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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
4章 ブランカ

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1.マルの里

 待ちに待ったディエンテ・デ・レオン。その入り口とも言われるマルの里の地を踏みしめた途端、肩の荷が下りた気がした。


 ジュルネからこの国に至るまでかかった日数はたったの二日。それでも、緊張は続いた。カリスは思惑通り、私たちを追う形で移動してきた。距離を近づけすぎず、離し過ぎない程度の場所で、様子を窺っているらしい。ジャンヌを食べたのが彼女だとすれば、おそらく腹は減っていないのだろう。ニフテリザやルーナを狙うような目立った動きは感じられなかった。


 一方、私も満腹のままだ。道中はルーナやニフテリザの食事のことだけを考えればそれでよかった。

 エリーゼの魂はまだ消化しきれていない。ゆっくりと我が身となる哀れな人狼の幻影に、興奮を覚えることもできた。エリーゼの魂は兄と再会できただろうか。そんな妄想まで出来る心の余裕はあった。


 しかし、このたった二日の旅は落ち着きのないものであったのも確かだ。同行人たちの食事のことはまだいい。町で買ったものもあるし、森の中で探せば何かしら手に入るものだ。

 そうではなく、ルーナのことが問題だった。発情は一日や二日で終わるわけではない。前に読んだ本には七日程かかると書いてあった。相手をしてやってもすぐには治まらず、また全身が火照ってしまうようだ。

 ルーナについてはさすがにニフテリザにも気づかれているだろう。異変があった時など、ルーナを彼女に預けて離れる時もあったから、気づかないはずがない。だが、気づいているとすれば、私とニフテリザの間で暗黙の了解となっているらしい。

 この二日間、ルーナはさんざん私に甘えてきた。その度に周囲を窺い続けて相手をしてやるのは落ち着かないものだった。


 塵の降らぬ世界は人間や獣の、塵の降る世界は魔の血を引くもの全員の時間だ。

 いかなる時もルーナの発情の匂いを嗅ぎつけて、よくない魔物が近づいてくる可能性だってある。こうした時に引き寄せられる魔物は厄介だ。ルーナを傷物にされるのは避けたいが、それだけで済めばまだいい。何かしらの魔物との混血児が生まれてしまうことも、面倒であり悲劇的な事ではあるが、それもまだましだろう。最悪はルーナの命を奪われることだ。世の中には思考が狂っており繁殖相手を食い殺してしまうようなケダモノもいる。そういったものにルーナが見つからぬように気を配るのはかなり気が滅入ることだった。

 ただの人間であるニフテリザは頼れない。頼れるのは自分だけ。こうした二日間の間に、エリーゼの魂はごりごり消費されてしまっている。


 いっそ、発情を無くすことだってできる。ルーナの身体を弄ればいい。そういう魔術もあるものだ。魔術が難しくとも、潜りの医者に頼むことだってできる。

 だが、本当にそれでいいのか。分からない。魔術は万能ではないし、医者も信用できない。不用意にいじれば、取り返しのつかないことにだってなる。


 だから、私はこの考えを保留にし、ひたすら願ってきたのだ。

 さっさと宿に泊まりたい。マルの里にたどり着きたい、と。


「ずいぶんと、長閑のどかな場所だね」


 マルの里を見渡して、ニフテリザがそう言った。


 その通り、マルの里を含めたディエンテ・デ・レオンの数ある聖地は長閑なところが魅力である。

 ディエンテ・デ・レオンには、三つの長閑な玄関がある。一つはこのマルの里。東の聖域と呼ばれる残り二つは北のシエロの里、西のティエラの里という場所だ。それぞれがそれぞれ、特別な事情を抱えている。


 ディエンテ・デ・レオンの中心地に向かいたい者は、このいずれかの里の大地を踏みしめることで清められ、王家の膝元に向かうことができると言われている。それもまた玄関と呼ばれる所以だろう。

 この三つの聖地は、教皇領に住まうという三聖獣にいずれ捧げられることとなる花嫁たちの故郷であるのだ。この里で成人まで静かに育てられると、教皇領に含められている三つの聖地に輿入れする。

 本来はリリウム教会の儀式ではなく、古代の神獣を崇めていた頃からの風習だ。しかし、リリウム教皇でさえも禁じることに失敗し、融合することで解決したという根強い風習だった。


 マルの里では、すべての獣の守り主である聖竜リヴァイアサンに仕える海巫女うみみこが誕生する。何らかの原因で巫女が死ねば、すぐにまたその生まれ変わりとされる人間の娘がマルの里で生まれることになっている。それは、シエロの里も、ティエラの里も同じだ。シエロで生まれる空巫女そらみこは魔物たちの守り主である聖鳥ジズのもとへ、ティエラで生まれる地巫女つちみこは魔族たちの守り主である聖獣ベヒモスのもとへ、それぞれ輿入れすると言われていた。


 今現在、ディエンテ・デ・レオンで輿入れを控えているのは、マルの里で暮らす海巫女だけだと聞いている。残り二人はすでに教皇領の二つの聖地にて聖獣の元で暮らしている。こうした深い繋がりがあるからこそ、ディエンテ・デ・レオンは特別な国だと言われていた。


 だからこそ、不吉な噂には皆、敏感だ。

 たとえば、この国の妃とカシュカーシュ帝国の繋がりの噂と、いつの間にかディエンテ・デ・レオンの東南の港町がカシュカーシュ帝国領となっていたこと。西側の隣国、グリシニア連邦とウィステリア公国の抗争の現在についてなど。


 聖域は教皇領だが、その影響力の高さを巡っては、教皇領のすぐ北にあり、ラヴェンデルやエーデルワイスと繋がりの深いクロコ帝国、北方へと領地を拡大し続けているらしいローザ大国、シトロニエとの繋がりも深いマグノリア王国、東南から大砂漠まで広大な領地を抱えるカシュカーシュ帝国が中心となって争っている現実がある。教皇領との繋がりが発言力にも繋がるために、皆、必死なのだとか。

 とくに、マグノリア王国の動きは分かりやすい。グリシニア連邦の西海岸に精鋭を送り、土地を奪ってウィステリア公国を築いてしまった。今でも、ウィステリア公国延いてはマグノリア王国とグリシニア連邦は対立したまま。カシュカーシュ帝国もまた、その噂を聞きつけてディエンテ・デ・レオンを支援しに来たらしいから、ややこしいことになっている。


 マグノリア王国のその目的は、ディエンテ・デ・レオンの抱える聖地だろう。もともとは異教のものだったとはいえ、今の時代にも人々の心を掴んで離さない聖地の管理は、それだけ世界に影響を及ぼすものだろう。魔女の私に人間の世界のことが分かり切っているとは到底言えないことではあるが。

 ともかく、ディエンテ・デ・レオンもリリウム教皇領も、血生臭さと不穏は常に傍にあるとさんざん言われているのだ。


 だが、そんな不吉な風が吹いていることも忘れてしまうくらい、マルの里には穏やかな風が吹いていた。世界情勢など私の聞き間違いだっただろうかというほど、マルの里の住人達はのんびりとしているようにも見える。人間もそうであるし、他国では滅多なことではお目に掛かれない魔物たちもそうだった。

 魔物といっても、吸血鬼や人狼のように人間のふりをして隠れ住むような身分の者たちではない。ディエンテ・デ・レオンやリリウム教皇領によくいる魔物たちだ。この二国でも、それ以外の土地でもいわれなき差別を受けたりはしない。まさに魔の血を継ぐ者として恵まれている種族である。


「あの人たちは、魔族?」


 里に入るなり彼らの姿を見かけたルーナに訊ねられ、私はそっと教えた。


「竜人たちよ。どちらかといえば、魔物ね。でも、人間たちからそんな扱いは受けない。彼らは特別なの。ジズの子孫である鳥人も、ベヒモスの子孫である角人も同じ。古代の神様の子孫だから、聖戦士にだって堂々となれるものなのよ」

「羨ましい。人間に愛されているんだね」


 ぽつりとそう言うルーナが何だか寂しそうで、私は言葉を失ってしまった。だが、すぐにニフテリザがしゃがみ、ルーナに視線を合わせて慰めてくれた。


「私とアマリリスの愛では足りない?」

「……十分かも」


 恥ずかしそうにルーナは言った。


 ルーナはすっかりニフテリザにも懐いてしまっている。この国でニフテリザの住める場所をと思っているのだが、別れはきっと寂しいものになるだろう。

 私としても、ニフテリザがいなくなればルーナを看てくれる存在がなくなるわけで困るかもしれない。それに、単純に寂しいという気持ちもある。

 微かな寂しさを抑えて、私はニフテリザだけに言った。


「ニフテリザ」


 ルーナと手をつないだまま、真っすぐニフテリザの目を見つめる。


「宿に着いたら、ルーナと留守番をしてもらってもいい?」

「あ、ああ……食事?」

「その下準備よ」


 風は長閑なものだ。それでも、長閑とは言えない存在も感じる。私を追ってきたカリスだけではない。この里にも人狼の気配が微かにだが感じられる。


「さっそく一匹、見つけた。ディエンテ・デ・レオンは人狼も人狼として暮らせる場所。ひょっとしたら、今までのような悪人じゃないかもしれない。……でも、遠慮なんて出来ないわ。食べなければこちらが飢えてしまうもの。今はお腹いっぱいだけれど、後で食べるために目印をつけておくの」

「――そう。なら、仕方ないよね」


 目を逸らしつつ、ニフテリザは言った。

 人間の彼女は人狼を恐れる。しかし、善なる魔の存在を認めるならば、人を襲わずに暮らす心優しい人狼に同情することだってあるだろう。

 分かっている。この場合、私の方が悪だ。欲望のままに善人を襲うとなれば、怪物でしかないだろう。だが、この生き方を変えるつもりはない。なぜなら、私はまだまだ生き続けたいからだ。


「私が帰ってくるまで、ルーナのことをお願い。ルーナの傍にいてあげて。時間はたっぷりあるから」


 そう言うと、ニフテリザの表情が複雑なものに変わった。きっと、ルーナの状態について薄々分かってはいるのだろう。ルーナは彼女にも甘えるだろうか。仄かな寂しさが生まれるが、そもそもニフテリザにルーナを任せっぱなしであることも負い目となって、嫉妬すらわかない。


「……分かった。安心して行ってきて。ルーナのことはちゃんと引き受けるから……ちゃんと」


 ニフテリザの言葉に、少しだけほっとした。


 この女も、ずいぶんと人間離れしてきたものだ。

 しかし、ルーナに甘えられるままに可愛がっているあたり、お人好しなのは間違いない。いや、そもそも、この人はお人好しの度合いで人間離れしているのかもしれない。なんて言ったって、吸血鬼の花嫁候補にまでなってしまったのだから。目を付けられるだけの目立つ部分があるのは仕方ないのだろう。


「ありがとう。それなら安心ね」


 あったかもしれない彼女の負の未来の妄想を、すぐに消し去り、私は二人に言った。


「宿はこっちよ。行きましょう」


 竜人や人間たちの入り混じる神秘の里。

 全体的に見ても、前に来た時とあまり変わっていなように思える。変わらないことがいいことなのか。単純には判断できない。ただ、見上げた辿り着いた先の看板は、前来た時よりもやや年季が入っており、その姿には少しだけ切なさを感じてしまった。

 時間が経つのが寂しい。でも、仕方ない。毎日が同じようでいて変わっていく世界もそれはそれで愛おしいものだ。

 ディエンテ・デ・レオンが抱える複雑な情勢だけではなく、大事な海巫女の輿入れという最大の変化を前に、のどかさと密かな緊張とを交えているマルの里の宿。私たちのような訳ありの者たちが好んで泊る宿はしっかり残っている。

 記憶にあるその佇まいを眺めながら、私は再度、力が抜けるのを感じていた。ずっと目指していたルーナの憧れの国。ようやくたどり着いたのだ。

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