3.殺人の魔女
アマリリスが寝入ってしまうと、私はそっと影の中へと身を潜めた。
今のうちに、彼女を守るために有益な情報は集めておかないと。
そのためにも、鳥人たちは勿論、リリウムの聖戦士たち、そして聖職者たちがどう判断しているのかは各々確認しておきたいところだ。
いったい誰がアマリリスの味方なのか。人狼の特権を最大限に生かして把握しておかなくてはならない。
だが、そんな事を考えていたのは私だけではなかったらしい。影道を使ってあちらこちらへ移動しているうちに、今はあまり出会いたくない人物と出会ってしまったのだ。
カルロスだった。
「盗み聞きの癖は治らないようだな」
狼の姿で声を掛けられ、私もまた狼の姿のままため息を吐いた。
「少し前まで他ならぬリリウムの依頼で動いていたものでね」
そう返してやったが、カルロスは軽く流してしまった。
今回に限っては彼の目的だって私と似たようなものらしい。リリウムの戦士の中でもそれなりの地位にいるはずの彼だが、今だけは大人たちの疑わしい会話を盗み聞く少年のように周囲を窺っていた。
私たちが観察している相手。それは、鳥人戦士たちだった。
視線の先にいるのは、ウリアとアズライル、そして、ここまで私たちと共に旅をしてきたラミエルだった。
「本当に長老たちはそのように考えているのですか……」
憔悴した様子のラミエルを前に、ウリアもアズライルも浮かない顔をしている。どうやらあまりいい話ではないらしい。
息を呑みながら、私は耳をそばだてた。密着して聞いているカルロスの存在など、この際、気にしている余裕はなかった。
興奮気味のラミエルを宥めるように、ウリアが落ち着いた声で答える。
「ラミエル。君も知っての通り、彼らにとって本当に大事なことは聖下のご決断ではない。ジズがそれを望むのならば、従うべきだという意見が大多数なのだ」
「ですが、それならばそれで、あれは本当にジズのご意向なのでしょうか」
アズライルもまた懐疑的にそう言った。
ウリアもまた、その意見に納得するように肯いた。恐らく彼も不本意のことなのだろう。
「カエルムでは特に鳥王への信仰が篤い」
ウリアは言った。
「とくにジブリール様にはカリスマ性もあった。亡くなったという報せに大勢の者が落胆したのだ。次の王が生まれ育つまでにはまだまだ時間がかかる。そんな状況で、ジブリール様そのものの姿をした者が皆の前に現れたのだ。その中身がソロルなのだとどれほど言っても、分かりたがらない者も少なくないのだ」
「ですが、このままでは我々はリリウムに――」
ラミエルが皆まで言う前に、ウリアは制した。
「無論、いかに上の決断がそうであろうと、今、この地には聖女様がいるのだ。その身柄を死霊どもに引き渡していいはずはない。たとえ上が動きたがらずとも、私は鳥人ではなくリリウムとして動くつもりだ」
そんな彼の力強い言葉に、アズライルもラミエルもホッとした表情を見せた。
同じくホッとしたらしいのは私の横でそれを聞いていたカルロスだった。そこまで聞ければ満足だったようで、彼は無言のまま立ち去ってしまった。その後ろ姿を静かに見送ってから、私はしばしその場に留まって、会話を聞き続けた。
「ウリア様がそうおっしゃるのなら、安心です」
アズライルが小声でそう言った。
「私は迷っていました。混血である以上、皆さんのような力には欠けます。ソロルとはいえジブリール様の身体を持つ者にたった一人で敵うとは、とても思えなかったので」
「僕だってそうです」
ラミエルもまた言った。
「アルカ聖戦士として経験は積みましたし、これまで聖女様たちと死地も潜り抜けてきました。とはいえ、それも数があってのこと。故郷が味方をしてくれないと想像しただけで怖気づいてしまいます」
それでも、と、ラミエルは聖槍を握り締めながら、勇ましい表情を見せた。
「ウリア様がそうおっしゃるのなら、もう恐れたりはしません。ええ、たとえ相手がどれほど手強くとも、この命、聖女さまの起こされる奇跡にかけてみせましょう」
切実なその言葉に、ウリアもアズライルも渋い表情を見せつつ頷き合った。
そこまで聞ければ私も十分だ。そう思って立ち去ろうとしたのだが、そこへウリアの声がかかった。
「あなたはどうお考えなのですか、カリスさん」
間違いなくその名を呼ばれ、私はため息交じりに応じた。やはり、地位のある聖獣の子孫たちは誤魔化せないらしい。
素直に姿を現してみれば、アズライルとラミエルは少しだけ驚いたらしい。ただ、ウリアだけは当然のように私を見つめていた。
私はウリアだけを見つめ、答えた。
「どうお考えも何も、私はお前たちとは違う。役目は一つだ。アマリリスに寄り添う。ただそれだけだ。そして、彼女はジズの救済を強く願っている。躊躇いがあるのは確かだが、絶対にジズの元へ向かうのだと言っていた。ならば私はそれに従うまでだ。ジブリールの姿をしたソロルなど恐れたりはしない」
はっきりと告げると、ウリアもまたしっかりと頷いた。アズライルとラミエルも同じだった。しがない狼である私の言葉であっても、少しは勇気が増したのだろうか。さっきよりも不安げな色は薄れていた。
「それを聞いて安心しました」
ウリアはそう言って、しゃがみ込んだ。オオカミ姿の私に視線を合わせると、小声でそっと語り掛けてきた。
「ジズの亡骸が狂い、死霊が跋扈し、それを鳥王の屍が取りまとめている。こんな状況は一刻も早く終わらせねばなりません。ですが、あの地を攻め落とすのは想定以上に困難となっています。何しろ、偵察すらロクに出来ないのですから」
「偵察が? その手の優秀な戦士がいるのではないのか?」
翅人戦士は勿論、鳥人戦士ならば空を飛べるはず。もちろん、死霊にも鳥人戦士はいるが、戦闘にならずとも見回ることだって出来るはずだ。
それなのに、何故。疑問に思う私の表情を汲んで、ウリアは教えてくれた。
「あの地にいる死霊のせいでもあります。ジブリール様たち鳥人の死霊たちが目立っておりましたが、どうやらあの地で暗躍している中に、ただならぬ魔女の死霊がいるようなのです」
「ただならぬ魔女……」
嫌な予感がする中、ウリアもまた表情を暗くした。
「ええ、辛うじて殺されずに戻ってきた諜報員が報告しましたところ、その魔女はかつての聖女が着せられていた〈赤い花〉の衣をまとっていたそうです。何でも、ルージェナと名乗っていたとか」
ルージェナ。
その名前に心当たりは、ある。
シルワの大聖堂で桃花と共に姿を現した〈赤い花〉の聖女のひとりだ。
「こんな話があります」
ウリアは静かに語る。
「その昔、聖女の指輪がまだ厳重すぎるほど厳重に保管されていた頃、幼い〈赤い花〉がリリウムに保護されました。ルージェナと名付けられ、未来の聖女として大切に育てられたそうです。ですが、彼女が成長し、魔女の性が目覚めてみれば、恐ろしい側面が現れました。ルージェナは殺人の魔女だったのです。抗えない殺人の欲求に震え、それまで心から親しかった相手すらも殺してしまう。真っ先に犠牲になったのは、彼女を愛しながら世話をした侍女だったと聞いています」
ウリアの話をラミエルもアズライルも黙って聞いている。私もまた静かに耳を傾けていた。思い出すのはやはり、アマリリスの姿だった。彼女もまた私にとっては似たようなものだ。今はそれなりに信頼し合っていると思っているが、指輪ひとつでその関係も終わる。
ウリアは続けて言った。
「リリウムはルージェナを裁こうとしました。けれど、彼女は貴重な〈赤い花〉でもあります。そこで、侍女殺しの件は保留にして、まずは彼女の性を沈めるために死刑囚を横流しするという恐ろしい手を考えたのです。そうして、ルージェナの魔女の性はどうにか解消することができました。しかし、ルージェナはそんな性に取りつかれていながら、幼い頃より身に沁みついたリリウムの教えも守ろうともしていました」
リリウムの教え。端からそれを信じちゃいない私には、その矛盾がよく分かる。そもそもこの教えは、人間たちのためのものなのだ。だから、人間でないものにとって、その教えはしばしば救いではなく苦しみになってしまう。
ルージェナもそうであるなら、アマリリスもそうだ。そして、私だってそうだった。
「ルージェナは矛盾に苦しんでいたようです。誰かを殺さねば飢えてしまうならば、どうして生まれてきたのだろうと。そんな彼女を救うには、聖女の指輪が必要でした。だから、ルージェナの周囲の者たちは教会の上層部に一刻も早くルージェナに指輪を託すようにと要請したようです。ですが、その許可が下りるより先に、ルージェナの精神は限界を迎えてしまった」
あとは、少しだけ予想はついた。
精神をやられた魔女が行きつく先は、化物になるか、破滅するかの二択だろう。いずれにせよ、ルージェナは安らかな死を迎えられなかったというわけだ。
「ルージェナの死がどのような形だったかははっきりと伝わっていません。自ら死を選んだとも、手に負えなくなって討伐されたのだとも言われております。ですが、その亡骸には一足遅かった聖女の指輪が嵌められ、いずれ着せる予定だった〈赤い花〉のための衣装を着せたまま棺に入れられたという話はリリウムではとても有名です」
そしてそれを着た死霊が、あの場所にはいる。
不思議なことではない。聖女だった者を蘇らせたからには、それを最大限に生かすはずだろう。サファイアの命令にせよ、その下で動いているはずの桃花の命令にせよ、かつてリリウムが崇めた者たちが立ちはだかってくることは何の不思議なことでもない。
「ルージェナのことはよく分かった。殺人の魔女と言ったな。偵察すら困難なほど厄介な相手なのか」
「ええ。生前の性が関係しているのかもしれませんが、彼女は相手の命を奪う事を最大の目的として戦います。聖女でもなくなり、ソロルに憑かれてしまった今、彼女を止めるものはありません。飢えを満たす喜びを覚えているのでしょう。殺せる相手の気配に彼女は敏感なのです」
「それはつまり、諜報員だろうとあっという間に見つかるということか」
「そういうことです。おそらく魔術なのでしょう。生憎、我々は魔人ではないのでそちらに明るいわけではないのですが」
ウリアの言葉に私も頷いた。
「それは私もそうだ。だが、アマリリスならうまく対処できるかもしれない。何より、そういうやつが潜んでいると分かるだけでも違う。手強い死霊を気にし出したらキリがないぞ。援軍が集う前に攻め落とさねば」
「その通りです。ただでさえリリウムもグリシニア連邦の件で揉めていますので」
そちらの状況が傾けば傾くだけ貴重な人材も持っていかれるということだろう。ならば、やはり時間の問題だ。全ての鳥人達が決断するのを待っている暇はないかもしれない。
私は静かにそう理解し、ウリア達に告げた。
「ならば、善は急げだ。そう思わないか?」
「思いますとも。ですが――」
アズライルの言葉を、私はさらに遮った。
「必ずしも我々が号令を待つとは限らない。鳥人なり、リリウムなり、上にはそう伝えるがいい。アマリリスは放っておいてもジズに会いたがろうとするだろう。そして私はそんなアマリリスに従うつもりだ。彼女は聖女であり、私はその武器となる者。しかし、忘れるな。我々は二人ともリリウムの洗礼を受けていない者なのだということをね」
危険を承知で私は強調した。
アマリリスは囚われているだけだし、私だって同じだ。リリウムの教えに合わせ、彼らと共に生きる選択をしているが、それは現状でそうしているというだけなのだ。生まれつきのものでない以上、従う義理など感じていない。アマリリスがどう思っているかを正確には語れないが、少なくとも自分はそうだ。
ウリアはすぐに浮かない表情をした。だが、それはよく分かっていたのだろう。彼は静かに頷いて、私に告げた。
「言いたいことは分かりました。うまく伝えておきましょう」
その言葉通り、ウリアたちは上手い言葉で鳥人の長老たちとリリウムの仲を取り持ったようだ。
だが、その間、アマリリスはうずうずしていた。いつまでも目を離していると、一人でジズの元に向かおうとしてしまうのではないかと恐れてしまうほどだ。
取りつかれているのだろうか。呼ばれているのだと頑なに主張する彼女は狂気的にすら見えた。そんな彼女の傍に寄り添っていると、時間が経つのが異様に遅く感じられた。
リリウムも鳥人連中も、決断が遅すぎる。そんな苛立ちの果てに、ようやく出撃の知らせはやってきた。




