3.死者との決別
あっという間の出来事だった。
ゾロとゾラをめがけて、一つの聖剣が風を切る。その直後、ゾラが悲鳴を上げて倒れ、そのまま土塊へと戻ってしまったのだ。ゾロは目を見開き、ややあってゾラを斬った張本人へと怒りを向けた。
斬ったグロリアは冷静だった。何も言わず、ただ単純に、ゾラを斬りつけるとそのまま退避した。そして、怒りに身を任せたゾロの攻撃の全てを躱すと、そのままやっと声を張り上げたのだった。
「死霊に惑わされないで!」
猛禽のような目がゾロの周囲にいる別の死霊たちの群れへと向いた。そして、勢いに任せてそのまま数体を剣の餌食としてしまった。
その動きは人間そのものであるし、鍛え抜かれた男戦士の動きほど力強くはない。それでも、その迷いのなさが死霊たちに致命的な一撃を与えていた。
仲間の数がさらに減らされ、また、精神的な攻撃が効かぬとあって、死霊たちの戦意が大きく削がれた。それを見て、ようやくカルロスやウィルも我に返った。
「畜生、舐めやがって!」
吠えながら鎧を変形させ、カルロスは狼の姿で跳ねる。ゾロを飛び越えて、行く手を塞いでいた死霊たちを襲い始める。ゾロがその動きに気を取られた隙に、ウィルが背後から迫り、その首を抑えた。
「あなた達を恨んでいるわけではない」
落ち着いた声で、ウィルは言った。
「だが、今はただ安らかに眠ってください」
こうして、ゾロの亡霊もまた土塊へと戻った。
どうやら、残る死霊たちは数合わせに過ぎなかったらしい。勿論、抵抗する者もいたが、逃げようとする者の方が多かった。死霊にとって死とはあってないようなものと言われているが、そうであってもどうやら滅ぼされるのは絶大な恐怖であるらしい。
しかし、油断してはならない。この状況にあっても、この場にいない女王への最大の貢物を奪おうとする忠実な部下だっているのだ。逃げ惑う仲間たちの間に忍びながら、アマリリスを襲おうとする死霊も少なくはなかった。
滅ぼされることに恐怖があると言っても、やはり生きている者たちとは違う。
普通ならば避けようとする身体の損壊を気にせずに食らいつこうとしてくるその様は、まさに脅威である。機会さえあれば、滅ぼされてもまたこの大地に戻って来ることが出来る。
そんな死霊だからこそ、個体差はあれど無茶な戦い方が出来るのだ。
異様で、異質で、それなのに人間的。
ソロルも、フラーテルも、乗っ取った死者の姿のままに戦おうとし、滅んでいく。あれだけ無茶な戦い方をしておいて、滅ぶときはおぞましい程、人間のようだった。
力は弱くとも、戦う相手に与える精神的苦痛は果てしない。特に、少しでも人間らしく生きてみたいと思っている者には相当なものだろう。
これまで人間を食らい、生きるために仕方ないと思ってきた私であっても、奴らの悲鳴を聴くたびに段々と心が不安になっていくほどなのだ。
この場にいる聖戦士たちがどんな気持ちで戦っているのか。グロリアがどんな思いで声を張り上げたのか。今、自分たちがしていることが、正しいのかさえも段々と分からなくなっていく。
そんな狂乱に包まれる聖道の中で、アマリリスは静かに歩んだ。私はその傍に留まり、死霊たちを寄せ付けまいと威嚇を続けた。
引き寄せられるように向かっている先は聖マル礼拝堂だ。そこには〈リヴァイアサンの鱗〉がある。アマリリスの目的を知っているのかいないのか、死霊たちの中にも焦りを感じてアマリリスへ突撃しようとする者が増えた気がした。
指一本触れさせるものか。ある者は近くにいた戦士の聖剣に、そして、ある者は私の爪と牙に引き裂かれる。だが、絶大な効果を発揮したのは、やはり指輪を拠り所にしたアマリリスの魔術であった。
糸が、鎌が、そして槍が、行く手を阻もうとする死霊たちを一気に薙ぎ払う。
一瞬だけ血しぶきが上がり、大勢の悲鳴が上がったかと思えば、すぐに土塊へと変わってしまう。姿は消え失せても、脳裏に焼き付いた光景はなかなか消えなかった。
気がおかしくなってしまいそうだ。しかし、やがては終わる。ゾロとゾラのような指令役を失った為だろう。新たに呼ばれる死霊の数は減り、まとまりもなくなってきた。私たちの進軍を阻もうという勇猛果敢な死霊もだいぶ冥界送りにされたようだ。
いまだ戦っている仲間を待たずして、アマリリスはスクアマ礼拝堂を抜けて廊下へと向かった。
踏みにじられた聖域の、血で穢れた聖像たちには目もくれず、ただ目的の場所へ。
秘宝の存在を、死霊たちは知っているのだろうか。
恐らく何かしらは知っているのだろう。この場所の何処かにリリウムに渡してはならないものがあることくらいは、知っていてもおかしくはない。
楽にたどり着かせてくれるような奴らではないとウィルが言っていた通り、廊下の先にも待ち受けている者たちはいた。数はたった三名。しかし、その顔ぶれが非常に問題だった。
アマリリスがやや表情を濁らせる。
ちょうどその時、死霊たちの群れを抜けて私たちに追いついた戦士たちがいた。そのうちの一人――カルロスもまた行く手を見るなり立ち止まってしまった。
狼の顔をしていてなお、その表情には苦しいものが浮かんでいた。
「カルロス隊長……」
行く手を阻む三名のうちの一人が口を開く。
はっきりと、しっかりとしたその声は、まるで生きているかのよう。葬儀は行われたのだ。棺の中の遺体はあまりにも損壊が酷く、わざわざ見せることもないとそのまま埋葬された。
そんな彼女が、小綺麗な姿のままそこにいた。
「ヴィヴィアン……」
カルロスの口からその名が漏れる。
「ベドジフ……マチェイ……」
狼の肩を震わせ、その姿をじっと見つめていた。
間違いない。彼らだ。私も覚えている。カルロスの忠実な人間の部下たちで、真面目な戦士たち。その一人ひとりと親しかったわけではない。だが、私は知っているし、目撃してきたのだ。目の前の三名の死が、どれだけカルロスに無力感を与えたのかということを。
ヴィヴィアンが丁寧に頭をさげ、私たち全員を見つめた。
「また皆様にお会いできたこと、嬉しく思います。ですが――」
「ここを通すわけには参りません」
ベドジフが得物を構えて威嚇する。マチェイも同じだった。それぞれの目が怪しく光っている。サファイアが時折見せる輝きによく似ていた。彼らの目はただ一人、カルロスへと向いていた。死の記憶はどれだけこびりついているだろう。部下を守れなかったその罪悪感を突くように、彼らは行く手を阻んでいた。
いつの間にか追い付いていたグロリアが、カルロスを庇うように前へ出た。ウィルも同様だ。しかし、ウィルよりもさらに前へとグロリアは出る。
彼女は、敵意を露わにしていた。親しき友の姿をした死霊をすでに葬ったためなのか。それは分からないが、死別の悲しみを武器に戦う死霊にとってとても都合の悪い相手だろう。
だが、そんなグロリアを引き留める者がいた。
カルロスだった。彼女の行く手を阻み、そして、私たちの間を通って前へと向かう。
「俺にやらせてくれ」
異様な気迫を漂わせ、カルロスは床を踏みしめ、三人を睨みつけた。
「せめてもの情けだ。苦しませずに葬り去ろう。記憶を共有していようと、思いを引き継いでいようと、お前たちは偽物だ。その懐かしさを武器に掛かって来るがいい」
吐き捨てるようにそう言って、ウィルの助力すら待たずに飛び出してしまった。
まさか一人にやらせるわけにもいくまい。私もすぐに駆けだした。ところが――。
「待って」
引き留めるその声に、思わず足が止まった。
アマリリスだ。何故止める、と問おうにも、アマリリスの目は三人より後ろ――聖マル礼拝堂へと向いたまま。懐かしき仲間の姿には目もくれず、彼女はじっと目的の場所を見つめていた。
戦いに参加しようという意志は感じられない。ただ、前ばかり見ていた。その恍惚とした表情は、何かに取り憑かれているかのようで、やや不安だ。
その不安を掻き立てるように、アマリリスは口走った。
「聞こえるでしょう、カリス。あちらから呼んでいるの。親愛と敵意が混ざり合った声が聞こえてくるでしょう? リヴァイアサンの声よ」
「声?」
私には何も聞こえない。物々しい雰囲気と、今も大聖堂を流れているらしき不気味な水の音が響いているだけだ。
リヴァイアサンは確かにここに居た。かつてから人々が信じた聖竜そのものであったかはともかくとして。確かにいたはいたが、ゲネシスに殺されてしまったのだ。
だから、呼ぶものなんているはずがない。いるとすれば、それはサファイアかもしれない。だが、アマリリスは信じているようだった。
「悲しんでいる。苦しんでいる。助けてあげないと。この場所が穢れ、力と愛する花嫁が共に奪われ、泣いているの。清めてあげないと」
そう言って彼女は一歩、二歩と前へ出る。私は慌てて行く手を阻んだ。前ではまだ、カルロスがヴィヴィアンたちと戦っている。隙を見て突破するにも不用心すぎた。
前ではカルロスが私情を押し殺して、本気で三人の命を刈り取ろうとしている。その凄まじい覇気は、上司であるはずのウィルさえも遅れをとるほどのものだ。今の彼には周囲を気にする余裕なんてないだろう
今、あの横をすり抜けるなど考えただけで恐ろしい。ましてや傷をつけるのも躊躇われる聖女を通らせようだなんて。それなのに、アマリリスの目には彼らのやり取りが全く入っていないのだ。純粋な男の心を弄ぶ死霊の醜悪な姿と、それを前に我武者羅に戦う狼の姿がまるで見えていない。
彼女はただ、リヴァイアサンが呼んでいるという場所を見つめていた。
「隊長、本当に我々を滅ぼすおつもりですか?」
戦うマチェイの声が聞こえてきた。
「せっかく僕らは復活したのに。せっかくまたお会いできたのに」
「この再会は喜ぶべきものではない」
突っぱねるように言いながら、カルロスは飛び掛かる。しかし、迷いを振り払おうと力むその突撃が、マチェイを捕らえることはなかった。ベドジフも、ヴィヴィアンも、人間であった時以上の身軽さを見せつける。カルロスの意思に反して助力する他の戦士たちも、この三名を簡単には滅ぼせなかった。
どうやらクルクス聖戦士としての技能が、死霊に最大限に利用されているらしい。それも、神聖かつ重大な儀式に同行できるほどの人物たちのものが。部下であろうと優秀なことには変わりない。その厄介さは、敵に回った時によく分かった。
やはり、そんな彼らの脇を素通りできるとは到底思えない。私はアマリリスの行く手を阻みながら、注意深く戦いを見守った。
そんな時、背後からラヨシュの声が聞こえてきた。
「新手だ!」
焦りを強く含んだ声だった。前ではカルロスの援護をしようとウィルとグロリアが戦っている。背後は背後でイポリータやラミエルがどうにか廊下を守ろうとしていた。
私とアマリリスは間に閉じ込められたままだった。無論、この近くから死霊が突然湧いて出てきてもおかしくはない。時間はない。
――さて、どうする。
悩みかけたその時、アマリリスが顔をあげた。
「道を開けて」
そして、指輪の力を使った。蜜蜂の針が廊下の端を貫き、ベドジフと戦っていたグロリアが、慌ててそれを避ける。ベドジフもまたすらりとそれを避けた。
何者も貫けなかった針はすぐに消え、一瞬だけ静けさが生まれた。その衝撃が薄まらぬうちに、アマリリスは走り出した。
「ま、待て!」
私もすぐに追いかけた。強引すぎるその突破に、三名の死霊は惚けていた。しかし、すぐにそのうちの一名、ヴィヴィアンの姿をしているソロルがウィルとの戦いを放棄してこちらを目掛けて突撃してきた。
「行かせはしない!」
アマリリスを狙っている。すぐに理解して、私は前へと飛び出した。斬られるなどという考えがとっさに浮かばなかった。とにかく身を挺してでも守らなくては。そればかりが頭にあった。あの剣は聖剣だろうか。形は似ているが、本質まで一緒かどうかは分からない。生前のヴィヴィアンが持っていた武器一式はすでに教会に返されている。同じものであるとは思えなかった。それでも、痛いのは確かだろう。運が悪ければ、斬り殺されるかもしれない。
恐怖は直前になってやってきた。ぞわぞわとした警戒心で震えが生まれる中、私は痛みの覚悟を決めた。けれど、ヴィヴィアンの一手は私の鼻先で抑え込まれたのだった。
横から殴り込むように乱入してきたのは、私よりも大柄の逞しい狼である。鎧を身にまとった彼の眼差しは、今まで見たどの目よりも哀愁に満ちている。太いその脚で私を襲おうとしたヴィヴィアンを床に押さえつけ、こちらをじっと睨みつけながら彼は咆哮した。
「行け!」
カルロスは吠えた。命令染みた口調は嫌いだが、私は有難くそれに従った。アマリリスはすでに先へ行っていた。私を待とうという考えもなく、導かれるままに進んでいる。何かに取り憑かれでもしたかのよう。
「悪い。助かった」
短くそう言い残し、私は彼らに背を向けた。
この先は見たくなかった。だが、聞こえてくるだろう声に覚悟を決めていた。
案の定、アマリリスの傍へと追い付いた頃になって、それは聞こえてきた。生々しい物音と、断末魔の悲鳴、そして食指も動かぬような悪臭が漂い始める。後ろを見ることは出来なかった。共に聞こえてくる怒声――涙を含んだカルロスのうめき声だけが、私の背中を押していた。
行かねば。そして、必ず手にしなければ。すべての犠牲、そして苦悩を無駄にしないためにも。




