2.道を守る者
巡礼者の数はほぼいないようなものだった。
しかし、この聖地を守るのは紛れもなく人間の一族である。海巫女を含め、この地にいる人間の数は多い。人間であるという事は、死霊になる資格があるということだ。ソロルや私の仲間になる者もそれだけ多いということだ。
ゆえに、死霊の波に乗って攻め込むだけでも、次々と仲間は増えていった。死霊の戦いに定められた法などない。非戦闘員などという肩書は、誰も守ってくれないのだ。弱い者から囚われ、食べられていく中、混乱が広がるのに時間はかからなかった。
それでもここは聖女のいる場所だ。輿入れの儀の最終地点とだけあって、竜人戦士も、そうでない聖戦士の数もかなり多かった。
「侵入者だ!」
怒声が響く中、私は走った。ソロルの姿は見えなかったが、姿を隠しているときの彼女の心配は無用である。私は己の心配だけをして、リヴァイアサンの気配を探った。いる。それも今まで以上に分かりやすい。引っ張られる感覚のまま、道なりに進めば彼女のいる祠にたどり着けるだろう。
確信と共に進んでいってしばらく、ようやく、その行く手を阻む者は現れた。聖戦士。それも、アルカ聖戦士の女性。見覚えがあるのも当たり前だ。かつてよく見知った人物がそこにいる。死霊たちに蹂躙される大聖堂の中において、彼女は確かにそこにいた。
「……グロリア」
名を呼ぶと、彼女は険しい表情を浮かべた。
構わずに私は問いかけた。
「トゥルプから呼び戻されたのだな」
「ゲネシス……出来ればここで会いたくなかった……」
剣を抜いてはいるが、それを向けてくることはない。信じられないといった様子で私の顔を凝視していた。死人にでも再会したかのようだ。笑えてくる。彼女の姿もまた、私の背中を押した原因だったはずだ。人食いの生餌にされるはずだったのに、まさかこちらに回されるとは。私の動揺を狙ったのだろうか。
だとしたら、大正解だ。
私もまた、自らグロリアに剣を向けることが出来なかった。
「よそ見をするな、グロリア」
そこへ死霊の数体が割り込んできた。グロリアはすぐに避けて剣を向ける。一体、二体と切り伏せたのち、遅れてやってきた死霊の姿を見て、そのまま戦意を失ってしまった。
大量の死の群れに紛れていたのは私達のよく知る死人であった。その名はジャンヌ。シトロニエに残してきた亡者となった彼女もまた、イムベルに呼び出されていた。私の手助けのためか、はたまた、目の前にいるグロリアに惹かれたのか。
「……ジャンヌ!」
相手が死霊であることも忘れ、グロリアはその姿に目を奪われていた。
こうなれば後は早い。私がその場をこっそり立ち去っても、グロリアは後を追ってこなかった。その目はジャンヌを見つめ、ジャンヌもまたグロリアを見つめている。懐かしい友を見る目に見えるが、そうではない。あれは獲物を捕らえるときの目だ。
せめて、友の死の瞬間は見たくない。愛よりも剣を選んだグロリアが無様なまでに友の幻影に食い殺されるところなど。だから私は彼女らに背を向け、歩いて逃げた。
――悲しまないで、ゲネシス。
喧騒と悲鳴の中でとぼとぼと歩く私に、サファイアの声が優しく語り掛けてきた。
――グロリアもすぐに仲間になる。そうなれば、あなたはもう苦しまなくて済む。
そうだ。だから、迷うことはない。きっともう一度、グロリアに会える時は、剣をぶつけ合う事もないはずだ。……ないはずだ。
リヴァイアサンの咆哮が聞こえた気がした。憂いているのか。よく分からない。私の中にいるジズとベヒモスが、激しく蠢いている。求めているのだ。かつての同胞を。三つの領域を互いに守り、相いれなかった三体の王者が集おうとしている。私の中にいる者たちはそれを求め、いまだ聖地を守ろうとしている彼女だけが拒んでいる。
数は此方が有利だ。あとは迎えに行くだけだ。
だが、祠のあるという聖マル礼拝堂への道は、突如、閉ざされた。
「――止まれ!」
いつの間に現れたのだろう。そこには男がいた。聖戦士の男だ。アルカ聖戦士ではなく、クルクス聖戦士だ。鎧が奇妙な形をしている。それに、顔つきと雰囲気に特徴がある。人間のふりをしていようが、アルカ聖戦士としての経験が私に教えてくれた。人狼である。
嫌悪感のままに矛を向ける私を、彼は睨みつける。
「お前が――」
野太い声で彼は吠える。
「お前が、ゲネシスだな?」
煌々とした眼差しが突き刺すように私を睨みつけていた。その目の輝きはカリスのものにもよく似ている。あれはどうなっただろうか。そういえばシルワで逃げられて以降、まだ姿を見ていない。
考えを逸らす私に、狼男が剣を見せつけた。
「命に代えて、この道を守る。お前の凶行を終わらせて見せよう」
その直後、彼は高く跳躍した。鎧が変形し、巨大な狼が現れる。唸り声をあげながら突進してくるその姿は、これまでに何度も目にしてきたカリスの姿よりずっと迫力があった。捕まれば容赦なく食い殺されるだろう。それでも、私は逃げる気にもならなかった。むしろ、これはチャンスだ。狼の喉笛が見える。
聖剣を手に私も飛びあがる。ジズが、ベヒモスが、私に力をくれている。それに、サファイアもついている。ただの人狼戦士に今更負けることがあるだろうか。斬り殺せば、道は開ける。哀れにも飛び込んできたこの男にすみやかな救済を。
だが、狼男とぶつかり合う直前、私の視界に別の影が映り込んだ。巨大な狼の影から、別の戦士が不意に飛び出してきた。狼にばかり目を向けていれば、斬られるのは私の方だ。慌てて身を逸らし、巨狼と人影の攻撃を両方避けた。ただ避けるだけでは勝負には勝てない。動きに任せ、私は剣をふるった。渾身の一撃が奇襲を仕掛けてきた戦士の方に当たる。
悲痛な悲鳴が響くと、狼が動揺を見せた。一撃だけでは殺せていない。確実に仕留めるべく剣を構える私を見て、狼は慌てて仲間の襟首をくわえて引きずっていった。男の戦士だ。ただの人間であったらしい。
「た……隊長……」
傷に震えながら彼は人外の姿をした上司に手を向ける。狼は鼻先をその男に触らせ、すぐに周囲を窺った。手の空いた死霊たちが新たな仲間の誕生を予感して集まってきている。狼が離れた瞬間、まだ生きている彼はたちまち亡者と変わるだろう。
だが、そうはさせまいと別の戦士たちが飛び込んできた。いずれも人間戦士であった。男の戦士と女の戦士。紋章からするに、やはり二人ともクルクス聖戦士だ。上司と仲間を気遣うように私を阻んでいる。
「カルロス隊長! マチェイの様子は……」
女の戦士が背後を気にする。その姿に、カルロスと呼ばれた狼が吠えた。
「よそ見をするな、ヴィヴィアン。ベドジフもだ。二人とも、自分の戦いに専念しろ。そいつの動きは只者じゃない。伝わってくる気配も禍々しい。まさに悪魔だ。そう思え」
人狼に悪魔と呼ばれた。その事実に何故だか笑みが漏れていた。
面白い事なんて何もない。それなのに、笑えたのだ。
この世界には魔と呼ばれるものがたくさんいる。だが、悪とは血筋で決まるのだろうか。私はかつて悪魔を見た。サファイアを、そして、ミールを、苦しめてきた民衆の軽蔑。聖戦士として巡り歩いた世界でも目にしてきた。リリウムの教えを守っていながら、その教義に外れずに人の心を踏みにじる化け物たちがいた。羊の面を剥げば、そこには狼よりも恐ろしく忌まわしい顔がある。
彼らが守っているのは、……かつての私が守っていたのは、そんな世界だったのだ。
――ゲネシス。
サファイアの声が聞こえてきた。視界がぐるぐるとしていて、思考が定まらない。ふらふらとした私を前に、カルロス隊長とその部下たちは警戒した様子で窺っている。
「隊長、マチェイを頼みます!」
ベドジフのその声にふと冷静さが戻ってきた。ヴィヴィアンも遅れて走り出す。カルロス隊長は傷ついた部下を背負ってそのまま何処かへ走り去っていった。追いかけるのもいいが、今はいけない。
無傷の戦士は厄介だ。それがたとえ無力な人間であろうと、聖剣を甘く見てはいけない。何人斬り殺してきたとしても、うぬぼれてはならない。冷静に、冷徹に、この二名の同胞を捌かなければ。
「そうね。こんな戦いで怪我をしてはいけないわ」
その時、サファイアの声が周囲に響いた。私に斬りかかろうとしていたベドジフとヴィヴィアンの足が止まる。強まる殺気に気づき、剣を構えだした。サファイアの姿は見えない。だが、彼女の呼び声が仲間を呼んだ。
「死霊が増えた……」
「どうしてこんなに」
やや怯えを見せ始める二人を死霊たちは取り囲む。だが、恐れを振り払うようにベドジフが叫んだ。剣を手に死霊たちに斬りかかる。一体、また一体と剣が肉体を切り裂いた。だが、死霊たちは痛みを恐れない。それに、数に違いがある。斬ったところで複数体に身体を掴まれてしまえばたまらない。
「くそ……数が多すぎる……!」
果敢に挑んだベドジフを死霊たちは捕まえ、そして鎧に守られていない部位を噛みつき始めた。
「ベドジフ!」
急いでヴィヴィアンが助けに入るも、すでに肉は噛み千切られ、傷だらけであった。もはや彼らに戦うことは不可能だ。それでも、ヴィヴィアンは諦めていない。ベドジフを庇いながら、彼に囁く。
「このことを知らせに行こう。ついてきて」
厄介なことを思いついたらしい。ゆっくりと歩き出す私に気づき、ヴィヴィアンが焦りだした。元来た道を塞ぐ死霊たちに剣を向け、その一体一体を確実に立てぬように丁寧に切り裂いていった。出来た道をベドジフが歩いていく。そうして、逃げ道は生まれた。
知らせに行かれては困る。
飛び掛かるとヴィヴィアンが真っ先に気づき、応戦した。その間に、ベドジフは振り返りもせずにどうにか走って行く。血を滴らせながら。
逃がすわけにはいかない。だが、ヴィヴィアンはしつこかった。
「どうして……どうしてなの!」
剣をぶつけながら、彼女は私に訴えた。
「どうして、こんなことを。どうして奴らの味方なんかに……!」
「説教は聞き飽きた」
吐き捨てるように言えば、ヴィヴィアンの表情が一気に険しいものとなった。怒声をあげて飛び掛かってくる彼女を、剣で受け流す。死霊たちが眺めている。どうやら、無粋な手出しはしないらしい。獲物が弱るのを待つつもりか。どちらでもいい。彼らが邪魔をしないのならば、それでいい。
――油断しては駄目よ、愛しい人。
サファイアの声が耳元で聞こえ、心が落ち着いた。
ヴィヴィアンが獣のように吠える。その顔つきには少女らしさがわずかに残っている。きっと若い戦士なのだろう。正面から挑んでくる彼女は、死など恐れていないようにすら見えた。その心もいつまで持つのだろうか。周囲では怒号が飛び交い、悲鳴があがっている。血の臭いは強まる一方で、生き物の死ぬ気配が充満している。そんな中で、若い娘がどれだけ気を保てるのか。
攻撃を連続で外し、息を切らしながら、ヴィヴィアンは私を睨む。
「……どうして」
絶望の前に体力が尽きてもおかしくはない。そろそろ終わりにしてやろうか。だが、その時だった。
――下がって。
突き刺すような気配を感じ、サファイアの静かな指示に従った。ついさっきまで踏みしめていた床から影が飛び出してきた。人狼だ。カリスではない。さきほど部下を連れて逃げたカルロス隊長であった。
「ヴィヴィアン! 怪我はないか!」
「た、隊長、マチェイは……?」
「奴の心配はするな。ベドジフは何処に行った?」
「戻らせました。皆にこのことを伝えないと」
「よし、分かった。だが、今はこいつだ」
ぎらりとカルロス隊長の目がこちらを睨む。敵意の宿る狼の姿が私の心に火をつける。この生き物が、愛する妻を奪った。美しいあの人を凌辱し、食い荒らした。忌まわしい血を感じては、怒りも収まらない。だが、落ち着かねば。落ち着かねば。怒りで狙いを逸らせば、何もならない。私はまだ死ぬわけにはいかないのだから。
――ゲネシス。仲間を信じなさい。
サファイアの囁きが聞こえた直後、静観していた死霊たちが一気に動き出した。ヴィヴィアンがいち早く気づき、対応する。カルロス隊長もまた同じだった。死霊たちを踏んでヴィヴィアンの元に向かおうとする。いったん退いて態勢を立て直すつもりだろう。だが、死霊はそれを許さない。狼の強い力で肉体を壊されても構わないというわけだ。なるほど、確かにこれは心強い。なにより、いい壁になる。
死霊は次々に現れた。もはやこの地は呪われている。リヴァイアサンの守護も、海巫女の祈りも、我々の進行を止められない。ましてやちっぽけな戦士に過ぎないヴィヴィアンなど、あっという間に死霊の海に溺れていってしまった。
「ヴィヴィアン! 何処にいる!」
カルロス隊長が焦りを見せる。しきりに狼と人間の姿を切り替え、部下を探していた。自慢の鼻もこの臭気では力を出せないだろう。影道に行ったところで、間に合うとは思えない。すでに彼女は大勢の死霊に囲まれ、身動きが取れていないのだから。
それでもヴィヴィアンはしぶとい戦士だった。絶望的な状況でも全く諦めず、私からすら見えなくなったかと思った矢先、死霊を薙ぎ払って何度も逃れようとしていた。ソロルの苛立ちを間近に感じた。
――ああいうのは生かしていてもろくなことにならないわ。
サファイアの声でそんな非情なことを言っていた。気づけば、ソロルは私の横に出てきていた。青い目でヴィヴィアンをじっと見据え、そしてそっと手をあげた。途端に、死霊たちの動きがやや鈍くなった。応戦していたヴィヴィアンが一瞬だけ呆気にとられる。異変に目敏く気づき、カルロス隊長が動こうとする。けれど、その直前、床より新たな死霊がたった一体だけ呼び出された。
女性だ。それも、聖戦士の姿をしていた。アルカ聖戦士の紋章をつけた女性である。一見すれば人間のように思えるが、端々に魔女の面影を感じた。
闘志の溢れていたヴィヴィアンの目が、その女性へと向く。すぐに剣を構えたが、明らかに動揺していた。何度も、何度も、襲い掛かろうとするが、出来ない。その様子を見て、ヴィヴィアンにとってその人物がどんな存在なのかが一目でわかった。
現れた死霊の女のヘーゼルの目が、ヴィヴィアンを捉えた。
「ヴィヴィアン」
魔術でも唱えるかのようなその響きに、ヴィヴィアンが茫然とした。
「ユニケ……」
その名を呼ぶと、ユニケと呼ばれた死霊は両手を広げた。絶対に行ってはならない誘いだ。死霊というものについて学んだものならば誰だって分かっている。聖戦士としての教育を受けたはずのヴィヴィアンならば尚更だ。しかし、彼女の動揺は収まらなかった。
「ヴィヴィアン、来て」
呼びかけるその声は獲物を狩る時の死霊のものだ。声を聴いた時点で、並の人間ならば逃れられない。ヴィヴィアンはすでに囚われていた。
だが、その空気を打ち砕く咆哮はあがった。
「行くんじゃない!」
走り出す彼を見て、私は動いた。影道に入る前に、その体を斬りつける。それでもカルロス隊長は、私ではなく部下ばかりを見つめていた。
「ヴィヴィアン!」
その声は彼女には届かなかった。ユニケの伸ばした手を、ヴィヴィアンは掴んでしまった。直後、彼らを守るように死霊たちが視界を遮った。じわじわとカルロス隊長を追い詰め始める。それでも、彼は、戦いよりも部下の救出を優先した。
――間に合うはずないわ。
狼になって死霊を蹴飛ばし、その頭を踏んで跳躍する。そして、ヴィヴィアンがいるはずの辺りをめがけて突っ込んでいった。しかし、ソロルの言う通りだった。間に合うはずがなかったのだ。
耳を劈くような女性の悲鳴が聞こえたのは、カルロス隊長がその手前で着地するより先の事だった。
死霊たちの手が着地したばかりのカルロス隊長をも食らおうと伸びる。彼はそれを避け、止む無くその場から距離を取った。悲鳴はまだ止んでいない。狼はもう一度挑んだ。一体、二体と死霊を噛み砕いていく。だが、ヴィヴィアンがいるはずの場所は全く見えないままだ。
血の臭いが濃くなっていく。悲鳴が弱くなってきた。もう見ていなくてもいいだろう。
歩み始めても、カルロス隊長は追ってこなかった。焦りながら唸り、怒りながら吠え、死霊たちを次々に倒している。当初の目的など忘れてしまったのだろう。それだけ、部下を諦められないのか。
――もう助からないのに。
ソロルの囁きの直後、背後からは大の男の悲痛な叫び声が聞こえてきた。




