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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
3章 エリーゼ

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2.ためらい

 塵の降り積もる中で現れた娘。程よく肉付きがあり、健康的なその輪郭は年相応の色気を宿している。

 だが、その表情には男たちが若い娘に期待するような柔らかさに欠け、今はただ厳しい表情が浮かんでいるだけだった。


「あなたがアマリリスね」


 発音の丁寧なアルカ語。だがラヴェンデルの地方の訛りが抜けていない。ラヴェンデルから来た世間知らずの人狼。彼女に違いない。


「会えてよかった。とても嬉しいわ。弟たちに家を任せてわざわざシトロニエまできた甲斐があったってものよ」


 雰囲気はルーカスに似ている。しかし、兄よりも純粋な心を持っているように見える。

 きっと、若いからだろう。どの種族の者だって、若ければ若いほど心が純粋な子どものようであるのは当然のこと。

 エリーゼはまだそんな年頃の女だった。だからこそ、仇討ちなどという無謀なことを考えたのだろう。


「私も会えて嬉しいわ」


 じっと見つめ、私はそう言った。

 本心だ。会えて嬉しい。だって、そろそろ限界なのだ。人狼を定期的に喰わねば私はおかしくなってしまう。気が狂った先に待っているのは死だ。

 今の私にとって、エリーゼの登場は大地の恵みにしか思えない。美味しそうにしか見えない。早く手に入れたかった。


「ルーカスの妹エリーゼ。名前はもう聞いている。来るなら来なさい。でも、来なくてもいいわ。どちらにせよ、あなたの気配は覚えてしまった」

「覚悟の上よ。それに、あたしは負けない」


 堂々とした態度でエリーゼは言った。その愛らしさに身が悶える。

 だが、どうにか落ち着きを保とう。カリスの気配は近づいていないか、私の邪魔をするものはいないか。常に探っておかねばなるまい。


「あたしだってあなたのことならカリスさんに聞いてきた。兄を殺してから此処に来るまで、あなたがどれだけの仲間を殺してきたかを聞いてきた。あなたは悪魔よ。笑いながら狼を殺す悪魔。あなたなんか存在してはいけない」


 憤慨している様子が愛らしい。


「あなたはどうなの、エリーゼ?」


 少し揶揄ってやった。


「人狼は人間を食べねば生きていけないのでしょう? あなたはどうなの? 笑いながら人間を追い詰めて食べたことなんてないってこの大地に誓えるの?」

「誓うわ」


 しかし、エリーゼはそうはっきりと言った。


「笑ったりはしない。ただ感謝するだけ。あたし達は獲物で遊ばない。敬意をもって人間を狩る。人間以外で代用できるときは、そちらを食べる。あなたとは違う。たくさんの仲間を遊んで殺したあなたとは絶対に違う!」

「あらあら」


 一歩踏み出すと、エリーゼの身体が震えた。息巻いてはいるが、怯えが垣間見える。やはり怖いのだ。私を怖がっているのだ。


「私だってあなた達の繁栄に感謝しているし、敬意をもって狩りをしているわ」


 さらに一歩踏み出せば、エリーゼはついに後退した。身構えつつも、飛び出す気はなさそうだ。

 ここまで覚悟してきたのだろうが、これだけは分かる。彼女は戦い慣れていない。本当にただ人間を狩り、食べて暮らしていただけのごく普通の雌狼だったのだろう。もとより捕食者の少ない生き物。自分が捕食対象になること自体に慣れていないし、分かっていない。

 しかし今、彼女は恐らく気づいたのだ。これは、思っていたよりもずっと危険なことだったのだと。だが、もう遅い。ここまで来て逃すなんてあり得ない。貴重な獲物の隅から隅までを存分に楽しむにはどうしたらいいか。楽しみのあまり、笑みが漏れた。


「エリーゼ」


 その目を見つめながら、私は手を伸ばした。蜘蛛の糸の魔術に彼女は気づけるだろうか。それとも、面白みもないほどあっさりと捕まってしまうのだろうか。すぐに切断してしまうのが良心的だろう。だが、久しぶりの御馳走だ。もっと楽しませてもらいたい。まずは《緊縛》で動けなくしてしまおうか。

 魔力を溜め、私はにこりと笑いかけた。


「おいで。お兄さんの仇をとりたいのなら」


 焦りと動揺が分かりやすいほど目に浮かんでいる。その反応を見るだけでも満足した。糸を手繰り寄せるように、私は指を動かした。


 ――蜘蛛の糸の魔術。


 しかし、発動前に、その声は響いた。


「エリーゼ、離れろ!」


 私の食事を邪魔しようという不届き者が現れたのだ。

 カリスだ。影道を通ったわけでもなく、塵に紛れていつの間にかすぐ近くまでやってきていた。

 そして、忌々しいことに、もうほぼ手に入っていたのも同然のエリーゼを、私の目の前からかっさらったのだ。腹立たしいことこの上ない。

 腹立たしく、そして好ましい姿。カリスは聖剣を片手に、エリーゼを守るように立ちはだかる。


「カリスさん? 逃げたのではなかったんですか?」


 エリーゼが驚いた様子でその背中にに訊ねる。

 その様子からは、自分がたった今助けられたことにすら気づいていなかった。きっと、邪魔をされた程度にしか思っていない。

 それでも、カリスは振り返るわけでもなくただ私だけを警戒していた。


「殺されると分かって放っておけるわけないだろう!」


 カリスは冷たくエリーゼに言った。


「ルーカスは敵討ちなど望んでいない。馬鹿な真似はやめて大人しく故郷に帰るんだ。それが賢い人狼の淑女だ」

「……いいえ、駄目です。出来ません。たとえ馬鹿だとしても帰れません。兄の敵を討たずにいるなんて、あたしの心が治まらないもの。兄を失ったと知ったあの日の両親の顔を思い出すと、この悪魔を放っておくことなんて出来ないんです」


 面と向かって怒りをぶつけられ、むしろ心地よかった。

 ルーカスを捕らえたことで、チャンスが連鎖した。エリーゼも捕らえれば、いつかは両親や弟たちとやらもついてくるかもしれない。

 これだから人狼狩りは愉しい。仲間意識の強い生き物が獲物であるのが嬉しくて、うっとりとしてしまう。


 ただ、カリスは厄介だ。聖剣を持つ者と持たない者。どちらを狙うか冷静に判断するべきだ。エリーゼを掠め取って逃げるか、カリスを先にいただくか。


「エリーゼ、気持ちは分かる。だが、いけない。怒りに身を任せたって身を滅ぼすだけだ。この女は人狼殺しの魔女。人狼ならば苦戦するような相手なんだ」

「……だとしても……だとしても!」


 困ったことに、カリスはあまり好戦的ではない。エリーゼを説得して私の前から逃げようというのか。そうはいかない。即死などしたくはないが、かといってここで二人とも逃してしまっては大変だ。

 冷静に助かろうとするカリスと、怒りに取りつかれて危険を顧みないエリーゼ。どちらがより簡単に手に入るか、私は静かに考えた。


「エリーゼ」


 その結果、カリスの存在など今は無視して、私はエリーゼだけを見つめた。


「お兄さんは勇敢だった。最後まで諦めることなく立ち向かってきた。あなたはどうなの? そんなお兄さんに守られるだけの妹だったの?」


 それが引き金となった。

 カリスの制止など聞かず、エリーゼは大きく叫んで狼の姿をさらした。

 ルーカス。世間的に見れば小悪党に過ぎなかったが、彼女にとってはよほど大事な兄だったのだろう。よほど悔しかったのだろう。よほど悲しかったのだろう。エリーゼはまっすぐ、私を八つ裂きにする気満々で飛びかかってきた。

 そんな彼女を見つめていると、頭の中でまた数字が浮かんできた。


 1、2、3、カリスの叫びが聞こえる。5、6、エリーゼが激しく吠えた。8、彼女の美しい体に向かって指を差し、力を溜める。


「や、やめろ……!」


 カリスの声が聞こえた。だが、もう遅い。確実に手に入れるためには、これしかない。11、12、溜めた力をそのまま解き放つ。


 ――蜘蛛の糸の魔術《切断》


「駄目だ、エリーゼ!」


 悲鳴はカリスのものだけだ。糸は確実に獲物の身体に当たった。

 衝撃が起こったあと、どさりと音を立てて巨体が地面に落ちる。黄金の毛並みの狼は、苦しそうに呻いている。少しずつ赤い水たまりは広がり、その中でもがく黄金の若い狼を見つめながら、私は問いかけた。


「痛い?」


 狼の姿をしたエリーゼは怯えた目を隠さずに私を見つめてきた。何処をどう負傷しているのかは分からない。ただ、立って逃げるのが困難らしい。言葉を忘れ、ただ私への怯えだけを見せる彼女を見て、カリスもまた動き出す。


 その前に、さっさと口を付けた。

 もっとゆっくり味わうつもりだった。そのための想像も巡らせたはずだった。しかし、いざ、傷つけてみれば堪らなかった。長く我慢した御馳走は、一度食べれば止まらない。口を付けてしまったエリーゼの命はあまりにも美味しくて、見えない蜘蛛の糸はさらに血を吸った。一瞬で楽にしてやるのが慈悲というものだろう。だが、そんな余裕もなく、終わらせるまでには数回、糸に血を吸わせなければならなかった。


 気づけば、エリーゼはもう動かくなっていた。あっという間だったのかもしれないが、私の感覚としてはゆっくりとしたものだった。

 沈黙に取り憑かれたエリーゼの亡骸を見つめていると、次第に心が沈んだ。興奮は醒め、闘志はもうわかない。だが、カリスは違う。


「ケダモノめ……」


 震える声が聞こえたかと思えば、地面に抑え込まれていた。

 仰向けになったまま、聖剣を突き付けられていることに気づいたのは、それから少し経ってからだ。エリーゼを手に入れた恍惚が邪魔をして、いまいち危険に鈍くなっている。そのせいだろうか、カリスのことを怖いと思えなかった。片手には銀色に輝く聖剣。斬られてしまえば即死するはずなのに、恐怖心が恍惚でかき消えてしまっている。

 いや、怖くない理由はそれだけではない。カリスの手に力がこもっていなかったのだ。彼女は泣いていた。


「ケダモノめ……ケダモノめ……よくも」

「ケダモノで結構よ。ケダモノだって必死なの。お腹が空いては生きていけないもの。あなたもそうやって人間を食べているのでしょう?」


 意味がないと分かっていてもそう返答すれば、カリスは泣きながら呟いた。


「早くこうすればよかった……。お前が誰に似ていようとも、躊躇う必要なんてなかったのに……ああ……エリーゼ……エリーゼをよくも……ルーカス、すまない……」


 親しい者の死が彼女を混乱させている。言葉は要領を得ず、だんだんと震えてきた。

 聖剣を持つ手は頼りなく、拘束もかなり緩い。私がその気になれば、今すぐにこの女の命もいただけるだろう。だが、勿体ない。エリーゼを食べたばかりの私にとって、今のカリスは邪魔なだけだ。

 カリスの気持ちなど、私には関係ない。腹立たしいが、殺すのは惜しい。どうするべきか。


「退いて」


 斬られる恐怖がないわけではない。ただ、カリスが斬らないと踏んでの態度だった。


「今はお腹いっぱいなの」


 睨み付けながらそう言えば、カリスはハッと我に返った。


 この状況でも圧倒的に不利というわけではない。聖剣への恐怖に惑わされなければ、落ち着いて魔術を使えるだろう。斬られるより先に、カリスを拘束してしまえばいい。ついでに聖剣を没収して教会にでも返還してしまえば、ここ最近の悩みの種も消える。カリスはまた屠畜を恐れる哀れな子羊に逆戻りだ。


 だが、私の当てはやや外れた。カリスは震えつつも私の喉元に剣の刃先を当ててきたのだ。怯えている。怖いのだ。私の存在が、というよりも、人を殺すことに慣れていない。人狼の爪と牙の方が彼女には使いやすいのだろう。しかし、それにしても彼女の震え方は尋常でなかった。

 盗賊であるところから考えにくいことではあるが、ひょっとしたら、食べる以外の目的で人間を殺すことがあまりなかったのかもしれない。


 そういえば、この女はニフテリザのことも恐れていた。私が思っている以上に、繊細な心の持ち主なのだろうか。獲物とそうでないものの境を深く考えてしまうような、すぐに情が移ってしまうような、そういう個体なのだろうか。

 だとすれば、望ましいことこの上ない。

 結局、カリスはそれ以上、剣を喰い込ませてくることはなかった。

 切ろうと思えば切れるはずなのに、私の顔を見たまま怯えていたのだ。エリーゼの、ルーカスの無念を晴らせないのか。カリスは盗賊であり、人食いであるはずなのに、そして何より絶対的に有利な立場にあるはずなのに、ただの人間の女性のようにこの状況に怯えていた。


 似ている、と言っていたか。いったい何に似ているというのだろう。訳が分からないが、私はどうやら人間たちの信仰する神とやらに愛されているらしい。

 いつの間にか塵が降りやみ、カリスたち人狼の苦手とする太陽の光が射し込んできた。これで、ますます私に有利な状況となったわけが、はたしてこの美しく愚かな獲物はどうするつもりだろうか。


「アマリリス! どこに居るのー?」


 その時だった。更に状況を一変する変化が訪れた。塵の降りやんだジュルネの町で、愛しい我が僕ルーナの声が聞こえてきたのだ。あまりにも遅いから、迎えに来たのだろう。

 その声にカリスが気を取られた隙に、私はカリスの髪を掴んで引っ張った。怯えたカリスが暴れだし、剣を手放す。それを奪おうとするも、手を切らないかという恐怖心が邪魔をして、結局は奪えなかった。だが、カリスは先に聖剣を拾うと襲い掛かってくるわけではなく、私からすぐに離れた。


「どうやら……大地はお前に味方するらしい」


 震えた声で彼女は言った。


「不公平なものだな、アマリリス……」


 恐怖と怒りと悲しみで憔悴しているのだろうか。軽蔑や憎しみ、怒りといった眼差しは見慣れているが、このように茫然とした目はあまり見たことがない。

 心が虚ろとなったカリスの姿は美しかった。魂もきっといい味に仕上がってきたことだろう。

 カリスは影道に逃げていった。潤んだその目と目が合ったが、ほんの一瞬のことだった。

 カリスは逃げた。逃げるしかできなかったらしい。どんなに強い武器を持っていても、それを使う者の心が伴わなければ意味がない。恨みや悲しみよりも、生存への欲求が勝っているのだろう。そういう獲物を追い詰めるのも、また楽しいことだ。


 それにしても、カリスの躊躇いの理由は何だろう。

 似ている、と言っていたが何に似ていたのか。それが、躊躇いの理由なのだろうか。弱い仲間を守り切れず、親しい友の仇も取れないようなことになるほどの理由なのだろうか。

 何にせよ、有り難いことだ。


 彼女がいなくなると、エリーゼの残り香だけが私を包み込んだ。これで、しばらくは大丈夫。少しずつ心も落ち着いてきた。

 そうして、しばしの恍惚の後、手を繋ぐニフテリザとルーナの姿をようやく見つけたのだった。

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