8.霧の古城へ
翌日、私たちは霧の城へと向かうために旅立つこととなった。
パピヨンと付き添いのアラーニャ達は留まり、リリウムの迎えが来るまで待つことになった。心配せずとも彼らはニューラを庇ってくれると約束してくれた。たとえ異教徒に冷たいものが使わされたとしても、ニューラ達が不利になることだけは防いでみせると。
代わりに私たちに同行しているのは、戦闘経験の浅い羽化したての翅人たちだという。彼らは恐らく表に出てこない。その目に焼き付けたことをありのままに記憶し、ありのままに本部に伝えるだけの者達だ。
つまり、この戦いは本当に、私とアマリリスだけに託されているということになる。遠い西の地の果てで行われている戦争は二日や三日では終わらない。援軍が来るまで待っていれば、取り返しのつかない事になるかもしれない。ならば、待たずに行くしかない。
霧の城まではヒステリアが向かってくれる。
彼女の足ならば、すぐにたどり着けるだろう。
「気を付けるんだよ」
眠たい目をこすりながら、ニューラは言った。
「すべてが終わったらまたおいで。その無事を私にも教えておくれ。その時はもう少しマシなもてなしをしてやるよ」
「ありがとう。ニューラもどうか無事で」
アマリリスが答えると、ニューラはにこりと笑った。
そして、私に顔を向けると、猫のように目を細めて彼女は言った。
「アマリリスのことを頼んだよ、カリス」
わざとらしく私の名を呼ぶ彼女に、私もまた苦笑しながら頷いた。
二人でヒステリアにまたがると、私たちはさっそくニューラから詳しく聞いたヴァシリーサの居場所を目指して走り出した。
道中、私はニューラから聞かされた霧の城の城主ヴァシリーサについての情報を思い出していた。
ヴァシリーサとは、ニューラと親交のあるフリューゲルやチューチェロやの村の人々が呼んでいる名前だとそうだ。フリューゲル。その地名を思い出すと、心に靄がかかった。ヴァシリーサのことを最初に聞いたのは、いつだっただろう。誰が話したかは忘れることなどできそうにない。あの頃は、こんな未来を歩んでいるなんて思いもしなかった。
しかし、行かなければ。
ローザ国の村人たちを恐れさせている魔女のもとに、奴らは向かっているはずだから。
ヴァシリーサの話に戻ろう。
彼女はニューラの言っていた通り、何千年も生きている魔女だ。今でこそ魔女だが、かつてはイリスに暮らしており、その頃には女神と称されていた時代もあったらしい。
その頃の名はキュベレー。だが、困ったことに彼女は女神ではなく魔女であり、その奇跡の力には対価が必要だった。対価は子どもだった。彼女の気に入る少年や少女が犠牲となり、あらゆる奇跡がもたらされたという。
キュベレーは容赦なかった。気に入った子をとにかく手に入れないと気が済まない性分で、誰からの庇護も受けていない孤児が選ばれることもあれば、王子や王女といった身分ある子どもが選ばれることもあったという。
誰かが愛する我が子を無理やり奪われることが続くと、いくら奇跡のためであろうとも人々の心には恨みが募っていく。そうした負の感情が何百年と積み重なった結果、とうとうキュベレーは人々の信仰を失ってしまった。
神でなくなったキュベレーは、その名前すら奪われた。
その名とその神性は、無害な像や目に見えぬ存在に引き継がれ、実際にそこにいる魔女は偽物の女神としてその座を引きずり降ろされたのだ。立ち上がったイリスの人々に、キュベレーもまた応戦した。人間たちが奇跡と恐れる力で罰を与えようとしたのだ。
しかし、キュベレーへの反乱には別の魔女が絡んでいたという。それもまた〈赤い花〉であり、リリウムの聖女たちの先祖だったと言われているが、真相は分からない。
ともあれ、キュベレーだった魔女は名前を奪われ、北へ北へと追いやられた。放浪しながら各地で子どもを攫い続け、やがて古城を乗っ取り、そこを根城にした。地元の者たちからヴァシリーサと呼ばれるようになった後は、子どもを好きなだけ攫って魔力の糧としていった。そういう時を生き続け、彼女は強大な力を持つようになっていった。彼女の暮らす城は魔法の霧に包まれ、魔女狩りから逃れる形で何千年もの時を過ごすこととなったのだ。
どれだけ生きていようとも、死ぬのは怖いのだろう。
ゲネシスたちが霧の城へ向かって随分と経つが、いまだにヴァシリーサの気配は途絶えていないと言う。
期待するならば、ヴァシリーサがその何千年と生きた知恵と魔力でゲネシスたちの野望を阻むことだが、あまり現実的とは思えない。
もしも彼女の元に彼らが到達することがあれば、きっと目的は達成されて、状況はもっと悪くなるのだろう。
ならば、やはり急がないと。
フリューゲルとチューチェロの境に広がる美しい森を、ヒステリアは駆けていく。アマリリスを包み込む形でその背にしがみつき、風を感じながら私は匂いに意識を向けた。
ヒステリアは分かっているだろうか。これから向かう先で、私たちは彼女の愛しただろう元主人を殺さねばならない。ただの馬にその意味が理解できるのかは分からないが、もしも知ることがあればヒステリアは私たちを恨むのだろうか。
それとも、分かってくれるだろうか。
ヒステリアを走らせ続けていると、小高い丘に出た。ヒステリアの足を一度止めて。木々に囲まれながら果てを見やると、その向こう側に奇妙な景色が目に映った。
「あれは」
同じく目にしたアマリリスが赤い外套の下で小さく呟いた。
「魔術ね。選んだ人にしか見えないはずのもの」
「つまり、私たちに見えるということは……」
「呼ばれているということかも」
アマリリスの声に、私は再びヒステリアを走らせた。
それは、城にも塔にも見えた。ニューラは古城だと言っていたし、ゲネシスは塔だとも言っていた。どちらにしても高い建物で、あるのかないのか分からないと言われていることが頷けるほど現実味に欠けている。霧に包まれているというのも間違いないが、霧が欠け、その向こうの建物が確かに見えていた。
お陰で場所はよく分かった。
これが限られた者にしか見えず、なおかつ呼ばれているのであれば、状況が悪いということなのではないか。
嫌な予感がする中で、私はヒステリアを走らせ続けた。
そして、いつの間にか辺りが霧に包まれ始め、晴れたかと思うと、その行く手に厳かな空気に包まれる立派な古城の姿が現れた。
あれこそがヴァシリーサのいる場所。
そして、大罪人の処刑場となるはずの場所だ。




