5.覚悟
グロリアの次の任務が決まった。教えてくれたのは本人だ。事前の約束通りの場所と時間で、ただ思い出話の為だけに会ったとき、彼女は何処か憂鬱な顔をしていた。
恰好はいつも同じ。お互いにアルカ聖戦士になって以来、普通の女らしい恰好をしたところを見たことがあまりなかった。愛を捨てて剣を選ぶような人物なのだから、当然なのかもしれない。彼女は常に勇ましい印象のある女性だった。
だが、この度のグロリアは何処か弱音を感じた。〈シニストラ〉は大事に背負っているが、横からその姿を見つめた時の印象が、いつもよりも女性らしい。こうも弱々しいのには理由がある。次の任務について、グロリアには自信がなかったのだ。
「先に命じられた二名が死亡している」
それは、非常に単純な背景が原因だった。
「どちらも優秀な男性戦士だったらしい。標的は知性の高い型の人食い族だ。性別は不明だったが、二人目の死亡時に諜報員が目撃していたため、分かったらしい。女だ。美しい女の容姿で油断させ、トゥルプ王国の人間を食い漁っている。ならば、色仕掛けの通用しない女戦士を送ればいいと上は考えたそうだ」
「いくら知性が高かろうが、色仕掛けが通用しなければ問題ないというわけか。君ならきっと勝てるさ」
そう言って励ましてみたが、グロリアの表情はすぐれないままだった。
「本当にそう思うか? 優秀な戦士が二名も食い殺されたのだぞ。果たして色仕掛けだけだと言えるだろうか。私が三人目にならないとは限らない」
いつになく弱気な彼女が珍しかった。本人もそれに気づいたのか、すぐに笑みを取り戻して、こちらを見つめてきた。
「もちろん、私だって黙って食われるつもりはないさ。肉を食われたとしても、命ある限り相手の息の根を止めることを考える。……だが、戦いに勝てたとしても、あなたとまたこうして話すことが出来るかは不安なんだ」
「不安なら、断ってしまえばいいじゃないか」
「断れたらそうしたいね。だが、断れない。アルカ聖戦士として一生過ごすと誓ったのだ。そう簡単に命令に背くことは出来ないさ。……それに、何よりも私の信念が許さない。怯えて逃げるくらいなら、戦って死んだほうがましだ」
剣を背負ってそう語るわが友の姿は眩かった。だが、その眩さに疑問が残る。そこまでして彼女は戦わねばならないのは何故だ。グロリアが命を投げ捨てる思いで戦っている間、安全な場所からそれを見つめている者たちが大勢いる。その中には、偉そうにグロリアに命令している者も含まれている。自分たちの命を危険にさらさずに、戦えるもの、使えるものを利用する。そんな輩がこの教会にだっているのだ。
「何故、そのようにアルカ聖戦士にこだわるんだ」
ぽつりと訊ねると、グロリアは不思議そうにこちらを見つめてきた。
「ただ正義で人々を救いたいならば、アルカ聖戦士をやめたっていいはずなのに」
「……そういう勇者っていうのには誰でもなれるものじゃない」
グロリアは静かにそう答えた。
「ただちょっと他の女性よりも力と剣の腕に恵まれただけの私には、リリウム教会から貰える聖なる武器と防具が必要なんだ。許せない物事を成敗し、恐怖する人々を救うには力が必要だ。けれど、アルカ聖戦士でなくなれば、私も弱き民のひとりになってしまう。だから、私はアルカ聖戦士として力が衰えるまで戦い続けるつもりだ」
どうやらわが友は剣を捨てるのをやめようとしないらしい。死地に向かい、与えられた任務を全うしようとしている。もう二度と会えない可能性もある。わざわざ死にに行くようなものだと思えば、引き留めようという気持ちも生まれる。しかしその一方で、妙に安心していた。二度とグロリアに会えないならば、私の醜態を彼女が見聞きすることもない。だからだろう。私は間違いなくほっとしていた。友の暗い未来に、安心していたのだ。
いつの間に、これほどまでに落ちてしまったのだろう。アルカ聖戦士と認められた日の事を思い出す。あの頃の研ぎ澄まされた少年の心は、もう何処にもないのかもしれない。
「正義を貫くためには力が必要。確かにそうだ。……じゃあ、その力が突然手に入ったら、君はどうする?」
「力が突然手に入る?」
「例えば、悪魔が目の前に現れて、神を殺せるほどの力を与えようと言い出したら、君はどうする? その力を使って、アルカ聖戦士以上の活躍が出来るとなれば、君はその悪魔の誘いに乗るのか?」
訊ねてみれば、グロリアの表情はさらに怪訝そうなものへと変わった。しばし、返答に迷ってから、ようやく彼女は言葉を見つけだした。
「そんな罰当たりなこと、たとえ話でも言わない方がいいよ」
そして、彼女は目を逸らした。燃え続けるイグニスの青い外灯を眺めながら、しばらく黙り込んでしまった。その脳裏に留まるのはどんな感情だろうか。私への疑問か、はたまた呆れか。いずれにせよ、彼女はイグニスを発ってしまう。これが別れになる可能性は高いだろう。
「ゲネシスはいつまで休暇をとるの?」
気分を変えるように、彼女は話を変えた。
「私が無事に帰ってくるまで、イグニスにいる? それとも、家を買ったというローザ大国かな?」
「さあね。でも、イグニスにはいないかもしれない」
トゥルプ王国は遠い。ラヴェンデルとクロコの広大な土地に阻まれている。無事に決着がついたとしても、そこからここに戻ってくるまでに相当な時間がかかるだろう。その頃には、ここはどうなっているだろう。カエルム、シルワ、そしてイムベルは陥落しているだろうか。
人食い族に食い殺されなかった場合、この友の鳶色の目には何が映るのか。そして、その犯人に対してどんな感情を抱くのか。かつて共に学び、共に成長したはずの友人との未来は完全に交わらないところにあった。
「……そうか。無事に生きて戻れたら、リリウム教会に伝言を預ける。また、会えるといいな。そのことを胸に人食いに挑んでくる」
その横顔より感じるのは勇ましさばかりだ。だが、その勇ましさの裏側に恐怖と不安が隠れていることを、いったいどれだけの人物が見抜くだろう。相手となる人食いに見抜かれてしまえばおしまいだ。そんな危険を背負ってなお、安全な場所からそれを命じる者たちに、グロリアは怒りを少しも感じていないようだった。
しかし、私は違う。懸命に生きて、信仰と任務を守って剣を手に取り戦い続けたのに、一生の宝であったはずの愛妻は惨死し、義弟までも奪われた。神はいるのか。いたとして、守ってくれるのか。私の不幸など、リリウム教会の幹部にはどうだっていいのだろう。使い捨てられる身分なき魔物戦士も、世界で居場所を無くし続けるハダスの民も、その他大勢の異教徒の者達も、どんなに不幸であったとしても、手を差し伸べる者は少ない。
聖下が人々に向けた言葉は、全ての者の心には宿らない。一番届くべきはずの長官たちですら、その全てに届いているわけではない。何かがおかしいのだ。何かがおかしいから、不幸な人は減らないのだ。
このままグロリアが抗わないのならば、彼女もまたピーターのように死んでしまうだろう。それを止めさせる権限が今の私にはない。彼女が望むのならば、送り出すしかない。しかし、それでいいのか。ピーターは真面目過ぎて死んだ。真面目過ぎる者が死んでしまう。そんな世界でいいのか。
では、どうすればいい。何を変えればいい。
――あたし達の手で、世界を変えるの。
ソロルの声が脳内で蘇った。サファイアの遺した想いを抱える彼女の言葉が。
「トゥルプでの武運を祈っているぞ、グロリア」
溢れんばかりのあらゆる感情をしまいこんで、私はそう言った。
帰ってくる頃には、全てが変わっているかもしれない。
生きてまた会えたならば、その時の関係は敵なのか、味方なのか。どちらにせよ、彼女に待っているのは地獄のような光景かもしれない。その時、彼女は私をどんな目で見つめるだろうか。彼女の目に映る私は、どんな姿をしているのだろう。
「ゲネシスも、無事で」
何も知らない彼女にそう言われ、私はただ笑みを作った。




