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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
2章 ニフテリザ

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4.隷従との雑談

「ねえ、アマリリス。明日って町で何かあるの?」


 ベッドに横になっていると、子猫姿のルーナがそっと顔を覗き込んできた。


 外では塵が降っている。アリエーテの町に来て十回は見た。滞在日数はたしか四日目だと思う。コックローチの情報は正しいようで、明日は忌まわしい催し事が予定されていた。

 広場にて存在感を放つ処刑台が主役となる日がやってくるのだ。


 出来れば、その光景をルーナには見せたくない。世の中、そうした光景を見るのが好きな者も多いと聞く。私だって平気だが、ルーナは多分そういう性格じゃない。私が狩りをする時だって、進んで囮にはなるが、犠牲になる人狼から目を逸らし、悲しそうな表情を見せることに気づいていた。あの顔は、魔女の性を満たして冷静になったときに私の脳裏によみがえる。

 あの顔を見るのは辛い。生きているという罪を実感させられる。特に、人々の生活の為に犠牲となる〈金の卵〉だからこその顔なのだろう。綺麗ごとと言えなくもないが、そういってルーナを責める気にもならない。彼女が直接、私に何か言う事はない。きっとあの表情も思わず出てしまうだけなのだろう。


「何かって?」


 誤魔化しつつ問い返してみれば、ルーナは尻尾を軽く揺らしながら言った。


「なんかね、お隣の部屋の人たちの声が聞こえてきたの。明日は大イベントだから観に行かなくちゃって。うきうきしていたよ。楽しい事でもあるの?」

「楽しいことはないでしょうね」


 隣人のことは褒められたものではないが、私も他人のことなんて言えない。

 私が狩る人狼たちだって、別に悪人ばかりではない。穏やかに暮らしていただけの狼であった可能性だって十分ある。そうした獲物たちの死にざまを眺めるのを楽しみにしているのは確かなことなのだ。

 隣人については何も言わない。ただ、ルーナが興味を持っているのはあまりいい事ではないと分かる。できれば、彼女には見せたくない。見てもらいたくない。


「明日の外出は控えましょう」

「どうして?」

「疲れちゃったから。昨日は人狼を追いかけまわしたし……」


 聖剣士に会ったあの後、人狼の一人が犠牲になった。町の中での人目を避けての狩りはとても辛い。逃げ場も多いが、夜を選んだのは人狼もまた狩りをする時間であるからだ。

 恐らく、その人狼も狩りの最中だったのだろう。人目を避けて夜の町をうろついていたのだ。おかげで、誰にも目撃されずに戦うことができた。


 獲物は野性味あふれる美を宿した女人狼だった。カリスとはまた違った美しさに身悶えしたものだ。彼女がどの程度、アリエーテの町で人々を食い荒らしたのかは知らない。だが、何者であろうと、飢えた私の視界に入ってしまった以上、関係ない。


 罪悪感はないのか、と自分に訊ねたこともある。


 腹が満たされた時に見つめる人狼たちは、人間と変わらない。その性格さえ合えば、友人にだってなれるかもしれない。多くの人間は人狼であることはすなわち悪であると思うかもしれないが、実を言えばそうではない。悪人と善人の対比は人間とあまり変わらないように思う。人間たちと同じように信仰を守り、人食を嫌悪し、周囲に愛を与えて生きるような人狼だって中にはいるのだ。


 私がしていることは私以外の人にとっては殺戮に過ぎないだろう。世界に人狼があふれていようが関係ない。私の欲の前では、その人狼の個は完全に無視される。彼、彼女がどのように生きていたとしても、人々から愛されるような存在だったとしても、飢えたときの私にとっては御馳走でしかないのだ。


 おそらく、多くの人間にとって〈金の卵〉などの家畜の個性が意味をなさないように。私はそう理解していた。

 だから、どんなに私から逃げても無駄である。結局、その人狼を取り逃がすことはなかった。カリスのように逃げ足は速かったが、持久力はないようだった。きっと町に滞在して暮らす人狼と、世界を旅しながら黒い仕事に関わる人狼との差なのだろう。


 彼女に追いついた時を思い出す。命乞いをするその姿を思い出す。追い詰められた際に本来の姿ではなく、赤毛の人間へとわざわざ変身したのは、私の慈悲を期待してのことだろう。無駄だと分かるのは魔女や魔人のことをよく知っている者だけだ。そのあたりから察するに、彼女は人狼として生まれたことを除いて、本当にただの町人だったのかもしれない。人を食べたことがあるかどうかは分からないが。


 どんなに可哀想であったとしても、取り逃がせば私が生きていけない。人狼を殺さなければ生きていけない。私の慈悲の形は、彼女の望むものではなかっただろう。


 ――恨むなら、私を生み出した創造主を恨むがいい。


 その言葉を何度口にしただろう。色素の薄い肌と緑の目、燃えるような赤毛。その目鼻立ちまで脳裏に焼き付けてしまうと、あとはすぐに終わらせた。数を数える間もなく、観念して地面に突っ伏し、涙を見せる彼女を憐れむ別の自分の存在も確かに感じながら、苦しませることなく私は蜘蛛の糸の魔術をつかった。

 せめてもの慰めだ。私に理性が残っており、なおかつ、大人しく従ってくれる人狼が相手である時は、遊んだりしない。一方的かもしれないが、それが私のせめてもの慈悲であった。


 カリスはあの光景を見ていただろうか。彼女の気配は今日もつかず離れずの位置に感じる。見ていたとしたら何を思っただろう。


「大丈夫? 大変だった?」


 子猫姿のルーナに訊ねられ、私は笑みを返した。


「ちょっと疲れたってだけ。大丈夫よ」


 撫でてやれば嬉しそうに喉を鳴らす。こうしていると本当に子猫でも拾ったかのようだ。


「ルーナはどうだった?」


 人狼を追いかけている間、ルーナは一人できちんと留守番をしていたらしい。宿屋の妻が教えてくれたから確かだ。外に出るなどという愚行はしなかった。

 また、隣室の悪質な客に壁越しにちょっかいを出されても文句ひとつ言わなかったらしい。かねてより心配していた夢魔の女性ではなく、反対隣の豚鬼族の若者たちだったらしい。腹立たしい話だが、そちらの客には宿屋の主人が軽くお仕置きをしておいてくれたそうなので、これ以上は黙っておいてもいいだろう。あとは、ルーナの心次第だ。見たところ、もうすっかり元気を取り戻している。


「退屈だったなあ。でも、復習はいーっぱいできたよ!」

「そう。じゃあ、町を出た後で出来を見せてもらってもいいかしら」

「うん、もちろん! 新しい問題が楽しみなくらいだよ」


 そう言って、ルーナは得意げに尻尾をぴんと伸ばす。養母のニューラが前に言っていた。猫が尻尾を伸ばすときは甘えている時なのだと。真相は猫に聞かねば分からないし、ルーナは本物の猫ではないが、それを思い出すと何だかこちらもいい気分になった。


 主従の魔術は常に私たち二人を縛っている。今抱いているルーナへのこの気持ちも全部副作用なのだろう。それでも、私はルーナを殺さずに連れ去った過去の自分を褒めたいほど、毎日隷従に癒されていた。それは、孤独にいるうちには気づけない幸福の味である。そして、すっかり忘れてしまった過ぎ去り日々の感覚でもあった。


桃花タオファ……」


 横になりながら脳裏に浮かんだ旧友の名を呟くと、毛繕いをしていたルーナが私を見上げてきた。


「ねえ、アマリリス。前から思っていたんだけど、桃花って誰?」


 そういえば、この子には話したことがなかった。思い出せば思い出すほど寂しくなるが、可愛いこの子が知りたがるのなら仕方がない。

 私はルーナの頭を撫でながら答えた。


「義姉妹であり、友達だった人よ」

「義姉妹って何?」

「血の繋がっていない姉妹のこと」

「アマリリスの姉妹? どんな人だったの?」

「十歳の頃からしばらく、私は北の国ローザに住むニューラという魔女のもとで育ったの。その時にすでに彼女の元にいたのが桃花。ここよりずっと東――大砂漠のさらに先にある蘭花ランファ帝国の血を引いていたらしいわ。だから、向こうの顔立ちだった」

「……だった?」


 ルーナが怪訝そうに窺ってくる。そんな彼女の頭を撫でながら、私は彼女に教えた。


「桃花は死んだの」


 黄金の猫の目がまん丸になる。そして、そっと俯き、子猫の姿のままで「死んだ」と短く呟いた。

 そんなルーナを撫で続けながら、私は記憶をたどった。


 桃花。彼女と最後に会話をしたのはいつだっただろう。ついこの間だった気もするし、果てしなく遠い昔だったような気もする。

 忘れたくても忘れられない。二人でわくわくしながら歩んだ道のりの記憶も、広すぎて両手に収まりきらない世界への憧れの記憶も、そんな私たちの前に突如として立ちはだかった現実の残酷さへの恐怖の記憶も、少し思い出しただけで、懸命に蓋をしていなければ一斉に溢れだしてしまいそうなほどだ。いきなりすべてを振り返れば壊れてしまう。私は慎重に、記憶を紐解いた。


 ルーナは死という言葉に囚われたのだろう。それ以上は何も訊ねてこなかった。お陰で、私は静かに思い出に浸ることが出来た。

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