2.見覚えのある村
翌朝、目的地を目指してひたすら北上していると、思いがけず廃村らしき場所にたどり着いた。
いつ頃から無人となってしまったのかは分からないが、建物や家財、そして放置されたままの村人らしき亡骸の様子から察するに、この場所から人の生気が失われたのはごく最近の事であるようだった。
戦に巻き込まれたのか、はたまた、賊に襲われたか。村のあちらこちらで人が死んでいる。
いや、ここはきちんと翅人と呼ぶべきだろう。もっとも姿は人と変わらないので、死臭に混じって辛うじて残っている翅人特有のニオイで分かる程度なのだが。
ざっと見たところ、老若男女問わず犠牲となったらしい。短剣が突き刺さったままの者もいれば、何が致命傷なのか分からないまでに朽ちてしまった亡骸もある。
相手が何者であれ、この村にとって招かれざる客であったのは間違いない。
そんな有様を前にヒステリアに跨ったまま絶句していると、風に混じってパピヨンの声が聞こえてきた。
「ここは翅人一族の集落だったようです。軽く探ってみたところ、一族総出であまり宜しくない仕事をしていた痕跡がありました。恐らくその商売を巡ってのいざこざでこうなってしまったのでしょう」
「一見すると普通の村だが──」
言いかけた私の前でアマリリスがぽつりと呟いた。
「家の地下に広い空間があるのよ。翅人の子供や卵が匿われるの。でも、それだけじゃない。ここは……ここには多分、花売りの一族が暮らしていたのよ」
「花売り……」
その言葉に警戒心が強まった。さっきまでは気にも留めなかった他の気配に対して一気に敏感になる。ここに花売りがいたというだけで、だ。だが、それだけでも重大なことだった。アマリリスを守らねばと強く感じている私にとっては。
そんな私に対して、アマリリスは小さく言った。
「もう魔女の気配はないみたい。滅んでずいぶん経っているのね」
「……そうか」
何故、滅んだのかは分からないままだ。
それでもなお、残党が傍にいないだろうかと不安になってしまう。
「〈赤い花〉の姿は確認できませんし、村人側の生存者もいないようです」
そう言ったのは姿を消したままのパピヨンだった。
「こうしたことは珍しくもありません。翅人たちの集落は頻繁に築かれ、頻繁に壊されるのです。どうにか生き残った母系集団が、安全な場所にたどり着いて、再びそこで繁栄する。その繰り返しでどうにか生き残っているのです。ここに居た者たちも、もう遠い何処かへと向かったのでしょう」
「じゃあ、この辺りは今、安全なのかしら」
アマリリスの問いに、恐らくもっともぎょっとしたのは私だった。パピヨンの方は冷静に返答をした。
「保証は出来ません。けれど、少なくとも今は安全です。安全ですが、建物の中に入る事は推奨しません。何処に繋がっているかも捉えきれませんから」
「そう。残念ね。身体を休めるのにちょうどいいかと思ったのだけれど」
淡々というアマリリスに呆れ、私は朽ちた建物へと視線を向けた。
木造の小屋は貧相な作りに見えてしまうが、それはここしばらくの生活で目が肥えてしまったからなのだろう。かつては私だってああいった家が当たり前の世界で暮らしていた。質素だが雨風は防げるくらい。そういった世界にいた。
聖女と関わってからは随分と変わったものだ。そんな事をつくづく感じていると、アマリリスはふと小さく呟いた。
「妙ね」
「どうした?」
思わず訊ねてみると、彼女は周囲を見渡して、そして首を振った。
「いいえ、きっと気のせいだわ」
「何が気のせいなんだ?」
やっぱり気になってそう訊ねると、アマリリスは考え込みながら答えてくれた。
「前に来たことがあるような、懐かしいような、そんな気がして」
呟く彼女を前に、私もまた不穏なものを感じ、それを払いのけるように言った。
「来たことがあるんじゃないか。色々な場所を放浪していたのだろう?」
「放浪はしていたけれど、こういう場所には近づかなかった。近づく前に気配は分かるものなの。危険なニオイはするものだから」
「そうか。私のオオカミの鼻ではそのニオイが分からないようだ」
すると、アマリリスは小さく笑って答えた。
「このニオイは魔女にしか──〈赤い花〉にしか嗅ぎ取れないのでしょうね」
そして、アマリリスは空を見上げた。
「日が暮れてきたわ。塵も降ってきそう。そろそろヒステリアを休ませた方がいいんじゃないかしら」
「ああ、だが、いいのか? ここは……」
アマリリスにとっては落ち着かない場所ではないのだろうか。それに、本当に安全な場所なのか。そう言いかけた時、パピヨンが姿を見せぬまま口を挟んできた。
「視界の開けた場所ならば問題ないでしょう。見張りと偵察は我々にお任せください」
「パピヨンが言っていることだし」
アマリリスもまたそう言って、私をじっと見つめてきた。
「それに、私は大丈夫」
小さな声で呟く彼女は、確かに無理をしているようには感じられない。
「──そうか。それなら……そうするか」
私が頷くと、ヒステリアが言葉を解したように一方を見つめた。
広場がある。腰かけて眠るのにちょうどいい椅子と、馬を繋ぐのにちょうどいい柵もある。火を起こしても問題ないほどのスペースと、荷物を置くのにちょうどいい場所もある。休むならばそこがいいだろう。
ここが廃村でないならば、花売りなどが住んでいたという過去がなければ、もっと落ち着けるのだが。
そう思いながら休む支度をしていると、アマリリスがふと周囲を見渡した。
「どうした?」
何か気配を感じたのだろうかと警戒したが、そうではないらしい。不安そうな、不穏そうな顔だったが、彼女は落ち着いた様子で呟いた。
「やっぱり私、ここに来たことがあるかもしれない」
だがそれ以外は特に何も言わず、ヒステリアの手綱を柵に括りつけた。
それからしばらく、私たちは共に寄り添い、特に会話もないまま身体を休めていた。賑わいはしないが気まずいということはない。むしろ、心地よいくらいだった。思い返せば、人狼同士の旅もこういう瞬間が多い。気を許した相手との時間には、必ずしも会話などいらない。沈黙が苦ではないこともまた、親密である証なのだろうか。
幸い、アマリリスの方も気まずそうには見えなかった。ただし、時折、彼女は思い立ったようにきょろきょろと建物を見つめていた。その度に声をかけるも、返ってくる答えは曖昧なものばかりだった。
何も思い出せない、が、引っかかったままらしい。そんな歯痒そうな彼女を見るたびに、私もまたその歯痒さを共に感じた。
「ごめんなさい、やっぱり落ち着かないのかしら」
「謝らなくていいさ」
寄りかかってくるアマリリスを受け入れながら、私は言った。
「きっと前に来た何処かの村に似ているのだろう。こういう里はいくらでもあるだろうから」
「……そうね。きっとそういう事なのでしょうね」
アマリリスはひとまず納得し、そのままそっと目を閉じた。私もまたそんな彼女の温もりを感じながら、息を潜めて周囲を窺った。翅人たちが味方にいると分かっていても、やはり壁のない開けた場所でじっとしているのは怖いものだ。一人きりならば影道の中に隠れられるだろう。けれど、今はアマリリスが一緒だ。こうして寄りかかられてしまっては、身動きも取れないというもの。
仄かな花の香りに鼻孔をくすぐられながら、私はじっと誰もいない暗闇の向こうを見張り続けていた。
ややあって、目を閉じたままじっとしていたアマリリスが声をかけてきた。
「ねえ、カリス」
「どうした?」
応えると、彼女はそっと目を開いて地面を見つめた。
「あの……あのね、私……その」
何故か戸惑いながら、アマリリスは俯いていく。夜風を防ぐマントの下で膝を抱えると、彼女は勇気を振り絞るように続けた。
「聞いて欲しい話が……あるの。昔の話……なんだけど」
「分かった。聞くよ」
静かに促すと、彼女は私に寄りかかりながら頷いた。そしてしばらく黙り込んでしまったが、急かさずに私はじっと待ち続けた。そうしているうちに、準備が整ったのか、彼女は唐突に口を開いた。
「とても昔の話なのだけれど……」
そして、彼女は語りだした。
頭の中に残っている断片的なその記憶を。




