるジズ、および、ベヒモスの領域には、リヴァイアサンの血を引くものが立ち入れません。つまり、ウィルは常に私の傍にいられないのです。カルロスやカルロスの部下たちは確かに優秀です。それに、各地では、ジズ、そしてベヒモスに仕えるそれぞれのレグルス戦士やご子孫方が手助けしてくださることになっております。しかし、それでも、常々傍にいる竜人のウィルが抜けることは今のわたしたちにとって、大きな痛手なのです。今、この里には、輿入れ前のわたしを執拗に狙うソロルがいるものですから」
その表情を見ながら、コックローチから買った情報と照らし合わせた。なるほど、これが〈亡者〉の情報か。正直、飲み込みたくない話だった。友を食い殺した種族に関わるようなことは避けたい。
「ソロル、ですか」
しかし、断る権利などあるのだろうか。海巫女に明確な味方となるべき存在でないならば、この場にとって私の価値は無に帰す。殺されて当然という流れになるくらいならば、少しでも生きる希望を求めるべきではないだろうか。
そうは思ったが、段々と彼女たちの求めていることが分かってくると、急に怖気づいてしまった。
「正直、私の力で満足できるとは思えません」
ブランカをちらりと見つめるにとどめ、私は控えめに言った。
「私はケダモノと変わりません。人狼を見つけ次第殺し、生き延びる。そうやって虫けらのように存在しているようなものです。そんな私が、ただ〈赤い花〉であるからというだけで、あなた様にお力添えが出来るなど到底信じられません」
本当は、二つ返事で承諾した方がよかったのかもしれない。私はカルロスに魔術を向けた。ここでブランカが見放せば、斬られてしまうかもしれないのだから。
しかし、相手は思っていた以上に食い下がってきた。
「わたし達は藁にも縋る思いなのです」
ブランカの悲痛な声が応接間に響く。
「巫女が死霊に狙われるときの為に、対抗できる武器を聖下より預かっております。しかし、それを扱えるのは〈赤い花〉だけと決まっているのです。もともとは悪用されることを恐れた力ある祓魔師のかけた鍵の祈りでした。解くことのできぬ強い祈りです。この武器が争いの火種にならず、人々の為になることを願っての事でした。その当時は分からなかったのです。こんなにも〈赤い花〉の聖女の血脈が希少なものになってしまうなんて……」
ブランカが嘆く通り、〈赤い花〉なんてものは希少種でも何でもなかったらしい。魔女や魔人の性次第では聖戦士の中にも堂々と加われるものもいたそうだが、時代は変わってしまった。
こんなにも減らしてしまった理由は、やはり〈赤い花〉を売り捌く花売りが跋扈しているからに他ならない。何故、いつから、どうして、こんな時代になってしまったのか、それについては分からない。神や大地のみが知っている運命なのだろう。いずれにせよ、世界は〈赤い花〉を金で取引する時代へと傾いた。どんなに教皇が咎めようと、それで甘い汁を吸っているような輩が消えない限り、止まらないものなのだと聞いたことがある。
人間の社会のせいだったとしても、それはブランカのせいではない。それに、花売りは魔族や魔物なども手を染めている。しかし、ブランカはまるですべての罪を被ったかのような表情で私を見つめた。
「わたしのような人間に頼まれるのは快くないかもしれません。しかし、わたし達にはもはや術がないのです。数を減らしてしまった〈赤い花〉はなかなか見つかりません。聖職者の間では、今も花売りの盛んなマグノリア王国で秘密裏に競り落とすなどという恐ろしい手段まで提案されておりました。そんな中で、あなたはやってきたのです。まさに主のお導きです」
なるほど、神様というものは性格が悪い。ここに来たのも愛しいルーナの純粋な願いがきっかけだった。目に入れても痛くないようなあの子の口でここに誘き出すなんて酷いにも程がある。
しかし、相手は実体のないもの。すべては必然という名の偶然の積み重ねなのだろう。どんなに嘆いたところで意味がないが、嘆かずにいられるだろうか。
「神も余裕がないようですね。こんな私を寄越すなんて」
たまらずに皮肉を込めてそう言ったものの、ブランカは静かに首を振った。
「あなたはカルロスの攻撃を弾けるほどに魔術に長けていると聞きました。人狼相手に百戦錬磨。それならば、力は申し分ない。その上、我々の預ける武器は、〈赤い花〉の者の力を増幅させるものです。十分すぎるほど戦力になりましょう」
「しかし、私は狂犬のようなものです。欲望のままにカルロスを殺す気でここに来たのですよ」
「それも分かっています。魔女の性というものは本人にすら制御できない。しかし、そちらも問題ありません。わたしに力をお貸しくださるのならば、あなたにはしばしの間、主より役割が与えられます。なれば、あなたはもはや魔女ではなく、三聖獣に寄り添う〈赤い花〉の聖女となり、性より解放されるのです」
「そんなまさか……性から解放される? にわかには信じられません」
今だって背後に控えるカルロスの気配が悩ましいほどだ。
腹が減っていれば、こうして冷静に振る舞う事すらできなかっただろう。それほどまでに、魔女の性というものは根強いはずなのだ。それから解放されるなどと言われて、どうして納得できるだろうか。食欲や性欲、排泄や睡眠のように自然なことであるのに、どうして信じることができるだろうか。
けれど、ブランカは奇妙なほどに確信をもって言うのだ。
「誓いの指輪をはめれば、あなたはあなたでなくなる。その指輪こそが、先ほど申した〈赤い花〉だけに与えられた武器なのです。はめるだけで、性を満たさずともあらゆる魔術を実現できると聞いております」
先人の残した〈赤い花〉のためだけの指輪。
そんなものでこんな大役が務まるなんてとても思えない。しかし、信じられないと訴え続けたところで、話は終わらない。ブランカは全く身を引く様子もない。ウィルとカルロス、そして侍女たちによって逃げ場も封じられている。こんな状況で断り続けたって、閉じ込められてしまうだけだ。
「どうか指輪をお受け取り下さい。今ここではめてくれるのならば、カルロスを襲ったこと、そしてこれまでの罪を全て赦しましょう。もう誰もあなた方を咎めたりはしないとわたしの名のもとに約束します。〈金の卵〉および罪人の誘拐の件、それらについてクロコ帝国が何を言おうと、わたしを通してリリウム教会が味方となるとあなたに誓います」
ここまで素性を言われ、それが間違っていないとなって、どうして恐れずにいられるだろう。
最初から選択肢などなかったのだ。潔く、頷くほかないだろう。そして、その怪しげな指輪をはめるしかないのだろう。
「分かりました」
私はようやく観念した。
「指輪を受け取りましょう」
どうせ、私は明日をどう生きているかも分からないような魔女だ。暇つぶしとして付き合ってやってもいいかもしれない。




