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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
3章 フィリップ

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8.ベヒモスの角

 逞しい犀のようなその頭が地に落ちると、その体は緑の土塊のように崩れていった。やがて残ったのは新緑のように美しい光の塊。リヴァイアサンの時と同じように、その場に留まっていた。

 力を奪われたベヒモスの残骸であっても、その神々しさは隠せない。留まりながら祠の前で輝き続けるその光を見つめ、戸惑いを露わにしたのはフィリップの姿をしたフラーテルであった。聖槍を落とし、馬の四つ足を震わせている。光となった自らの祖に怯えているようだった。


「ベヒモスが……」


 その時、嘶きが聞こえてきた。

 呼び出されたようにアマリリスは光の下へと歩みだす。そしてそのまま光に何やら目配せすると、祠へと向かっていった。

 我に返った桃花が走り出したが、緑の光がそれを威嚇するように揺らいだ。その動きに恐れを示したようで、桃花はとっさに立ち止まってしまった。


「アマリリス、待って!」


 懇願するように呼び止める彼女の声は届かない。過去の聖女たちメイベル、ルージェナ、マリナだという姿をしたソロルたちもアマリリスの姿に釘付けになっていた。


「待ってよ!」


 少女の声は届かず、アマリリスはその手を祠につけた。

 すると、聖ティエラ礼拝堂の天井から白い光が差し込んできた。聖光に反応するように緑の光が飛び出していく。祠の後ろで佇むのは緑のオーラをまとった美しく逞しい姿をした一角獣だった。まつ毛の長い目でアマリリスを見下ろすと、アマリリスが指輪の嵌る手を掲げる。それに合わせ、聖獣はその口を開けて馬の嘶きに似た歌を歌い出した。


 言葉は全く分からない。それでも、心に沁み込んでくる歌だった。潮騒と鯨のような声が共に歌っているような気がした。共鳴し、調和し、しかしまだ何かが足りない。そんな歌が礼拝堂に響き渡った。


 その後、聖獣ベヒモスは大きな一角をアマリリスへと向けた。その指先に触れさせると、古代の言葉で何かを語りだした。まだその声が私には聞こえない。ただ、アマリリスには分かるのか、じっと耳を傾けていた。いつの間にかその指に握られているのは緑玉のような欠片。ベヒモスと同じ色に輝いていた。

 何かを語り終えると、ベヒモスはその目でじっとフィリップを見つめた。悲しそうな、切なそうなその目でただ見つめると、何かを訴えるように嘶き、そのまま花吹雪と共に消えてしまった。

 神々しさだけが残る礼拝堂で、フィリップは全身を震わせたままがっくりと肩を落とす。


「我が祖……ベヒモス……」


 明らかにそこに戦意はなかった。


「何故……なぜ私はここにいる……ああ……グリス様……私はどうしてフラーテルなどになっているのだ……」


 震えたまま仮面を脱ぎ捨て、そのまま私を振り返った。初めて目にするフィリップの素顔を見上げ、私は茫然としていた。美しい青年の顔からはとめどなく涙があふれていた。

 落とした仮面が床に落ちると同時に塵となって消える。それを見届け、フィリップは私に向かって告げた。


「どうかその剣で私を貫いてほしい」

「フィリップ」


 その名を呼ぶと、彼は震えながら言った。


「私はフィリップではない。私は……フラーテルなのだ……フラーテルでしかない」

「フィリップ?」


 桃花を始めとした〈赤い花〉たちが一斉に振り返った。怪訝そうに見つめるその視線を感じても、フィリップは――彼の姿をしたフラーテルは涙を流すばかりだった。


「この心身は私を拒んでいる。眠りを望んでいるのだ。ああ、やり残したことがたくさんあったのに、それもすべて忘れてしまった。ただ望みたいことは一つ。どうかその剣で私に永久の眠りを」


 その願いは迷いのないものだった。私は決意し、動いた。

 抵抗は一切されることなく、鎧と鎧の隙間をエスカの剣が貫いた。馬の胴を深く傷つけられ、フラーテルは苦しそうに呻く。しかし、怒りに任せて私を攻撃してきたりはしなかった。

 痛みに耐えながらフィリップは私を見つめてきた。剣を抜くと、馬の膝を折ってその場に蹲る。


「どうか……どうか私の代わりにティエラ様を――」


 そのまま彼の姿は消えていった。

 しばしの沈黙の後、戸惑いに満ちた少女の声が響き渡った。


「うそ……そんなのうそだ……」


 その場に座り込み、私とアマリリスとを怯えながら見比べた。


「フィリップが死を望むなんて」

「桃花」


 アマリリスが冷静な声でその名を呼ぶ。片手には〈ベヒモスの角〉が。そのままゆっくりと桃花へと歩み寄っていく。


「――どうして!」


 震えながら逃れる彼女を庇うように三名のソロルたちが取り囲んだ。アマリリスとほぼ同じ衣装を着せられた彼女たちが立ちはだかる。

 だが、その姿にも今のアマリリスは躊躇ったりはしなかった。そっと指輪の嵌る手を向けている。そんなアマリリスに対して、桃花はひたすら叫んだ。


「どうしてなの? ねえ、アマリリス、どうして! リリウムはあなたを利用しているんだよ。サファイア様がそう言っていたもの!」


 悲鳴のような叫びで、桃花は訴えた。


「メイベルはね、とっても可愛かったから皆に愛されて、当時の教皇聖下の方針でリリウムの宣伝に利用されたの。そのせいで、狂信的な一派に目をつけられて殺されてしまったの。ルージェナは目覚めた人殺しの性と信仰の狭間に心を引き裂かれながら自害を選んでしまった。そしてマリナは……せっかく世界を救ったのに最期は火あぶりにされたのよ。皆、皆、聖女さまに選ばれたのにリリウムのせいで死んだんだってサファイア様が教えてくれたの。だから、このままだとアマリリスもいつかは――」

「桃花」

 

 優しい声でアマリリスはその名を呼んだ。


「もういいの。こっちへおいで」


 瞳は揺らいでいる。迷いがないわけではないだろう。それでも彼女は自らの手で聖女の姿をしたソロルたちを潰す気だった。

 何も彼女の手だけを汚すことはない。私はすぐにその近くへと寄った。


「覚悟するがいい、ソロルたち」


 剣を構えて近づくと、ソロルたちも身構える。ただ一人、桃花だけがこの状況に怯えていた。恐らく勝つのはこちらだ。アマリリスが直前で躊躇ってしまったとしても、私ひとりで四人まとめて潰してやろうじゃないか。

 だが、そんな覚悟を決めた時に、声は響いたのだった。


「お戻りなさい」


 即座に耳が反応した。

 奴だ。サファイアだ。姿は見えないが、声は近くに聞こえる。


「サファイア様、でも――」


 桃花の声に、サファイアはいかにも愛おしそうに語り掛ける。


「ここであなた達まで失うわけにはいかない。だからお戻りなさい。疲れは癒してあげましょう。釣れないお友達の代わりに、あたしが優しく抱きしめてあげるから」

「サファイア様」


 ほっとしたような表情を浮かべると、桃花はそのまま姿を消してしまった。

 ソロルたちもそれに倣い、消えていく。せめて一体だけでもと襲い掛かったが、もう遅かった。私の剣は空しく宙を切り裂き、後には何も残らない。

 同時に、辺りを包んでいた殺気は一切消えていき、ただひとりの気配だけが祠の周辺に留まっていた。


「……そこか!」


 怒鳴り声をあげると、祠の前に彼女はあっさりと現れた。剣を手にアマリリスの前へと出ると、彼女は微笑みを浮かべて、私を指さしてきた。それだけで、歩み止まってしまった。

 異質なソロル。彼女の怪しげな力に威圧され、魔術にでもかけられたかのように動けなかった。周囲には誰もいないというのに、彼女一人で何千人、何万人もの死霊たちに見つめられているような気にさえなった。


「アマリリス、それにカリス。おめでとう、これでシルワはあなた達の場所に戻った。そういうことにしておきましょう」


 甘い口調で彼女は言った。


「あなた達がここまで物分かりの悪い子たちだなんて思わなかったわ。とくにアマリリス。せっかくあなたには懐かしい人に会わせてあげたのに。可哀想に、桃花はあなたに会えるのを楽しみにしていたのよ。あなたを抱きしめ、抱きしめられることを心待ちにしていたの。それなのにあなたは拒んだ。きっと深く傷ついたことでしょう。可哀想な桃花。代わりにあたしがあの子を隅々まで愛でてあげましょう。かつてのあなたのようにね」

「桃花の魂を弄ばないで」


 淡々と呟くアマリリスの声には明確な怒りが込められていた。

 彼女の怒りがじわじわと伝わり、私の闘志も燃え上がる。今すぐにでも捕らえて八つ裂きにしてやりたい気持ちを抑えるので必死だった。


「嫌だったら、今ここであたしを殺してみなさいな。二対一よ。二人同時にあたしにもっと近づいてくればいい」


 煽られるままにアマリリスは魔術を発動させた。蜘蛛の糸がサファイアを狙う。切断か、それとも緊縛か、しかしいずれにしても彼女の身体に触れることは出来なかった。サファイアが首を振っただけでアマリリスの糸は力を失い、溶けてしまったのだ。

 アマリリスの表情が歪む。どうあっても正面から彼女を魔法で捉えることは出来ないらしい。


「あたしにまやかしは通用しない。でもそれはどうかしら。カリス、あなたの持つその聖剣はあたしを貫けるかしら。試してみてもいいのよ。だから、もっと近くに来なさい」


 深海のように青い目が、私の感情を逆なでする。

 憎くて、憎くて、たまらない。怒りに身を任せれば、今にも駆け出してしまいそうだった。だが、そんな私の手綱を引っ張るようにアマリリスの小さな声が聞こえてきた。


「カリス」


 名前を呼ぶに留めたその声がすっと心身に沁み込み、熱が冷めていった。

 死霊の女王と化したこのソロルが憎い。それでも、アマリリスの吐息は私の心から怒りの炎を消してしまったのだ。身を案じるように窺ってくる彼女を、私はそっと振り返った。


「大丈夫だ」


 感情を手玉に取るのがあのソロルの手法だ。それを理解し、心を抑制しなければ。勝敗は単純な力の強弱で決まるわけじゃない。長く生き残りたいならばそれを心しておかねばならないだろう。

 少しずつ距離を取る私とアマリリスを見て、サファイアは呆れたようにため息を吐いた。


「つまらない人たちね。せっかく挑む機会を与えてあげたのに。でもいいわ。生憎、あたしも暇ではないの。あなた達のお仲間がすぐそこまで来ている。残念だけれど、これまでね。――アマリリス」


 笑みを漏らし、サファイアはアマリリスを見据えた。


「あなたがそうしたいのなら、そのまま信じる道を突き進みなさい。けれど、忘れないで。死はいつでもあなたを優しく迎えてくれる。桃花を、そして聖女たちを見たでしょう。リリウムの連中よりも、花売りの連中よりも、あなたが永遠の幸せを手にする場所を作ってあげられるのはこのあたしよ。そこを間違わないことね」


 足音が近づいてくる。味方の匂いが強まってきた。

 どうやら彼らを足止めする者はもう何処にもいないらしい。その音を聞きながら、サファイアは神々しさを取り戻しつつある礼拝堂の天井を見上げた。


「もう行かなきゃ。彼が寂しがっている」


 そして彼女は唐突にその場からいなくなった。

 味方たちが飛び込んできた頃には、そこに彼女たちがいた証拠すら残っていなかった。

 神聖さを取り戻した礼拝堂の中で、アマリリスが手に握る秘宝を見つめていた。緑玉のように輝く〈ベヒモスの角〉を、駆けつけたカルロスたちも確認する。

 秘宝を奪い返そうと襲い掛かって来る者はいない。イムベルでの命懸けの撤退も、この度は必要なかった。

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