3.セルピエンテ教会
セルピエンテ教会の外に見張りはなかった。不用心なものだと思うが、理由も分かる。今は塵が降っている。恐らくだが、塵がやんでいるときは人間の見張りでもいるのだろう。そうでない今、目だった見張りは見当たらない。だが、魔の血を多少なりとも引くものならば無視できないほど威圧的な気配が、建物の中から感じられるため、よほどの狂人でない限りは何かたくらむことすらはばかられる。
あれが竜人の気配であろう。複数いることが確認できる。
セルピエンテ教会は、周辺国の多くで見かけられる教会とは違う。
祈りの場であるのは確かだが、もともとは異教の神殿だったものがそのまま使われている。かつてここは竜神セルピエンテが祀られていたが、時代の流れと共に周辺国の信仰と混ざり合いながらリリウム教会の支配下におかれ、聖竜リヴァイアサンを通じて神に祈る教会へと変化したのだと伝えられている。
ちなみにこれは、以前、ディエンテ・デ・レオンを訪れた際、マルの里の宿屋の主人が意気揚々と語った歴史であるが、セルピエンテ教会を見学した際も、エントランス部分の壁にアルカ語で長々と説明が書かれていたので確かなことだ。
元が神殿であったせいか、セルピエンテ教会はかなり広い。ディエンテ・デ・レオン特有の古代様式は美しく、幻想的だ。教会の中に展示されているセルピエンテからリヴァイアサンへと名前を変えた竜の像は、たしか何千年も前に作られたものだと聞いている。だが、一度見てしまえば、あっという間に見学は終わる。一般客の立ち入りが許されているのはごく一部の礼拝堂のみで、それ以外の殆どが関係者以外立ち入り禁止とされているためだ。
それでも、地元の礼拝者以外にも客の数は多い。セルピエンテ教会の奥に隣接するアスル御殿には巫女が住んでおり、運が良ければ礼拝ついでにその御姿を目に出来るのだとかで、もうすぐ輿入れによっていなくなってしまうことも手伝って、様々な客が訪れるらしい。今も、塵が降っているというのに、客の気配があった。恐らく、人間ではないだろう。
そもそもこの国は魔族や魔物の存在を紛糾しない。聖なる武器の為であっても、〈金の卵〉の屠畜にも反対を示す者が多いし、魔を魔であるからと差別することは表向きは許されていない。その背景にあるのは、きっと竜人、鳥人、角人といった聖獣たちの子孫という存在のせいだろう。だからこそ、こんな光景が成り立つ。竜人の聖戦士たちが見張る礼拝堂で、明らかに魔物や魔族と分かる者たちが見学しているというような奇妙な光景が。
「ご見学の方ですか?」
礼拝堂に立ち入ると、真っ先に声をかけられた。
見れば、竜人の聖戦士が、異様に澄んだ瞳をこちらに向けていた。目の下には鱗の名残が確認できる。額には角の名残もある。鎧の端々にはリヴァイアサンを象った美しい模様が刻まれている。背負っている大剣は、おそらく魔女を即死させられる聖剣だろう。しかし、その表情はとても穏やかだった。
「この通り、礼拝堂の見学は自由です。ですが、鎖で封じられているところには絶対に立ち入らないでください。ここを見張る全戦士には従わぬ者をこの剣で斬っていいとの許しを与えられております。間違いがあってはなりませんので、十分、お気を付けください」
丁寧な脅しに静かに頷いた。
ここでは当たり前に魔族や魔物が文明人らしく生きられるのだ。この場にいるのも、普段は人間のふりをして生きている人々なのだろう。カリスや私のようにひねくれ者になれればどれだけ楽なものか。しかし、そんな人物ばかりではない。まっとうに生きようとすればするほど、彼らはきっと嘆くだろう。人間か、いっそ、古代の神の子孫に生まれたかったと。
「その他、分からないことがありましたら、私にお申し付けください。ウィルと申します」
ウィル。覚えのある名前に一瞬戸惑いを感じた。
コックローチの情報に含まれていたレグルス聖戦士と同じ名前だが、まさか本人だろうか。
目の輝き、鱗の名残の様子、きっと若いのだろうが、鎧の模様や紋章、他に警備に当たっている竜人たちと見比べる限り、かなりの地位にいるように思える。本人の可能性も高いが、それならそれでカルロスに近い人物ということだ。
やけに丁寧な対応も気になったが、私もまた相手に合わせることとした。
「ありがとう、ウィル。さっそく聞きたいことがあるの」
「なんなりと」
「実は、知り合いを探しているの。ここで人狼の戦士が働いていると聞いたわ。知人じゃないかと思ってきたの。カルロスという人よ。知らない?」
「人狼のカルロス、ですか?」
表情が変わる。恐らく、知っている。やはり、この青年が若き巫女の相談役なのだろうか。そう思うに留め、私は続けた。
「知らなかったらいいの。ただ、ちょっとだけ話がしたいことがあって」
「差し支えなければ、どのような内容かお聞かせください」
「内容なんてないわ。会って話すだけ。昔話をしたいの」
「……少々お待ちください」
「あ、待って」
立ち去ろうとするウィルを静かに呼びとめ、私は付け加えた。
「ここじゃ落ち着かないし、他の人たちに迷惑がかかるかもしれないわ。私は外で待っている」
「お心遣い感謝いたします。ああ、いけない。すっかり忘れていました。あなたのお名前は?」
丁寧だが、慎重深い。
巫女を抱えている場所なのだから当たり前だが、気が抜けないのは確かだ。
カルロス。どうしたら、彼をおびき出せるだろうか。
人狼の世界では、私の名前はよく知られている。おとぎ話の登場人物になっていると耳にしたこともある。そこまで有名となったのは嬉しいことだが、厄介なことでもある。名前を教えるだけで逃げられては困りものだ。さて、カルロスはどんな人物だろう。私の名を聞いて、腹に尾を巻き付けるような男なのか。
「アマリリスよ」
私は敢えて、そう名乗った。
「イリスの片田舎から来た〈赤い花〉のアマリリス」
「イリス……〈赤い花〉……」
ウィルは一瞬だけ動揺を見せた。当然のことだ。イリスなんて国はない。かつてそういう国があったが、今はカシュカーシュ帝国の領土になっている場所だ。これは随分と前に決めておいた合言葉だ。公式な場で、諸事情により出身場所を探られたくないことを伝える役目を担っている。
だが、それだけではない。イリス、〈赤い花〉、アマリリスの三つの言葉は、知る人が聞けば噂の人狼殺しが来たことを告げる合言葉にもなっていた。正体を明かすことで逃げるどころか向かってくるような相手と判断したときには、積極的に使う言葉なのだ。
伝言役となるウィルはどの程度、知っているだろう。
ほんの少しだけ疑問を表情に浮かべたようだが、すぐに冷静さを取り戻すと、丁寧に礼をして言った。
「かしこまりました、アマリリスさん。申し訳ありませんが、今しばらく外でお待ちください。カルロスに伝えてまいります」
どうやら、表向きの合言葉として受け取ったらしい。配慮してくれる辺り、このマルの里の治安の良さが窺える。
さてどう転ぶだろう。外に出てくるのか、来ないのか。どちらにせよ、カルロスの姿を見ることが出来ればそれでいい。どんな姿をしているだろう。目印をつけるだけと言い聞かせていないと、糸を向けてしまいそうになる。
楽しみだ。だが、落ち着かないと。
そう自分に言い聞かせながら、私はのんびりと外に出た。




