5.人間剣士
何事もなく宿に戻れたならば、どれだけ気が楽だっただろう。
夜道で急に声をかけられたときから嫌な予感はしていた。何故なら、夜道には珍しい女の声だったからだ。こうならぬように気を配りながら進んでいたというのに、相手は魔女の目すら掻い潜って接近してくるような人物だった。
単なる人間のはずなのに、カンパニュラという場所での教育はそれほどまでのことなのだろうか。
思っていた通り、振り返った先にいたのは女性戦士だった。年のころはカリスと同じくらいとみえる。もっとも、外見で年齢を判別するのは難しいものだから何とも言えない。それに、正確な年齢などよりも彼女の背負う剣の姿の方が気になる。
「突然御免なさい。ただ、この町で女性が一人きりで夜の道を歩いているのが気になって」
そう詫びられて、思わず言い返した。
「そういうあなたはどうなの? 女剣士さん」
ジャンヌ。彼女がそうだろう。その証拠に、エスカが付けていたものと同じ紋章がその胸元に見える。リリウムの紋章だ。背負っている剣も私を即死させられる聖剣のはず。私は警戒だけを残し、彼女の動きを注意深く見つめていた。
だが、彼女は襲ってくる気配を全く見せてこなかった。そこはエスカと同じだった。
「気に障ったのなら申し訳ない。私は仕事中なんだ。目的は人狼狩り。この辺りで暴れている人狼を倒しに来た。……あなたがたとえ魔女であろうと、この剣を向ける理由にはならないから安心して」
その言葉にため息が漏れた。
やはり聖戦士という人種は嫌いだ。エスカもそうだったが、彼女もそうだ。エスカのことがあっただけにピリピリしていたが、どこからどう見ても、この女はただの人間にしか思えない。落ち着いて目を凝らせば、薄っすらと青い色が見え隠れする。これこそが、リヴァイアサンの色。この女が人間である証拠だ。
それなのに、私を魔女だと言い当てるとはどういうことだろう。私は私でこの女の目をよく見つめ、その内部を探っていった。
――ジャンヌ。
その名はやはり見つけ出せた。人狼狩りのためだけに里帰りした聖戦士。私の正体を見抜いていながら、本当にその剣を抜くつもりはないらしい。しかし、楽観はできない。ちょっとした不注意が死につながる。口だけならばどうとでもいえるのだ。こちらの命を刈り取れる武器を持った聖戦士という者たちを信じ込むのは危なっかしい。
「そう怖い顔をしないでほしい」
だが、ジャンヌは言った。
「声をかけたのは、戦うためじゃないんだ。あなたは見たところ、人を殺したような気配は感じられない。そういう者を殺すのは教義に反する。今の時代、魔の血を引くからといって剣を向けるなど、我らが主は赦してくださらない。だから、安心して。私はただ、あなたを話の通じる相手と見込んだ上で聞きたいことがあるだけなんだ」
「聞きたいこと?」
「うん、あなたの傍に人狼の香りを感じる。傍にいるわけではないようだね。そいつは何処にいた? 今どこに潜んでいるんだ? あなたの知り合いなの?」
やはり聞かれてしまった。だから会いたくなかったのに。
「答えたくない」
「この町の人たちの生活がかかっていると言っても?」
「興味ない。私は魔女だもの」
「そうか。残念だ。たとえ魔女であっても人間に配慮できる心優しい人物を知っているものだから、ついつい、あなたもそうだと思ってしまった」
ため息交じりにそう言われ、少し苛立った。嫌味に聞こえたからだ。しかし、喧嘩を売るつもりはないのだろう。それに、たとえ売られたとしても、聖剣などという危ない武器を持っている者から買うなんて愚かでしかない。私はぐっとこらえ、静かに答えた。
「そういう魔女もいるわ。ただし、魔女の性がそうさせているの。人に愛を振りまいて、感謝されることで生き延びる者よ。でも、私はそうじゃない」
「そうか。しかし、あなたに感謝する人間もたくさんいると思う。〈赤い花〉の狼喰いとあればね」
「――私を知っているの?」
緊張が高まり、私はとうとうジャンヌを睨み付けてしまった。しかし、ジャンヌはすまし顔のまま、剣も抜かずにただ立っていた。その目は宝石のように美しい。聖剣さえ背負っていなければ、人狼にとってもいい獲物だろう。特に雄ならば、彼女に対して食べる以外の楽しみを見出すかもしれない。しかし、ジャンヌはきっと恐れないのだろう。これまでそうやって向かってきた人狼を殺してきたのだから。
カリスも彼女に見つかれば殺されてしまうだろうか。だとしたら、腹立たしい。……腹立たしいけれど、あまり深入りをしたくない。私に出来るのはほんの小さな抵抗だけだ。有益な情報など伝えないという抵抗だけ。
「すまない」
ジャンヌは言った。
「怒らせるつもりはないんだ。あなたが何者であっても関係ない。ただ、この町を荒らしている人狼は討伐しなければならないと言われてきた。何匹か狩った実績はあるといっても、そんなものは飾りだ。人狼一匹一匹で動きも思考も違う。もしも、あなたがこの町に潜む人狼について誰よりも詳しいとしたら、そして、我々のような人間に協力してくれるとしたら、非常に助かるというだけの話なんだ」
丁寧な言葉遣いだが、私には脅しにしか聞こえなかった。それはきっと、ジャンヌが背負っている聖剣の主張が大きすぎるためだろう。だからこそ、緊張はほぐれない。早く話を切り上げて、ルーナたちの待つ宿に帰りたかった。
「残念だけれど」
生憎、嘘を吐くことには慣れている。
「協力できることは何もないわ。私に出来るのは、ただあなたの邪魔をしないことくらい。幸運を祈るわ、アルカ聖戦士さん」
そう言って、歩き出す私を、ジャンヌは止めたりしなかった。ただ視線で見送りつつ、答えるだけ。
「そうか、それは残念だ。あなたも気を付けて。この町には人狼よりも恐ろしい花売りも潜んでいる。〈赤い花〉を持つ君にもしものことがあれば、教会に保護してもらわねばならなくなる。それは嫌でしょう?」
「遠慮しておきたいわね」
「そう。じゃあ、特に気を付けて。危険がない限りは放っておいていいとも言われているから」
「ええ、わざわざ有難う」
ようやく、私は心からほっとすることが出来た。
ジャンヌも別に悪い人ではないのだろう。
花売りというのは〈赤い花〉の密売人のことだ。それをわざわざ忠告するということは、世間に疎いのか、単に親切なだけだろう。
リリウム教会が〈赤い花〉の保護を考えているという噂もいつだったか聞いたことがある。あまりにも数が減れば教会としても困ることがあるらしい。どうせ、都合のいいお飾り役なのだろうけれど、そのために自由を奪われるのは御免だ。
幸い、ジャンヌの言う通り、多くのアルカ聖戦士やクルクス聖戦士は私を放っておいてくれる。
ならば、無駄にぶつかり合うようなことはしてはならない。カリスは愚かな人狼ではない。賢い雌だと信じている。憔悴していたのは確かだが、いざ聖剣で斬られるとなれば遠くに逃げてくれるだろう。
幸運を祈る。そんな嘘を言い放った舌の感覚はいつまでも残っている。しかし、十分歩いて宿につく頃には、その感覚もだいぶ薄れていた。
願う先はカリスだけだ。どうか、あんな小娘に殺されてしまわぬように。そんなことを願いながら、私はやっとルーナたちの待つ宿へと戻ったのだった。




