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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
3章 フィリップ

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6.死霊たちの待ち伏せ

 レスレクティオ教会を取り戻してから、都を蹂躙していた死霊たちの勢力は日々衰え続けていった。やはりメディア隊長とその部下たちの存在は大きかったらしい。しかし、それだけでないようだ。都で目撃される死霊の数が明らかに減ったという報告があったのだ。

 死霊を見分ける術に長けるシー兄妹によれば、聖戦士たちが討伐している以上に死霊の気配がだんだん遠ざかっているという。その理由は他の諜報員によりすぐに特定された。シルワ大聖堂を蹂躙する死霊の数が増えているのだという。


 都を奪い返すのは不利と判断したのだろう。それに、どうあがいても我々は大聖堂に行かなくてはいけない。全力で迎え撃つつもりなのかもしれない。

 回収するべき〈ベヒモスの角〉は今も聖ティエラ礼拝堂にある。司教の許しがなければ移動できないモノであるが、その決まりを死霊たちが守るわけがない。


 それでも、秘宝はすぐに壊されるようなものではないと生き残りのリリウムの学者たちは述べた。

 秘宝を持ち出す許しを与えるのは正確には司教ではなく、古くより伝わる司教の祈りを聞いて承諾した聖獣たちであるのだと彼らは言った。それが本当かどうかは分からない。リリウムの教えでそうなっているというだけだ。

 しかし、確かにイムベルではリヴァイアサンと思しき存在が直接アマリリスの手に秘宝を与えた。それを思い出せば、学者たちの主張も理解できそうなものだった。


 よって、死霊に奪われるという点では心配いらない。だが、この度は聖獣と声を交わせるという司教がいないという問題もあった。

 かつてここを温厚に守ってきたペール神父は命を落とし、彼を補佐していた立場ある聖職者たちも根こそぎやられてしまった。その際に、ベヒモスの許しを乞うのは、イムベルにおけるウィルのような花嫁守り――つまり、リリウム以前にここを治めていた王の末裔となるのだが、その立場であるフィリップもこの世にはいない。言うまでもなく巫女も同じだ。

 秘宝の件は一部の者しか知らず、さらに一部の者しか手順が伝わっていない。そのため、今のレスレクティオ教会ではベヒモスへの祈りを正確に出来る者が存在しなかったのだ。


 彼らをみすみす死なせてしまった不利が、ここにきて重く圧し掛かってきたのだ。

 アマリリスが自ら罠に飛び込まねばならなくなったのも、全てはその為だった。彼女自身が恐れようとも、望もうとも、ベヒモスの声を聞き、ベヒモスにもっとも声が届くだろう聖女として、直接貰いに行かねばならなくなっていたのだ。

 その事実を知ったのは、旅立つという日のこと。教えてくれたのは噂好きの〈果樹の子馬〉たちだった。自ら教えてくれなかったのは、私を心配させたくなかったからだろうか。そこに何処となく寂しさと不安を感じながら、私たちは聖森を突き進んだ。


 巡礼者のいない聖森は異様な静寂に包まれていた。生き物の気配はあるが、前にここを通った時よりも空気が淀んでいる。鳥は息を潜め、虫たちのざわめきには心なしか不安が込められているよう。精霊たちの気配も消えていた。

 この先に行くのが億劫だ。それはきっと生き物としての本能なのだろう。本来は臆病で、逃げ惑うことで生き永らえた私にとって、アマリリスの隣で堂々と姿を晒して聖道を歩むのは、それだけで多大な勇気のいることだった。

 時折感じるエスカの剣の重みが、そんな私の背中を押す。

 これがなければ角人死霊の一撃で私は死んでいただろう。奇跡、と捉えるべきか。逃れられない舞台へ上がらせられる今となっては、かつて鼻で笑っていたような迷信も、味方につけたい気持ちが高まった。


 アマリリスの緊張はどれほどだろう。隣を歩みながら、私はしきりに彼女の表情を窺った。

 前も後ろもついでに左右もリリウムの戦士たちが守っている。前はカルロスとグロリア、後ろはラミエルとイポリータ。間にクーを中心とした〈果樹の子馬〉たちがいて、キャトルとその部下を合わせた四足型の角人戦士が五人と、二足型の角人戦士が三人。さらに姿は見えないがパピヨン、スカルベ、ミュッケ、エンプーサ、吸血鬼のペトルなどがいるという。

 しかし一方で、死霊と戦う術を身につけたシー兄妹やキャトルの一番の部下を始めとした多くの戦士たちは一般市民と共にレスレクティオ教会に残っているため、心細いと言えば心細い。さっさと秘宝を取り戻し、あとはとにかく退却するのが賢いのだろう。


 ――あとは、相手がどうでるか。


 そして不安の尽きないまま、とくに邪魔をされることもなく我々はシルワ大聖堂についてしまった。

 かつて神殿だったその場所は、今も聖樹に侵食されながら守られている。聖樹は枯れてはおらず、そこに変わりはないらしい。しかし、空気は重たく、ピリピリしていて、入りたくない――入らせないような空気でいっぱいだった。

 しかし、踏みとどまっている場合ではない。


 キャトルが前へと進み、閉ざされた大聖堂の扉を開いた。大量の虫たちが逃げるような音が響き、久方ぶりに見るシルワ大聖堂の緑の景色が目の前に広がる。巡礼者がいなくなっただけで変わりはない。ベヒモスを模した像が寂しくそこにあり、とくに壊されてもいなかった。

 辺りには誰もおらず、耳を澄ませて初めて微かな物音が聞こえるほどに静かだ。どんな罠が待ち受けていようと踏み込まねばならない。覚悟を決めて私たちは中へと入った。


 聖ティエラ礼拝堂までの道を恐る恐る歩み、広大なコルヌ礼拝堂の中央まで来た時、予想通り異変は起きた。ざわめきが急に大きくなったかと思えば、周囲の木々が蠢きだしたのだ。無邪気な子供のような笑い声がいくつも響き、シルワ大聖堂の大扉が勢いよく閉められた。

 まだ死霊の姿は見えない。だが、それ以上のものが待ち受けていた。シルワ大聖堂を守る植物たちが根を伸ばし、ベヒモスの像によく似た怪物を生み出していったのだ。この力は間違いなく、〈果樹の子馬〉のものだった。


「なんて奴らだ」

「ボクらの仲間の力を悪用するなんて」


 クーたちが怒りを露わにして弓矢を構える。小さな矢が飛び、怪物を傷つけようとする。しかし、根の動きであっけなく跳ね飛ばされてしまった。


「無駄だ。小さな兄弟たち」


 その時、野太い声がコルヌ礼拝堂の隅から聞こえた。いつからだろうか。ベヒモス像の前にかなり見覚えのある角人戦士がいた。猛牛のような体格に、逞しい腕。

 私はかつて彼と共に計画を立て、戦ったことがある。異教徒の人狼である私の声に耳を傾け、フィリップと共に対策を練ろうとしてくれた戦士。あの時に見た聖槍の輝きは、闇をまとって輝いている。


「リル様……」


 クーが息を飲んで彼の名を呼んだ。

 私の目の前で命を落とした彼。その死が脳裏によみがえり、息を飲んだ。

 フィリップの元でシルワ全体の戦士をまとめていた戦士。地巫女の近辺を守ってきた彼の逞しい腕が今回は私たちの行く手を阻もうとしている。


「あなたまで、死霊に囚われてしまったのですね」


 キャトルがそう言うと、リルはじっと彼を見つめた。


「都警備のキャトル副隊長か。メディア隊長に二度目の死を賜ったのはお前だと聞いている。せめてお前の手にかかったことだけは、彼女の癒しとなるだろう」


 穏やかな口調でそう言ったかと思えば、彼は力強く石突で礼拝堂の床を叩いた。


「だが、お前は知らない。立つ場所が変われば見える景色も違うのだと。兄弟姉妹たち、聖女様、そしてかつて共に戦った気高き狼よ、お前たちには今の俺がどう見える? どう見えようと、俺はリルだ。リルとして帰ってきた。かつてここを守り、地巫女様のために命を尽くした戦士として」


 震えた彼の声に重なるように、〈果樹の子馬〉たちの声が囃し立てる。草花や根で出来た怪物が大口を開けて、私たちを睨んでいた。


「俺はこの地で死んだ」


 リルは言った。


「大罪人と戦い、そして首を刎ねられたのだ。シフレ、フーフ、クリニエール。部下を失っただけでなく、私は命も奪われた。それでも我々は誇り高く戦って散ったのだ。それなのに何故、我々は此処にいるのか」


 寒気がした。いつの間にか、周囲には角人戦士が他にもいた。もはや戦士ではない。戦士のふりをした死霊たちだ。シフレ、フーフ、そしてクリニエール。いずれも私たちの仲間だった者たち。ゲネシスに殺された者たちが、そこにいた。

 戦いは避けられないだろう。だが、力を落としているとはいえ、四人の角人死霊に植物の怪物だ。数を集めただけで誤魔化している死霊の壁とは訳が違う。

 どう切り抜けるべきか。そう思っていると、すぐ横でアマリリスが一点を見つめたまま呟いた。


「聞こえる」


 目線の先は聖ティエラ礼拝堂への道。今は、植物の怪物から伸びる根が通路の扉を塞いでいる。それでも、アマリリスの目には障害物など見えていないようだった。


「呼んでいるわ。苦しんでいる。ベヒモスの嘆きが聞こえる」

「分かった。だが、アマリリス。無謀な真似は――」


 そう言いかけたのも遅かった。

 気づけばアマリリスは指輪の嵌る手を伸ばしていた。目は虚ろでその先しか入っていない。


 ――まただ。


 私は覚悟を決めた。ベヒモスの声に惹かれてしまっている。

 〈果樹の子馬〉の声が途端に響く。聞き取りづらかったが、恐らくあれはシルワ鈍りのアルカ語だ。クーたちではなく、死霊のものだとすぐに分かった。声を聞いたリルや他の角人死霊、そして植物の怪物までもが声を合図にアマリリスへと注目し始める。それでも、アマリリスは怯えてなどいない。そもそも彼らの動きなんて今の彼女には目に入ってすらいないのだ。

 仕方がない。私は身構え、カルロスに向かって吠えた。


「この場は任せたぞ!」


 直後、アマリリスの魔術は発動した。何の魔術かを確認する前に、アマリリスが走り出す。私はすぐさまそれを追いかけた。

 小さな矢がたくさん飛んできた他、角人死霊や植物たちが逃がすまいと追いかけてくる。しかし、アマリリスの魔法が傷つけた行く手だけは違った。扉を守っていた植物は粉々に砕け、固く閉ざされていた扉も風圧で無理やり開けられた。それだけ強い魔力だったのだろう。怪物は必死に根を伸ばしているが、素早いものではなかった。

 飛び込むのが先か、怪物が再び行く手を阻むのが先か。


 ――飛べ。


 翼でも生えたかのように、私は飛び込んだ。カルロスたちの咆哮に奮い立たされながら、リルの怒声に身を震わせながら、それでも止まらないアマリリスを必死で追いかけたのだ。

 結果、アマリリスも私も、無事に聖ティエラ礼拝堂への道へ入り込めた。背後はすぐに植物の根で閉ざされ、カルロスたちが見えなくなる。味方は誰ひとりついて来られなかった。それでも、アマリリスはまだ立ち止まる様子はない。その心はすっかりベヒモスの悲鳴に囚われてしまっていた。


 行くしかない。

 そう納得し、私は待つという選択のないアマリリスを追いかけた。


 聖ティエラ礼拝堂の扉を守る者はいない。誰も現れない中で、聖女の手によって扉は開かれる。聖樹と祠のあるその場所。ベヒモスの骸が横たわるその場所。

 水も、空気も、死によって汚されてしまったそこへ足を踏み入れた時、その声は響いた。


「お待ちしていました、聖女様、それにカリス」


 現れた人物に、アマリリスの歩みはようやく止まった。

 聖槍を模した偽物の槍を持ち、ベヒモスの亡骸の前で立ち尽くすその人物。青く美しいその姿は、生きていた頃と変わらない。

 フィリップだ。

 獣の王としてこの場所を代々守ってきたはずのその血筋が、死霊に囚われている。私の目の前で命を落とした彼。神聖なその姿でリルと共に懸命にこの場所を守ろうとしたはずなのに、今は歓迎されないフラーテルとして私たちの前にいた。


「あなた達ならばリル隊長の包囲を掻い潜り、きっとこの地に来るだろうとそう信じておりました」

「フィリップ」


 淡々と語る彼に、アマリリスが声をかける。


「あなたも私を止めるつもりなの?」


 すると、フィリップは丁寧なお辞儀をした。


「そう命じられて私は戻って参ったのです。今の私は単なる傀儡。もはや誇り高き角人聖戦士でもなければ、獣の王に相応しい男でもなくなった。強欲に憑かれ、愛欲に溺れ、ただひたすらグリス様の復活を恩情として新女王に願うだけの愚かな駒となったのです」


 そう言ってフィリップは不敵に笑いながら聖槍を掲げた。


「女王は約束してくださった。私にグリス様を返してくれると。その為ならば、私には何だって出来る。獣の王の末裔として得たえにしを下に、ここであなたを女王に献上するための手段をお見せしよう」


 石突が床を叩くと、轟音と共にベヒモスの亡骸が動き出した。ほぼ白骨化した一角の怪物が、形を取り戻しながら腐敗した息を吐く。イムベルの時と一緒だ。だが、この度の異変はそれだけでは済まなかった。

 ベヒモスの声が響いた直後、さらに四人の死霊たちが呼び出されたのだ。すべてソロル。人間のようだったが、よくよくその恰好を見て鳥肌が立った。

 四人のうち三人がアマリリスの着ているものによく似た礼服を着ていたのだ。


 ――聖女の服?


 だがアマリリスが視線を奪われていたのは、その三人ではなかった。

 もうひとり、全く違う恰好をしている少女。この辺りではあまり見ない遠い異国の顔つきだった。極東の大国の顔。黒髪と輝く黒い目に、聖女たちと比べてややみすぼらしい恰好。だが、その顔は誰よりも活き活きとしている。

 アマリリスはその少女を見つめたまま、固まってしまったのだ。


「あ……ああ……!」


 動揺している。あれほどベヒモスの声に引っ張られていたのに、その勢いが一気に殺がれてしまったらしい。

 アマリリスの反応に、不可思議なそのソロルがにこりと笑う。フィリップの横に立ち、黒く輝くその目でアマリリスを見つめると、愛らしく声をかけてきた。


「アマリリス、久しぶりね」


 片手を伸ばし、ゆっくりと手招きながらそう言った。

 大人になり切っていないその少女の声に、アマリリスの恐れが強まっていく。尋常でない様子の彼女にそっと寄り添った時、その唇が震えをどうにか抑えながら、いつか、どこかで聞いた名前をぽつりと呟いた。


桃花タオファ……」


 その声に、少女の笑みが深まった。

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