4.忠告
ジュルネの町を騒がせている人狼被害は治まっていないらしい。
初めは何の魔物にやられているかも分からなかったそうだが、ある町人が、巨大な狼が他人を貪る姿を見たと証言したことで、人狼だと分かったのだと宿の主人は教えてくれた。その狼の色は金色の体毛。きっとエリーゼだったのだろう。しかし、本日、新たな人狼の目撃情報が広まり、宿もまたその話題で盛り上がっていた。
新たな人狼の姿は、麦色。金色とさほど変わらないように思えるが、やや違う。人間たちの中では、それを証言者の感覚の誤差に過ぎないとする声もあれば、人狼が複数いるのだと絶望する声もあったらしい。
「いやあ、大変な時に来ちゃったものだね」
「全くだよ」
他人事のように語り合う声が聞こえてくる。一人きりで気まぐれに宿に頼んだシトロニエ国産の紅茶をいただきながら、何となくその会話に耳を傾けていた。
彼らは、複数名の人狼の気配を感じていながらも、絶望してはいなかった。なぜなら、この宿に泊まる者たちのほぼすべてが、人狼が食べ物として見ないような魔族たちだからだ。
語り合っているのは魔女や魔人ではなく、翅人でもなく、木霊という植物と人の中間にいるような平穏な性質の者たちである。
彼らは宿の共有スペースで好き勝手に語り合っていた。植物ではなく、まるで小鳥のよう。愛らしい姿をしていることもまた、木霊たちの特徴だった。
はじめはさほど興味はなかったが、退屈しのぎに耳を傾け始めたのだ。
部屋ではルーナやニフテリザもいるが、二人ともぐっすり眠ってしまっているのでつまらない。これも一人、昼寝をしてしまったせいだ。仕方ないと言えば、仕方ない。
それに、他愛もない雑談でも、ふいに有用な情報が舞い込んでくるものなのだ。コックローチも言っていた通り、有益な情報が手に入りそうだった。
「どうやら、人狼狩りのためにアルカ聖戦士が派遣されたらしい」
「アルカ聖戦士?」
木霊たちが興味深く囁き合う。その声を私もまた注意深く拾った。
聞き捨てならない単語だ。
「うん、町の人が言っていたんだ。久しぶりにジャンヌが帰って来るって」
「ジャンヌ? この町の人かい?」
「ああ、どうやら、この町出身の女性らしい。教皇領のお隣にカンパニュラっていう学園都市があるだろ。あそこで訓練を受け、アルカ聖戦士として認められて以来、通報を受けては各地を渡り歩いていたそうだ」
カンパニュラのジャンヌ。カンパニュラ出身の聖戦士たちは手ごわい。聖戦士以外にも、質の高い芸術家や聖職者、学者や錬金術師が輩出される。
そこに入り、卒業したということは、ただ単に優秀なことだけでなく、多くは身分の高い家の者であることを意味している。
この町のどこか名家の令嬢なのだろう。だが、箱入り娘というわけではないらしい。アルカ聖戦士として認められているということは、血筋以外の要素も十分だということだ。
「ふうん、じゃあ、優秀な人なんだ?」
「うん。すでに、狼を何匹か討伐しているという経験もあって、故郷の危機に駆けつけるそうだよ」
優秀な狼狩り戦士。女性とはいえ、非常によくない。
アルカ聖戦士はただの人間であったとしても油断ならない。
「大層なもんだね。我々も油断できないかもねえ」
「なに、アルカ聖戦士って人たちは案外話が分かるものだ。今の教皇は温厚な人らしいからね。なんせ、生まれで兄弟姉妹を差別するなと公言なさったらしい。もちろん、魔の血を引く者もそこに含まれているっていうから驚きだ。この時代に生まれて本当ラッキーだよな」
「と言っても、教えを守るのは個々だろ? そのジャンヌってやつが血の気の多い女だったりしたら、俺ら、挨拶代わりにぶった切られるかもしれない」
「はは、相変わらずお前は臆病もんだなあ」
笑い合う木霊たちだが、私は心配だった。
ジャンヌとかいうその聖戦士がどんなに清い心を持っていようと構わない。問題は、彼女がここに人狼退治に来ているということだ。
カリスも馬鹿ではない。私が追い詰めてきた人狼の中でも、己の力を過信しないという賢さがある。だが、影道に隠れ続けているだけで逃れられるのならば、ジャンヌだって何匹か討伐したりはしないだろう。
無防備を装って人狼を釣る私とは違う。それに、人狼の多くに見られる特性というものも私は引っかかっていた。
身の危険を感じたとき、人狼はついつい影道から姿を出してしまう特徴がある。
戦えば生き残れる可能性が高いためのものなのか、はたまた、影道に留まり続けるのには集中力が必要なのか、その事情は分からないが、これまで数えきれないほどの人狼を捕まえてきた私が見るに、一度取り逃がした人狼の殆どは私の正体を見破って怯えた後も、追いかけ続ければ冷静さを失って逃げるという行為を忘れてしまうことがあった。
カリスだって人狼だ。私が手古摺っている相手だとしても、いつだって冷静でいられるわけではない。
それに、今のカリスは不安定だ。いつもの彼女ならば、そもそも人間を襲うところを人に見られるへまなんてしないだろう。
エリーゼの死は彼女の魂を素晴らしく整えてくれたが、私以外の外敵がいるとなれば厄介だ。ひょっとしたら、そのジャンヌとかいうアルカ聖戦士の方が先にカリスを追い詰めてしまうかもしれない。
そう考えると、居ても立ってもいられなくなった。
紅茶のカップを返すついでに私は宿屋の主人に告げた。
「少し出掛けてくる」
「これからかい?」
主人が不思議そうな顔をする。この宿の主人は、犬の魔物だ。怪しい匂いには敏感なのだろう。
「すぐに戻るつもり。でも、念のため、連れが私のことを訊ねてきたときには伝えて欲しいの。すぐに戻るから、大人しく部屋で待っているようにって。前みたいに探しに来ちゃ駄目よって」
「ああ……分かった。しかし、魔女さん、ジュルネの町は物騒だ。特に人狼には気を付けて」
「それは大丈夫。もちろん、油断もしないわ」
そう約束すると、宿の主人はそれ以上何も言わなかった。
私はさっそく宿を飛び出し、ジュルネの町の真夜中へと足を踏みいれた。
カリスの気配をたどりながら歩き、人気のない通りへと入っていく。追い詰めているのではなく、引き寄せられる形だ。
探している人物は、とっくに私の接近に気づいているのだろう。呼び込むように繁華街から遠ざかっていく。本気で逃げているわけではない。私が狩る気でないのに近づいていることを察したのだろう。
そして、寝静まる通りの片隅に、カリスは姿を現した。
「何の用だ」
声は非常に静かなものだった。
怒りや悲しみの一切が感じられない。エリーゼの死のせいか、彼女は疲れ切っている。やはり、放っておくわけにはいかないだろう。
幸いにも、私の方はかなり落ち着いていた。エリーゼを食べて一日も経っていないからだろう。今の彼女を見ても、全く空腹は覚えなかった。
おかげで、蜘蛛の糸を向けたくなるという狂気にはとらわれずに済んだ。
「忠告しに来たの」
はっきりと伝えた。
「宿であなたの噂が立っていた。人を喰い殺している姿を目撃されているようよ。それに、ジュルネの町に教皇領からアルカ聖戦士が送られている。人狼を本格的に狩るための準備を始めているようよ」
「それを何故、私に伝える。今度は何を企んでいるんだ」
当然ながらその目は信用していない。当たり前だが、腹立たしい。煩わしい気持ちを抱きながら、私はカリスに告げた。
「あなたがその人に殺されたら可哀想だから」
「可哀想? 信用できるものか。今すぐ失せろ」
「じゃあ、あなたを横取りされたくない、といえばよく分かってもらえるかしら。あなたは私の獲物よ」
そう答えると、カリスはしばし黙った。
野性味あふれる鋭い眼差しで見つめられるとぞくぞくする。もしもエリーゼを捕らえ損ねていれば、今日こそがカリスの最期の日となっただろう。しかし今は、まだ手を出すには勿体ないと思えるほどの冷静さが残っていた。これもエリーゼのお陰だ。感謝せねばならない。
「相変わらず気色悪い奴。肉体も、魂も、尊厳も、お前に全てを奪われるくらいならば、そのアルカ聖戦士の聖剣で引き裂いてもらう方がいい」
力無く笑うその姿に、苛立ちを覚えた。
彼女は半ばあきらめている。私の糸よりもジャンヌの剣をお望みだ。冗談じゃない。そんなことが許せるものか。
「あなたがそのつもりなら、私にも考えがある。今のあなたの自由は、私の慈悲によるものだと教えてあげましょう」
「それは楽しみだ……」
真正面から向き合っているためだろう。
ちっとも怯えずにカリスはそう言った。私の表情に冷静さがあることもまた、カリスに恐怖を抱かせない要因となっているのだろう。気力がないというのなら、時間の無駄は避けたい。ここは私も気持ちを落ち着けるしかないだろう。
ため息をついてから、彼女に改めて伝えた。
「名前はジャンヌというそうよ」
こうして話すのは初めてな気もした。
「もうすでに何匹か人狼を殺しているらしい。私の方は少なくともあと一週間ほどあなたを襲わずとも持つわ。よく考えてちょうだい。今すぐに聖戦士に殺されるのと、きちんと生き延びて一週間後にまた私と鬼ごっこをするのと、どちらがましなのか」
「どちらも御免だ。ご心配なさらずとも、私の手元にはあの馬鹿な吸血鬼の形見の襤褸剣があるし、ここで死ぬつもりはない。……ああ、そういえば、この襤褸剣がもたらすかすり傷一つでお前は死ぬのだったな」
「その前に、蜘蛛の糸の魔術があなたを捕らえるでしょうね。……でも、今はそんなことどうでもいいの。せいぜい死なないでちょうだい。これ以上、アルカ聖戦士とトラブルを起こすなんて御免だから、一緒に戦うことだって出来ないの。だからどうにか、一人で身を守りなさいな」
「一緒に戦う? 気持ちが悪い。分かったからさっさと帰れ。その顔をそれ以上見せるな」
ルーカスのこと、エリーゼのこと。すべて恨んでいるはずなのに、彼女は聖剣を抜かなかった。
本当に大丈夫だろうか。だが、ここで共に戦って、ニフテリザやルーナに何かがあったらと思うと怖い。カリスとあの二人を天秤にかけて、どちらがより重いか考えなくても分かるくらいだ。
仕方がない。カリスのことはこの大地の決まりに委ねよう。
「またね、カリス。夜遊びを続けるのなら気をつけて。あなたも人狼とはいえ、年頃の女性。野蛮な雄もいるかもしれないわ」
揶揄ってみれば、カリスは牙を見せて唸った。
「うるさい奴だ。さっさと行け……!」
その姿に少しは安心した。
どうやら、牙を見せて唸るだけの気力はあるらしい。
「そうさせてもらう」
それを最後に、私はカリスの前から去った。
彼女がこの背に聖剣をぶつけてくるようなことはなかった。きっと、本当に、あちらも戦う気がなかったのだろう。
恐怖によるものなのか、何か事情があるのか、はたまたそれが普通の心情なのか、私には判断がつかない。どんな事情を彼女が抱えているにしろ、今はただ運命というものを信じて宿に帰るしかなかった。




