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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
3章 フィリップ

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9.獣の代理人

 レスレクティオ教会の鐘の音が響く中、私は恍惚とした感情に包まれていた。

 木々が、風が、話しかけてきている。それは思い返せばこれまでも感じ取ろうとして来たことだった。感じ取っている気になっていた。大地の吐息、木々の芽吹き、獣たちの囁き。そういったものは精霊たちの営みであり、人狼が人狼らしく振る舞う上で大切な声であったのだ。

 しかし、今にして思えば私は全く聞き取れていなかった。風が声を運んでいる。耳を澄ませば大地を通して蹄の音が聞こえてくる。そしてシルワの聖森の向こうに耳を傾ければ、そこから嘶きが聞こえてくるのだ。

 馬の声すら分からない私の耳でも、その嘶きは言葉として聞き取ることが出来た。その異変は、〈ベヒモスの角〉を口にして間もなく始まった。


「『死を認められぬ哀れな花の子らに聖なる赦しを』」


 聞こえたままに呟くと、傍に控えていたイポリータが私たちを見つめてきた。


「聖女さまとあなた様のお陰で、この地も、ベヒモスも……そして私たち角人たちも、神聖さを取り戻すことが出来たようです」


 イポリータは寂し気に笑っていた。


「カルロス隊長、グロリア、ウーゴ、カリスさん、そして聖女さま。短い間でしたが共に旅が出来て良かった。そしてラミエル。あなたと知り合えて本当に良かった。どうかご無事で。私は予定通り、キャトル副隊長たちと共にシルワを守り続けます」


 それは予定されていた通りの別れだった。すべてがうまく行ったからこその別れ。それなのに切ない気持ちになってしまうのはどうしてだろう。

 カルロスが深く頷き、イポリータに労りの言葉をかける。そのやり取りを見つめながら、私は鐘の音に合わせて歌うベヒモスの声を聞き続けた。


 死霊が全ていなくなったわけではない。都から逃れた人々が帰って来るまでも時間がかかるだろう。

 イポリータたちのやるべき事はまだまだ残されている。だが、少しは手伝いたくとも、ここに長く留まり続ける気にはなれなかった。


 大聖堂から〈ベヒモスの角〉を回収したあの後、カルロスたちにコルヌ礼拝堂での顛末を聞かされた。

 それによればリル隊長ら角人死霊たちは戦いの最中で突如戦意を失い、崩れ落ちるように泣きだしたのだろう。フィリップと恐らく同じ時刻だろう。

 神聖さを取り戻したベヒモスの声が彼にも届いたのかもしれない。ともあれ、その後は角人死霊たちを突破するのは簡単だったという。角人の味方がいなくなれば、〈果樹の子馬〉や彼らの操る植物の怪物も恐れるような存在ではなくなったという。


 何故、角人死霊たちは戦いを止めたのか。

 そこから推測できるのは、サファイアの力の未完全さだった。他の死霊たちとは違い、魔物を完璧な死霊に仕立て上げることは、やはり不可能なのだろう。

 カエルムでもきっと鳥人たちが同じような傀儡にされているだろうと思われる。しかし、同じように苦しんでいるはずのジズを解放することが出来れば、同じことが起こるかもしれないのだ。


 だが、誰ひとりとしてこの状況に安堵はしていなかった。

 サファイアの力は増し続けている。魔物の死霊が可能になった今、そこからさらにその忌まわしき力が増大する恐れだって十分にあり得るのだ。

 そうなれば、あまり楽観していいものではない。叩けるうちに叩き潰し、取り戻せるうちに取り戻さないといけない。


 〈ベヒモスの角〉を授かった今、リリウム教会の者たちからは出来るだけ早い出発が求められていた。

 それは私も同じだった。

 

 リヴァイアサンの愛の力とベヒモスのことわりの力。

 この二つの恩恵を体になじませながら、私の想いはすでに最後の一つが待っているカエルムへと向いていた。そこには紅玉のように輝く〈ジズの翼〉があるという。

 早くその秘宝を口にしなければ。今も何処かで死霊たちの王に仕立て上げられているゲネシスのことを思えば、気は急いてしまう一方だった。


 では、アマリリスはどうだろう。いまだに彼女のことが掴めない時はある。

 ルーナの死後はとくにそうだ。立ち直った後も、そして聖獣たちに会った後も、彼女は時折恍惚としたまま放心している。それが聖獣たちの歌声によるものだと私は最近になってようやく理解してきた。

 それだけ、聖獣たちの声が聖女の心を縛り上げているのだ。ともすれば、攫われていってしまいそうなまでに。儀式が終わって談笑している今もまさに彼女はそんな様子だった。


 私が身を寄せると、アマリリスはふと呟くように言った。


「哀れな花の子ら。ベヒモスは彼女達の事をそう呼ぶのね」


 さっきの声のことだ。その顔を見やると、アマリリスは俯き気味に続けた。


「あの子――桃花となったソロルもまた、ベヒモスにとっては花の子のまま。彼らにとって死霊はどんな存在なんだろう。たまに不安になってしまうの」


 戦士たちを憚ったその小さな声に、私はそっと問いかけてみた。


「聖なる赦しとは何だと思う?」


 すると、アマリリスは私を見つめ同じく小さな声で答えてくれた。


「はっきりとは分からない。でも、これだけは伝わって来る。あのままにしておくのがいいわけじゃない。今の彼女――彼女たちはサファイアを着飾る玩具に過ぎない。〈赤い花〉の器に入れられて弄ばれていることすら自覚していない可哀想なソロルと、そんな死霊たちに虐げられる魂たち。桃花を真に救うためにも、あの器を壊さないと」

「出来るのか。心苦しければ、無理に自分の手を染めることはないのだぞ」


 囁いてやれば、アマリリスはそっと目を細めた。


「ありがとう。でも、大丈夫。その時は私がやらないと。あの子の死にきちんと向き合って、この手で打ち破らないと。……そうしないと、サファイアはきっとルーナまでどうにか呼び出そうとするでしょうから」


 そう誓う聖女の目には迷いが感じられない。それでも、私は知っていた。

 この心は繊細な硝子細工のようなもの。ふとした瞬間に、割れてしまう恐れもある。だから、油断してはならないのだ。愛しいこの心を守るために、常に、いつだって、私は彼女の隣にいなくてはならないのだと。


 それから数日後、旅立ちの日はやってきた。ひっそりと都を去る予定だったのだが、見送りには多くの人々が駆けつけていた。角人と〈果樹の子馬〉が殆どで、それ以外の種族の者達はごく少数だった。

 〈果樹の子馬〉たちに磨かれた馬たち――とくにヒステリアが気高く嘶くと、それに合わせたように〈果樹の子馬〉たちが和気あいあいとそれを宥める。

 そして神とベヒモスと聖女を称える歌を唄い、教会の鐘を鳴らし始めた。


 賑やかな見送りを荷馬車の中から、私は都の様子を窺った。建物も植物たちもここへ来た時とさほど変わらない。生き残りの数は意外に多く、今もシー兄妹のもとで選別は続いている。

 死霊の全てが駆逐されているわけではない。いまも大聖堂や聖森、そして都の片隅では死霊が隠れ潜んでいるだろう。それでも、今の彼らに絶望は感じられなかった。


 キャトル副隊長、クー、そしてイポリータを中心とするシルワの人々に最後の別れを告げると、ウーゴが馬たちに合図を送った。神聖な鐘の音に合わせ、爽やかな風が吹き、さらには遠くより蹄と嘶きの声が聞こえた。


 ――わがことわりを受け継ぎし聖女とその友に祝福を。


 そんな言葉が脳裏に浮かんで消える。

 いつか聞いたものに似たその不思議な祈りは、心に深く刻まれていくようだった。


 アマリリスの手を握り、私は深呼吸をした。

 風に乗ってシルワの匂いが運ばれてくる。同じ荷馬車に乗ってここへやって来たとき、私は呪いの臭気を感じ取った。深い悲しみと呪詛が大地の奥深くまで染み渡り、かつての神聖さはすっかり失われていたのだ。


 さて今はどうだろう。

 聞こえてくる鐘の音も、蹄の音も、そして嘶きも、すべて。その何処かに悲しみが残されている。

 奪われた巫女の魂とベヒモスの力は、今もあのサファイアの元にある。取り返すまでこの悲しみは拭えず、取り返したとしても深い傷が治ったあとがそうであるように傷跡が残されるのだろう。


 それでも、私たちが来た時とは比べ物にならないほどよくなった。

 淀んでいたシルワの悪い空気は流れていき、いまは新しい風が吹き続けている。明るい風を感じているのか、ヒステリアたちの足取りは非常に軽かった。

 向かうは次の地――カエルムへ。最初に踏みにじられたその場所へ、荷馬車は順調に進んでいく。

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