5.死霊たちの行進
死霊たちが攻めてきているという情報が伝わったのは、真夜中の事だった。
学園で守られている〈メイベルの心臓〉のお陰で、死霊たちの怪しげな技は制限されている。とはいえ、その侵入を完全に防げるわけではないのも事実だ。
幽霊のように突如現れるのではなく、乗っ取った亡者のその足で大地を歩めば死霊にだって近づくことは出来る。
そう、歩兵のように、彼らは林の中を行進し、こちらへ向かってきているとのことだった。
指揮をとるのは異国の血の混じった少女の姿をしたソロル。恐らく桃花だろう。そして彼女に付き添うように聖女の格好をしたメイベルもいたという。
サファイアは一緒ではない。ゲネシスも、だ。それに死霊の兵のほとんどは戦闘に不向きとされる木霊であるという。
それでも、報告した翅人戦士は言ったという。数がおびただしい。その上、木霊といっても死霊は死霊。人を食い殺すだけの力はあるはずだと。
学園に緊張が走る中、防壁の上で聞かされるその報告をアマリリスはいたって冷静に聞いていた。いつものように憂鬱そうな表情を浮かべたまま、ただじっと耳を傾けている。その思考の先にいるのは誰だろう。桃花だろうか。メイベルだろうか。
やがて迎え撃つ準備もままならないうちに死霊たちはすぐそこまでやってきた。すでに防衛は始まっている。その報せを聞いて、アマリリスはそっと防壁の上から戦地と化している辺りを除いた。
私もまたアマリリスと共に見つめてみる。死霊たちの姿はいずれも小さい。これまで戦ってきた恐ろしい魔物の死霊ではない。とはいえ、数が多かった。それに、死霊は死霊だ。囲まれれば成す術なく食い殺されるだろう。実際、戦士たちは苦戦しているようにも見えた。
「行かなきゃ」
アマリリスが呟くと、すぐそばからそれに異を唱える者がいた。
「いいえ」
パピヨンだった。
「どうか、あなたはここにいてください。もっと近くまで迫った時に迎え撃つのです。いまは彼らを信じて、祈っていてください。あなたが戦うのは彼らが打ち破られたその後です」
その言葉に私はそっと問い返した。
「助力しなくていいのか」
すると、パピヨンは囁くように答えた。
「彼らの役目は出来る限り敵の数を減らすこと。生き残ることではありません」
周囲に聞こえないように告げるその声には、一種の諦めのようなものすら感じた。そういう作戦なのだろう。大切なものを守るために、命を捨てる者達がいる。自己犠牲の果てに勝利を手繰り寄せる者達がいる。そういう者達の奮闘でリリウムは守られ、肥大化していったのだろう。
だが、そんな説舞を聞いて、アマリリスがおとなしくしていられるとは思えなかった。何故ならずっと見えているのだから。小さな死霊たちを指揮し、無傷のまま先へと進み続ける桃花の姿が。
「待つだけ無意味よ。あの子は死なないもの」
そう言って、アマリリスは突如動いた。
指輪のはまる手を掲げると、躊躇いもなく魔術を放ったのだ。蜂の針のようだ。矢のように放たれた針は、まっすぐ戦地へと飛んでいった。幸い、アマリリスの狙いは正確だった。味方には当たらず、たた一点、桃花だけを狙っている。けれど、桃花に当たる事はなかった。直前で彼女の方も魔術を使い、防いでしまったのだ。
桃花の視線がこちらを向く。かなり離れてはいるが、アマリリスには気づいているだろう。じっと見つめ合い、そして笑った。ずいぶん離れているはずなのに、笑ったことが分かった。煽るように、蔑むように。その笑みがアマリリスを興奮させる。防壁の上で身構える彼女に気づき、パピヨンは姿を現した。
「いけません」
けれど、止めることは出来なかった。私もまた同じ。防壁を飛び降りてしまう彼女を目で追うことしか出来なかった。息を吐くように魔力の翼を広げると、彼女はそのまま遥か下の地面へと降り立ち、まっすぐ戦地へと向かってしまった。
死の恐怖すら今のアマリリスには薄いのだろう。だが、周囲の者にしてみればたまったものではない。聖女を失えば、リリウムは一気に不利になる。そんな状況で真っ先に飛び出すのだから。
「アマリリス!」
慌てて狼の姿となって追いかけるも、すぐには追いつけなかった。まただ。あの指輪には身体能力を高める効果でも混ざっているのだろうか。普通ならば人狼の足で全力を尽くしても魔女に追いつけないなんてことはないはずなのに。
結局、追いつけないままアマリリスは敵のいる場所まで到達し、立ち止まると同時に思う存分魔力を放った。瞬時に複数の木霊が消えた。彼らが偽物の木霊であったことは、残らない遺体が証明している。その勝利も確かめずにアマリリスは魔術を放ち続けた。
あらゆる虫たちがその手から生み出され、死霊の数だけを削っていく。そして、私がようやく追いついた頃には、アマリリスの周囲には味方の戦士しか残っていなかった。
「聖女様……」
負傷した戦士たちが驚きを隠せない表情で見つめている。
しかし、アマリリスにはその声すら届いていなかった。
「桃花、私はここよ!」
そう言って、彼女は再び進みだした。こうなれば止めるよりもついて行った方がいい。魔法で道を作る彼女に続き、その死角から襲い掛かってくる死霊を次々に斬っていく。その繰り返しの果てに、目的の人物の前まで到達した。
桃花は立ち止まっていた。メイベルと共に近づいてくるアマリリスをじっと見つめ、そして、その口を開いた。
「そっちから来てくれるなんて嬉しい」
ぞっとするほど愛らしい笑みを浮かべて桃花は言った。
「サファイア様がおっしゃったの。愛しい御方の癒しの為にはお友達が必要なのですって。彼に死霊の王として頑張ってもらうためにも、味方は多い方がいい。だから、その候補となる人を迎えに行きなさいって」
「グロリアのことね」
アマリリスの言葉に、桃花は笑みを深めた。
「正解。アマリリスも一緒においで。ソロルになっちゃえば分かるもの。正しいのはこっちだって」
桃花の言葉にそれ以上返答もせずにアマリリスは魔術を放った。蜘蛛の糸だ。けれど、糸が捕らえたのは桃花ではなかった。近くにいた木霊の死霊が一体、桃花の盾となり、そして砕けてしまった。
塵となって消えていく仲間を見つめ、桃花は笑みを引っ込める。
「可哀想」
彼女は言った。
「こうなったらもう二度と復活しない。せっかく蘇ったのに、どうしてそんな事をするの」
「蘇ったのではない」
私は思わず返答した。
「乗っ取られただけだ。アマリリスはそれを解放したに過ぎない」
だが、私の言葉にメイベルが笑い出した。
「知ったようなことを言うものね。わたし達の事なんて何も知らないくせに」
それは、怒りすら感じる叫びだった。
死霊たちは死霊たちで必死なのだろう。だが、彼らの望む世界は私たちの世界と相容れないものだ。そうである以上、こちらだって躊躇うわけにはいかなかった。
アマリリスも同じ考えであるのだろう。そうでなければ最前線までやってはこない。未練がないわけではないはずだ。懐かしい者の姿をした死霊相手に何も思わないこともないだろう。けれど、アマリリスは指輪の嵌る手を向けた。その直後、指輪は光り輝いた。禍々しさすら感じるその光と共に、アマリリスの手からは魔術が放たれる。
鍬形虫の鋏だ。立ちはだかる死霊たちをまとめて狩るつもりらしい。
「これで終わりよ」
彼女がそう言った直後、桃花を狙って鋏が動いた。




