2.赤い花を愛でる魔女
ニューラが魔女として目覚めた際、傍にいたのは〈赤い花〉の魔女だったという。
彼女の名前はアンジャベル。
出会った時からニューラよりもずっと長く生きていたが、その見た目は妙齢のまま。恵まれた容姿を武器に生きていた彼女は、たまたま見かけた奴隷商人の売り物だったニューラを気に入り買い取った。
その商人はニューラの本当の価値に気づかないままだったが、アンジャベルはひと目でそのニオイに気づいた。そこでニューラを引き取るとすぐに魔女としての教育を始めたらしい。しかし、アンジャベルの真の目的は慈愛などではなく、実に魔女らしいものだった。アンジャベルの魔女の性こそが、同じ魔女の心臓を持つ者の生き血を啜ることだったのだ。
養ってもらう対価として、ニューラはその日のうちにアンジャベルにナイフで脅され血を捧げる羽目になった。それ以来、ニューラにとって激しい毎日が始まった。
血に飢えたアンジャベルは凶暴だった。ニューラが痛みに怯えて逃げ出そうとすれば、狩りをするようにそれを捕らえ、無理やり血を奪った。そんな壮絶な日々のなかでニューラは成長していき、やがて魔女として目覚める時が来た。
アンジャベルの魔女としての教育は完璧で、ニューラもその頃には〈黒鳥姫〉が得意とするあらゆる魔術を身に着けていた。そのために、自分が何を求めているかを察すると、さっそくこれまでは庇護者であり絶対的捕食者であったアンジャベルに対し、逆に襲い掛かったのだ。
勿論、アンジャベルは抵抗した。
けれど、戦ううちにニューラの事情を察すると、あっさりと身体を許したのだという。
アンジャベルが生きるため以上の贅沢な暮らしを支える資金を集めるのに使ったのは恵まれた容姿と身体だった。今更、相手を選ぶこともない。
それに、生き血は若い方がいい。魔女の性を満たしてやれば、ずっと若い魔女の血を楽しむことが出来る。美味しい血を飲むためにアンジャベルはニューラを可愛がり、ニューラもまた美味しい思いをするために痛みを我慢して血を捧げた。
そんな関係が何年も続いたある日、全く求めていなかった変化は起きてしまった。
アンジャベルの正体が、最も知られてはいけない者達に知られてしまったのだ。
花売りだ。
アンジャベルは決して弱い魔女ではなかった。けれど、花売りたちはそんな魔女たちを集団で狩る術に長けていた。
目を付けられた時点で、味方が殆どいないアンジャベルには不利だったのだ。
「誘拐されたと分かった時、私はすぐに助けに行った。風の噂で突き止めた誘拐犯の翅人男のところへね」
ニューラは言った。
「けれど、遅かった。誘拐犯はすぐにまとまった金が欲しかったらしい。アンジャベルは〈赤い花〉の女を欲しがる別の翅人に売られ行方知れず。何処に行ったかはてんで分からないってね。それを聞いて私は腹が立ってね、すぐにその男を殺してしまった。そして、彼の血族のもとにも殴り込みに行った」
そして、ニューラはその時に初めて知る事になった。
翅人の花売りたちが〈赤い花〉の女を攫い、増やしていることを。そして、マグノリアの地下街で売買されていることを。
いなくなったアンジャベルを探す旅をするにしろ、きっぱりと諦めるにしろ、ニューラには明日のご飯を確保する必要があったのだ。
「殴り込みに行った先では、ちょうど一人だけ子を孕まされた〈赤い花〉の魔女がいた。不意打ちを受けた翅人たちは面白いくらい弱くてね。不意打ちで人を攫うことに長けていても、自分たちが不意打ちを食らうのには慣れていない連中ばかりだった。だから、簡単にその〈赤い花〉を奪って逃げることが出来たんだ」
けれど、この魔女はあまり長く生きられなかった。
ニューラのものとなったこの家で出産後、産後の肥立ちが悪くて衰弱死してしまったのだ。生まれた赤子は狙い通りの〈赤い花〉の男児だったが、赤ん坊では飢えを満たせない。その上、大人になる前に生みの母の後を追う形となってしまった。
だから、ニューラは襲撃を続けた。
「随分長く食えなくなっていたから狂っていたんだろうね。襲撃は楽しくて、殺戮も楽しくて、救い出した〈赤い花〉たちさえも脅して服従させて連れ帰ったものだった。アネモネもその過程で救い出したのさ。食う前に母子共々逃げられてしまったけれどね」
その後も、ニューラは〈赤い花〉を集めた。時にヴァシリーサに奪われることもあったが、飢えることなく今に至る。
「けれど、せっかくの花を守り通すことは大変だ。どこかの時点で死んでしまったり、ヴァシリーサに誘拐されてしまったりした。また、アマリリスのように大金を叩いて手に入れたのに、うっかり逃がしてしまう事だってある」
ニューラは乾いた笑みを浮かべ、そしてその出会いを語った。
すでに桃花を手に入れていながらニューラがわざわざマグノリアへ向かったのは、アネモネがそちらに流れているという噂を聞いたからだった。
その当時は〈赤い花〉の大人が手元におらず、すぐに食える人物が欲しかったニューラは今度こそアネモネを手に入れるべく旅立った。
しかし、たどり着いた彼女を待っていた現実は、アネモネが物の価値も分からない愚かな盗賊にあっさりと殺されてしまったという事だった。生きた状態ではなく、死んだ状態で売られることとなったと聞かされて、ニューラは嘆き悲しんだ。
だが、すぐにアネモネの忘れ形見であるアマリリスが競りに出されることを知り、飛んでいったという。
売りに出されたアマリリスはその当時から母親によく似ていたという。
競りに参加するのは〈赤い花〉を比喩ではなく本当に食おうとしているような者もおり、何としてでも勝ち取らなければという思いでニューラは大金をつぎ込んだ。
だが、やっとの思いで手に入れたアマリリスは、彼女にとって恩知らずな魔女だった。
「一人で逃げだすのも腹立たしいのに、よりによって桃花を誑かして連れ去ってしまうなんてね。すぐに捕まえようとしたけれど奴らはずる賢かった。やがては私も諦めて、新しい〈赤い花〉を探したのさ。でも、なかなか見つからなくてね。花売りたちもすっかり私を警戒して、隠れる術を身につけてしまった。〈赤い花〉の男で身売りをしている輩と取引したりしてね、どうにか飢えをしのいできた。そして、避妊薬の材料が底を尽きる前にやっと自分の花を手に入れたのが少し前の事だ」
それが、この家に今も囚われているらしい〈赤い花〉の魔女というわけだ。
どうやって、そして、どこで手に入れたのかは聞かないでおこう。
だが、私は気になってそっと訊ねた。
「アマリリスの事を恨んでいるか?」
すると、ニューラは妖しく目を細めた。
「腹立たしい娘なのは間違いない。帰ってきたと思えば私の目の前で見せつけるように他人のものになってしまったりしてね。でも、恨みやしないさ。不純な動機のもと金で買ったとはいえね、一時期は我が子のように大事にしていたんだ。彼女の性が人狼狩りという危険なものだと分かった時には生き延びるための術を必死に教えたものさ。その時の教えが脱走に使われたりはしたがね、教えた事を私は後悔しちゃいないよ」
この言葉に嘘はない。そんな匂いがした。
「そういうお前はどうなんだい、狼。可愛いアマリリスはただこの世で生きてきただけのお前の仲間たちを飽きるほど殺してきた。そんな彼女をお前は恨んだりしないのか」
じっと見つめられて、私は黙り込んだ。
アマリリスの過去と向き合うたびに脳裏に過ぎるのがルーカスの面影だ。
そして、その妹であるエリーゼ。
二人とも私の兄妹のようなものだった。
その二人をアマリリスは殺してしまった。魔女の性とはいえ、一時は心底憎んだのだ。それは事実だ。忘れることなど出来ない。
けれど、もう過去の事だ。
私は不安から逃れるように笑い飛ばし、ニューラに言った。
「そうだったかもしれないが……もう忘れてしまった」




