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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
1章 ルーカス

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142/199

9.秘宝を求めて

 翌日の朝、アマリリスの異変に気付いたリリウムの修道士たちが騒然となった。もはや再起は不可能だという話は進んでいたのだろう。むしろその方がありがたいと思っていた者もいたかもしれない。しかし、一夜にしてアマリリスの様子が、がらりと変わったのだ。その中で何が目覚めたのか、人々は囁き合った。

 これで聖女はもう一度、戦える。話を聞きつけたウィルによって伝言が渡り、聖女の部屋はもっと相応しい場所へと移されることとなった。理由はアマリリスの心情の変化だけではない。イムベルを取り仕切るシメオン司教が彼女を訪問して話したいことがあると言い出したためでもあった。


 ――話したいこと?


 アマリリスのすぐ近くの影に潜みながら、私は事の成り行きを見守り続けた。邪魔になるならば追い払われる可能性も高いが、その限りでない場合は出来るだけ見ておきたい。アマリリスを取り巻く状況が大きく変わりそうな今だからこそ、傍を離れるわけにはいかなかった。修道女たちに付き添われながら、陰気の漂う半地下を出ていく彼女の姿は、閉じ込められた日とは大きく違った。歩みも思っていたよりもしっかりしている。


 新しい部屋は、ニフテリザの眠っている部屋の隣だ。ようやく人間らしい陽当たりのいい場所に落ち着けるのだと思うと、何故だか私の方がほっとした。だが、リリウムの者達の様子がすぐに変わるはずもない。ぴりぴりとした様子でアマリリスにそれとなく部屋に閉じこもるように諭しているのを見るに、相変わらず制限は残されそうではある。それでも、マシになったことは喜ぶべきことだろう。

 新しい環境の中で、アマリリスはベッドの上に座り、清潔な枕を抱きしめていた。悪臭のしないこの部屋で、花の香りはいっそう目立つ。彼女の影に潜んでいても、気持ちが落ち着くものだった。


「カリス、傍に居る?」


 修道士の全てが退室してしまうと、アマリリスはそっと訊ねてきた。影道と壁の境へと潜みながら、私は答えた。


「ここにいるよ」


 その声に、アマリリスが微笑みを浮かべた。差し伸べた手が私の潜む影に当たる。温もりは伝わらずとも、温かいものに触れたような錯覚が生まれた。


「司教の話とは何かしら。檻から出してもらえたことだし、少しは希望のある話だといいけれど」

「ウィル達は何か知っているようだった」


 ――“あれ”を回収する時が来た。


 聖女の戦いを有利にするとはどういうことだろう。想像もつかないまま約束の時間は来た。

 面会場所はここではないらしい。修道女たちが持ってきた着替えは、かつてアマリリスが聖女として海巫女の輿入れの儀に同行したときに着せられていた真紅の外套とそれにふさわしい純白の装束であった。


「……これは」


 新品になったそれに触れ、アマリリスは感嘆の声を漏らす。いつの間にか身に着け、さほど感動も覚えていなさそうだった当時とは違って、今は震えすら生まれるほどその衣装の美しさに見惚れているようだった。

 私も同じだった。再び聖女の衣装を与えられるということ。その意味を感じれば、無理もない。下手すれば一生、モノのように扱われるかもしれなかった。しかし、新しくなったこの衣装には、そうでないというリリウムからの答えが詰まっていたのだ。


「前の御召し物はボロボロになってしまいましたからね」


 優しい口調でそういうのは、着替えを持ってきた年配の修道女であった。温かい微笑みを浮かべながら、彼女はアマリリスの着替えを見守る。


「私どもの無礼をどうかお許しください。聖女様に選ばれた貴女様からこの神聖な被服を奪い、囚人のように閉じ込めていたのですから」


 アマリリスは何も答えずに着替えていく。眩いほどの白を血のような赤で隠す。その横にはいつも黒髪の少女が控えていた。黄金の目いっぱいに好奇心を浮かべ、彼女は己の主人が尊い存在になったことを喜んでいたのだ。影の中でぼんやりとアマリリスを見ていると、その無邪気な亡霊が近くにいるように思えた。


「ぴったりで安心しました。とてもお似合いですよ」


 太陽の光が窓から差し込んでくる。魔物の心身を害す不快な光。いつもならば日差しの煌きに感動など覚えない。しかし、黄金のその光が着替えの終わったアマリリスを照らした時、私は影の中で恍惚とした。


 美しい。前に見た時と同じ姿であるはずなのに、今までになく見惚れてしまったのだ。人差し指を締める指輪が太陽の光に照らされている。その輝きと聖女姿のアマリリスは、サファイアに奪われていった三人の巫女たちの霊妙さに匹敵するほどの神聖なものに思えたのだ。


 修道女たちに引き連れられて、アマリリスは部屋を後にする。その影に入り込んだまま、私もまたついていった。

 通されるのは会議室である。入ってすぐに重苦しい空気が出迎えてくれた。真正面に座るのは、イグニスを取り仕切るシメオン司教。わずかに竜人の血を引いてはいるが、ほぼ人間と言ってもいい。その側近である司祭や助祭の他に、ウィルがいて、その傍にはカルロスが控えている。さらにはグロリアまでもそこにいた。


 そしてもう一人、ここしばらく顔を見ていなかった人物もいた。包帯と薬の匂いから解放されていない竜人の女性である。メリュジーヌだ。どうにか命を取り留めていたイムベルのクルクス聖戦士たちの長が、手負いの状態ながら会議の席についていた。

 痛みがまだあるのか、心の調子が狂ったままなのか、メリュジーヌの表情はすぐれない。そして、神経質さはさらに増しているようだった。


「おい、呼ばれていない者がいるみたいなのだが」


 威嚇するような声に、シメオン司教が眉を顰める。見た目からも分かる通り、竜人としての能力は殆ど受け継いでいないのだろう。


「呼ばれていない者とは?」


 その不安そうな声に、ウィルが落ち着いた声で口を挟んだ。


「アマリリスさんの守護者ですよ。……カリス」


 間違いなく名を呼ばれ、ため息が漏れた。出ていけというのだろうか。従わずに影の中に居続けていると、アマリリスの小さな声がこちらに向けられた。


「カリス、出てきて」


 命令ではなく要望といった様子だ。従う義理はないが、逆らう意味もないため、大人しく影から這い出した。私の獣の姿を見て、シメオン司教の側近たちが顔色を悪くする。不快に思うというよりも、純粋に怖がっているようだ。魔物や魔族の力を存分に借りていると分かっていても、この本質の違いはそれだけ怯えを産むのだろう。

 即座に人間の姿になってやれば、ようやく安心したようだった。


「カリスさん。あなたの協力には感謝しております。けれど、無許可でついてこられるのは――」


 助祭がそう言いかけた時、シメオン司教がそれを制止した。


「いい。この際だから、彼女にも聞いてもらおう」

「――しかし」

「カリスさん。アマリリスさんのお隣にお座りを」


 動揺する側近たちを無視する形で、シメオン司教は言った。思っていたよりも柔軟な人物であるらしい。ほぼ人間とはいっても、祖先に竜人がいるという事実がそうさせるのか、はたまた、元来の性格に過ぎないのか。

 ともあれ、イムベルの教会内で一番権限のある司教が許すのだ。この場に私の存在をよろしく思わないらしい者はちらほら居たが、誰もそれ以上咎めることもできないまま、話はゆるやかに始まった。


「アマリリスさん。あなたが再びその衣装を身につけられたことを喜ばしく思います」


 シメオン司教の言葉にアマリリスは静かに耳を傾けている。


「昨日まではあなたの今後について、やや乱暴な意見も多数出ておりました。しかし、もはや彼らの意見を採用する理由はなくなるでしょう。あなたのお気持ち次第ではありますけれども」

「……気持ち」


 呟くその声の様子に、ウィルやカルロス、そして司祭や助祭の表情がやや変わった。半信半疑であったものが、確信に変わったのだろう。

 あらゆる驚愕の視線を受けながらも、アマリリスはしっかりと答えた。


「私の気持ちは前と変わりません。この指輪を頂いたときに、ブランカ様に誓ったのです。ブランカ様は遠くへ連れ去られてしまいましたが、この誓いは破られていない。敗北の味を与えてくれたあの罪人に、今度は同じ味を授けに行ってきましょう」


 その言葉の力強さに、シメオン司教の眼差しも変化した。


「どうやら、話は本当だったらしい。アマリリスさん、あなたに何が起こったのかは分かりません。しかし、きっと神はあなたを聖女としてお創りになったのです。何人たりとも指輪を受け取った聖女を疑ってはならない。先人の遺した言葉を信じて、私どもはあなたを信じることにしました」

「信じる……?」


 アマリリスの問いに、シメオン司教は頷く。


「ええ。ですが、その旅立ちは、もう少し先にしていただくことになります」

「どうして?」

「今のままでは、何百回戦ったとしても悪魔の力には敵わないからです」


 きっぱりと言うシメオン司教に、アマリリスは押し黙る。ゲネシスは確かに歯止めがきかなかった。力に振り回され、殺戮に殺戮を重ねる。人間らしい心すら失った暴虐な彼を相手に、我らの聖女はあまりにも弱々しい。


「勿論、あなたの聖女としての力が足りないわけではありません。問題は相手の方。聞いた話によれば、罪人は奇妙な指輪をはめていたと。その指輪の有無が、彼の人間らしさを左右していたようだったと聞いております。恐らくそれは、聖獣たちを操縦する指輪」

「指輪……確かに左手にはまっていた、怪しい光を放っていたわ」


 アマリリスが静かに呟く。やはり、彼女もあれに注目していたらしい。人間らしからぬ力の根源ともいえた指輪。それが本当に操縦の指輪だとして、どうやって対抗するつもりなのか。


「操縦の指輪は伝説にのみ残る旧時代の遺産です。リリウムと三聖地が一つになろうとした時代、権力に溺れた旧時代の人間の王の血筋がそれを悪用して聖獣たちの力をリリウムの戦士たちや彼らと友好的な立場をとる聖地の者達に牙を剥いたのだと。しかし、その男の試みは相次ぐ裏切りによって失敗が続き、次第に追い詰められていったそうです。彼と対等に戦ったのは当時の聖女。そして、聖獣たちの血を継ぐ三名の長が、それぞれの聖地に眠る秘宝を使い、聖女の戦いを有利に導いたという話です」


 秘宝。ウィルたちの言っていたあれとはそのことだろうか。何にせよ、指輪の対抗策が語られているということに衝撃を受けた。伝説でしか残っていないのだとしても、彼がこれを語るということに、私は期待せずにはいられなかった。


「もはや多くの記録が失われております。千四百年前の変事の際に、この指輪を罪人が嵌めていたかどうかはわかりません。しかし、別の記録は残っていたのです。少なくともこのイムベルで千四百年前、秘宝が特別に使用されました。ずっと大聖堂で保管されるだけの存在であったそれを、持ち出す許可が出されたのです。ここに残っている記録はこれだけですが、それはつまり、非常時であったという事に他なりません」


 つまり、千四百年前の大事件の最中に、伝説にあるようなことが起こったというわけだろうか。かつての悪女もまた聖獣たちの力を奪った可能性があり、それに対抗したと思われる形跡がある。それだけでも、大きい。大昔に同じ状況を引き起こした女とフラーテルの敗北の実際は、今の戦いを左右しかねない重要な情報だった。


「それで、その秘宝とは何だ? 何処にあるんだ?」


 思わず口を出せば、メリュジーヌが睨みつけるように私を見つめてくる。その表情にジブリールを重ね、少し心が暗くなった。


「リヴァイアサン――我らの母の祠の中ですよ」


 答えたのはウィルだった。


「秘宝の名前は〈リヴァイアサンの鱗〉という」


 彼に付け加えるように、メリュジーヌが言った。


「鱗と言っても本物の鱗ではない。そこにあるのは深海の色をした結晶で、言い伝えではリヴァイアサンの心から生み出されたものであるという。本当かどうかは分からない。ただ、大昔の竜王たちは、その結晶を削って口にすることで、リヴァイアサンの心と通ずる力を手に入れていたとも言われている」


 その結晶とやらが大聖堂に眠っている。アマリリスが隣で真剣そうに聞いている中、私の方は半信半疑で耳を傾けていた。

 ウィルが再び口を開く。


「海巫女のお力が愛からなる深い絆であり、操縦の指輪の持つ力が力による支配である一方で、その結晶の力はもっと対等なもの。結晶の力を取り込んだからといって、即座にリヴァイアサンが味方となるわけではありません。それでも、見えないはずの聖獣に通じる力は巫女が生まれ持つものよりもずっと甚大なものであり、繊細なもの。危険な聖具として、限られた書物と人物にのみ伝道し、滅多なことでは触らぬようにと定められたのです。以来、〈リヴァイアサンの鱗〉を移動させるには、イムベルの司教の許しが不可欠となったのです」


 そして、この度、その許しが出たというわけだ。


「これで本当に対抗できるのか、確かではありません」


 シメオン司教が穏やかな声で語る。


「しかし、伝説では〈リヴァイアサンの鱗〉と思しき秘宝の力で悪王の支配していた聖竜の力が弱まり、その意志に反したと書かれています。伝説の遺産について、死霊たちがどれだけ気づいているのか、詳しく知る者があちらに寝返っていないか、そういう心配もありますが、確かめぬことには何にもならない。無事に回収できれば、リヴァイアサンのお力を解放することが出来るかもしれない」


 せめて、リヴァイアサンだけでも。それで即座にゲネシスの力が弱まるわけではなかったとしても、何もせずに指をくわえているよりはマシだ。


「この件に関して、まだ他の聖地と特別に連絡を取り合ってはいませんが、恐らく、カエルムやシルワでも同じような結晶が大事に守られているでしょう。その希望を信じ、まずは、ここイムベルにおいて〈リヴァイアサンの鱗〉を回収してまいります」


 伝説頼りではあるが、試さない理由はない。問題はその回収するということだ。リヴァイアサンの祠は死霊の跋扈するラケルタ島の中心部にある。竜の死骸すらそのままにされた死の縄張りで、結晶が無事でいるのか、無事でいたとして安全に回収できるのか。

 時間がかかるというのはこういう事か。


「そういうわけで、〈リヴァイアサンの鱗〉を回収するため、明日には戦士たちがラケルタ島に向かいます。イグニスから有能な戦士が応援に駆け付ける予定ではありますが、まずはウィルとカルロス隊長、そしてアルカ聖戦士であるグロリアに、イムベルに在籍する魔の力を持つクルクス聖戦士の数名を指揮していただくことになりました」


 司教の言葉にウィル、カルロス、そしてずっと黙り込んだままのグロリアが静かに肯く。メリュジーヌが苛立ちを含めた落ち着かない様子でそれを聞いている。怪我の様子からして戦えるはずがないのは他人の目にも明らかだが、それだけに歯痒いのだろう。


「諜報役や若手が減るのは痛手ではありますが、ともすればかの死霊の女王が現れるかもしれない戦地。仕方ありませんとも。その間、アマリリスさんにはここで待機を――」


 と、シメオン司教が言いかけたその時、アマリリスが椅子からすっと立ち上がった。


「私もいきます」


 飛び出したその言葉に空気が凍り付く。しかし、アマリリスは動じずに、司教の顔を見つめていた。


「無限の魔力を頂いていながら、ただ待つわけにはいきません。サファイア――死霊の女王が唯一恐れているのはこの私。溢れる死霊たちを一掃する役目を担います」

「――し、しかし、アマリリスさん」


 思わぬ反応に言葉を選んで咎めようとする助祭に、アマリリスは続ける。


「担いたいのです」


 静かで、それでいて芯の通った声だ。決して譲りはしないだろう。凛としたものがそこにある。

 だが、その声の裏に、深い悲しみが残されていることを忘れてはならない。心の支えであったルーナがいない今、彼女の心を折るのはきっと容易い。しかしそれならば、彼女の視界から外れる場所を私が見ればいいだけの事。


「私も一緒に行きたい」


 強くそう主張すると、人間たちの表情が露骨に変わる。聖女となったアマリリスはともかく、異教徒の密偵役という身分の私への視線などこの程度のものだろう。だが、だからと言って、それに従うつもりは毛頭なかった。


「私はカエルムでもシルワでも死霊サファイアの戦いぶりを目撃してきた。死霊を葬った数も、やり過ごした数も、一般的な人狼の比じゃないはず。それに、私はこの聖女様をお前たちよりもずっと長く見つめてきた。彼女のクセも弱点も、お前達よりは知っている自信がある」


 本当に自分が分かっているかどうかはともかく、リリウムの誰よりも長く見ていることは真実だ。そのくらい、シメオン司教も理解しているのだろう。側近たちの眼差しに関わらず、彼は真面目に耳を傾け、考え出した。


「閣下がそのような目をなさるのも無理はない。この人狼女は異教徒ですからね」


 シメオン司教が黙り込んでいる間、メリュジーヌの声があがる。面白くなさそうな顔をする司祭や助祭を見つめていたその竜の目が、今度は私へと向いた。しかし、その端麗な顔には空虚な笑みが微かに浮かんでいた。


「しかし、彼女の訪れが聖女様を救ったのは真実。部下を全て奪われ、大罪人の気まぐれで命を取り留めた私よりもずっと役立つ人材のはず。猊下、剣を休めたまま戦えず、こうして会議の席にようやく着けた私の言葉をお聞きいただけるのならば、私はこの女を推しましょう」

「メリュジーヌ隊長……」


 絶句するように司祭が呟いたが、ウィル、そしてカルロスは納得したように頷いた。


「確かに、彼女は生き証人。これまでの戦いでもっとも多くサファイアとゲネシスの凶行を目撃してきた人物。命懸けで奮闘してきたことは司教にお伝えした通りです。彼女の協力があれば、我々も動きやすくなるはず」


 ウィルの言葉に、カルロスやグロリアが頷いた。その態度を目にしたとき、私は初めて肩の力が抜けるような感覚に浸った。別に褒められたいから、讃えられたいから、あんなに走り回ったわけではない。ゲネシスを止めたい一心で、そして、止められないと分かってからは、自らの手で終わらせたい一心で、私は走り回ったのだ。

 ことごとく失敗に終わり、全ての巫女の命と聖獣の力を持ち去られた以上、なじられたとしても、もはやどうでもよかった。それよりも、無力な自分という事実が辛かったからだ。

 しかし、こうして庇われて初めて、私は心の痛みに気づいた。私は間違っていなかった。アマリリスだけを守れればいいと思っていてもなお、彼らの庇いが身に沁みたのだ。


 アマリリスがそっと私の表情を窺ってくる中で、私はただシメオン司教だけを見つめ続けた。側近たちの顔色などどうだっていい。いざとなってもラケルタ島へ向かう戦士の影に潜むというやり方もあるだろう。

 だが、私は許可を求めていた。リリウム世界の権力者による正式な許可を、アマリリスと二人でもらえることを望んでいたのだ。そんな私の心が、いったいどれだけ伝わるのか。シメオン司教の眼差しとぶつかり合いながら、私はその判断を待った。

 やがて、その口から答えが告げられる。


「話は分かりました」


 竜人の面影など一切受け継いでいない外見だが、その風格にはウィルやメリュジーヌに勝るとも劣らないものがあった。穏やかで優しそうな中性的な見た目であっても、シメオン司教の表情は厳格である。

 緊張気味に口を閉じる私に、彼は言う。


「記録にある限り、〈リヴァイアサンの鱗〉に関わる仕事はリリウム教の関係者や、それ以前の時代における竜人やマナンティアル家の者達のみで行われてきました。聖女に選ばれた者はともかく、異教徒の人狼という存在は、前例のない事です。……しかし、竜王の系統の者達の推薦があっては、イムベルの司教として無視するわけには参りません」

「猊下……それでは……!」


 狼狽えたように司祭が口を挟もうとしたが、シメオン司教はそれを制止する。


「ラケルタ島は呪いで溢れている。その地に足を踏み入れ、命を懸けて宝を取り戻しに行く戦士たちの希望を無下にすることは出来ない。聖なる武器を手に取り戦う者の望みならば、尊重せずにはいられまい」


 そして、彼は私とアマリリスを正面から見据え、深みのある声で言ったのだ。


「許可を出しましょう。アマリリスさん、どうか、イムベルの秘宝を回収していただきたい。そして、カリスさん、あなたの役目は重大だ。死地を潜り抜けてきたその才知で、戦士と聖女、そして、ご自分の命をお守りください」


 言葉がこんなに輝いていると思ったのは、いつ以来だろう。端から諦めて影に潜み、盗み聞きや勝手な行動を繰り返してきたのだ。それがゲネシスを止められなかった一因だったとするならば、次こそは希望が溢れてくる。

 今度は負けない。アマリリスを、戦士たちを、そして自分自身を守り、戦いに勝つのだ。まずはラケルタ島。盗まれた聖竜の力を取り戻すための序章だ。きっとサファイアは黙っていないだろう。〈リヴァイアサンの鱗〉の存在を知らなかったとしても、すぐに知ることになる。戦いは決して生半可なものではないはずだ。


 ルーカス。君は呆れるだろうか。私たちを散々、邪魔者扱いしてきた世界で命を懸ける私の事を。

 しかし、私は決めたのだ。自らの意思で、決めたのだ。

 だから、戦おう。命を懸けよう。我々の聖女に勝利をもたらすために。

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