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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
3章 エリーゼ

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3.罪悪感

 ルーナとニフテリザに連れられて宿に戻った後で、私は人狼の被害について聞かされた。

 カリスがやったのか、生前のエリーゼがやったのか、はたまたジュルネに住む別の人狼がやったのか、それは分からない。

 ただ、エリーゼを殺したことはいつの間にか同じ宿に住む別の魔族たちにも知られていた。ここに居るのは魔族ばかりだ。だからだろう、誰もが私を咎めたりはしなかった。ただ、人狼の毛皮を剥ぎ取らないことに疑問を抱き、時折投げかけてきたくらいだ。


 毛皮を剥ぎ取れれば剥ぎ取るだろう。だが、今まで食べてきた人狼のうち、毛皮を手に入れたことがあるものはごく少数だ。なぜなら、通常の場合、食べた人狼に剥ぎ取れるほど毛皮が残らなくなってしまうからだ。それに、私が望むのは彼らの魂の味だけ。手に入れたばかりの時は、後味も長く残るので、どうしても気が散る。そんな中で、落ち着いて毛皮を剥ぎ取れるはずもなかった。


 そういえば、エリーゼも綺麗な毛皮をしていた。


 追いかけ続けているカリスこそ毛皮を剥ぎ取るつもりだが、よっぽど意識していなければ、今回までのように剥ぎ取るという発想に至らない。カリスをいただく際には気を付けなければ。

 ルーナとニフテリザの寛ぐ部屋の中で、私はぼんやりとベッドの上に寝そべり、狩りのことを思い出していた。


 エリーゼ。


 彼女の魂はいま、私に消化されている最中なのかもしれない。私の体内で兄の魂と再会するのだろうか。はたまた、そんな現実など存在しないのだろうか。ともあれ、彼女はもう母国ラヴェンデルには戻れない。だからみんなが止めたのに、哀れなものだ。


 お陰でこうして自分を抱きしめていても、まるでエリーゼを抱きしめているようだ。これだから狼狩りはやめられない。これだから、魔女の暮らしは飽きがこない。


 カリスを手に入れたときは、どのくらいこの感覚を味わえるのだろうか。はしたないことだが、想像しただけで涎がでそうだ。一人恍惚とする私を、ニフテリザもルーナも邪魔をしてこない。そうしているうちに、幸福は静かに去っていった。


 冷静さが戻ってくるまでが、夢うつつでいられる時間。快楽が静まれば、残るのは空しさばかりだった。私はどうしてあんなにも興奮していたのだろう。カリスが私に向けた視線を思い出し、嫌になる。今まで殺してきた人狼たちが本当はどういう人物たちだったのか、考えてしまいそうになる。こうなると、生きているのが空しくなってしまうのだ。

 ただ、前よりはずっとましだった。桃花タオファを失い、ルーナと出会うまでの間は、塵の世界から美しさを抜いたような退屈な時を生き続けていた。死にたくないから仕方なく生きているだけだった。


 生きることもまた拷問に過ぎないのだろうか。そう思いそうになる私を癒してくれるのがルーナであり、紛らわせてくれるのがニフテリザだった。

 ルーナはまだましだが、ニフテリザはただの人間――それも、町娘あがりだ。身を守る術も乏しく、魔法も使えない。護身のためにと与えた短剣の扱いもあまりいいとはいえず、宿という比較的安全な場所がなければ安心できない仲間である。

 それでも、いないよりはいくらかましだった。それに、ルーナの教育にとってもいい。最近では、ルーナの面倒はほぼニフテリザに任せてしまっていた。教育の仕方も、扱い方も、私などよりずっと上手だった。


 ニフテリザは純粋な人間だ。こういう人間がいることは知っている。ただ、このご時世において珍しい人種だと思う。生き残るのに向いていないお人好しだ。だからこそ、吸血鬼の聖戦士エスカに目を付けられたのだろう。騙し、捕らえるのに最適な人間。エスカが彼女に抱いていた感情はきっと一般的な生き物が抱く雌雄の絆ではなかったと考えられる。利用価値のある家畜としか思われていなかったはずだ。それをニフテリザが理解しているかは分からない。ただ、ニフテリザがエスカについての恨みを口にすることはなかった。そこがルーナに少し似ている気がする。


 私には責任がある。ニフテリザを安全な世界に返す責任だ。

 それが、アリエーテで救いの手を伸ばした者の責任だ。可愛いルーナの頼みを無視できなかったせいでもあるだろう。主従の魔術の副作用が本当の感情であると言えるのか。疑問に思うことはあるが、だからといって無視することなど出来ない。抗う気にすらなれない。ニフテリザをぞんざいに扱えばルーナが悲しむ。私はルーナを悲しませたくない。そんな理由で始まった縁も、時間を重ねれば変化していくものだ。今や、私自身にとってもニフテリザは確かに友人と言える存在となっていた。


 人間と友人になれる日が来るなど考えられただろうか。私が〈赤い花〉を宿していると分かれば、すぐに売ろうとするのが人間だと思っていたこともあった。母は人間の社会によって奪われたし、私だってニューラに引き取られなければ速やかに殺されていたか、世の中に存在する〈金の卵〉のような身分になっていただろう。実際に母を奪っていったのが人間のふりをした魔物だったとしても、人間の社会がそうさせたのだという考えは変わらない。魔女や魔人から〈赤い花〉を抜き取り、売り捌くという風習が廃れない限り、〈赤い花〉を宿して生まれる者の世界は暗いままだ。

 だが、それでも世の中にはニフテリザのような人間もいる。私が〈赤い花〉であると分かっていながら、何処にも密告せず、売ろうともしない。むしろ、弱い立場にいながら守ろうとしてくれるほど思いやってくれる。こんな人間もいるのだ。いや、こんな人間の方が実は多いのかもしれない。そう思うと、ようやくこの世界を前向きに見つめることが出来る。


 欲を満たした後味をぼんやりと感じながら、私は思った。

 人狼は人間を食らう。カリスだって同じだ。仲間の死をあのように悲しんでいたが、あの時の私のように彼女も人間を殺す。ここに来るまでに、ニフテリザかルーナを狙って接近してきたこともあった。もしも守ってやれなければ、カリスはためらわずに二人を殺すかもしれない。


 そう、罪悪感など抱いている場合じゃない。


 私は静かに自分の心を慰めた。

 仮にこの私が悪というならば、世の中の大半は悪になるだろう。そうだ。誰しも立場は違うのだ。人間にとって人狼は悪であるし、人狼にとって狼狩りの魔女は悪である。私にとって〈赤い花〉を競りに出す人間どもが悪であるのと変わらない。それぞれに主張すべき正統性とやらが存在するのだろう。


 私は私の立場で生きればいい。

 ニフテリザとルーナを守るためにも、自分の性を堂々と満たし続ければいいのだ。


 分かりやすい正当化の理由を見つけた。

 そう思ったのだが、手を伸ばせば、死の間際のエリーゼの表情が脳裏に浮かんでしまう。


 攻撃手段として蜘蛛の糸の魔術を特に訓練した理由は、捕食対象に必要以上の苦痛を与えるなと養母ニューラに言われたからだ。ニューラは魔女の立場で精霊や先祖の教えを守り、愛を説く人物だった。そんな彼女に赤子の頃から育てられたせいか、桃花もまた純粋で真っすぐな性格をしていた。


 それなのに、私はどうだろう。エリーゼを手に入れるあの時、私は確かに思っていた。もっと苦痛を与えたい。もっと生かして楽しみたい。ぎりぎりまで追い詰めて、もがく様子をみたい。そうして心身の隅々まで私の存在を確認させてから、命をいただきたい。これは、捕食する人狼を前にいつも感じるケダモノの心だ。自覚するたびに、納得しようとして、いつも失敗する。

 だから、私は人狼を狩るたびに、何度も何度もため息を吐くのだ。初めはうっとりとした恍惚のため息。しかし、後になればなるほど、それは自分への失望のものとなる。今の私は自分にがっかりしていた。


 ため息といっても含まれる心が違うものだから、聞いているものにもその違いが伝わるのだろう。気づけば、さっきまでニフテリザと二人で何やら会話をしていたルーナがひとり近くまで来ていて、心配そうに私を見つめていた。


「どうしたの、ルーナ」


 声をかければ、ルーナはおずおずとした様子で私を見つめ、呟いた。


「あのね、元気なさそうだから」

「大丈夫。ちょっと疲れただけよ」

「わたしに何かできること、ある?」


 首をかしげながら問いかけるその姿は、分かりやすい愛らしさを宿した子猫のものではないが、十分だった。ああ、やはりこの子を手に入れたのは正解だった。

 当初の目的とだいぶ逸れてしまったが、心の癒しというものはこんなにも大事なのだと何度も教えられる。

 ルーナに対し、私は自然と笑うことが出来た。


「あなたが楽しく過ごしてくれれば私はそれでいいの」


 癒されると何だか眠くなってきた。目を閉じて、私はそっと彼女に言った。


「向こうでニフテリザとお話ししていなさい。私はちょっと眠る」

「分かった。おやすみなさい、アマリリス」

「お休み、ルーナ」


 足音が遠ざかるのを感じながら、私は再び自分の身体に宿ったエリーゼの魂の味を確かめた。こうして一つの独立した命を支配し、心と肉体を辱めるような化け物は私の他にもたくさんいる。人狼だってその類のものであるし、ルーナやニフテリザ、時には私を狙って襲い掛かってくる魔物や魔族の中にだっている。

 エリーゼは敗北した。私に敗北し、その尊厳は粉々に砕け散った。カリスがどんなに怒ろうとも、私はエリーゼに謝罪してはいけない。謝罪ではなく感謝しなくてはならない。糧となったものへの哀れみと感謝だ。そういうものだ。そういうものでいいはずなのだ。これが大地の掟なのだから。


 何度も何度も言い聞かせ、少しずつ動揺は収まっていく。


 エリーゼ。これからしばらくは故人の名が私の心を支える柱となるだろう。その次は一体誰だろう。カリスがこうなるまでに、どのくらいの時間が経つだろう。そして、こんな日々はいつまで続くのだろう。

 そればかりはどんなに考えても分からなかった。

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