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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
3章 エリーゼ

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22/199

6.吸血鬼の花嫁

 部屋に戻ってみれば、ルーナもニフテリザも起きていた。

 私が居なくなっていることに気づいて、眠れなくなってしまったらしい。しかし、宿の主人より伝言を聞いたため、少しは落ち着いて待つことが出来たとニフテリザは言った。

 二人は雑談をしながら時間を潰していたらしい。いつものことだがルーナは一度起きてしまえばなかなか眠れない。そのため、今も眠たそうなニフテリザにせがんで話し相手になってもらっていたようだ。お人好しのニフテリザはそれを無下にも出来ず、いちいち向き合ってあげていたようだ。

 申し訳ないことをしたかもしれない。


「だって、アマリリスがいなくて寂しかったんだもん」


 ニフテリザに謝ると、ルーナはそんな言い訳をした。

 可愛いからつい許してしまいそうになるが、あまり甘やかしてはいけない。隷従というものは厳しくしつけるようにと昔読んだ本にも書いてあった。魔物を隷属化する以上、いかなる種族であっても気を抜いてはいけないのが基本なのだ。……恐らく、〈金の卵〉のような弱々しい魔物は例外だろうが、かといって躾を怠るのはよくないだろう。

 あらためてルーナとのやりとりを振り返れば、反省ばかりである。魔術による副作用ばかりを言い訳にしていられない。愛らしい少女や子猫の姿でせがまれれば、ついつい甘やかしてしまうものだ。多少、我がままであっても全く危険は生じないこともあって、躾に関して手を抜いてしまいがちなのだ。

 これではいけない。主人として失格だ。


「寂しかったの。だから、お話していただけなの」


 もじもじとしながらルーナは言い訳を続ける。

 ニフテリザは眠たそうに笑い、ルーナを庇っていた。彼女もルーナには甘い。だが、きっと遠慮があるためだろう。


「あなたも眠い時は無視したっていいのよ。いちいち構えばルーナの教育にもよくないわ。夜は眠りの時間だってことを、あなたからも教えてあげてちょうだい」


 ニフテリザにそう言えば、ルーナは透かさず私の袖を握ってきた。


「ひどいよう……」


 しゅんとしながら身を寄せてくる隷従に、私はわざとため息を吐いた。ニフテリザは笑っていた。


「いや、私も寂しかったからね。眠いのは確かだったけれど、それよりも話している方がよかったから起きていたってだけで……」

「ほらね、わたし悪くないもん!」


 ルーナが胸を張って言う。生意気な態度だが、それすらも可愛く感じて困ったものだ。


 主従の魔術は呪いでもある。お互いは見えない鎖で繋がれ、自由に放されても檻の中にいるような感覚がずっと続く。


 これは、かつて養母の元にいた頃に読んだ本の記述だ。

 ルーナと関わる上で、何度も思い出した。ルーナも同じ感覚でいるのかどうかは分からない。なぜなら、主従の魔術で縛られた魔物側による書物を読んだことがないからだ。

 存在しないというわけではないらしいが、我が養母であり師匠でもあるニューラはそういった書籍を所持していなかった。魔物の知り合いなどもちろんいないから、分からない。ルーナに聞いてみたところで、明確な答えは返ってこないだろう。


「ともかく、まだ朝まで長い。もう寝ましょう」

「そうだね。そうしよう」

「ねえ、外で何をしていたの?」


 素直に応じるニフテリザと違って、ルーナはまだまだ起きていたようだ。

 聞き分けが悪いが、ある程度は仕方がない。本来、魔物というものは夜型が多い。塵の降る時間以外、日の光が照らす世界は魔物にとってあまり好ましいとはいえないものなのだ。〈金の卵〉だって魔物の端くれ。ルーナも本当は夜型の生活をしたいのかもしれない。しかし、それについて一言も希望を述べたりしない理由は、きっと隷従になってしまったことと関係があるのだろう。

 だとしたら、少しは可哀想だ。私はニフテリザと目を合わせ、一人、ルーナに向き合った。


「外の空気を吸っていただけよ」

「誰かにあった?」

「そうね。人狼とアルカ聖戦士にあったわね」

「アルカ聖戦士?」

「……アルカ聖戦士、か」


 ふと、ニフテリザが呟いたため、ルーナはそちらを眺めた。ニフテリザはもうベッドの上に横になっている。しかし、眠りにはつかず、物思いに耽っていた。

 アルカ聖戦士。その言葉で思い出すのは、やはり彼のことだろう。アリエーテの町近辺に残した屍と、その傍に座り込むニフテリザの姿は今でも鮮明に思い出せる。

 あれ以来、ニフテリザは一度も私を責めたりはしなかった。そして、今宵もそんなことはしないらしい。


「彼のことを思い出しているの?」


 訊ねてみれば、ニフテリザは静かに頷いた。


「これまで聖戦士っていう存在を過剰に信用していたのかも……」


 そう言って、ニフテリザはこちらをちらりと見つめてくる。


「でも、アリエーテでのことがあって以来、見方が変わってしまった。この町に来たアルカ聖戦士は……人間?」

「人間よ。それに、女性だった」

「何かされた?」


 警戒するように問われ、私は首を振った。


「何も。でも、彼女は私の正体を知っている。アルカ聖戦士というものはそういうものよ。不思議な力を授けられているものだから、ただの人間であったとしても魔女くらい見抜ける。でも、人間の社会に悪影響を及ぼさなければ放っておいてくれる人が大半ね。この町にいる女剣士さんは、花売りに関する忠告をしてくれるくらいには気を遣ってくれたわ」

「花売り?」


 ルーナに問われ、私は教えた。


「〈赤い花〉を売り捌く人のこと。生け捕りにした魔女や魔人を競りにかける売人たちのことよ」

「アマリリスも狙われるの?」

「狙ってくるような愚か者もいるわね。でも、ちょっと脅かせば尻尾を巻いて逃げる者ばかりよ。彼らが狙うのは子どもや、もっと気の優しい魔女や魔人。または生まれたばかりの赤ん坊ね」

「そんな悪人たちがこの町にもいるんだ……」


 ニフテリザが目を閉じたまま呟いた。


 人間の、それも一般人にとっては、あまり馴染みのない世界だろう。しかし、ごく一般的な世界で暮らしていた人間であっても〈赤い花〉の魅惑に取り憑かれたものならば、客として首を突っ込むことがある。だがそれは、そうとう身分が高いか金を持っているかのどちらかだ。

 どの社会もそんな彼らが人間社会から外れた〈赤い花〉の魔女や魔人をいくら売り買いしたとしても、誰も咎めたりはできないものだ。表向きは教会がやめるように言っているが、正式に禁忌とされるに至っていない。聖職者の中でも、慎重派を名乗る者の意見がそれを邪魔するからだ。だから、今もどこかで力や心の弱い魔女や魔人は家畜のように取引されている。

 それもこれも、〈赤い花〉を食すという怪しげな文化を誰かが生みだしてしまったせいだ。病が治ろうと、力が得られようと、どうだっていい。当人たちからすれば、ただただ迷惑なものだ。私だって食べる以外のことでの争い事は好きではない。いかに嫌いな種族とはいえ、花売りのように弱すぎる小悪党を一方的に弄り殺すのは気分が良くないのだ。


「アマリリスには命を助けてもらった。私も……花売りくらいは追い払えるようにならないと……」


 目を閉じたまま、ニフテリザは言った。


「別に気にすることはないわ。あの場に首を突っ込んだ者の責任だもの」

「そうだとしても、私には助けられた者としての立場もあるように思う。幼い頃はよく両親に言われたんだ。人に助けてもらったら、自分も助けられるような人になれって」


 そう言ってニフテリザは目を開け、ちらりとこちらを見つめてきた。美しい目に見えるのは、蝋燭の灯のせいだろうか。


 以前なら偽善者の言葉だと捉えただろう。

 しかし、ニフテリザという人物を知れば知るほど、心から身を犠牲にしようとしてまで他人に尽くす生き物がいるのだと知った。

 私には一生なれないものでもある。あまり好きなタイプではないが、この人だけは違う。ニフテリザは友人だ。共にいる時間が長くなってきた今だからこそ、そう思うのかもしれない。


「善良な人間の教育は相変わらず立派なものね。でも、別にもう守らなくたっていいのよ。あなたが今置かれている場所は人間の世界じゃないのだから」


 そう言ってみたものの、ニフテリザの表情は優れなかった。


「でも、いつかは人間の世界に戻るかもしれない。その時に、感覚の全てを忘れていたら困るでしょう? だから、私は一人の人間としてアマリリスを助けたいんだ。その為なら、アマリリスの盾になったって構わない。命を捧げたって後悔はしないよ」


 言い訳でも探すようにそう言ったのだ。きっと、理由なんて後付けだ。真っ先に恩を返さねばという気持ちが現れている。人から良く思われたいわけでもないだろう。そういう評価が意味をなさないことは、もう分かっているはずだ。


 こういう人間を前にすると気が引ける。仲間うちにこういう者がいるからこそ、世の中の人間たちが自分たちを光と考え、魔の血を継ぐものを闇と捉えたのだろうと思うことがある。


 私たちのような魔族にだって人間の血は混じっているはずだが、こういうタイプの者はなかなかいないように思う。桃花だって、ニューラだって、それに、実母だって、覚えている限りはいい人たちだった。コックローチも個人的に態度が不快なだけで根っからの悪というわけではない。

 しかし、私を含めた全員がニフテリザのように善なる者かと問われれば、疑問が生じるのだ。その理由は魔女のさがだけではない。きっと性などとは関係のない性格なのだろう。


 我々の中には存在しないのだ。誰かの為だけに生きようとするものなんていない。魔の血を継ぐ者は皆、自分の為に生きることを優先する。魔術にも縛られていない赤の他人の為に命を捧げるなんて頭が悪いとしか思われないことだ。

 魔物や魔族の多くが国を作れなかったのも、このせいだと言われている。人狼や吸血鬼といった大繁栄している種族も、血族や志を共にした仲間の結束こそ硬いらしいが、それが国にまで発展するかと言えば、決してそうはならない。

 それこそが、大繁栄の秘訣であるとさえも言われていた。私もそちら側の人間だ。利害を比べて害が大きければ仲間なんていらない。それが賢い生き方だと思っていた。


 しかし、私はニフテリザのことは嫌いにはなれないし、馬鹿にしようとは思わない。むしろ、そのようなことを偽りなく堂々と主張できる眩さが羨ましいくらいだった。


「命は捧げなくたっていいの」


 輝く眼差しに惑わされつつ、私はどうにか返した。


「せっかく助けたのに、死なれたら困るもの」


 どろどろと渦巻く感情の全てを笑みで隠してそう言えば、ニフテリザもまた苦笑を返してくれた。


「……確かにそうだね」


 ルーナが私とニフテリザの表情を見比べている。

 言葉にならぬ空気を読もうとしているのだろう。しかし、彼女には難しすぎたのか、とうとう諦め、閉じていた口を開いたのだった。


「ニフテリザは、あのエスカって吸血鬼のこと、今も思い出すの?」


 素朴な疑問だったのだろう。ニフテリザはベッドから天井を見つめたまま、明らかに答えに詰まっていた。諭すべきかどうか迷っていると、ややあって答えを返してくれた。


「思い出す……ね」

「悪い人だったんじゃないの?」

「悪い人だったんだろうね。でも、私にとっては――」


 言いかけて、ニフテリザはため息を吐く。その様子を見て、ルーナは首をかしげていた。どうも、ルーナは彼らの関係が分かっていないらしい。仕方がない。この子はずっと閉じ込められていたのだ。人間関係や男女の事、他者の心というものに疎いところがあるとしてもおかしくない。

 慌てて私はルーナに囁いた。


「彼のことはもう忘れなさい」

「でも……」

「いいんだ。話すよ」


 私の心配をよそにニフテリザはそう言った。ルーナを手招くと、昔話でも言い聞かせるように、語りだした。


「エスカは私の恋人だったんだ」

「……うん。でも、ニフテリザを騙していた人だったんだよね?」


 ルーナが不思議そうに訊ねる。ニフテリザは静かに頷いた。


「そう言う事になるね。でも、正直まだエスカ様のことを悪い人だったと思うことが出来ないでいるんだ」

「どうして?」

「恋していたから、かな」

「恋ってそんなに厄介なの?」

「厄介だね。相手を簡単に否定できなくなっちゃうんだ。いつもなら冷静に分かることも分からなくなってしまう。いわば病気だね」


 笑ってはいたが、心は曇っているのだろう。

 恋煩いも病だとニューラは言っていた。フリューゲルの村では時折、恋煩いに苦しむ若者たちが特効薬を求めてやってきていたのを覚えている。

 生憎、いかに経験豊富な魔女や魔人でも恋煩いに効く魔法薬は気休め程度にしかならない。それでも、若い客たちは買い求め、満足して帰っていくものだった。

 私には経験がないから分からない。人間特有の感情なのかもしれないが、ニフテリザもあの若者たちのように苦しんでいるのだろうか。


 ニフテリザはルーナの頭を撫でながら、語り続けた。


「この病気が治るのには時間がかかるらしい。だから、エスカ様のことも、今でもたまに思い出してしまうんだ」

「そうなんだ……難しいんだね」


 不思議そうなままルーナはそう言った。分かっているのか、いないのか。ニフテリザは力なく笑い、少し置いてからさらにぽつりと語った。


「ずっと庇ってくれていたエスカ様が吸血鬼本人だったというのは今でも悲しい」


 悲痛な呟きだった。


「私にくれた言葉も、本心のものじゃなかったのだろうと思うと、舞い上がっていた自分が馬鹿みたいになる。吸血鬼の花嫁だなんて恐ろしい。アマリリスが来なかったら、ルーナがせがんでくれなかったら、私はあの場で屈辱のまま死んでいたか、生き地獄を味わうことになっていたんだろうね。そう思うとやっぱり怖い。聖戦士というもの自体が信用できなくなってしまうくらい……」

「すべての聖戦士がエスカのような人というわけではないわ」


 私はそっとニフテリザに言った。


「吸血鬼もそうよ。穏やかな人もいれば、身勝手で恐ろしい人もいる。それだけのことよ」


 そう言うと、ニフテリザは肯き、そのまま軽く目を閉じた。


「私は……愚か者なんだ。あんな目に遭ったのに、まだエスカ様のことがまだ嫌いになれない。聖戦士が信用できないって言っていながら、どうしてだろう。おかしいよね」

「魔女の性に似ているわね。おかしいことだと頭で分かろうとしても、上手くコントロールできるものじゃない。……風邪が治るのにも時間がかかるもの、恋の魔術が完全に消えるのにも時間がかかるのでしょう」

「ありがとう……そうだといいな」


 ニフテリザは力なくそう言った。


 彼女は時々泣いている気がする。その涙をはっきりと見せてくれるわけではない。涙を流していなくても、心の中で泣いているのだろうか。

 ルーナは私よりもずっとニフテリザの素顔を見ているはずだが、私にいちいち教えてくれるようなことはなかった。それでいい。この子はやっぱり賢い魔物なのだろう。


「あの日々はもう戻ってこないんだ」


 ニフテリザは言った。


「これからを考えなきゃ……」


 それは、自分に言い聞かせているらしき言葉だった。

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