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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
6章 アネモネ

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1.正当な裁きを

 カンパニュラからローザ大国までの道のりは、ひたすら静かな山林が続いていた。

 クロコ帝国とカシュカーシュ帝国の国境は緊張感が漂っているようだが、それもごく一部の事。それ以外の人々に忘れ去られた大地はいくらでもあって、まさにそう言った道こそが私とアマリリスの通り道となっていた。

 人間向きでない道を歩むのはお互いに慣れていたし、私たちを背に乗せて走るヒステリアもまたそうだった。


 かつて、ゲネシスを乗せて同じような道を走っていたのだろうか。荒くて困っているという気性がウソのように彼女はひたすら指示に従って走っていた。

 そんな彼女にずっと跨り続けていられたらどんなにいいだろう。だが、そうはいかない。ヒステリアも生き物だし、乗っている私たちだってどうしても疲れてしまう。


 疲れは肉体的なものだけではなかった。

 移動中も、焚火を囲んで休む間も、私たちの間には沈黙ばかりがあった。拒まれているわけでも拒んでいるわけでもない。身を寄せ合ってはいたし、求め合ってはいた。それでも、大勢に囲まれながら移動し、用意された宿で安全な壁に囲まれながら眠るという生活があまりに長く続いたためだろう。野宿が続けば続くほど、私もアマリリスも言葉に出来ない緊張感に包まれていった。


 しかし、そんな私たちを世界は放っておいてくれない。

 旅をしている間も、休んでいる間も、私たちを手頃な獲物と判断する向こう見ずな魔物や猛獣はいたし、時には荒くれ者もいた。そういった者の多くは痛い目を見て去っていくか、命を落として沈黙するかの二択だったが、厄介な相手が想定される場合に限っては、何の前触れもなく決まってパピヨンが現れた。

 この度──おそらくローザ大国とクロコ帝国領の境と思しき場所にて野宿しようとしていたその時も、パピヨンはいきなり現れた。

 その姿に闘争心を露わにした私たちを見て、彼女はやや穏やかな視線をこちらに向けてきた。


「今回は事後報告となります」


 その言葉に私もアマリリスもほぼ同時に溜息を吐いた。


「何があったの?」


 アマリリスがそう訊ねると、彼女はそっと一方を見やった。

 その視線に釣られて目を向けると、すぐ近くの林の影にそれらは姿を現した。翅人達だ。恐れることはない。皆、パピヨンと同じリリウムの戦士たちだ。名前も分かっている。アラーニャ、ミュッケ、スカラベ、それにエンプーサだ。

 恐らくこれまでも状況に応じて身を隠し続けていたのだろう。この他にも姿を隠している者はいるかもしれない。だが、だとしても、パピヨンも含めて五名が姿を現しているのは異常事態ともいえよう。

 実際に、取るに足らない状況ではなかった。彼らはリリウムとは無関係のある人物を取り囲んでいたのだ。その人物を見て、私はしばし呆気にとられた。


 クリケット。

 辛うじて、その名前を思い出した。


「彼は……」


 アマリリスが声をかけると、クリケットは怯えた様子で地面に額を擦り付けた。それは仰いでいるというよりも目を合わせないように逃れているようにしか見えなかった。

 スカラベが苛立った様子でクリケットの首根っこを掴む。無理矢理顔を上げさせられると、彼は捕食者でも前にしているように命乞いを口にした。

 呆れた表情でその様子を見つめていると、パピヨンがアマリリスに言った。


「クリケットという名前だそうです。花売り業には手を付けず、情報屋を専門にしている翅人です。それは罪に問えませんが、お得意様がゲネシスとあっては放っておけません。というわけで、以前より何度も捕獲しようと試みていたのです」


 それで、念願かなって捕まえられたというわけだ。

 状況から察するに私とアマリリスの様子を監視し、得られた情報をゲネシスたちに売ろうとしていたのだろう。

 これまで散々売られ続けていたわけだ。彼のもたらした情報がゲネシスたちに有利に働いたことはいくらでもあったはず。その意味をじわじわと理解していったらしく、アマリリスの表情は段々と変わっていった。


「せ……聖女様におかれましては──」


 この場においてもクリケットはぶつぶつと命乞いを続けていた。

 けれど、内容は支離滅裂だった。思いつくままに口にしているのだろう。それでも気持ちは伝わってくる。死にたくない、という焦りが。

 だが、彼にとってさらに不幸な事に、いかなる詫びもアマリリスの心には響かないだろうことがはっきりとしていた。


「そう」


 彼女はやけに落ち着いた声で呟いた。


「彼の味方だったの」


 ふらりと立ち上がるとアマリリスはクリケットの顔をじっと覗き込んだ。


「クリケット。あなたがいなければ、今の状況はなかったかもしれない。今の、この、状況は──」


 その声には覇気も生気もない。けれど私はそこに強い怒りを感じた。翅人達はクリケットを取り押さえたまま、じっと見守っていた。

 そのままクリケットの命乞いだけが聞こえる時間がしばし流れると、ようやくパピヨンが口を開いた。


「いかがなさいますか」


 アマリリスに向かって彼女は問いかける。


「聖女様がお望みでしたら、この場で彼の運命を決めることも可能です。我々の目的は情報屋の排除。達成のためならば目標の犠牲もやむを得ません」

「──そうしなかったら、彼はどうなるの?」


 アマリリスの問いに今度はミュッケが答えた。


「このままイグニスへ……本部まで連行します。そこであらゆる手段を使ってでも知っていることを洗いざらい話してもらうことになるでしょう」

「……そう」


 アマリリスは短く頷くと、じっとクリケットの顔を見つめた。

 再び訪れた沈黙が怖かったのだろう。クリケットは顔を上げると、おいおい泣き出した。そして今度は開き直ったようにわめきだしたのだった。


「仕方ないじゃないか。せっかく縁の出来た客だったんだ。どうにか巡り合えた上客だったんだよ。金をたんまりとくれる有難い客だったんだ。お前さんたちはリリウムだから知らないだろう。そして、あんたらは翅人でもないから知らないだろう。翅人にとってこの世がどれだけ過酷なのか。仕方なかったんだ。一族を養うには、ごく普通の翅人が安全に暮らすには、とにかく金が必要なんだ……だから」


 わめき続けようとするクリケットに向かって、アマリリスは手を向けた。指輪の嵌るその手、その構えに、私は思わず息を呑んだ。クリケットもそうなのだろう。怪しい指輪の輝きを見て、押し黙ってしまった。

 その顔が一気に青ざめる。今にも倒れてしまいそうなほど、恐怖に怯えていた。そんな彼の顔をアマリリスはしばらく見つめると、深く息を吐いた。


「本部へ連れていって」


 そう言って、彼女はクリケットから目を逸らした。俯く彼女に対し、ミュッケがそっと窺ってきた。


「よろしいのですか?」


 その問いに、アマリリスは無言で頷いた。

 そして、それ以降は一瞥することもなく離れた場所に繋いであるヒステリアの元へと向かってしまった。

 ヒステリアはただただ大人しくアマリリスのことを見つめていた。慰めるように、というのはこちらの考え過ぎだろうか。私もまたそっとアマリリスの傍へと向かった。

 クリケットを振り返ってみたが、彼は青ざめたままがたがた震え続けていた。

 私たちの様子を見て、スカラベが仲間たちに向かって言った。


「では、予定通りに」


 その言葉にミュッケたちはほぼ同時に頷くと、そのまますっと姿を消してしまった。クリケットも一緒だ。まるで最初から誰もいなかったかのように、消えてしまった。悲鳴すらもう聞こえない。けれど、パピヨンだけは残っていた。じっと私たちを見つめ、そして淡々と彼女は言った。


「これより仲間たちが彼を連行します。その間、こちらは手薄になってしまいますが、私と他数名は常に傍におります。何か御用がありましたら、遠慮なくお呼びください」


 そっと頭を下げ、彼女は風と共に消え去ろうとした。だが、その前に、私はパピヨンを呼び止めた。


「待ってくれ、ついでに聞かせてほしい」


 パピヨンは動きを止め、じっと私を見つめてくる。

 その妖艶な眼差しに、私は訊ねた。


「いま、私たちの傍にいるのはお前たち翅人戦士だけなのか?」

「はい」


 パピヨンはすんなりと頷いた。


「少し前までは吸血鬼のペトルもおりました。けれど、彼は西の大地へと移動になったのです。翅人とは違い、吸血鬼は心強い戦力になりますので」

「そうか……ありがとう、それだけだ」


 短く頷くと、パピヨンは一礼してそのまま消えてしまった。

 傍にいるとはいっても、姿が見えなくなるとやはり居なくなってしまったと呼ぶに相応しくなる。そんな静けさと物寂しさを感じつつ、私はアマリリスの横へと向かった。ヒステリアがやや不快そうな表情を見せてきたが、威嚇しては来ないのでまあいいだろう。


 沈黙の中で私はクリケットの青ざめた顔を思い出していた。

 きっと彼はアマリリスに殺されるに違いないと恐れていただろう。

 私もまた半分くらいはそう思っていた。

 敵に情報を回していた人物だ。彼が集め、売り払った情報こそがアマリリスを不利にし、あの男の役に立った。あの男がいなければ、今の状況ではなかったかもしれない。たとえば、大勢の人が──ルーナを含めた大勢の人が犠牲にならずに済んだかもしれない。

 そのことをアマリリスがまったく重視しなかったとは思えない。恨んでいないとも思えない。それでも彼女は感情任せにその手を血で染めたりはしなかった。

 声をかけるべきか、かけぬべきか、分からないまま隣にいると、アマリリスは焚火を見つめながらそっと自身の右手を見つめた。

 指輪を見ているらしい。彼女を聖女にしてしまった呪縛のようなその指輪を。


「殺してやればよかったかしら」


 アマリリスは呟いた。

 そんな彼女に私はそっと囁いた。


「今からでも呼び止めてこようか」


 だが、アマリリスは首を横に振り、私の肩に寄りかかってきた。


「いいの。だって……。ルーナがそれを望んでいないような気がしたから」


 私は口を閉じ、アマリリスに肩を貸し続けた。

 幽霊や魂の話などここでするつもりはない。けれど、ルーナともっとも親しかったはずのアマリリスがそう言うのならば、そうなのだろう。


「どうせ奴も然るべき罰を受けるはずだ」


 ややあってから私はそう言った。アマリリスは無言で頷き、それっきり目を閉じてしまった。

 程なくして寝息を立てる彼女を支えながら、私もまた薄っすらとした眠りについた。

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