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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
3章 フィリップ

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152/199

1.呪われたシルワ

 これは呪いだとすぐに悟った。

 シルワの大地は呪われている。端々にいても息苦しくなるほどに。


 乗っている荷馬車が都へと近づくにつれ、言葉に出来ない恐怖は強まっていった。同行する聖戦士たちは怖くないのだろうか。

 ずっと隣にいるアマリリスは?

 全く表情を変えず、荷馬車の隙間から見た目だけならば何も変わらないシルワの自然を見つめていた。


 シルワはとても静かだった。

 言葉を持たないただの動物たちの姿はあり、鳥たちもいつものように飛んでいる。長閑といえば長閑だ。美しい場所はそのまま美しい。それが妙に不気味だった。

 どうして私はここを呪われていると感じるのだろう。思い当たるのは一つしかない。この地の神秘性が崩されるその時、私はその場に居合わせたのだから。


「声が聞こえなくなった」


 ふと、アマリリスが呟いた。

 ごとごとと揺れる荷馬車の音にかき消されそうな小声だったが、私の耳は確かに聞き取った。


 イムベルの端――プルウィアという田舎町からこっち、リリウムを象徴する高貴なクラウン種の馬一頭と、力強いことで有名なドッド種の馬二頭が、馬を宥めるのに長けたアルカ聖戦士のウーゴの指示に従ってずっと荷馬車を引っ張っている。

 心地よい振動でそれとなく眠気が深まる中でじわじわと浸透してくる不穏な気配。そんな中で聞こえる彼女の声は、どんなに些細なひと言であっても聞き逃せない。

 そっと表情を窺うも、彼女は目を合わせようとしない。どこか茫然としているのは、旅の疲れのせいなのだろうか。前よりも彼女は注意散漫になった気がする。


「リヴァイアサンの声か?」


 同じく小声で私は訊ねた。するとようやくアマリリスは私の目を見てくれた。


「ええ」


 しっかりとこちらの目を見て頷く。その様子に少しだけ安心し、私は答えた。


「ここはもうシルワなんだ。彼女の領地ではなくなったんだよ」


 リリウムがかつての神獣をどう解釈しているのか、私はさほど詳しいわけではない。ただ神ではなく神の造りし聖なるものだと主張し、根強く続いたこの信仰を認めたという印象でしかない。

 時代や価値観に即して変えさせるべきところは変えさせたというが、それでも、都合の悪くない部分は昔から変わっていないだろう。聖地はリリウムの教皇が神より預かった場所だと信者の誰かが言っていたのを聞いたことがあるが、今この場に私のこの呟きに対していちいち文句をつける戦士はいなかった。

 小声だが聞こえていないわけでもあるまい。しかし、彼らは賢い。私とアマリリスの会話を邪魔するような愚かな真似はしなかった。


「静かすぎるの。ベヒモスの声も聞こえない」


 アマリリスは心細そうにそう言った。

 震える彼女を抱きしめ、幼子をあやすように撫でてやると、ふと子どもの頃の感覚を思い出す。ラヴェンデルで年下の子狼をあやした時の感覚だろうか。恐らくは、それに近かった。


「これから一緒にその声を取り戻しに行くんだ」

「……一緒に」

「ああ、一緒に。リヴァイアサンの時と同じだ。今度は聖剣もある。心配はいらないさ」


 荷馬車の振動を感じながら、私はふとシルワ大聖堂の匂いを思い出した。


 絶望と悲しみを伴う激しい痛みを堪え、それでもアマリリスの気配を頼りにどうにか大聖堂にたどり着いた。

 それは良かったが、目覚めてみればそこにはもう聖女の姿はなく、待っていたのは花嫁守りや司教を始めとしたリリウム教会の者達だった。

 フィリップに、ジブリール。リル隊長。そして地巫女グリス。

 誰も彼も死んでしまった。ゲネシスを止める計画を一緒に立てて、全力で立ち向かったというのに、私たちは呆気なく負けてしまったのだ。

 私たちは甘く見ていたのだろうか。失うもののない捨て身の男の本気を。神や大地の掟に歯向かう光に虐げられてきた種族の女王の力を。


 とにもかくにもシルワ大聖堂は踏みにじられた。あの場所で多くの者が死に、さらには都まで襲撃された。

 私の声が届く前に死霊の力にリリウムの権威は呆気なく敗れたのだ。どうにか立ち向かう聖戦士たちに報告は出来たが、その後、どれだけの人が生き残れただろう。

 戦いの全てを見届けたわけではない。彼らと約束し、必ず止めると誓ってイムベルへと走るので精一杯だった。


 あれからシルワの実情がどうなっているのか、私は知らない。

 一応、イムベルとシルワの連絡が取れてはいる。レスレクティオ教会へ向かえば、角人戦士たちと落ち合えるはずだ。その時にようやく知ることが出来るだろう。

 都や大聖堂がどんな状況になっているにせよ、連絡は取れているのだから準備は整えられるはずだ。だから心配はいらない。アマリリスを勇気づけると共に、私は私自身も勇気づけていた。


 それでも何故だか不安は薄れなかった。荷馬車の向こうから漂う不穏の臭気が、私の神経を逆撫でしてくるせいだろうか。嫌な予感が消えてくれなかった。


 沈黙し続けているというベヒモスと、何処からともなく漂う呪詛と死の臭い。馬たちも恐れているのか、宥められる回数が増えていく。そして都の防壁が見えてくると、違和感はさらに強まった。何も変わっていないように見える。しかし、前に来た時とは違って、圧倒的に何かが足りないのだ。

 恐らくこの物足りなさが、アマリリスの言うベヒモスの声とやらなのだろう。

 この場所はもう神秘の場所じゃない。それを見せつけられた時、身体の奥底から寒気を感じた。ベヒモスの神聖さが消えたこの地を目の当たりにすると、異様なまでに心が痛んだ。


 〈リヴァイアサンの鱗〉を口にして以来、私はこれまで以上に聖地というものに敏感になってしまったらしい。


「もうすぐです。このままレスレクティオ教会に参りましょうか」


 御者を務めるウーゴの問いかけに、カルロスが唸りながら首を傾げた。


「……いや。都に入る前に一度防壁の外に留まろう」


 その急な指示にウーゴが首を傾げた。


「え、でも、教会で角人戦士の方々がお待ちなのでは?」

「それはそうだが、念のためだ」


 カルロスは防壁の向こう――シルワの都を真剣に眺めていた。狼の姿をしていれば耳を倒して毛を逆立てていたことだろう。どうやら彼もその胡散臭さに気づいたらしい。


「まずは俺とカリスが状況を確認しよう」

「私も?」


 急な選出に思わず声を上げると、カルロスは腕を組みながら頷いた。


「それなりに力があり、それでいて姿を消せるものがいい。俺とあんたなら影道を通れるからな。グロリア、イポリータ、ラミエル、それにウーゴ、ここで待っていて欲しい。アマリリスさん、あなたもここで。万が一の時は味方戦士と共に馬や荷物を守っていて欲しい」

「カリスを連れて行くのね」


 弱々しい返答に、カルロスは丁寧に頷いた。


「少しの間だけお借りする」

「ええ、分かったわ……」


 私の意思など端から聞くつもりもないそのやり取りに呆れながらも、私はさっそく荷馬車を降りた。

 もちろん、直接問われるまでもない。力を借りたいというのならば惜しげもなく貸してやる。さっさと終わらせてアマリリスの元へ戻ってくればいいだけのことだ。せいぜい、彼女を待たせる時間を短縮させてやろうじゃないか。

 聖剣を背負ってしっかりとベルトで固定すると、私はカルロスを急かした。


「準備は出来た」

「随分とせっかちだなぁ。まあいい。やる気十分ってことなら問題ない」

「早く済ませよう。レスレクティオ教会だろう?」

「そう焦るな。失敗の元だ」


 ひょいと荷馬車を降りると、カルロスは鎧を着なおした。いつもの変形する鎧だが、少々時間がかかる。苛立ち気味に待ちながら、私は深呼吸をした。


「待たせた。よし、行こう」


 号令が下ると、私たちは一気に影へと飛び込んだ。


 リリウム教会は表面上、魔を拒んでいる。だが、現実的には魔の全てを拒むことは出来ず、長い歴史の中でもむしろ何かと理由をつけて魔を積極的に利用しているものだったらしい。

 その一つが人狼。カルロスの生家のようにリリウム教会と結びの深い人狼の名家もあるほどには、リリウム教会と人狼の関係も実は深く、人狼ではない一般信者の知らないような人狼用の武具も数多く存在するという。


 私のようにしがない出自の者はこれまでその恩恵に与れなかったが、この度の健闘が少しは評価されたとみえて、人狼の身体的特徴を考慮した道具を授かることができた。それがこのベルトだった。エスカの剣を背負うために支給されたこのベルトは、姿を変えても消えることはない。カルロスの愛用する鎧と同じで、祓魔師が発明した神秘の聖具であるという。


 ベルトの恩恵は多大なものになるだろう。

 これまでは聖剣を持ったまま狼の姿になって戦うのは難しかった。何故なら魔を退けるこの聖剣は、衣服や通常の武器などとは違って体に馴染まないためだ。聖剣を背負って変身すれば、剣と鞘のみが体から弾かれて地に落ちる。よって、狼の姿になる際は、聖剣のみを影の中に預けておかねばならなかった。

 持ち歩くことは出来ても、戦いながら素早く抜くということは不可能。しかし、この特殊なベルトさえあれば、背負ったまま狼と人の姿を自由に切り替えることが出来るようになるのだ。

 これならば、狼の身軽さを生かしつつ、爪と牙の通用しない相手にも素早く聖剣で立ち向かえるだろう。


 しかしこれは諸刃の剣でもある。聖剣を聖剣たらしめる聖油は、魔の一種である私の身体にも有害であり、さらに言えば、魔女であるアマリリスの命を奪いかねないのだから。

 この度はアマリリスがいない為、自由に振り回すことも出来るが、誤ってカルロスを切りつけることがないように気を付けたいところだ。


 影道をカルロスと共に駆け、レスレクティオ教会を目指す。

 かつて訪れたときの記憶、そして、そのときに記憶した僅かな手掛かりを頼りに、私は走り抜けた。聖剣の重みがいつもよりも足を鈍らせる。それでも、カルロスに後れを取らぬように意地になって先を目指す。

 そして、ほぼ同時に影道を抜け、周囲の様子を窺った。


 たどり着いたのはレスレクティオ教会の庭だった。記憶していたのはその隅にある墓石で、ヨクラートル館との間にある。レスレクティオ教会の関係者のものと思われるが、生憎、そこに興味はない。

 私の関心は供えられた花にあった。前に見かけた時は常に新しい花が供えられていたが、たったいま目にしたのはだいぶ前に供えられたまま枯れてしまった花であった。


 妙な空気が漂っている。


「中を見てみよう」


 カルロスの声に頷き、私たちは再び影へと潜った。


 レスレクティオ教会およびヨクラートル館の敷地は広く、多くの関係者たちが暮らしている。中には身寄りのない子どもたちもいたはずだ。角人と〈果樹の子馬〉が主だが、ただの人間も混じっていた。しかし、今は彼らの気配がうまく確認できなかった。

 とにかく、血生臭い。


 影道の内外の間に留まり、私はカルロスと共に壁や床を伝って教会の内部を覗き見た。そして、息が詰まるような思いに駆られた。どの部屋も全てがなぎ倒され、床も壁も血がべっとりとついていたのだ。

 羽音のうるさい虫が飛んでおり、悪臭が漂っている。生きているものの気配は何処にもなく、かつては命あったもの達のその残骸が転がっていた。


 ――そんなまさか。


 教会と連絡がついたというのは何だったのか。

 衝撃に耐えつつ、カルロスの合図で移動した。向かう先はヨクラートル館だった。そこならば、誰かが隠れているかもしれない。声すら聞こえない中で、私はそれでも少しばかりの希望を胸にした。しかし、その希望は呆気なく打ち砕かれた。

 押しかけられたのだろう。扉が壊れている。破れた礼服が散らばり、靴が脱ぎっぱなしになっていた。それも一人や二人の分ではない。もう少し先へと進めば、鎧が落ちていた。聖剣が油の輝きを失って放置され、骨や腐肉が転がっている。


 ――嘘だ。


 連絡がついた後でこうなってしまったのだろうか。角の生えた大小の頭蓋骨が落ちており、その角だけが美しく輝いていた。間違いなく複数の人物がここで命を落としている。それが明らかだった。

 生きている者の気配は相変わらずなかった。

 もはや疑いようがなかった。レスレクティオ教会は、すっかり陥落していたのだ。


 あまりの現実に嘆声が漏れそうになったところで、カルロスが鋭い眼差しを一方へ向けた。ヨクラートル館の上階。耳を澄ませてみれば、私にも聞こえた。話し声が聞こえるのだ。言葉もなくそっとふたりで声を辿っていった。

 間違いない。誰かがいる。しかし妙だ。生きている者の気配とは思えなかったのだ。ならば、誰なのか。

 たどり着いた先は談話室だった。かつてここでアマリリスたちが会話をしているところをそっと見張ったことがあった。そのことを懐かしみながら、私はカルロスと共に壁の裏側から中を窺った。


 見えたのは、数名の角人だった。全員仮面をつけていたため、その表情は分からない。


「……それで、あの方はなんと?」


 口を開いたのは女性の角人だった。四つ足型の角人で背中には聖槍がある。ただし、どうやら本物の聖槍ではなさそうだ。醸し出すその雰囲気に違和感がある。彼女が角人――つまり魔物であることを忘れるならば、その正体にピンときた。しかし、忘れるまでもなく彼女は何処からどう見ても角人である。それがどういう事なのか、すぐには理解できなかった。

 四つ足型のベヒモスの血の濃い人物。頭には美しい一本角。間違いなく魔物であり、死霊に囚われるような種族ではないはずなのだ。


 それなのに、何故、彼女は死霊にしか見えないのだろう。


 カルロスもその異様さを察知したのだろう。息を飲んで中を窺っていた。

 私たちの存在に気づかぬまま、他の角人が彼女に返答する。その人物たちもやはり、生気の感じられない風貌だった。


「これまで通りに、とのことです。聖女の目的は大聖堂。しかし、生き残りと接触するようなことがあれば大問題だと」

「そう。では、私たちの目標は飽く迄も闘技場ってわけね」


 ――闘技場?


 その言葉に記憶をたどる。

 シルワの都にはたしか象徴的な闘技場があった。角人同士が力を比べるための場所だと聞いた。縁がないので外観しか知らないが、都の中でもかなり目立つので場所も覚えている。

 だが、その闘技場で一体何があるのだろうか。


「あの方は苛立っておりました。どうも御伴侶のお身体が優れないようで」

「そうでしょうとも。私だって歯痒いわ。せっかく選んでいただいたのに期待に応えられないなんて。〈果樹の子馬〉たちを見くびっていたようね」


 そう言って、彼女は前脚で床を掻いた。カリカリとした音が鳴り響く。


「とにかく、あの方に申し訳ないわ。可愛いあの子たちを全員冥界送りにしてやりましょう。もちろん、あの子たちに味方する副隊長たちも。別れの痛みはほんの少しの間。あの方が蘇らせてくれるわ。私たちのようにね」


 ――私たちのように。


 その言葉に寒気を感じた。


 角人女性はなおも淡々と語る。


「だから、恐れずにこの世界のすべてを死で埋め尽くしましょう。心配はいらない。私たちにならできる。だって私たちは選ばれたのだもの」


 彼女の言葉にその場にいた角人戦士たちが踵を踏み鳴らした。

 女性角人は小さく微笑むと、そのまま姿を消してしまった。他の死霊たちも姿が消える。恐らく、闘技場へと向かったのだろう。

 どうやら気づかれなかったらしい。それは安心したが、カルロスの表情はすぐれなかった。じっと彼らの消えた場所を見つめ、深く息を吐いた。


「いったん戻ろう」


 小さくそう言われ、私は頷いた。


 帰り道、影の中でカルロスは私にそっと教えてくれた。


「あの角人の女性戦士について覚えがある。メディアという人物だ。レスレクティオ教会に仕え、シルワの都の治安を守っていた角人部隊の隊長だった御方だ」


 前を見つめたまま、静かに付け加える。


「前にここに来た時に、少しだけ話をしたんだ。生きていた頃に」


 それ以上は語るのをやめ、先へ、先へと走っていってしまった。

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