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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
3章 エリーゼ

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1.御馳走

 塵が降る中、私はコックローチと向き合っていた。

 薄ら笑いを浮かべる彼の姿はいつ見ても不気味なものだ。しかし、お互いに魔族であるのだから警戒する必要などない。不快かどうかというだけの問題だ。

 それに、彼の売る情報は決して対価に見合わぬものというわけではない。客観的に見れば、払った分だけの価値はあるのだ。それが自分に必要かどうかという点にのみ注意すればいい。


 さて、今の私が必要な情報とは何か。


 塵が降っていてはよく分からないが、我々のいる場所は、クロコ帝の権威が届く範囲からもう逸れた場所だ。シトロニエ国の南西。ここしばらくの間、移動しかしてこなかった。

 クロコ帝国に比べ、シトロニエではあまり魔女狩りが活発ではないらしい。というのも、今のシトロニエはそもそも人間同士のまとまり自体が混乱している。よく噂されている一般庶民の生活苦がどれだけ深刻なものなのかは、入ったばかりの私にはよく分からない。そういうことではなく、単純に雰囲気が暗かった。前に来た頃よりもひっそりとした空気が漂っているような、そんな気がしたのだ。


 シトロニエを過ぎ去れば、すぐにディエンテ・デ・レオンにたどり着く。通り過ぎるだけだったら、長居は無用だ。

 それでも、空腹ならば喰わねばならない。ニフテリザとルーナは毎日何かを食べなくてはいけないが、私は毎日食べる必要はない。しかし、気づけば腹は減るものだし、私の求める食料はニフテリザやルーナが口にするものに比べて手間がかかる。むしろ、毎日ではあるが、薬草や木の実、キノコ類でも腹を満たすことのできる二人が羨ましい。


「やつれたようだね、アマリリス」


 塵が降り、太陽の光も見えない中、コックローチはそう言った。

 一対一だ。ルーナとニフテリザは町の宿にいる。シトロニエの南西部ジュルネという名のこの町は、旅人も立ち寄りやすいためか、宿が多い。その中には当然ながら、アリエーテで泊まったような魔族向けの宿があり、ルーナとニフテリザについてもしっかりと守ってくれるような真面目な主人が取り仕切っている。


 人間であるニフテリザは客同士のトラブルに巻き込まれやすいだろうし、ルーナもまた盗難の危険があるだろうが、幸い、預けた宿の主人は何処よりも安全性を重視している頼れる人物だ。

 彼は、魔族向けの宿には珍しく純粋なる魔物に属する番犬という一族の男性である。その性質は人狼によく似ており、人と犬とその中間の三つの姿を持っている。しかし、似ているだけで人狼ではない。全く違う祖先をもつ種族だ。そのため、彼に対して魔女の性が向けられるという心配もなかった。

 トラブルを心配するとすれば、同じ宿を利用している客が私の性を刺激しないかどうかという点だが、純粋なる人狼は魔族向けの宿などあまり利用しないし、人狼の血を引く魔族がいたとしても純血の者に比べてあまり魅力的には感じないから大丈夫だろう。


 私の性を満たすのは、混じりけのない人狼だけなのだと思う。彼らは獲物に過ぎないが、簡単に捕まるわけでもない。

 最後に人狼を殺したのはいつだったか。シトロニエに入ってからずいぶん経っているはずだが、まだ一人も捕まえていない。


「誰でもいい。〈御馳走〉の情報を買うわ」


 そう伝えると、コックローチは首を傾げた。


「ふむ、余裕もないようだね。なら、よろしい。とっておきの情報を売ってあげようか。いつもご贔屓にしてくれているお礼に、おまけ付きだ」

「おまけ?」

「〈御馳走〉の情報の値段はこれだけ」


 そう言って指で示す。単位はシトロニエにいるので、シトロニエのものとなる。そう考えると結構な額だ。


「これだけの価格でジュルネの町の現状もおまけしてあげよう」


 それならば、少し安いくらいだ。

 私は静かに頷き、定められた額をクロコの通貨も交えて渡した。異国の通貨を交えると正式な価格が大雑把になるものだが、だいたい合っていればそれで許してくれるのが情報屋という者たちだ。

 確かに受け取ると、コックローチは文句も言わずにさっそく教えてくれた。


「ジュルネでは今、深刻な事件が起きている。クロコ帝国のアリエーテに似た状況だ。あ、いや、内容的にはヴェルジネ村に近いか」

「人狼の被害が出ているということね?」

「その通り」


 だからこんなにもひっそりとしているのだ。


「逆に言えば、人狼以外に対した被害は出ていない。だが、これだけでも人間たちにとっては大痛手だ。そろそろアルカ聖戦士様を呼ぶかもしれないから気を付けた方がいい。町の噂に聞き耳を立てておくことをお勧めするよ」

「分かった。心得ておくわ」


 アルカ聖戦士。クロコ帝国でのエスカの件を思い出す。彼には勝てたが、あれはカリスのお陰のようなものだ。私は運がよく、彼は運が悪かった。こういう運頼みの勝負なんて避けるほうがいい。

 コックローチの助言通りにしておこう。


「ジュルネの町の教会にも人狼の襲撃があったらしく、修道士が一人行方不明になった。目撃者がいなかっため、彼が死んだというのは血痕の量で分かったらしい。死体も見つかっておらず、人々はすっかり震え上がっている。クルクス聖戦士様方は、教会や町の要人にべったりだ。アルカ聖戦士様が到着するまでは、案外のびのびと町を歩けるかもしれない」

「それは何よりね。人狼以外に魔物はいるの?」

「いるにはいるが、目立った動きの者はいない。君が異質な気配を感じることがあれば、高確率で美味しそうな騒動の犯人を見つけ出せるだろう。その犯人がまた君にぴったりな獲物でね」

「ぴったりな獲物?」

「そうだ。君がもう長く追いかけ続けている麦色の狼にもつながる獲物だ」


 カリス。魅惑的な獲物の名を出され、私の興味もぐっと惹かれた。表情に出たのだろう。コックローチはにやりと笑うと腕を組んだ。


「やはり気になるようだね。だが、断っておくと、血が繋がっているというわけではない。ただ縁があるというだけ。それに、あちらもまた君を探しているようだよ」

「探している? 私を?」

「ああ、君から逃れるのではなく、真正面から立ち向かって倒すつもりでいる可愛らしいお嬢さんだ。その名は、エリーゼ」

「……エリーゼ」


 その名前が頭に刻まれる。今回、絶対に手に入れるべき人狼の名だ。


「彼女は君に対して恨みがある。覚えているだろう、カリスの仕事の仲間を。ルーカスというあの男。ラヴェンデルの田舎町に住む家族のもとにも彼の訃報は届いたらしい。そして、妹であるエリーゼは仇を心から憎んだというわけだ」

「ルーカスの妹」


 関係性を口に出せば、魂が震えた。

 一度食べたあの味が蘇ってきそうだった。カリスにも関わりがある。ああ、なんて魅力的な獲物だろう。まさか、あちらから私を探しているなんて。ルーカスの魂の味を思い出し、ますます空腹がひどくなった。

 ああ、エリーゼ。逃げるどころか私に向かってくるつもりのルーカスの妹。彼女に早く会いたい。


「ちなみに、聖なる武器は持っていない。可哀想に、人狼本来の力だけで君を倒せると思っているらしい。君が心より愛しているカリスに引き留められていたが、若いということは罪深いものだね」

「エリーゼは何処にいるの?」


 回りくどいその言葉を遮って訊ねれば、コックローチは不敵な笑みを浮かべて答えてくれた。


「待っていれば来る。この塵が晴れないうちに、彼女の方から挑みに来る。落ち着いて相手をしてご覧。君ならばきっと大丈夫」

「そう、それならいいわ。素敵な情報をありがとう」


 コックローチの言葉がどれだけ本心からのものかなんて知らないが、私の方はこれから飛び込んでくる愛らしい獲物にわくわくしていた。

 エリーゼ。兄の魂ともども私に囚われるなんて愚かなものだ。大人しく親元でひっそりと過ごせばよかったのに、哀れなものだ。だが、だからと言って、彼女にわざわざ説教するなどというお節介なことはしない。せっかく来るのだから、拒むつもりはなかった。

 堂々と迎え入れて、死というものを教えてあげようじゃないか。その味が楽しみだ。早く来てほしい。


「やれやれ、相変わらず恐ろしい笑みだ」


 コックローチにそう言われ、私は自分が笑っていることに気づいた。


「人狼に生まれなくてよかったと本気で思うよ。……さて、そろそろ来る頃かな。私はこの辺でお暇しよう。幸運を祈るよ、アマリリス」


 塵はまだ降り続ける。しかし、言葉通り、コックローチの姿は塵の向こうへと吸い込まれるように消えていった。あとに残されるのは静けさばかり。私以外の全てが止まってしまったかのような世界となった。しかし、それも長くは続かない。しばらく経てば、その気配は確かに感じ取ることが出来た。


 来る。人狼の気配だ。

 おいしそうな魂の香りに興奮を覚える。早く来てほしい。早く姿を見せて欲しい。


 獲物の登場に期待していると、彼女の姿はやっと見えてきた。

 幻想的な塵の世界に浮かび上がる金色の髪の女。ルーカスによく似た特徴をしていた。カリスとはまた違った魅力のある女。

 エリーゼ。その容姿にまだ少女らしさを辛うじてとどめている彼女は、非常に険しい顔をして私を睨み付けてきた。

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