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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
5章 メイベル

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6.思い出に縛られる者

 鍬形虫の鋏は、これまであらゆる者を〈断罪〉してきた。アマリリスが祈るようにその言葉を口ずさむと、何処からともなく現れた鋏は得物の首をすっぱりと切断する。それは、蜘蛛の糸と同じように速やかな死をもたらす恐ろしい魔術であった。

 呪われていたとはいえ聖獣すら葬ってきたその魔術だが、同じ魔女には通用しづらいとは聞いていた。とくに同じ心臓の持ち主は、同胞の魔術に対して抵抗力も強い。厄介な事にそれは死霊に囚われていても同じであるらしい。


 とはいえ、アマリリスの魔術は指輪によって増強されている。一人きりならばともかく、味方の援護次第でどうにかなるはずだ。

 そう、私の助力はそれだけ重要だった。私に宿る力はわずかだ。あの男を弱らせることしかできない。それでも、人狼として生まれたこの身体は、人間は勿論、死霊に対してだって本来有利なはずなのだ。


 だから、私は恐れなかった。アマリリスの呼びだした鋏が桃花を狙って浮かび上がると同時に、私は私で死霊たちの群れへと飛び込んでいったのだ。

 死霊たちは桃花を守ろうと一瞬動いたが、直後、私の動きに気を取られて固まった。その一瞬のすきに、傍にいた数体を薙ぎ払い、その勢いのままにメイベルへと飛び掛かった。

 メイベルは冷静にそれを避けると、すぐさま魔術を私に向けてきた。蜘蛛の糸に蝶の大群、いずれもかつて他ならぬアマリリスとの攻防で何度も向かい合ってきた魔術だった。それらを避けながら、私はアマリリスの魔術の行く末を見守った。魔術は……失敗に終わった。鋏の餌食となったのは桃花ではなくぎりぎりで盾となった木霊たちで、悲鳴もあげずに消えていった。桃花はそんな仲間たちを憐れむように見つめると、落ち着いた様子でアマリリスを眺めた。


「もうやめようよ」


 しかし、アマリリスは聞く耳を持たない。間髪入れずに次の魔術を放った。今度は蝗だ。蝗の大群が現れ、桃花を食らいつくそうと飛んでいく。下手すれば見方も巻き込まれる恐れがあるというその魔術に、私は慌てて影道へと飛び込んだ。そのままアマリリスの影の中に潜むと、呼び出された蝗たちの行く末を見守った。

 死霊たちの数体が蝗の餌食となる。だが、桃花にたどり着く前に、それらは消えてしまった。メイベルの放った蜻蛉たちの魔術によって打ち消されてしまったのだ。これでよく分かった。魔女には魔女。〈赤い花〉には〈赤い花〉なのだ。恐らく彼女らの魔術だってアマリリスにはそう簡単には通用しないだろう。


 ならば、私がやるしかない。いくらアマリリス自身がそれを望んでいないといっても、戦いが長引けば長引くほど不利なのは生きているこちら側だろう。

 だが、桃花を狙って身構える私を、メイベルはしつこく攻撃してきた。どうやらアマリリスの援護をする前に片付けなくてはいけない者がいるらしい。


「メイベル」


 私は彼女に言った。


「その魂もまた聖女だったはず。人々を想い、平和を願ってきたはず。それが死霊の傀儡になるとは」


 すると、メイベルは寂しそうに笑った。


「もとよりわたしは傀儡だった」


 その表情はまるで本当に懐かしんでいるかのようだった。


「リリウムの救いを心から信じ、尽くしてきた。でも、裏切られた。主に? 人々に? 愛する人に? いいえ、わたしはわたし自身に裏切られたの。わたしの信仰は、わたしの理想は、結局のところあの方の愛に縛られていた。それが偽りだと分かった瞬間、わたしの世界は崩壊したの。今はもう誰の幸せも願ってはいない。ソロルとして強いソロルに従うだけ。そのための駒になっている方が、わたしは幸せなの」


 でも、と、メイベルは表情を曇らせた。


「一つだけ気がかりなことがある。かつて愛した古巣に残るわたしの身体の一部。生きていた時だって都合のいい偶像だったわたしを、死んだ後も利用しているなんて許せない。だから、返してほしいの、わたしの心臓を。わたしの心を」


 涙ながらに訴えるその姿はとても演技だなんて思えなかった。

 後ろにいた味方の戦士たちが動揺している。〈メイベルの心臓〉のことくらい彼らだって知っているだろう。その本来の持ち主の姿をしたものが怒っている。カンパニュラに来たばかりの時のことを思い出し、私もまた震えそうになった。

 ソロルなんて偽物だ。

 どんなに言い聞かせても、そうではない可能性をどうしても感じてしまう。

 本当だったら。ソロルの語る死者の想いが断片的であれ本当のことだったとしたら。本当に、メイベルが怒っているのだとしたら。

 だとしても、私は振り払った。確かにリリウムの者達はその良心ゆえに混乱してしまうだろう。


 だが、私はリリウムじゃない。少し前までは人食いでもあった。おぞましい怪物だった。そんな私こそが動じずに立ち向かい続けなくてはいけないのだ。


「言いたいことはそれだけか?」


 唸りながら私は飛び掛かった。

 どちらが非道で、どちらが間違っているかなんて考えている場合ではない。正しいか、間違っているかを優先すれば奪われる命がある。だから、今はただ勝利をつかみ取ることだけを考えなくては。

 猛る心が咆哮となり、その咆哮が身体の隅々から力を呼び起こす。翼でも生えたかのように身体が軽い。そして相手の動きは遅かった。必死に身を守ろうとするメイベルに襲い掛かっているうちに、動揺していた戦士たちも我に返ったらしい。メイベルを助太刀しようとする死霊を次々に打ち倒していくその様子に、私は勝利を確信した。

 メイベルの方もまた、自分たちの不利を感じ取ったらしい。顔色はどんどん悪くなり、感情的になっていく。


「いいえ諦めない」


 そう言って、メイベルは身構えた。


「神に見捨てられようと、この身がソロルに支配されようと、わたしはわたしの信じる道を進むだけ。それだけよ」


 そして、メイベルは魔術を放った。

 鍬形虫の鋏だ。アマリリスが使う断罪の魔術。相手をしたことはあまりない。だが、これまで何度も見てきた。その挙動はアマリリスの時とさほど変わらない。どうすれば避けられるか、どうすれば逃れられるか、それもまた変わらない。だから、避けるのは容易かったし、そのままの勢いでメイベルを狙うのも容易かった。


 赤い礼服に身を包む聖女が狼に襲われる。傍から見たその光景は、きっと私の方が悪に見えただろう。メイベルは悲鳴をあげ、必死に逃げようとする。それを執拗に追いかける私は、私の姿は、どれだけおぞましく見えたことか。

 それでも私は容赦しなかった。メイベルは死んだ。その死の真相がどうであれ、彼女は遠い昔にこの世を去り、今はもう過去の人物として祀られている。今、ここにいるメイベルはせっかく眠っていた魂を無理やり起こし、乗っ取っているに過ぎない。


 だから、私は、迷ったりしない。躊躇ったりもしない。


 メイベルが悲鳴を上げながら転倒する。それを上から襲い、そのまま仕留めた。かつてこうやって人を襲ってきた。飢えを満たすために、人を騙し、食らいつくしてきた。信頼を裏切り、最期は耳を劈くほどの悲鳴を浴びながら、それすら楽しいと思いながら殺してきた。全ては天が悪い、大地が悪い。人狼なんてものを生んだ世界が悪いのだと呪いながら、人々を仕留めてきた。

 あの感覚を一瞬だけ思い出しながら、私はメイベルに食らいついた。


 赤い礼服のせいか、はたまたその特徴が少しだけ似ているからか、アマリリスを相手にしているようで気分が悪い。だが、その不快感も、忘れかけていた興奮も、全てが大きくなる前に決着はついた。

 返り血が飛び散ったように見えたのも一瞬だけ。メイベルが何かを言い残してこと切れると同時に血も、肉体も、全てが塵のように消えていった。

 最期に彼女が何を言ったのか、それはうまく聞き取れなかった。名前のようにも聞こえた。男の名前のようにも。愛した人の名前だろうか。裏切られた人の名前だろうか。蘇ってからもずっと彼女の頭の中に巣食っていたのは彼だったのだろう。だが、もう終わった。全てが消えていくのを見届けながら、私は少しだけメイベルの魂を追悼した。


「なんてこと」


 離れた場所から聞こえてきたのは、桃花の声だった。


「せっかく蘇ったのに、メイベルまで殺してしまうなんて」


 桃花はそう言って、私に魔術を向けてきた。

 だが、アマリリスがそれを妨害した。


「蘇ったのではないわ。ソロルに乗っ取られていただけ。あなただって同じ」


 彼女の言葉に桃花は首を振った。


「違う。違うったら。どうして分からないの。あたしは桃花なの。どうして分かってくれないの? ねえ、アマリリス!」


 死霊とは会話をするだけ無駄だ。だが、無駄だと分かっていても、会話をしてしまうものなのかもしれない。アマリリスは目を逸らし、立ち尽くした。その傍へと駆け寄ると、狼姿の私の鼻先に手を触れてきた。

 そんな私たちを見つめ、桃花は言った。


「そう、その狼が悪いんだ。メイベルを食い殺した奴。返して。返してよ。仲間たちを。アマリリスを返してよ!」


 その殺意は私に向いている。アマリリスがどう動こうと、桃花にとって邪魔な存在は私以外にいないのだ。


「アマリリス。恨むなよ」


 そう言い残し、私は大地を蹴って跳躍した。アマリリスの望みを決して忘れたわけではない。だが、それを優先してやるほどの優しさは私にはなかった。

 私は所詮、身勝手な人食い狼なのだ。ルージェナのように、メイベルのように、桃花もまた食いちぎるだけ。アマリリスの制止する声が聞こえたが、その声も私の自由を縛る鎖にはならなかった。対する桃花もまた応戦する姿勢を見せた。真正面から私の命を狩るつもりだろう。

 だが、その動きはあまりに遅い。聖女と呼ばれた者達よりも、そして、恐ろしい人狼殺しの魔女よりも、ずとずっと遅くて、不慣れに見えた。


 そうだ。桃花は聖女になったことなどない。魔女として生まれてはいても、ごく普通の少女として生き、少女のまま死んでしまった。その魂の記憶に戦いの術などさほど残ってはいなかったのだろう。だから、正面からぶつかり合ったところで、私に敵うはずがなかった。

 それでも、桃花は逃げなかった。その場を動かず、避けられることを分かっているだろう魔術を放った。そして、私の攻撃をどうにか避けると、そのまま逃げたりせずに次の攻撃に備えて構えた。

 仲間の死霊たちが援護に回ろうとするが、アマリリスや他の戦士たちがその数を減らしていく。不利な状況は続いている。それでも、桃花は逃げなかった。何故、逃げないのか。何故、恐れないのか。仕留めようと追いかけるうちに、私の中でその疑問が膨らんでいく。

 そして、ようやく追い詰めたかと思ったその時、桃花は突然目を見開き、周囲にいた死霊たちに向かって叫んだのだった。


「撤収」


 その瞬間、死霊たちは表情を変え、我先にと地面へ吸い込まれていった。どうやらその命令をひたすら待っていたらしい。 

 だが、撤収だと。

 今更逃がすつもりはない。意気込みと共に消える前に食らいつこうと飛び掛かった。だが、桃花はひらりとそれをかわすと、距離を離してからアマリリスに向かって言った。


「分かり合えなくて悲しい。でも、いいの。わたし達は間違ってなんかいないから」


 そして、そのまま速やかに姿を消してしまった。

 後に残されたのはリリウム側の戦士たちだけだった。気配を探ろうにも死霊のニオイすら何処にもない。どうやら突き進むことは完全にやめたらしい。だが、どこへ向かったのか。どうして消えたのか。あらゆる疑問が混乱を呼ぶ中、今度は死霊ではない者の気配が近づいてきた。

 警戒する必要はない。パピヨンのニオイだ。


「伝言をお持ちしました」


 姿は見せないままアマリリスに向かって彼女は言った。


「至急、お戻りください。敵に大きな動きがあったようです」


 その言葉だけを告げて、パピヨンはすっと気配を消してしまった。

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