7.聖海の秘宝
イムベル大聖堂とアルムム御殿は沈黙が広がりつつある。たまに見かけるのは囁き合う死霊たちであった。常に女王の言葉に耳を傾け、周囲に生きた気配がないかを確かめているらしい。目は煌々と輝き、生きている人間とは違う不気味さがあった。私の姿を見ると、一種だけ身構えるが、すぐに何者かに気づくらしく黙って跪く者が多かった。
そんな彼らに見守られながら進んでいくうちに、ようやく私は愛しい人の後ろ姿を見つけた。死霊たちも集まっている。誰かを取り囲んでいるようだ。すぐに察しがついたところで、雄々しい声と悲鳴が響いた。
戦っている者がまだいる。死霊の幾らかが切り伏せられているようだ。すぐに駆け寄ってみれば、竜人戦士の男が聖剣を手に道を作ろうとしていた。竜人の男はもう一人いる。こちらは戦闘員ではないようだ。大事そうに若い娘の手を引いて、周囲を警戒していた。
「そろそろ諦めたらどう?」
ソロルがにこりと笑った。死霊たちに道を開けてもらいながらその隣へとたどり着くと、追い詰められていた若い娘が真っ先に私の目を見つめてきた。白い装束はまさに花嫁のものである。それだけでなく、ただの人間の娘にしては異様な雰囲気があった。神秘的というのが相応しいのだろう。とにかくひと目でその特殊性が分かってしまう娘であった。
震えながら、目を潤ませながら、彼女は私を見つめていた。
「そんな……そんな……リヴァイアサンが……」
急に取り乱し始めた彼女に気づき、竜人二名が遅れて私の存在に気づいた。そのうちの一名。道を作ろうとしていた戦士が私を睨みつける。その胸元を見て、やっと納得した。ジブリールやフィリップと同じような紋章をつけていた。
死霊たちをすでに数体は切ってきたとみられる剣を振り払い、彼は血走った目とその矛先を私へと向けてきた。
「ゲネシスだな?」
脅しにも近いその声に、サファイアの姿をしたソロルがくすりと笑いながら答えた。
「そうよ」
あっさりと答え、そして私を横目で見つめる。
「無事で何よりよ。見て。この聖地でとれる最高の真珠よ。世界で秘宝を守る竜はいくらでもいそうなものだけれど、あれ以上のモノはない。さあ、奪いましょう。貴方とあたしの未来のために」
ソロルが手をあげると、死霊たちが一斉に動き出した。その全てを相手にしようと竜人戦士が動き出した。もう一人の竜人の男が必死に守ろうと海巫女を抱きしめる。しかし、海巫女は悲痛な表情で戦い続ける竜人戦士を見つめていた。
「ウィル!」
「ブランカ様、どうかじっとして」
「でも、ウィルが……」
しかし、彼女の心配をよそに、竜人戦士――ウィルは、見事なまでに死霊たちを葬り続けた。海巫女たちに近づこうという者が視界に入れば、瞬く間にそれを真っ二つに切り裂いていた。疲れているはずだが、その様子も見せない。リヴァイアサンの血が濃いとみられる。どうやら死霊たちだけでは無理なようだ。
身構える私に気づいて、ソロルは小さく声をかけてきた。
「相手をするのはあのウィルという男だけでいいわ。ただし、無理はしないで。引き離すだけでも十分よ」
「どうせやるなら殺して見せよう」
「あら、頼もしいわね。でも、過信しては駄目よ。貴方に何かあれば、あたしがサファイアの魂に嫌われてしまうわ」
「ああ、気を付けるよ」
言い終わると同時に走り出すと海巫女を守っていた竜人の男が悲鳴のような声を上げた。
「ウィル殿、奴が動いた!」
それを聞いて、ウィルの激しい視線がこちらに向いた。リヴァイアサンには感じなかった殺気である。古代は神に近いとされてきた彼女とは違い、生き物らしい敵意がこちらに向いている。迎え撃たんとばかりにウィルは此方に躍りかかってきた。渾身の一撃は、これまで何体もの死霊の存在を消してきただろう。だが、私はそれを寸前に避けて、返しの一撃を食らわせようとした。通常の竜人戦士ならばこれで勝敗はついたものだった。しかし、ウィルは素早くそれに反応し、私の攻撃を弾いて見せた。
私の動きが人間として異様なものだったのだろう。目つきが変わったのはウィルだけではなかった。
「お願い……もうやめて……」
海巫女がそう言った。どちらに向かっているのかは分からない。その蒼ざめた絶望の表情を、ソロルは愛おしそうに眺めている。
「どうしてこんな事を……どうしてなのですか……」
泣き出しそうになる海巫女へ、ソロルは優しそうな声で返答した。
「すべては貴女をいただくためよ」
すでに彼女も狩りを始めているようだ。ならば、私も私の狩りをするべきだろう。私への警戒を強めるウィルに向かって、さらなる追撃を加えた。竜人の相手が簡単なわけではない。反撃されるならば、たとえネズミであっても脅威になり得る。ましてや竜人の、それも立場ある者の反撃となれば、その一撃一撃が重たかった。何より彼には気迫があった。少しでも気持ちを折られれば、すぐに付け込まれるだろう。
だが、その心配はないはずだ。私には力がある。そして、あのソロルがいる。手に入る未来は何だ。私がずっと求めていたものではないのか。全てを裏切って、慣れ親しんだ世界と別れを告げてまで、手に入れたかったものではないのか。
あと少しでその夢が完成する。あと少しだ。
その思いに背中を押されているのだろうか。ウィルの攻防にまともに付き合うことが出来ていた。焦っているのはあちらも同じ――いや、あちらの方が上なのだろう。圧倒的に不利な状況下で、海巫女を守ろうとしているのだから。
「聖地を滅茶苦茶にしてまで、どうしてわたしを欲しがるのです」
海巫女が力なく呟いた。その声に、嬉々としてソロルが応える。
「それまでに叶えたい未来が、あたし達にはあるの」
「大勢の命を奪ってまで? こんなこと、主がお赦しになるはずありません」
「貴女達の神に憎まれようと、あたしは構わないわ。貴女が何を訴えようと、あなた達の神は直接手を出そうとしない。過去の禍だって同じ。解決できるのはこの世に生きている者だけ。被害の広がりを食い止めたいのなら、貴女にもまだ出来ることはあるわ」
「出来ること?」
ソロルの魔術に海巫女の心が囚われ始めていた。
「ブランカ様、聞いてはなりません」
とっさに竜人の男が宥めようとするが、ソロルは黙りもせずに海巫女に語り続けた。
「あたし達の目的は貴女とリヴァイアサンだけ。リヴァイアサンを手に入れた以上、欲しいのは貴女だけとなった。邪魔者には消えてもらいましょう。でも、貴女が大人しく、あたし達について来てくれるのならば、これ以上、死者を増やすのは控えてあげてもいい」
「本当に……?」
慎重気味だが、海巫女は訊ね返している。その心にはもはや糸が取り付けられているだろう。竜人の男が支えていなければ、ソロルが軽く引っ張るだけでついて行ってしまいそうな雰囲気だった。
もちろん、それをウィルが黙っているはずもない。
「ブランカ様、その女の話を聞くな!」
吠えるように彼が怒鳴った。守るべき存在に気を取られている。
その隙を私は見逃さなかった。
飛び込んでいけばウィルは慌てて受け止めようと剣を構えた。だが、その動きは遅い。構えているよりも下を狙い、斬りつけると、呆気ないほどに鮮血は飛び散った。
残念ながら大部分は鎧と鱗が守ったようだ。かすり傷程度だろう。それでも機会は生まれた。怯んだ瞬間に体当たりを入れると、彼の身体はさらに突き飛ばされ、死霊たちの群れの中へと倒れ込んでいった。
何体かの死霊たちが怪我をしつつも、すぐに起き上がれないウィルに襲い掛かった。強くとも数には負けてしまうのが常である。
抵抗虚しく彼の身体は複数の死霊たちに拘束され、聖剣は空しく床に落ちて音を立てた。
その直後、海巫女と竜人の男がほぼ同時に悲鳴をあげた。
見れば、そちらも死霊たちに襲われていた。無理やり引き離され、戦う術を持たない竜人の男が取り押さえられている。魔物の肉は不味いという死霊たちだが、女王の命令があればいつでも動くつもりだろう。目を煌々とさせながら、彼らは指示を待っていた。
そんな状況に、海巫女は座り込んだまま震えだしていた。
「ブランカ様、どうか逃げて」
取り押さえられた竜人の男が力なく訴えるが、ほぼ同時にソロルが彼女に話しかけた。
「さあ、どうするつもり?」
その声に、海巫女の目がソロルへと向いた。
「来るの? それとも来ないの?」
どちらの選択をしようと、未来は変わらない。海巫女にもそれが理解できているだろう。ならば、何を選ぶべきなのか。二人の竜人男たちが必死に訴える中、彼女はよろよろと立ち上がり、そしてソロルを見つめながら訊ねた。
「本当に約束は守ってもらえますね」
非常に冷静な声だった。
「ウィルとギータ先生。それだけじゃない。この大聖堂にいるすべての人たちにもう手を出さないと約束していただけますか?」
彼女の言葉に竜人たちが絶句した。いったんおいてから、口々に制止の声をあげるも、動けない彼らには成す術がない。もはや勝敗はついていた。ソロルは優雅に笑ってから、海巫女に歩み寄っていった。
「勿論、約束しましょう」
あっという間に海巫女の真正面に立つと、その両肩を抱いてじっと顔を見つめた。
「貴女の安らかな眠りを、悲鳴で妨げたりはしないわ。さあ、そうと決まったら行きましょうか」
手を引いてソロルは歩みだした。私もゆっくりとそれを追いかける。背後からは竜人たちの悲鳴染みた声が聞こえてきた。
「駄目です、ブランカ様!」
竜人の男――ギータ先生と呼ばれた方だろうが真っ先に叫び、続いて、ウィルも声を荒げた。
「ブランカ様、逃げて! どうか戻ってきて! ……行くな、行くなっ!」
悲鳴のような苦しい叫び声だった。
だが、どんなに叫ぼうとも、動けない彼らには何も出来ない。ウィルは暴れながら、何度も叫ぶ。最後には言葉すら忘れ、ただの竜のように咆哮し続けていた。
花嫁守りの錯乱した悲鳴を背に、海巫女はソロルに手を引かれながら、何度もつぶやいていた。
「……約束ですよ」
そのたびに、ソロルはにこりと笑う。ソロルの無言の命令に従っているのだろう。死霊たちが何者も通さないように通路を遮りだす。姿が見えなくなっても、言葉ではない竜の叫びが響き渡っていた。
その声が聞こえなくなる地点まで、ソロルは向かうつもりだろう。海巫女の手を掴んだまま離さず、慎重に歩み続けた。私はそんな彼女たちの傍にいながら、常に周囲に警戒した。
カリスがまた追いかけてくるはずだ。この食事を邪魔させてはならない。秘宝が確かにソロルの中に宿るまでは、気を抜いてはならない。




