7.養母との約束
桃花の気配が遠ざかると、被害状況の確認に追われた。
家の中で荒らされたり、壊されたりしたようなものはないか。変わっているところはないか。隠れながら療養していたパピヨンたちは無事だったか。あらゆる事を確認し終えると、ニューラは家全体に結界の魔術をかけた。魔女でない私には詳しい所は分からないが、〈黒鳥姫〉が得意とする鳥の魔術の一つらしい。黒い羽根が家を覆うと光を拒む暗闇に包まれる。無駄な争いからは遠ざけられ、神出鬼没の者たちも近づけやしない。この魔術は単純に見つからないだけではなく、牽制にもなるという。
では、桃花を遠ざけられるのかといえば、そうでもないらしい。一度、ニューラと顔を合わせた以上、いつまた彼女がやって来るか分からない。今度こそ、ニューラとルサルカを葬り去ろうとやって来ないとも言えないのだと。
「その時は私がやるよ」
ニューラは言った。
共に机を囲むアマリリスを見つめ、目を細める。
「これでも一時はあの子の母親だったんだ。産んだのは確かに私ではないし、見ての通り遠い異国の蘭花の民の血を引く子だけれどね。あの子には面影があるんだよ。花売りがある日突然連れ去っていった、私の養母のアンジャベルにね……」
その言葉にアマリリスが俯く。
悔いているのだろうか。若き日の愚行を。桃花が死に、その魂が死霊のものとなったのが、自分のせいだとでも思っているのだろうか。
「ニューラ……私は……」
呟くアマリリスに、ニューラは咎めるように言った。
「それ以上、言う事はないよ。可愛いお前の心はすぐに読める。若き花に逃げられたのは他ならぬ私の落ち度だ。今はもう過ぎた事。これもあの子の運命だったのだろう。アンジャベルがその運命から逃れられなかったように、ね」
しかし、アマリリスは首を振った。
「いいえ、言わせて。けじめをつけたいの。桃花を失ったあの日からずっと、私の心は罪悪感でいっぱいだった。聞いてくれるだけでいい。許してくれなくていい。だから、どうかお願い。言葉で言いたいの」
温かな色の目でアマリリスはニューラを見つめる。
その目の輝きを無視することなど、ニューラには出来ないのだろう。深く息を吐くと、ニューラは渋々頷いた。
「分かったよ。好きにしなさい」
ニューラの許可が下りると、アマリリスは深呼吸をして頷いた。
そして、彼女は言った。
これまで抱えてきた全てを地面に降ろすように、丁寧に振り返る。桃花と共に外に出た後のこと、桃花が死んだ後の事。どれだけニューラに怒られるのが怖かったのか。保身のためだけに帰る事が出来なかった自分の本心を恐れずに語った。
ニューラは静かに聞いていた。言わなくていいと言ったのは、わざわざ聞きたくなかったからだったのかもしれない。それでも、彼女はアマリリスに付き合っていた。その態度は突き放すようでいて、実は十分なほどに寄り添っている。
アマリリスを引き取ったその目的は魔女の性を満たすためだった。それは嘘ではないだろう。しかし、どれだけ自分の事を卑下していていも、彼女はやはりアマリリスの養母に違いなかったのだろう。
「ごめんなさい、ニューラ」
最後にアマリリスは言った。
「あなたの愛情を裏切って、大切な花を奪われてしまったこと。取り返しのつかないことをしておいて、怒られ責められることを恐れて帰る事が出来なかったこと、全てを詫びます。どんな償いも、受けたいところだけれど、今は生憎、私には役目があります。その役目を果たしたら、もう一度ここへ償いに来ます。許してほしいとは言いません。でも、どうか、償わせてください」
頭を下げるアマリリスを、私もまた静かに見守っていた。
どんな償いも、と彼女が言う以上、私はそれを止めるつもりもない。ここで私が駄目だと言えば、意に沿わずとも従うのかもしれないけれど、そうするつもりにもなれなかった。
養母はどう返事するだろう。気にしていないとは言っていたけれど、人の本心なんて分からないものだ。特にこういう類の人物は、その心を固く閉ざすものなのだ。
ニューラは、流し目でアマリリスを見つめたかと思うと、恨めしそうに息を吐いた。
「自分だけ聖女になりやがって」
突き放すようにそう言ったかと思うと、彼女は立ち上がり、アマリリスを見下ろした。
「どんな償いも、と言ったね。もう一度、ここへ来ると。ああ、来てもらいたいところだね。今度こそ、あんたの蜜を吸わせて貰おうか。その狼にしか許したくないだろう身体を好きなだけ寄越してもらったっていいくらいだ。それでもいいのかい?」
アマリリスは狼狽えた。
困っているらしい。ちらりと私の顔を振り返る。だが、私は何も言わなかった。正直言えば、許せないし耐えられないだろう。しかし、アマリリスがそうしたいのなら、そうすればいい。怒りはするが、止めることは出来ない。それに、何だかんだ言ったとしても、アマリリスがたとえニューラに抱かれても、私にはもう彼女を嫌うことすら出来ない。
そんな複雑な感情のいったいどれだけを読み取ったかは分からない。アマリリスは再びニューラを見つめると、息を飲みながら俯いた。
「ニューラがそうしたいのなら……それで満足するのなら」
私の思った通り、彼女はそう言った。
ニューラはじっとアマリリスを見つめていた。恐らくマグノリアの地下で買い取って以来、ずっとニューラはその時を楽しみにしていたはずだ。ところがアマリリスは逃げ出して、戻ってきたかと思えば獲物であったはずの人狼なんかに抱かれている。腹立たしかったことだろう。
しかし、ニューラはしばらく睨んでいたかと思うと、最終的に呆れたようにため息を吐いたのだった。
「しょうがないね」
彼女は言った。
「償いは金にしておくよ。リリウムの連中が後ろにいるんだ。あちらが困らず、こちらが助かるくらいは用意できるだろう」
「ニューラ……」
驚いてアマリリスが顔をあげると、ニューラは目を細めた。
「そんなにホッとされちゃ、ますます欲は満たせない。それにね、私にはルサルカがいる。ああ見えて、あの女は嫉妬深いんだ。もちろん、嫉妬深さじゃ私も負けないがね。私が外で別の花を食べたとなれば、まず間違いなく不貞腐れるだろう。そうなったら面倒くさいんだよ。魔術で私の楽しみを妨害してくるからね。だから、残念だが、許しが出てもお前を食べることは出来ないってわけだ」
そう言って、ニューラは揶揄うように笑った。
その笑みを見て、私は思った。ルサルカがたとえ嫉妬深くなかったとしても、彼女はひょっとしたらアマリリスには手を出さなかったのかもしれない、と。
私の願望でしかないかもしれないが、そう思わせるほどの妙な爽やかさがニューラの笑みにはあった。
感極まったアマリリスが言葉に詰まっていると、ニューラは落ち着いた声で言った。
「何はともあれ無事を祈っているよ。償いとか気にせずに、またその元気な顔を見せておくれ」
その言葉にアマリリスは強く頷いた。
「分かった。約束するわ」




