4.ほんの少しの希望
グロリアの傷は決して軽いものではなかった。桃花にやられたらしき傷の治療は容易だったようだが、問題はその次に負った深手だった。アマリリスの身代わりになった代償は重く、命が守られただけでも神に感謝しなければと担当した医師は言った。
ここカンパニュラでは死霊にやられた傷も研究対象だという。ゆえに、死霊にやられただけならば助かる可能性も高い。サファイアにやられた傷は少々特殊なようだが、それでも時間をかければ治る見込みはあるという。
それでも、そう、時間をかければ、だ。
全ての手当てが終わると、ようやく面会は許された。アマリリスの影に潜み、私もまたグロリアの寝かされた部屋へと入り込んだ。薬のニオイの充満する中で、グロリアは寝かされていた。
目は微かに開いている。憂鬱そうな表情だが、そこまで落ち込んでいるわけではないらしい。
「グロリア」
アマリリスが声をかけると、その鳶のような目が動く。
そして、包帯だらけの手を伸ばしてきた。アマリリスがその手を握ると、グロリアは安堵したような笑みを浮かべた。
「アマリリスさん」
その声は力を感じない。それでも、悲壮感はさほどなかった。
「あなたを失う悪夢を見ました。旧友を止めることも出来ず、むなしく死んでいくのです。絶望の中で仲間になれと何度も言われる恐ろしい夢でした。ああ……夢で……よかった」
「グロリア、あなたのおかげで助かったわ。……ごめんなさい、私がもっとしっかりしていれば」
震えるアマリリスの手を、グロリアはしっかりと握った。
「どうか」
その声は震えていた。
「どうか……私の分まで、彼を──」
そこでグロリアの意識は途切れた。
一瞬、不安と恐怖に見舞われたが、どうやら眠ってしまっただけのようだった。
アマリリスの影から這い出し、私はそっと眠るグロリアの様子を探った。容体はあまりよくない。死のニオイは消えていない。薬と恐らく癒しの魔術で持たせているのだろう。
戦うことは勿論だが、明日を生きられるかどうかも分からない状態だった。アマリリスは再び眠るグロリアをじっと見つめ、そしてその手をそっと掛布の中へと戻した。
「行きましょう」
アマリリスは私にそう言うと、さっさと部屋を出て行ってしまった。
外にはバジルがいた。どうやら護衛を任されているらしい。私たちの顔を見て、何かを訊ねたそうなそぶりを見せたが、アマリリスは取り合わず、そのまま歩いていってしまった。
私はその後を追いかけつつ、バジルを振り返った。
「グロリアはまた眠ってしまった。あとを頼む」
バジルはじっと私を見つめ、おずおずと頷いた。
その間にもアマリリスは歩き続けていた。真っすぐ向かうのは、客間のようだった。グロリアと少し話したあの談話室に入ると、そのまま椅子に座った。指輪の嵌る手で額を抑え、アマリリスは小さく息を吐いた。
無言で近づくと、アマリリスは口を開いた。
「……どう思う?」
淡々としたその声には覇気がない。傍まで近づいて、その華奢な身体を抱きしめる。異様に冷えていた。
「何のことだ?」
問い返すと、アマリリスは額を抑えていた手で私の腕に触れてきた。
「私は役目を果たせるのかしら。グロリアの分まで戦うことが出来るのかしら」
アマリリスの言葉に、私は鼻で笑った。
「出来る。何故ならお前は指輪を持つ聖女だからだ。奇跡は起こる。いや、起こせる。希望はいつもお前と共にあるはずだ」
「ああ……カリス」
震えながらアマリリスは私の腕を抱き寄せた。
「お願い。お願いよ。どんな未来が待っていても、私と一緒にいるって約束して。私の傍にいるって……お願い」
取り乱しているのは、重圧のせいだろうか。グロリアを失いかけたショックのせいだろうか。
ルーナを失ってからの彼女の心はことさら傷つきやすい。そんな彼女に聖女の役目を担わせる方が酷だったのかもしれない。だが、全ては今更の事だ。
進むしかない。
ついて行くしかない。
私にはその覚悟がとうに出来ていた。
「約束する」
小声で、けれど、しっかりと、私は彼女に囁いた。
「どう足掻いたって、私たちは運命を共にするわけだ。どこにも置いて行ったりはしないし、置いて行かれるつもりもない」
後ろから抱きしめてやると、その身体の震えが少しずつ治まっていくのを感じた。少しは落ち着いただろうか。今だけの気休めだとしても、ほんの少しでも心の負担が軽くなればそれでいい。それまでとことん付き合うことは出来る。
しばらく抱きしめていると、アマリリスは少しずつ呼吸を整え、やがて大きく息を吐いた。
「ありがとう、カリス」
そう言って、彼女は小さく笑みを漏らした。
「情けないわね。グロリアを安心させてやらないといけないのに」
「無理に気負わなくたっていい。グロリアも分かってくれるさ」
「そうだといいけれど」
アマリリスはそう言って俯いた。だが、だいぶ落ち着いたのだろう。もう取り乱すことはなかった。
その代わりに現れたのはあの闘志だった。その手にはまる指輪が輝くと、先ほどまでとは別人のように覇気が戻ってきた。
「もう場所は分かっている。私はいつでも行けるわ。あなたをしつこく追いかけていた時のように、今度は彼にしつこく接近することだって出来る。今夜にだって旅立てるわ」
「行くなら私も一緒だ。だが、しばらく我慢すべきだ。グロリアは動けないだろうが、動ける仲間はもっといる。今はリリウムの指示を待った方がいい」
「……そうね」
アマリリスは呟いて、そしてしばし沈黙した。
どうやら少しは落ち着いたらしい。相変わらず、何を考えているのかは分かりづらいが、少なくとも取り乱すことはなさそうだ。しばらく黙ったまま身を寄せ合っていると、アマリリスの方がふと口を開いた。
「グロリアが生きていてよかった」
心からの安堵に、私は静かに同意した。




