1.友との再会
死の臭い漂うラケルタ島へと旅立つその前に、アマリリスと私はニフテリザの病室へ訪れていた。
命の危機すら感じる聖域を取り戻す戦いへと向かうよりも、今も苦しみと戦い続けているニフテリザと面会することの方が覚悟がいるように思うのは気のせいか。
長く顔を合わせていなかったアマリリスは特にそうだったのだろう。長く共に旅をしてきた二人だが、そうであっても、あるいは、そうであるからこそ、アマリリスは意を決して扉を開いた。
ニフテリザは、久々に見るアマリリスの姿に惚けていた。
あまり動かぬ手を伸ばそうとし、アマリリスに握ってもらうことで、ようやく目を閉じる。
「アマリリス……」
その名を呟くと、涙と一緒に言葉を飲み込んだ。
素朴な女としての生き方よりも、戦士として戦うことを求めたニフテリザ。
リリウム世界の中で一度は見放され、リリウム世界の境を行き来するアマリリスたちに助けられながらも、やはり人間である彼女は再びリリウムの世界で生きられる道が見つかり嬉しそうだった。
そして、その夢をゲネシスに打ち壊されてしまってからも、必死に未来を見つめようとしている。
苦しんでいるのは本人だ。しかし、ニフテリザの苦しみは、私にとっても苦しみであった。
彼女をはじめとして、ここにはゲネシスとの闘いで犠牲になった者、今も闘病している者がたくさんいる。その全てが、私の無力感と甘えた考えが招いた結果だと思い知り、自分を責めずにはいられない瞬間が必ず来る。
私が彼を説得できなかったから、あるいは、粘ってしまったから。
ニフテリザは決してそんなことを口にしない。それだけに、普段は明るく振舞おうとする彼女の姿は怖いと感じることさえあった。
我ながら、身勝手なものだ。こうしてアマリリスと再会し、強がらず本心から泣くことが出来ているニフテリザを前にしても、苦痛は薄れはしないのだ。
だからこそ、目を逸らしてはいけない。
私に出来ることはなんだ。ただのケダモノから人間になろうとしている私に出来ることとは。必死になって自分にそう言い聞かせ、この再会に立ち会った。
「よかった……本当に、また会えてよかった……」
涙しながらニフテリザはそう言った。
アマリリスの手を何度も握りながら、はばからずに涙を流す。ずっと心配してきたはずだ。動けない自分の代わりに守ってくれと私に頼むくらいに。
囚人のように扱われ、誰からも再起不能に思われていたかの友と、またこうして触れ合えるということが、どれだけの希望になるか。
けれど、それもすぐに他の不安に覆われた。
「聞いたよ。ラケルタ島に行くんだって?」
外に漏れださない程度の小声でニフテリザは訊ねてきた。
「ええ……」
アマリリスが慎重に頷くと、ニフテリザは今度こそ心配そうな表情を浮かべた。
「もう戦えるの? 今のラケルタ島は、とても危険な場所になってしまったって聞いているけれど……」
「大丈夫よ。私には指輪がついている」
そして、ちらりと私を見やり、付け加えた。
「それにカリスもね」
ニフテリザの視線が私へと向いた。
求めるようなその眼差しに、私もまた顔を近づけた。アマリリスの隣で、三人で顔を合わせるのはなかなか妙な気分になる。本来なら、私のいる位置は、ルーナのいるべき場所だったのだから。
だが、ニフテリザはその違和感など全く気にせずに、私に向かって言った。
「カリス」
悲痛な声色で、彼女は懇願する。
「お願い。私の分まで、アマリリスを助けてあげて」
伸ばそうとするその手を、私はそっと握り締めた。
「分かっている。再びお前に顔を見せると約束する」
不安はたくさんある。絶対というものはこの世に存在しない。
それは分かっている。だが、寝台から起き上がる事すら困難なニフテリザに対しては、気休め程度であったとしてもこう述べるしかなかった。
「大丈夫。お前たちの神は、そこまで非情じゃないさ」
すると、ニフテリザは笑った。だが、苦し紛れの笑みであるのは明らかだ。
本当は動きたい。戦いたい。自分の手で守りたいものを守るために。
そのために、ずっと訓練を続けてきたのだ。聖戦士になるために、剣を手に闇を払う正義の道を歩むために。しかし、その役目はどうやらニフテリザのものではなかったらしい。
彼女の代わりにアマリリスの隣に立つのは私となってしまった。
洗礼も受けず、これまでの信仰も捨てない私は、同じ人狼であるカルロスなどとは全く立場が違う。仲間であるはずの者の中にも、いまだに私を疎む者はいる。私が共に聖地を歩むことが信じられないという者だっている。
当然だと私は思っていた。私だって信じてくれるはずがないと諦め、分かり合えることはないと開き直っていたことだってあった。人間たちのことを、食料としか思わなかったことだってあったのだ。そうして生きてきた私は、魔物の血を持たぬ人々にとって化け物としか思えないだろう。
それでも、こんな私を信じてくれる人だっている。
ニフテリザはその一人だ。拙い言葉でどうにか勇気づけようと必死な私に、慈愛のある眼差しで答えてくれた。
そんなニフテリザを、アマリリスは不意に抱きしめた。
長く、静かな抱擁だった。労わるように、包み込むように。慈愛に満ちたその姿は、ついこの間までの失意に呑まれていた彼女とは大違いだ。
まるで、リリウム世界で崇められる聖女や、もしくは聖母のよう。ふいにその慈愛に包まれたニフテリザは、しばし茫然とそれを受け入れ、やがて笑みを歪ませて、さめざめと泣いた。
交わされる言葉はなかった。身動ぎと嗚咽だけがこの空間に響いている。私もまた、口を閉じてその光景を見守っていた。
ラケルタ島で待ち受けているものたちは、決して生易しいものではない。
これが、今生の別れとなってもおかしくはない。また、無事に帰ってきたとしても、我々はいずれ旅立たねばならない。その旅に、ニフテリザが同行できるとはとても思えなかった。
「ニフテリザ」
やがて、静寂にそっと寄り添うようにアマリリスが呟いた。
「約束よ。無事に戻って来る」
ニフテリザは泣き止まなかった。何度も肯き、ほとんどかすれて聞き取れない声で、約束の言葉を交わそうとする。
動けずとも、彼女はここで戦い続けるのだ。あらゆる不安や悪意は心の中にすら生まれ、リリウムの者たちが信じる悪魔のように、ニフテリザに牙を剥こうとするかもしれない。しかし、きっと彼女ならば大丈夫だ。私たちはそう信じて旅立つしかない。
「約束だよ……」
ようやく聞き取れる声で、ニフテリザは言った。
「必ず生きて戻ってきて。必ず、だよ……?」
そうして、今は束の間となるべき別れの時はやって来た。
未来を奪われた者、希望を奪われた者、あらゆる絶望の根源たる存在は、いまもこの世の何処かで息を潜めている。そして、このウィータ教会にまで忍び寄ろうとしている。
この場所に留まり、ニフテリザともども戦えぬ者達を守るのは他の頼れる戦士たちに任せよう。私たちに出来ることは、奪われたものを一つ一つ取り戻していくことだ。
信仰も、種族も、関係ない。ひとつの目的に向かって、私もまた覚悟を決めた。




