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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
4章 ジブリール

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1.不穏な風が吹いている

 聖なる山は以前観た時と変わらずそこにあった。

 天に近い場所に築かれた大聖堂――ジズの止まり木も同じく。

 しかし、あの場所はもう呪詛に満ちているという。想像していたことではあったが、やはりここも絶望に支配されていた。


 カエルムに入ってすぐに我々を迎えてくれたのは、鳥人戦士たちだった。クルクス聖戦士としてカエルムに以前からいる者もいれば、アルカ聖戦士として各地を飛び回っていた者もいる。

 また、それだけでなく、普段はイグニスを守っているクルクス戦士たちもここに集められているという。


 カエルムはイグニスに近い。それだけに、シルワやイムベルとは違って援軍が集まりやすい環境ではある。

 しかし、今のイグニスはカエルムに支援を送るので精一杯だったらしい。戦士の数は無限ではない。減ってしまったそばからすぐに増えるものでもないから仕方がない。

 それに、情勢もだいぶ悪いらしい。


「嫌な空気ね」


 呟くのはアマリリスだ。

 カエルムの都にあるモルス教会のカントル館にて、聖女として与えられた豪華なベッドの上で仰向けに寝そべっていた。

 長旅と緊張で疲れていることが見るからに分かる。その無防備さに惹かれて近寄ってみれば、いつもの感情をなくしたような瞳をこちらに向けてきた。

 不安は敵対する死霊たちの動きのせいだけではない。カエルムに入ってすぐに、リリウムの者たちから報告を受けたのだ。


 戦争が起こっている。

 それも、こことは全く関係のないところで。


 クロコとマグノリアが大国であるカシュカーシュとの対立を深めていたのは以前からのことだ。

 元をただせば、ディエンテ・デ・レオンの西側に隣接するグリシニア連邦とウィステリア公国の対立が原因だった。

 あの辺りは確かにもともと物騒だった。それこそ、ウィステリア公国の成り立ちから血生臭い。それでも、ここ数年は不穏なだけで目立った動きはなかったのだ。


 ところが、グリシニア連邦の鉱山を巡って国境線の大きなトラブルが起こり、争いが激化。収まる兆しもなく、グリシニア連邦はかねてより交易のあったカシュカーシュ帝国に助けを求めたのだという。

 カシュカーシュはそれに応じたが、ウィステリア公国もマグノリア王国に支援を求め、さらにそこへクロコがマグノリアと協定を結んで参戦した。

 戦火はディエンテ・デ・レオンにも飛び火し、マグノリアとクロコ側はディエンテ・デ・レオンの獅子王妃とカシュカーシュの結びつきについて厳しい眼差しを向けているという。


 ディエンテ・デ・レオンが巻き込まれているとなれば、リリウムにとっても無関係ではない。カシュカーシュ帝国領とクロコ帝国に挟まれる教皇領の各地では、両者の怪しい動きが目撃され始めているのだという。

 現時点で、ディエンテ・デ・レオンにも戦士をいくらか送っているという。だが、状況次第ではそちらが足りなくなるという場合だってある。そうなれば、こちらはますます手薄になってしまうだろう。


 ただでさえ死霊によって戦士の数は減っていくというのに。

 アマリリスはため息を吐き、瞼を閉じる。


「悪い風が吹いているわ。今すぐに逃げ出したくなるくらい」

「全くだ。……だが、どこへ逃げようと一緒なのだろう。味方がいようがいまいが、あいつは必ず私たちの前に現れるだろうから」


 この混乱も死霊どもが仕組んだのだろうか。

 偶然だとしても、あまりに状況が悪い。

 天は、大地は、まさか死霊の味方をしているわけではあるまい。不安になってしまうのも、きっと次の戦いが控えているからだろう。アマリリスから目を逸らし、私は窓の外にそびえる聖山を見つめた。


 あの場所――あの聖道で、私の道は決まった。

 そしてあの頂上で、私は己の無力さを思い知らされた。


 私だけではない。共に戦った誰も彼もが負けるなんて思っていなかった。たった一人の、それも人間の男に、あれだけのことが出来てしまうなんて思いもしなかったのだ。

 そんな場所に再び向き合うのは、正直に言うと少し怖かった。だが、怖いからといって逃げ出すことが出来ようか。私の隣にはアマリリスがいる。今となっては、私にとってもこの世でもっとも守るべき存在となってしまった聖花が。


「あの子も……待ち受けているのかしら」


 ふとアマリリスが言った。あの子、というのはきっとシルワで私たちと敵対したソロルの一人だろう。

 桃花タオファ。その名前はすでに頭に刻まれている。東の大国の血を引く〈赤い花〉の娘。その容姿も目に焼き付いていた。無邪気な笑みを浮かべた少女の姿。純粋な心はそのままにソロルとなってしまった彼女。姉妹のようなものだとアマリリスがルーナに聞かせていたのを覚えているが、きっとそれ以上の関係だったのだろう。


 自らの手で、必ず。


 アマリリスは度々そう言っている。きっと自分に言い聞かせているのだ。私にはそう見えた。そうしなければならないと思い込もうとしている。それだけ、サファイアの手段が効いているということなのかもしれない。

 後々恨まれようとも、嫌われようとも、私は覚悟を決めていた。

 アマリリスに少しでも迷いが見られたら、その時は私が。その仲を代わりに引き裂くのは、きっと後々まで心にしこりが残るだろう。

 それでも、迷いの為にアマリリスを失うよりはずっとマシだ。


 間違っても、アマリリスの命をソロルたちに奪われてはいけない。聖女を失えば、この戦いは厳しいものになる。だが、それだけじゃない。サファイア――かの死霊の女王は、アマリリスもソロルにしようとするだろう。

 そうなれば、私はどうなる。どうすればいい。アマリリスのいなくなった世界で、彼女がソロルとなってしまった世界で、私はまだ人間側でいたいと思えるだろうか。

 アマリリスの姿をしたソロルを前に、私はまだ戦えるのだろうか。


 考えれば考えるほど恐ろしい。

 だから、そうなっていない今を守り続けなくてはいけない。


「何が待ち受けていようと、お前には触れさせないよ」


 そっと囁くと、アマリリスは薄っすらと笑った。


「頼もしいわね」


 そして、虚ろな目で窓の方を見つめた。


「でも、カリス。お願いだから、無茶はしないで。今の私が気を強く持っていられるのは、あなたが傍にいてくれるからに他ならない。あなたをもしも失えば……私は……」


 アマリリスは声を震わせた。

 その頭を軽く撫でてやると、少しだけ安心したように吐息を漏らす。その色気ある仕草を間近で見ていると、少し落ち着かなかった。


 他人の心を開かせる手法を学ぼうとしたのは、まだ私が年端もいかぬ少女の頃だ。理由は捕食のためで、ぎりぎりまで獲物を無防備な状態にするために過ぎなかった。

 けれど、経験と年を重ねていくうちに、捕食の為の享楽は間違いなく愉しいことで、日々の殺伐とした日常を少しでも忘れられる逃避でもあった。

 相手は男でもいいし、女でもいい。どちらであろうと満足させ、心の隙間に入り込み、逃れられなくして食ってやるのが、かつての私の食事だった。


 リリウムに拾われてからは、捕食も必要なくなった。

 ここにいる限り、罪を赦されている限り、私は二度と自ら望んで人間の肉を口にしないだろう。

 だが、狩猟本能の全てが封印されたわけでもないし、悦楽の味を忘れてしまったわけでもない。


 アマリリスを慰める役目は私のものではなかった。けれど、今はもう私しかいない。そして、私にもアマリリスしかいないのだ。


「ひとりになんかしないさ」


 そう告げて唇を奪うと、アマリリスはあっさりと受け入れてくれた。

 聖女の温もりを、その吐息や鼓動を抱擁の中で間近に感じながら、私はこれから向かうべき場所の殺伐さを思い描いた。

 シルワよりもさらに死霊たちの抵抗は強まるだろう。さらに周辺の国々の争いが拗れに拗れれば、戦士の数はそれだけ分散されてしまう。かの死霊の女王が――サファイアが、その機会を逃すわけがないだろう。


 けれど、だからと言って今から絶望するつもりはなかった。

 私がこの先、今度こそ絶望するということがあるとすれば、それは今この手に抱くアマリリスを奪われる時だろう。最後に残ったのはこの聖花だけ。かつて私の命を本気で狙ってきた、妙なほどに懐かしい香りのするこの頼りない女だけだ。


 何が一番大事なのか、それさえ分かれば怖いものはぐっと数を減らす。

 聖カエルム大聖堂へといざ向かう時となっても、緊張は思っていたよりもだいぶ軽いものだった。

 とはいえ参道の雰囲気は異様だった。かつてここへ来た時とは全く違う。誰もいない。人の気配がない。あれだけ騒がしかった道が、今やしんとしている。あれほど賑わっていた道に、いまは誰もいない。


 もちろん、何もいないと信じて進むのは愚かというものだ。そこかしこに死の臭いがこびりついている。私はアマリリスの影に狼の姿で入り込み、注意深く周囲を窺った。

 守るべきものはひとりだけ。

 彼女を襲う者があれば、すぐさま飛び出して引き裂くなり、切り捨てるなりするだけだ。

 聖戦士に囲まれながら歩み、アマリリスはそっと息を吐く。鼓動の音を感じ、私は周囲に聞こえぬように影の中から囁いた。


「怖いか?」


 すると、アマリリスはすぐに答えた。


「いいえ、あなたが一緒だもの」


 そう言って、彼女は行く手を見据えた。

 カエルム大聖堂の姿を見つめているのだろう。取り巻く雰囲気は変わってしまっても、建物だけは変わっていないはずだ。その内装は荒らされているかもしれないが、これまでのところ、シルワでもイムベルでも聖堂を酷く破壊されるようなことはあまりなかった。

 そうではない。破壊され、奪われたのはもっと深く、繊細な部分だ。カエルムの惨状は目に焼き付いている。私の失敗が、怠慢が、ここに仕えていたたちを破壊していったのだ。


 あの時、ゲネシスさえ、止められていれば。

 どうしようもない後悔は、今もふと気づけば私の心を蝕んでくる。


「カリスは? 怖くない?」


 小さく問いかけられ、はっとした。

 まるで鼻先を撫でられたかのような温もりを感じた。触れられたわけではないのに、彼女の声が聞こえただけで、その声に込められた心を感じただけで、そう思ったのだ。

 私は息を吐いて気を引き締めた。反省は必要だが、囚われすぎてはいけない。起こってしまったことは変えられないのだから、せめてこの先が酷くならないように努めるだけだ。


「大丈夫だ。お前を護らねばならないからね」


 そっと答えると、アマリリスは静かに笑った。少しは緊張が解れたらしい。そのことにこちらも少しだけ満足しつつ、気を引き締めた。


 前方ではカエルムの鳥人戦士たちが突き進んでいる。その先陣を切るのは、イグニスにてクルクス聖戦士を取りまとめていたウリアだった。

 大聖堂の混乱後は、飛べる戦士の多くが傷ついたという。イグニスからの増援があるまでは非常に厳しい状況にあり、聖山のみならず都まで陥落寸前にまで追い詰められた。

 けれど、それを救ったのがウリアであり、現地で抵抗を続けたアズライルたちだったそうだ。


 あれだけいた鳥人戦士の多くを失ったが、今なお残ってはいる。もともと戦いに不向きなはずの〈金の鶏〉もカエルムを護るために立ち上がった。こちらの数は決して少なくない。アマリリスをジズの元に向かわせるために、捨て身の覚悟で共に歩む者ばかりだった。

 それでも、敵も敵だった。


「あれは……」


 不気味なほど静かな参道を歩み続けてしばらく、アマリリスのすぐ近くを歩んでいたグロリアが鳶色の目を空へと向けた。その直後、影の中にいた私の鼻に届いたのは、身も震えるほどの懐かしいニオイだった。

 思わず影より飛び出し、アマリリスの前へと出た。同じように、影や狭間に潜んでいた魔物戦士たちが姿を現す。先陣を切っていたウリアやそれに続いていたアズライルたちが立ち止まり、呆気にとられたような表情を浮かべながらそれを見つめた。


 現れたのは、真っ白な鳥だった。

 いや、天使だろうか。

 美しい翼を広げ、輝きを失った目で私たちを見下ろしていた。その姿、その神々しさに、私だけでなくこの場にいた殆どの者たちが衝撃を受けていた。


 ああ、勿論、この可能性には気づいていた。

 シルワだってそうだった。サファイアの皮を被ったあのソロルは、死霊に許された以上の力を発揮できるようになっていた。その一つが魔物の死霊化。

 とくに、かつての三王の末裔であるレグルス聖戦士を呼びだして、使役する力だ。


 そこにいたのは天使ではなかった。

 見覚えのある姿、見覚えのある目、生きていた頃と全く変わらぬ姿で、は再び私たちの前に現れた。


「ジブリール様!」


 アズライルがその名を呼ぶと、彼女は私たちの行く手を阻むようにひらりと舞い降りた。

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