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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
6章 アネモネ

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4.ならず者の襲撃

 気が付けば、奴らは周囲にいた。

 コックローチだけならばどれだけ良かっただろう。そうではない。あからさまな敵意を向けてくる者たちが数名、コックローチの周囲に潜んでいたのだ。物陰ではない。影道を使って。

 そう、コックローチは人狼の集団を引き連れていた。リリウムの関係者とはとても思えない顔触れ。そのいくらかには見覚えのある者もいた。

 狼の姿をとる一人が私に向かって口を開いた。


「やあ、裏切り者じゃないか」

「裏切り者?」


 アマリリスが不安そうに訊ね返すと、彼は狼の姿のまま笑いながら言った。


「リリウム──強大な権力に魂を売る飼い犬のことだよ。美味い肉なんかに釣られて尻尾を振るなんて誇り高き狼としては考えられん。なあ、カリス」


 名前を忘れてはくれていないらしい。

 苛立ちを覚えつつ、私はアマリリスに囁いた。


「かつての同業者だよ。関わり合いにならない方がいい連中だ」


 小声だったがとんだ地獄耳のようで、人の姿をとる一人が笑った。

 ロウ。彼の名前は覚えている。何故なら、もう滅んだ狼の集落に共に暮らしていた者だからだ。私の視線に気づくと、ロウは改めてこちらを見つめた。


「久しいな。ルーカスが死に、エリーゼも死んだと聞かされて、お前もとっくに死んだと思っていたよ……」

「死にそびれたのさ。こんな私でもまだやるべき事が残っていたらしい」


 そう言うと、ロウの周囲にいた人狼たちが嘲るように笑った。


「一族の、家族の無念よりも同胞殺しの魔女を優先するとは堕ちたものだ。ここまで生き延びたその悪運は褒めてやってもいい。だが、ここまでだ。このゴキブリのため、金のため、お前には選んでもらう」

「選ぶ?」


 問い返すと、ロウは目を細めて頷いた。


「ああ、同郷のよしみというやつだ。お前がリリウムと縁を切るならば、再び仲間にしてやってもいい。だが、そうでないならば、その毛皮は剥がしてもらう。物好きが高値で買ってくれるだろうからね」

「そういう事か。ならば考えるまでもないさ」


 立ち上がり、私は剣を抜いた。正式に授かった聖剣は、魔女を切るためではなく聖女を守るためにある。たとえ元の持ち主がその立場を悪用するような者だったとしても、剣までが堕ちたわけではない。

 磨かれた剣の切っ先を向けると、コックローチは大きくため息をついた。


「言ったでしょう。このお方は聖女さまにぞっこんだ」

「そのようだな」


 ロウは呟くように言った。


「生け捕りにすれば何かと需要もあっただろうが、女人狼の手強さは同じ人狼の我々がよく知っている。残念だが黙らせる他ない。永遠に、ね」


 人狼の厄介さならば私だって何より分かっている。一人で多数の同胞を真正面から相手にするなど考えるだけでぞっとするくらいだ。けれど、やるしかない。相手が同郷の者であろうと関係ない。

 嫌な寒気がする中、私は剣を向けた。すると、アマリリスが音もなくそっと立ち上がり、私の隣に来た。じっと見つめる相手は、コックローチではなく彼の周りにいる人狼の盗賊たち全てだった。


「ねえ、あなた達」


 淡々と彼女は言った。指輪の嵌る手を向けて。


「私のこと、全く知らないわけじゃないのよね」


 尻尾が腹に巻き付くかのような殺気を感じた。かつて、私に向けられていた攻撃的な眼差しが、ロウたちを襲う。その睨みだけで並の人狼ならば一目散に逃げていくだろう。

 現にロウの連れの中には異様な気配を感じて怯えを見せる者もいた。

 人狼殺しの魔女アマリリス。その存在はもう長く姿を見せていない。だが、すっかり忘れてしまうには濃すぎる印象が今も残っているはず。若い人狼はともかくとして、ロウやその取り巻きがその恐怖を知らないはずはないのだ。


 だが、今のアマリリスはかつての彼女ではない。狂気が指輪で喪失した分、かつての彼女が持っていた魔女らしい凶暴性も、その圧倒的な気迫も、指輪の中に封じられてしまっているのかもしれない。

 いや、そもそも、アマリリスがかつてのアマリリスだったとしても、その見た目が若き娘であるせいか甘く見る者は多くいたのだ。ルーカスだって、エリーゼだって、名も殆ど覚えていないような同胞たちだって、疑いもなくアマリリスに挑み、そして散っていった。

 さて、目の前のこいつらはどう出るか。


「お気をつけなさい」


 コックローチが後ずさりをしながら周囲に忠告した。


「この魔女を甘く見てはいけません。さもないと命を食われてしまいますよ」


 ロウもまた警戒心を見せつつ、頷いた。


「ああ、舐めてかかったりはしないさ。忠実なる番犬も一緒となれば尚更ね。だから、こちらも考えがある」

「考え?」


 アマリリスが問い返した直後、すぐ傍で小さな声があがった。振り返るとそこにはパピヨンと見覚えのない吸血鬼らしき女が一人、揉み合っていた。身につけている衣服にリリウムの紋章はない。どうやら味方ではないらしい。少し遅れて私もアマリリスも事態を把握した。奇襲しようとしていた吸血鬼をパピヨンが身を挺して防いでくれたのだ。

 だが、完全にうまくいったわけではない事は明確だった。吸血鬼相手に翅人がまともに敵うはずがない。案の定、揉み合った末にパピヨンは取り押さえられてしまった。そしてその直後、彼女の背中にはナイフが突き立てられた。

 耳を劈くような悲鳴に一瞬だけ怯んでしまった。その悲鳴に残忍な笑みを浮かべ、吸血鬼の女はナイフを容赦なく抜いた。


「パピヨン……!」


 アマリリスが気を取られるその隙に、他の人狼たちが動き出す。


 ──まずい!


 私も遅れて動き、アマリリスを庇おうとした。だが、多勢に無勢だ。その上、焦りが焦りを生んだのか、いつものように動くことが出来なかった。

 逃げるべきだっただろうか。パピヨンを見捨ててでも。しかし、どうであれ、もう遅かった。人狼たちは真っ先に私を潰そうと襲い掛かってきた。それを避ける事も出来ず、払いのけることも出来ないまま、ロウの持っていた短刀が、私の身体へと真っすぐぶつかってきた。

 直後、凄まじい痛みが生じた。これまでにない苦痛だった。刃に何かが塗られていたのだろうか。いずれにせよ、何も分からないまま、両膝をつくことしか出来なかった。どうにか呼吸をしながら俯いていると、遠くからパピヨンの苦痛に満ちた声が聞こえてきた。


「やめて……彼女たちは──彼女たちは……」


 うまく言葉が繋げないらしい。必死の訴えだけが朦朧としてきた私の頭の中に響く。

 だが、悲痛の訴えが通じる相手なはずもない。

 ロウは私の髪を掴みながら笑っていた。


「生憎だが俺たちはリリウムではない。世界がどうなろうと関係ないさ。新しい世界で新しい生き方を探すだけのこと」


 薄っすらと目を開けて仰ぎ見るも、その顔すら目がかすんでよく見えない。

 ここで私が力尽きたなら、アマリリスはどうなってしまうのだろう。苦痛と死の恐怖よりもそちらが勝る中で、ロウが鋭い目を私の後ろへと向けた。


「おっと、動かないで貰おうか。もっとも、この雌犬がどうなってもいいっていうのならその限りではないが」

「……アマリリス」


 名を呼ぶも、返事は聞こえない。振り向くことすら出来ないままだ。出来ることといえば、意識を保ち続けること。それすらも、流れ出る血を止められない以上、時間の問題のようだった。

 私が動けない横で、コックローチが悠々と歩いていく。アマリリスのすぐ傍まで近づいていったのだろう。不快感がこみ上げてきたが、それすら止める力が私にはもうなかった。

 己の無力さに身体が震えていく。寒気がする。いや、寒いのは怒りと失望のせいだけだろうか。目がかすんでロウの顔すら殆ど見えなくなってからも、後ろから聞こえてくる声だけは耳に届いた。


「ようやくだ。ようやくだよ、アマリリス」


 コックローチの声だ。その声はやけに甘ったるいものだった。


「君はもう戦わなくていい。危険な世界にこれ以上いなくていいのだよ。私と一緒に帰ろう。安全な場所へ、君の誕生を共に祝った家族のもとへ。アネモネの分まで大事にするよ。約束だ。だから、アマリリス。警戒を解きなさい。カリスが苦しんでもいいのかい?」

「……来ないで」


 小さな声が聞こえてくる。

 怯えているのではないだろうか。守ってやらないと。この私が、昔のように。幼い頃のように助けてやらないと。

 使命感が暗闇の中で一瞬だけ煌いた気がした。けれど、閉じた目は開かない。立ち上がる力どころか、自分の身体を支えることすら辛くなってきた。薬のせいか、傷のせいか。このまま私はどうなってしまうのだろう。アマリリスはどうなってしまうのだろう。そんな不安だけが私の心を揺さぶってきた。

 だが、そんな時だった。


「誰だ!」


 コックローチの仲間の一人が突然唸ったかと思うと、直後、狼の悲鳴があがった。


「何だ、一体!」


 ロウが怒声をあげる中、次なる悲鳴があがる。


「魔術か?」


 コックローチの言葉の直後、私の髪がロウの手から解放された。地面に落とされ、しばらく怯んでいると、温もりが私の身体に触れてきた。どうにかこうにか目を開けてみれば、そこにはアマリリスがいた。混乱に紛れて駆け寄ってきたのだ。


「カリス……しっかりして」


 心配そうな彼女の眼差しに答えて手を伸ばすと、アマリリスはその手を掴んできた。


「──何があった?」


 私の問いに、アマリリスはそっと囁いてきた。


「乱入者よ。リリウムの援軍ではないけれど」

「じゃあ、一体誰が……」


 そこで腹部に激痛が走った。危機は脱しても、傷がすぐに治るわけじゃない。このまま血が止まらなかったら、そう思うと不安だった。そんな私の手を握り、アマリリスは身を寄せてきた。


「ああ、こんな時、癒しの魔術が満足に使えたら」

「──いいんだ。私は……平気だ」


 無理がある事は百も承知だった。それでも、私は強がった。アマリリスが悲しそうな顔をするのが嫌だった。いや、そもそもじっとしていられる状況ではない。戦わなくては。リリウムの援軍ではないのならば尚更だ。

 けれど、動こうとする私をアマリリスは止めてきた。


「カリス。動かないで……血が──」

「戦わないと」

「大丈夫よ。彼女なら……あの人なら平気だから」

「彼女?」


 妙に信頼しているアマリリスの声に、私はしばし痛みを忘れて顔をあげた。ロウが戦っているところが見えた。相手は誰だろう。姿を消しているのだろうか。鼻に頼ろうとも自分の血の臭いのせいでよく分からない。ただ、相手もまた人間ではないことは分かる。その後、渾身の一撃がロウを襲った時、私はようやくその正体を悟ることが出来た。


「魔女……か?」


 呟く私にアマリリスは頷いた。身体を支えられながらアマリリスの示す方向を見つめてみると、その姿が今度ははっきりと確認できた。

 見た目はいくつくらいだろう。そう年もいっていないが、若すぎるわけでもない。そんな妙齢の、素朴な格好をした女性が目を光らせていた。

 放たれる魔術はアマリリスが得意とする虫の魔術とは違う。羽毛のような黒い煙をまき散らしながら、あらゆる鳥の幻覚がロウたちを襲っていた。鋭い嘴はそれそのものが凶器となる。恐らく貫かれたのだろう男たちがすでに数名、血を流して倒れていた。


「あれは……〈黒鳥姫くろとりひめ〉か」


 記憶の片隅に眠っていたなけなしの知識が呼び覚まされる。〈白鳥姫しらとりひめ〉と並んで有名な魔女の品種だ。〈赤い花〉ほど珍しくはないが、多すぎるというわけでもない。それぞれ鳥にちなんだ魔術に長けているが、白と黒とで人々の印象はだいぶ違うものだ。その上、白鳥が癒しの魔術を得意とするのに比べ、黒鳥は身を守るための攻撃的な術に長けているとなれば尚更だ。

 だが、この場合はどうだろう。

 今の私たちにとって、彼女は死の天使であろうか。

 狼の姿をしたロウが狂ったように吠えながら飛び掛かっていく。仲間が倒れ、その血の臭いに焦ったのだろう。だが、その焦りがさらにロウの足を引っ張った。愚直にも真正面から飛び掛かり、案の定、鳥の魔術の犠牲となった。


「ボス!」


 既に傷ついていた人狼の一人が悲鳴をあげた。だが、時間は戻せない。即死は免れたがロウはもう戦えそうになかった。そんな有様を見て動揺しないはずもない。真っ先に判断したのはパピヨンを取り押さえていた吸血鬼の女だった。彼女が離れると、直後、アラーニャが姿を現し、動けないパピヨンを抱き寄せて消えていった。その様子を見届ける間もなく、人狼たちも一人また一人と逃げていった。金よりも命。そういうことなのだろう。


「貴様ら……」


 ロウの唸り声が聞こえたが、成す術もない。

 そんな中で〈黒鳥姫〉はロウを無視して歩みだした。向かった先は隅で震えていたコックローチのもとだった。


「さて、どうする?」


 短く訊ねられ、コックローチはその場で膝をついてしまった。


「お願いです。い、命だけは……」

「助けてやってもいいが条件がある」


 微笑みながら彼女は言った。


「は、はい、何でしょう。金ならいくらでも払います。それ以外の条件だって、私に出来ることならば何なりと……」


 見っとも無いまでに命乞いをするコックローチを見下ろし、彼女は言った。


「今後一切、アマリリスに関わるな」


 その言葉が辛うじて聞こえた直後、私の意識は視界と共にぷつりと途切れた。

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