3.人形になった子供たち
人形たちに囲まれた部屋は、異様なほどの冷気に満ちていた。
入った途端に一斉に視線を浴びるような感覚に陥るのは何故だろう。理由は何となく察しがついた。この人形たちは生きているのだ。
物言わぬまま、ここにずっと置かれ、生き続けている。寿命という救いもないらしい彼らが何を想っているかなんてここに来たばかりの私には分からない。ただ、この部屋こそが、ヴァシリーサの本質であることだけは、はっきりとわかった。
思わず立ち止まってしまう私たちを導くように、蝶の姿のヴァシリーサはふわりと飛んでいく。そして彼女は一体の人形の肩に止まった。その人形を見て、私は息を飲んだ。
美しい少年の人形だ。
そして、すぐに気づいた。
どことなく、似ている人物がいる。それはきっと、気のせいなんかじゃないだろう。
「この子がミール。あの人たちが追い求めてきた子よ」
ヴァシリーサは言った。
「わたしがこの子に目を付けなければ、こんな事にはならなかった。けれど、あの時この子を手に入れなければ、わたしは魔女の性が満たせず狂いながらローザ国内を荒らしたでしょう。どちらが良かったのかは、今となっては分からない。言わせて貰うならば、わたしはただ自分が自分のままに生き残る術を選んだだけ。それだけよ」
それだけのことが、一体どれだけの恨みを買ったのか。
魔女の性を満たし続けて生き続ける魔女というのは、その存在そのものが罪であると言われていた時代もあったという。
きっとそれを言ったのは、魔女の性で不幸をもたらされた何者かだったのだろう。
しかし、人狼である私にはヴァシリーサを責めることなんて出来なかった。私だって、同じだ。生きるためにどれだけ人を食べてきたか分からない。善良で、他人を疑わない人間を、騙して食べてきた。生きるための行為を単純に楽しみ、獲物の愚かさを嘲笑ったことだってあった。
そんな私もまた、人狼に家族を奪われた者にしてみれば存在そのものが罪なのだろう。
けれど、殺しただけ救えばいいと言ってくれた人がいた。彼もまた人狼を憎んでいたはずなのに、あの頃はそう言って、私を励ましてくれたのだ。
彼はもうやり直せないのだろうか。
「どうやらわたしは恨みを買いすぎたみたい」
ヴァシリーサはぽつりと言った。
「何もかも限界だったのでしょうね。我が城を攻め行く死霊たちを眺めていて、思い知らされた。皆、皆、わたしに死を願っている。仲間を増やしたいからではない。罪を償わせるため、恨みを晴らすため、復讐のため、わたしに惨めな死に方をして欲しいみたい。そして、その切実な願いを叶えてくれる人物に付き従っていた。彼は死霊ではないけれど、死霊の縁者として、家族を奪われた者の一人として、手に入れた異常な力に心身を蝕まれながら、魔女の私に真っ向勝負を挑んできた」
そう語るヴァシリーサには生気が感じられない。幻影とは言え、先程までは生き生きとしていたのに。
私とアマリリスが近寄ろうとすると、ヴァシリーサは再び姿を変え、もう一度、本来の姿を私たちに見せてきた。少女のまま時を止めたその顔で、恐ろしい魔女とは思えない微笑みを浮かべる。だが、その笑みもまた、生気がなかった。
「ヴァシリーサ……あなた……」
アマリリスが声をかけると、ヴァシリーサは頷いた。
「ええ、わたしの戦いは終わっちゃった。いいえ、今、終わっているところ。思っていた通り、彼らはそう簡単に許してはくれないみたい。安らかな死なんて端から期待してなかったわ。でも、やっぱり、苦しい……」
「場所は何処だ。今行けばまだ──」
私の問いにヴァシリーサはある扉を指を差した。だが、同時に首を振った。
「お願い。まだ行かないで」
彼女は静かにそう言った。
「囚われたあの肉体が完全に死ぬまでに、もう少し時間がかかりそう。でも、助かる見込みはない。わたしはもう助からないの。だから、どうか見ないで欲しい。惨めな最期は見られたくない。苦痛のあまり、恥も誇りも捨てて命乞いをしてまで泣き叫ぶわたしの姿なんて見ないで。もう少しだけ待って欲しいの」
ヴァシリーサの言葉に、私は口を閉ざした。
紛れもなく最期の望みなのだと理解すると、それ以上、何も言えなくなってしまった。
「見つかったらもう終わり。分かっていたわ」
ヴァシリーサは言った。
「でもやっぱり死にたくなかった。もう少しだけ生きていたかった。それでも、少しだけ安心しているの。わたしが死んでも、リリウムの遣わしたお前達がいる。お前達がきっと、新しい悪魔の誕生を阻止してくれる。だから……だからその前に──この部屋に潜む死霊なんかに負けないで」
そう言ったかと思うと、ヴァシリーサはすぐさま蝶の姿となり、部屋に敷き詰められた大量の人形たちの中の一体に向かって飛び掛かった。
あの蝶は、肉体から離れた幻に過ぎない。それでも何千年も生き続けた魔女だ。多少の力は持っているのだろう。蝶が近づいた途端、人形に紛れ込んでいた彼女は、ヴァシリーサに接近されることよりも、私たちに見つかる事を選んだ。
その姿がはっきりと見えた瞬間、アマリリスの表情が変わった。
「桃花!」
その名を呼ぶと、桃花は目を光らせてこちらを見つめてきた。
調の姿のヴァシリーサを虫の魔術で弾いてしまうと、そのまま距離を取って私たちを睨みつけてきた。ヴァシリーサは深追いするのを諦めて、私たちのもとへと戻ってきた。
そして、静かな声で言った。
「今のわたしにはもう大した助力は出来ない。あいつを引きずり出したので精一杯。あとはお前達に任せるわ。どうかわたしが生きているうちに、お前達の力を見せて……」
どこか弱々しいのは気のせいではないだろう。
時間はないし、この約束は守れるかどうか分からない。
しかし、だからと言って戦わないという選択肢は何処にもない。
桃花を睨みつけ、私は隣に立つアマリリスに言った。
「行こう」
それが合図となった。




