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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
8章 アマリリス

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8.あの頃のように

 辺り一帯が新しい緊張感に包まれる。

 自分を抱きしめて必死に欲望を制御しようとしているアマリリスだが、その周囲にはすでに魔術が溢れていた。切断か、断罪か、あるいは串刺しだろうか。どうにか理性を保とうとしていたが、その思考が蝕まれ始めている様子が見ていて伝わってくる。

 ルーカルを、エリーゼを殺したアマリリスがそこにいる。

 だが、苦しそうに呻いているのは傷が痛いからだけではない。彼女は戦っていた。自分の意志を蝕もうとしている魔女の性と。


「お願いだから……早く逃げて!」


 アマリリスは必死になって私に叫んできた。

 本当は殺したくてたまらないのだろう。それが自分でも怖いのだろう。私もまた殺されるのは御免だ。だが、すぐに逃げる気にはならなかった。

 私が真っ先に考えたのは、アマリリスの指のことだった。風の刃で切り落とされた指は今どこにあるのか。その指に嵌っていたはずの指輪はどこにあるのか。さりげなく見渡し、すぐに見つけた。血だまりから少し離れた場所に指が。そして、そこからさらに離れた場所に指輪は光っていた。


 ──あそこだ。


 だが、動こうとしたその時、ついにアマリリスの我慢は限界に達した。


「ああ……どうして……どうして逃げてくれないの」


 そう言いながら彼女は立ち上がる。

 目を光らせ、半分嗤っている。その言動には、懐かしさすら感じた。そうだ。あれが私の知るアマリリスだった。多くの人狼たちを恐れさせた〈赤い花〉の怪物。私の命をしつこく狙ってきたときの彼女が、忘れかけていたあの恐ろしく憎らしい魔女が、目の前に現れた。

 アマリリスは手を伸ばす。傷ついていない方の左手を。そして、直後、私は勘を頼りに影道へと逃げた。案の定、その頭上を糸が通っていった。捕まえるだけだったにせよ、いずれは切断されることになる。その恐ろしさに身体が震えた。

 影道だっていつまでも安全とは限らない。

 潜んでいるつもりでも、アマリリスの目は正確に私の位置を捉えていた。


「ええ、そのまま逃げて……逃げ続けて。私からすぐに離れて欲しいの。私が動けなくなるまで。リリウム教会に捕まるまで。逃げ続けて無事でいて」


 まだだ。まだ見捨てる段階じゃない。

 アマリリスはまだ狂ってしまっていない。

 私は懸命に機会を窺った。まずは指輪だ。あの指輪を拾うこと。そして、どうにかアマリリスに渡すのだ。嵌めてくれるほど冷静ではないかもしれない。ならば、私が嵌めてやろう。その前に捕まるだろうか。殺されてしまうだろうか。だとしても、私はもはや怖くなかった。

 ここでアマリリスを見捨てて、一生、永遠に、終わらない追いかけっこを続けるくらいならば、一縷の望みに命を懸けた方がマシだ。

 そうと決まれば戦うしかない。アマリリスにしつこく追いかけられていたあの頃の、気が気でない日々を送っていたあの時期の感覚をどうにか思い出して、〈赤い花〉の魔術を掻い潜って魔女を聖女に戻さなければ。


 影道の中で移動すると、アマリリスの目が追ってくる。

 逃げるつもりがないことを悟ると、彼女はまるで猛獣のように唸りだした。


「ああ……どうして。逃げてって言っているのに……!」


 そう言って、アマリリスは魔術を放った。

 先ほどまでの彼女と今の彼女。どちらもアマリリスだ。間違いない。私に生きて欲しいと願う彼女も、殺してしまおうとする彼女も、どちらも愛しい彼女のはずだ。かつてはどちらが本当なのかと考えたこともあったけれど、考えるだけ無駄なのだと今なら分かる。


 蜘蛛の糸が私を狙って放たれる。指輪の力も借りていないはずなのに、その糸はいつも以上に鋭く感じた。影道にいても安全ではない。それほどまでに彼女は強かっただろうか。かつて一心不乱に私の命を狙ってきた時とは比べ物にならないほど脅威を感じる。

 それでもなお、私は逃げるという選択肢を外していた。逃げることなど出来なかった。何故なら、心が鎖で繋がれてしまっているからだ。絆というものは厄介だ。それが魔術によるものならば尚更のこと。その言葉が意味するものは明るく前向きなものに留まらないのだろう。きっと、傍から見れば今の私は魔術に縛られ、己の安全すら守れない哀れな飼い犬にしか見えないだろう。しかし、私は不本意ながら逃げないわけではなかった。


 これは自ら望んでのことでもある。この鎖が今なかったとしても、私はここを離れなかっただろう。そう信じていた。魔人たち──特に魔女の魔術に通ずる者が何と言おうと関係ない。これは、私自身の選択だった。

 サファイアの遺した傷のせいで、思うようには動けない。それでも、私は全力でアマリリスの攻撃を避け、そして今も床に転がっている指輪の元へと向かった。外よりはまだ安全な影道から顔を出すのは勇気がいる。それでも、出てこなければ指輪は拾えない。覚悟を決めて飛び出すと、アマリリスの呼び出すあらゆる虫に囚われる前に指輪を拾って再び逃れた。


 拾う事は出来た。

 しかし、これからが問題だ。時間が経てば経つほど、アマリリスの様子はおかしくなっていく。これが指輪をなくした者の末路なのだろうか。魔女の性で飢えている彼女の前から獲物たるこの私が立ち去らないことは、それ自体が暴力にも等しいのかもしれない。

 それでも、私は逃げるわけにはいかなかった。


「どうして……」


 アマリリスのかすれた声が聞こえてきた。


「どうして諦めてくれないの……」


 そう言って、彼女は再び私のいる場所へと糸を向けた。

 狙いは正確だ。聖女だった名残か、飢えが彼女を怪物にしているのか。どちらかは分からないが、以前よりも脅威を感じる。

 もたもたしていると本当に殺されてしまいかねない。これまで祈ったあらゆる対象に縋りながら、私は指輪を咥えたまま影から影へと逃れ続けた。

 そして、物陰へと隠れると、いよいよ次の覚悟を決めた。


 これは狩りだ。

 魔術さえ躱してしまえば相手はただの女。それも、肉体の力は人間とほぼ変わらない。


「カリス」


 アマリリスに名を呼ばれ、私は決心した。

 最悪、殺されたっていい。アマリリスは苦しむだろうけれど、見捨てて逃げるより後悔はない。もちろん、投げやりで行動するわけではない。これまでだって何度も、生きるために戦ってきた。これもまた同じ事。生きるための戦いだ。共に未来を掴むため、サファイアの遺した呪いの言葉を跳ね返すための勝負でもある。

 愛なんて残さないと、あのソロルはそう言った。

 しかし、希望はまだ残っている。この指輪がそれだ。


 アマリリスの魔術が再び狙ってくる。その空気を感じると、私は影道から飛び出した。狼の姿で飛びあがると、そのまま人の姿へと変わった。

 指輪を片手に握り締めて背中から抜くのは聖剣だ。かつてアマリリスを本当に殺してしまおうかと迷った時に拾ったもの。エスカの剣に私は希望を託した。魔女を殺す聖剣のその煌めきに、アマリリスが少しだけ怯む。その怯みを見逃さず、私は持てる全ての力を使って素早くその懐へと迫っていった。

 首筋に刃を突きつけると、アマリリスの動きはぴたりと止まる。だが、無傷ではいられなかった。彼女の呼びだした糸で、決して軽くはない傷を肩に負ってしまった。自分の流す血の臭いに心が震える。だが、必死に人間でいようと意識を保ち、私は大人しくなったアマリリスに囁いた。


「絶対に動くなよ」


 刃が震えそうになる。あまりぐずぐずしていられない。アマリリスもまた震えながらも、目を閉じてじっとしていた。さすがに魔女の性も聖剣の前では大人しくなるらしい。生きるための本能であるわけだから当然なのかもしれない。

 静かに納得しながら、私は片手で剣を持ったまま、もう片方の手でアマリリスの左手を掴んだ。右手からは今も血が流れているが、左手は幸いにも無傷のようだ。そこに安心すると、私は彼女の指を片手でどうにか広げた。どの指でもいいはずだが、気づけば無意識に、指輪を彼女の薬指に嵌めようとしていることに途中で気づいた。

 左手の薬指。古代イリスの言い伝えでは、そこは心臓に繋がる場所だとされていたらしい。生涯の誓いを込めた指輪を贈り合う時は、この場所に指輪をはめる。私の本来の故郷では、そうだったと言われている。すでに滅んだ国の話ではあるが、実際に嵌めてみると感慨深いものがあった。


 しかし、夢に浸るのはまだ早い。一度外れたこの指輪が間違いなく作用するかどうか。アマリリスが再び聖女に戻れるかどうかはまだ分からない。

 しっかりと指輪が嵌ったことを確認すると、私は緊張しながらアマリリスから離れていった。聖剣から解放されて、アマリリスは少し俯いた。まだ痛むだろう右手を庇いながら左手をあげ、嵌ったばかりの指輪をじっと見つめている。その目がいささか虚ろであることが、私には少し不安だった。異変を感じたらすぐ逃げられるようにした方がいい。そう思いながら、注意深く様子を窺った。

 しばらくすると、アマリリスは唐突に私の顔を見つめ、そして、力を失ったようにその場に座り込んでしまった。


「アマリリス!」


 名を呼ぶと、彼女は私を見つめ、涙を流した。


「カリス」


 その声一つですぐに分かった。指輪の力は、確かだった。


「ありがとう、カリス……」

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― 新着の感想 ―
[良い点] おおおおおおお!!! 契約の……指輪ですねぇ……涙
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