表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
5章 グロリア

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

105/199

7.愛しい人

「お友達とのお別れはきちんと出来て?」


 帰るなりソロルはそう訊ねてきた。こちらを見つめてくる姿はいつものように妖艶なものがある。艶っぽい眼差しは、かつて大好きだったサファイアのものとは少し違うように思えるが、それでも、その中にサファイアが遺した心があると思うと愛おしかった。

 怒るわけでもなく、嫌味ったらしくというわけでもない。ただ微笑みながら、ソロルは私を見つめていた。


「聞いていたのか?」


 訊ねてみれば、ソロルは静かに首を振った。


「いいえ。でも、噂は知っているの。あなたのお友達が遠くに飛ばされる。トゥルプの人食い女はただの人間が一対一で勝てるような存在じゃない。けれど、弱点があるのよ。人食いは年頃の人間の血肉を好む。これまでもそう。犠牲になった男性が二名だったかしら。彼らも同じ。色仕掛けに負けたわけじゃないわ。生餌として利用されたの」

「……まさか」


 笑い飛ばそうとしたが、心のどこかでは信じてしまった。確かに、そういう手を使う時もある。アルカ聖戦士ならば決死の覚悟で戦うものだ。生還できる可能性がほとんどない時だってある。最初から誰か一人を犠牲にしてやっと生じる隙を使って化け物を倒す計画もないわけではない。

 二回失敗し、三回目というわけだ。一対一の戦いなどではない。一対一で戦わせるふりをして、暗闇より人ならざる者たちが機会を窺うという光景は簡単に予想できた。


「グロリアは……あれでも名家の娘だぞ」

「正義の為ならば死を恐れないと誓ったアルカ聖戦士でもあるわ。お友達の意思が固いものならば、貴方に口出しできることはないわ。彼女の幸せは彼女が決める事だもの」


 敵を恐れて逃げるつもりかと問われて、逃げずにいられるだろうか。愛よりも剣を選んだ我が友のことを考えるならば、本当の狙いが分かっていても拒むことなど不可能だったかもしれない。

 ソロルは私を見つめながら言った。


「貴方もまたアルカ聖戦士。このまま貴方が孤独なアルカ聖戦士で居続けるならば、同じような命令を受ける場合だってあるはずよね。あたしは……それが嫌。勇ましい貴方は、あたしの中にいるサファイアの好む貴方よ。でも、彼女は恐れている。貴方が自分のように無様に殺されてしまうのを恐れているの」


 俯く彼女の傍に近寄った。その背中にそっと手を当てると、とても温かかった。さり気ない仕草、さりげない姿が、いちいちサファイアに似ているのが辛い。その上、わが身を心配されると、ローザ大国を離れるたびに無事を祈って別れのキスをくれた愛しい妻の姿を思い出して、とても苦しくなった。


「――でも、貴方に無理強いはしない。あたしを拒もうとも、貴方を殺したりはしない。それがサファイアに残った最後の願いだから、あたしはそれを尊重する。『あの女人狼を選んでもいい。それが貴方の幸せに繋がるのならば』。あたしはサファイアの魂と共に、この世を漂って別の方法で目的を果たす。貴方とは関係のない場所で、死霊の女王を目指してみせるわ」

「それで、本当に女王になれるのか?」


 触れたまま訊ねてみれば、ソロルは力なく答えた。


「いいえ」


 見上げてくる姿には、勇ましさの欠片もない。


「きっと無理でしょうね。サファイアの遺族である貴方の恩寵を失えば、あたしもただの死霊。アマリリスに挑むまでもなく、特別な訓練も受けていないような傭兵にすら負けてしまうかもしれない」


 そうなれば、サファイアとはもう二度と会えない。こうやって会話をすることも、触れ合うことも二度と出来なくなる。

触れる私の手の甲に、ソロルはその手を重ねてきた。


「惜しんでくれているの? 嬉しいわ。たとえそれがあたし自身じゃなくて、あたしの中にいるサファイアだけなのだとしても、自分の事のように嬉しい」


 ソロルは静かに言った。


「ねえ、ゲネシス。どちらを選んでもいい。でも、その前に、ちょっとだけお願いを聞いてほしいの。彼女が望んでいるから」


 甘えてくる彼女に視線を向ければ、かがむようにせがんできた。言われた通りにすると、ソロルは私の頬に、包み込むように両手を添えて、じっと見つめてきた。何をする気なのか、自然と分かった。こういう瞬間を、かつては何度も見てきたのだ。


 唇と唇を重ねるだけなのに、どうしてこんなにも心に熱いものが生まれるのだろうか。人と人を繋ぐ見えない絆。サファイアの死でずたずたに切り裂かれてしまったと思っていたのに、こうして再び触れ合ってみれば、まだ繋がっているのだと感じられた。

 サファイアの声が聞こえた気がした。頭の中で、耳の奥で、心の中で、かつてフリューゲルに行けば当然のように会えた人の声が聞こえた。無邪気に笑いかける声、私の名を呼ぶ声、愛を囁く声、身を案じる声、そして――悲鳴が聞こえた。命を奪われる彼女の悲鳴か、亡骸を見つけた時の私自身の悲鳴なのか。


「ありがとう。もういいわ」


 頬を伝う感触。涙が流れている。他人事のようにそれを実感していると、ソロルがそっと身を離そうとした。その瞬間、私は彼女の手を掴んでいた。大事なものは何か。大切なものは何だったか。


「ゲネシス……」


 呟く声はソロルのもののはずだ。それでも、サファイアの身体で呟かれれば、本人のものにしか聞こえない。引き寄せて抱きしめると、涙はどっと溢れてきた。

 親を失い、養父も失い、やっと見つけた幸せがそこにあったはずだった。それなのに、どうして神はこの人を奪ってしまったのだろう。何度も悔やみ、嘆き、それでも義弟がいるからと頑張ろうとした。


それなのに、それなのに。


 この人の為ならば死ぬことが出来ると本気で思っていた。ミールまで失った時には、神の教えに背いてでも自害を選ぼうと思ったほどだった。そうだ。カリスとの出会いがなければ、何も迷うことなく悪に染まっていたのだ。それほどの女性だった。彼女がくれたものは、それほどの愛だった。

 もう一度、サファイアをこの腕に。今は偽物だとしても、本物にすることが出来る。おかしな世の中を変えることも、虐げられた人々を救うことも、すべてついででしかない。


 すべては愛のために。失った安らぎのために。


「……離れないでくれ」


 私はソロルに囁いていた。


「傍に居て欲しい」


 求めれば、ソロルは逃げなかった。サファイアがそうしたように、ただ私を見つめている。恐れるような表情ではない。ただ、切ないものを感じた。そんな彼女をじっと見つめたまま、私は言った。


「指輪をくれ」


 両手をぎゅっと握り締めて、強く願った。


「おれを……導いてくれ」


 高ぶる気持ちを抑えるのに必死だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ