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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
2章 ニフテリザ

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9.居場所のない人間

 変わった人間だと思う。

 生臭い空気の中で、私はニフテリザを見つめながらそう思った。


 彼女が吸血鬼の花嫁に成り損なった人間。エスカは最初からニフテリザにターゲットを絞っていたのだろう。処刑台に上がらせ、頃合いを見計らって私がしたような方法で連れ去り、行方不明にしてしまうはずだったのかもしれない。

 先に行動した私を一応は褒めたが、魔女に対して気配を隠せるような吸血鬼ならば、あの状況でも攫うことは可能だっただろう。


 攫われたニフテリザは果たして彼の言うように安全な生活を保障されたのかどうか。こればかりは分からない。だが、吸血鬼の花嫁や花婿となった人間が幸せなのかといえば、心身共に奴隷になることに快感を覚えるような酔狂な者しか幸せにはなれないだろうとは思う。


 ニフテリザはそういう人間には見えない。ただの町娘だ。きっと純粋にエスカという男に憧れていたのだろう。


 エスカとの間に交わされた愛の言葉は本物だったかもしれない。それでも、彼女が抱いていた憧れとは程遠い日常だったと思われる。そんな事実を分かっているのかいないのか、ニフテリザは変わり果てたエスカの姿を茫然と見つめていた。泣きもしない、嘆きもしない、怒りもしないし、当然ながら笑いもしない。おぞましい姿となったアルカ聖戦士を、ただ茫然と見つめていた。


 そのまま、しばしの時間が流れていった。

 長い間に思えたものだが、太陽の傾きはさほど変わらない。追手の気配がないからこそ、そっとしてやれたのはよかったことかもしれない。

 やがて満足したのか、ニフテリザはため息を吐くと、ようやくエスカの亡骸から離れた。


「御免なさい」


 そう詫びてから、改めて、私とルーナを見つめてきた。


「……助けてくれて、ありがとう」


 感情を抑えたような言葉だった。


「こちらこそ、ありがとう」


 真っ先に答えたのはルーナだった。


「ニフテリザ、だったよね。アマリリスを庇ってくれてありがとう」


 子どもらしい口調でそう言うと、ニフテリザは静かに首を振った。


 ――助けてくれて、か。


 まだ、その感覚は薄い。

 しかし、少しずつ冷静になってきた。


 性と夢魔による後遺症で、カリスを捕らえられると本気で思っていたが、落ち着いて考えてみれば捕らわれるのは私の方だった。

 エスカを倒したときに無理に魔力を使ってしまったのだ。腹は減らないが、魔力を再び回復させるのには睡眠などの休養が必要となる。

 直後にカリスと戦っても、彼女の主張通り教育・・を受ける羽目になっていただろう。


 確かに、ニフテリザに救われた。一方的に救ったと思っていたのに、恥ずかしいものだ。ニフテリザの行動にカリスが戸惑わなければ、私はこの身を滅ぼしていたかもしれない。


「ありがとう。まさかあの状況で人間に庇われるとは思わなかったわ」


 とりあえずそう言って、真っすぐその目を見つめれば、ニフテリザはやはり戸惑いを見せた。


 当たり前の反動だ。私のことが怖くないわけがない。なぜなら彼女は魔物の血を引くものと疑われ、殺されそうになったのだ。その上、恋人を二目とみられぬ姿に変えてしまったのはこの私の魔術だ。憎んでもいい。怒りの矛先を此方に向けてもいいはずなのに。

 きっと、ニフテリザは人間の中でも攻撃性が低い方に属するのだろう。私に向けた己の態度を反省するかのように気まずそうな表情を浮かべ、そして、ゆっくりと首を振ったのだった。


「当然の事だよ」


 そして、寂しそうな目で微笑みを浮かべた。


「ああなってみて分かった。やっぱり、私は生き延びたかったんだ。あの状況で助けてくれたのは彼でもなく、神でもなく、あなた達だった。……だから」


 そう言いかけ、その目がちらりと変わり果てたエスカへと向いた。

 恐れることなく彼女は彼の死を悼んだ。一度は恋した相手のはず。あのような姿は恐ろしくないだろうか。それとも、荒んだアリエーテの町で、ああいうものは見慣れてしまったのだろうか。

 彼女は目を離さなかった。恐ろしい狂気の日々が恐怖心を鈍らせてしまったのかもしれない。

 それでも、彼女はどこか私とは違う雰囲気を持っていた。自分を騙したぶらかそうとした吸血鬼のことを、それでも憐れんでいるように見えたのだ。

 私から見れば傲慢で、呑気な人間にしか見えない。だが、それでも人間の中では好感が持てるタイプだ。ルーナにも少し似ている気がする。


「エスカ様」


 そこでやっと涙をこぼし、彼女は言った。


「そうか、彼が吸血鬼だったんだ」


 力なくニフテリザは呟く。反応を期待していない、独り言のようだった。


「彼だけはずっと庇ってくれた人だった。だから、彼が吸血鬼だなんて思いもしなかった。結婚の約束をしてくれた日のことは忘れられない。でも……」


 涙を抑え、ニフテリザは小声で言う。


「でも、確かにそうだ。吸血鬼の被害と彼が来た時期、あまりにも近かった。ああ、そうだった」


 偽物の聖戦士だったのかとニフテリザは思うだろう。

 しかし、そうではない。アルカ聖戦士の身分はそう簡単に偽れるものではない。派遣されていたのは事実なのだろう。カリスが言っていたように、魔物が聖戦士になったという話は聞かないわけではない。ディエンテ・デ・レオンでは当然のような話であるし、怪しい噂によればリリウム教会では魔物の力を利用するためにこっそり採用しているのだとも聞く。


 エスカが吸血鬼であることを知っている者はどれだけいたのか。ひょっとして、知っていながらも、身分の高さゆえに追求できる空気ではなかったのだろうか。

 いや、そもそも人を騙す天才が魔物というものだ。クルクス聖戦士たちであっても、彼が吸血鬼であると気づいている者はいなかったかもしれない。そうでなければ、何故、あのようにアリエーテの狂気を放置し続けられようか。

 そう思いつつも、私は疑いを捨てられずにいた。この世界は、時と場合によって真実が歪められることだってある。いつだって目に見えている真実が真実とは限らない世界だ。


「絶望と希望とが絡み合う、奇妙な毎日だったな……」


 ニフテリザは力なくそう言った。

 運のいい女と言えるだろう。ルーナがいなければ、私は見殺しにしていた。騒動を収めるための生贄の一人として首を晒すことになっていたか、最後の犠牲者としてエスカにさらわれていたのだろう。


「もし、アリエーテの町に未練があったとしても、もう戻らない方がいいわ」


 念のためそう助言してみると、ニフテリザは静かに頷いた。


「そう……ですよね。いいの、未練なんてない。あの町の人たちは、誰も私を庇ってくれなかった。どんなに違うと言っても、聞いてもくれなかった。家族が生きていれば、違ったのかもしれない。でも、現実はそうじゃない。私が戻らなくたって、誰も困りはしないんだ」

「そう。じゃあ、あなたはこれからどうしたい?」

「さあ、どうしたらいいんだろう。家庭もない、仕事もない。アリエーテには戻れない。クロコ帝国のどこにも私の居場所なんてないのだろうね」


 助けて欲しいと願ったのはルーナだ。だが、彼女の願いを叶えたのは私。

 ルーナの懇願を無視できなかったのも、もとはと言えば私自身の判断で彼女を隷従にしてしまったからだ。いわば、自己責任。そして、実際に助けた以上、私には責任が生じる。ここで放置するのはよくないことだ。魔女や魔人の品格にもかかわって来るような問題だからだ。


 私は当然の気持ちで、彼女に提案した。


「もしよかったら、あなたの暮らせる町まで連れて行ってあげる」

「……え?」


 予想外だったのか、ニフテリザは驚いた表情で聞き返してきた。

 その目を、私はじっと見つめた。


 このままクロコ帝国に置いておくのは危険だろう。ルーナの目は欺けない。そんな非情なことをすれば、彼女の心も傷ついてしまうことになる。

 しかし、かといって、エーデルワイス、ローザ大国、教皇領、ラヴェンデル、シトロニエといった周辺国に置いていくとなれば何処も不安が大きい。どこも無責任に置いておける場所ではない。


 それに比べて、これから向かうディエンテ・デ・レオンは比較的安定している上、シトロニエを挟むため、ここから逃げる先には適している。

 あちらもあちらでピリピリした場所には変わりないが、余所者に対して過剰に拒絶するという風土ではなかったはずだ。ニフテリザを連れていくには相応しい場所だろう。


「わたし達、魔物も暮らせる国に行くの。そこなら、ニフテリザも安心して暮らせるはずよ!」


 ルーナが嬉しそうに言うと、ニフテリザは首を傾げた。


「魔物も暮らせる国……?」

「ディエンテ・デ・レオンよ」

「そんなに遠くまで? 入国は……?」


 実に人間らしくニフテリザは驚いた。人間が人間として他国に行く際に、旅券が必要だからだろう。しかし、私たちにそんなものは必要ない。魔物や魔族は旅券などなくとも門を潜ることができてしまう。旅券が必要となるのは、エスカのように人間のふりをして複数の国を行き来しながら働くような人物だけだろう。

 問題があるとすれば、それでニフテリザがきちんと人間の世界に戻れるかどうかだ。だが、怯えることはない。もしも、駄目ならば、別の場所を探すだけのこと。集落なり、なんなり、女一人がそっと馴染めるような地域は何処にだってあるものだ。その中から相応しい場所をゆっくり選べばいい。


「大丈夫よ。だから、来たいのなら一緒に来ればいい」


 私はそう言った。


「この先、あなたの日常はこれまでとはかけ離れたものになってしまうでしょう。それでも良ければ、私はあなたを連れていく」


 ニフテリザはその言葉にしばし口ごもってしまった。


 後戻りは死を意味する。アリエーテの人間たちは、もうすっかりニフテリザという女を恐れているだろう。姿を見せるだけで、危害を加えられることも容易に想像できる。進むしかないのは彼女もよく分かっているはずだ。それでも、ニフテリザはしばらく考え込んだ。恐らく、私と共に来るという事は、人間として生活したこれまでとの別れを意味すると考えたのだろう。


 やがて、想いが定まったのか、ニフテリザは口を開いた。


「私はどうせ居場所を失った人間です」


 胸に手を当て、静かに頭を下げる。


「これまでの暮らしを諦めるしかない以上、躊躇っている場合じゃない」


 そして、ニフテリザは私の前で跪いた。


「しばらくあなた達に甘えさせてもらいます。魔の血を一滴も引かない私が、あなた達の旅について行けるのかは不安ですが、それでも、私だってこのまま野垂れ死にたいわけじゃないんです。お願いします、アマリリスさん、連れて行ってください」

「お願いされるまでもないわ。私から言ったことだもの。……それと」


 私はそっとニフテリザの髪に触れてみた。くすんだ金の髪。カリスのものによく似ていて好ましい巻き毛。特徴の一部が似ているというだけで、狼の匂いなど全くしないのに、それだけで少し執着してしまった。もちろん、殺したいとは思わない。この女は人狼じゃない。

 心の片隅で息を潜める残虐性がどの程度、表に出ているかは分からない。ただ、ニフテリザがさほど怯えずに済んでいるほどには、隠せているのだろう。静かにそう捉えると、私はニフテリザに言った。


「一緒に来るのなら、もう“さん”付けは止めて。くすぐったい」


 ニフテリザは戸惑い気味に頷いた。


 こうして、私は初めて魔の血を一滴も引かぬ人間とそれなりに関係を深めることとなった。

 ルーナがいなければ、こうはならなかっただろう。可愛い隷従に色々な経験をさせてやるつもりが、私の方が様々な経験をさせられてしまっている。

 だが、これも長く退屈な日々の刺激となる。何よりも、ルーナがそれで満足してくれるのなら、私の方も満足だった。


 ニューラは何を思うだろう。


 私の師匠であり、養母でもある偉大な魔女。彼女の教えには大変な不備があった。主従の魔術を学ばせるのならば、その危険性をもっときちんと教えてほしかった。

 しかし、そんな暇はなかったのだと彼女は反論するだろう。それについては同意せざるを得ない。私はきっと彼女の教えの半分も貰ってはいなかったのだ。

 ルーナという隷従を手に入れてから、私は初めてそれに気づいた。あまりにも未熟なまま飛び出してしまったのだと。


 桃花タオファを失ってからどれだけの時間が経っただろう。そして、どれだけの人狼が私の為に命を潰されてきただろう。私の身体に時間は蓄積していったけれど、ただ時を重ねただけだった。本当ならば、今からでも、彼女に頭を下げに行かなくてはならないかもしれない。

 でもそれは、もっと後のことにしよう。もっと後、ニフテリザの居場所を確保してから、桃花の件を詫びて、あわよくば、ルーナと私が安心して過ごせる方法を教授してもらおう。その為にならば、子どもの頃に恐れたような、彼女の性を満たすための協力だって厭わない。


 しかしその前に、ディエンテ・デ・レオンだ。ずっと目的もなく彷徨ってきたのが嘘みたいだ。

 この先、ニフテリザの人生が大きく変わっていくように、私の日常もまた大きく変わることになるだろう。それが楽しみでもあり、少し不安でもある。


 そう、まるで、何か引き寄せられるように、私たちの道のりは少しずつ定まっていったのだ。

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