3.青い光
グロリアとは後日また会う約束をして別れ、自宅に戻ればソロルが一人きりでそこにいた。窓辺から外を眺める姿はいつもと同じだ。サファイアによく似た横顔には見惚れてしまう。ただ、この度のソロルは少し不機嫌そうだった。
「お友達と再会できて楽しそうだったのね」
サファイアの声で彼女はそう言った。
「見ていたのか」
「ええ、見ていたわ。アルカ聖戦士の女性。思い出話に花を咲かせたの? それとも今後のご相談? どちらにせよ、あの猛禽のような目はあまり好きじゃない。いくらあなたのお友達でもね」
「グロリアは悪い奴じゃないよ。それに、私とあなたの事も悟られてはいない」
「そうかしら。今はそうでも、いつかは悟られるかもしれない。……また会う約束をしたのね。生きているお友達の存在は、さぞ好ましい事でしょうね。あたしの中にいるサファイアの魂が嫉妬するくらいには」
「数少ない友人なのは確かだ。だが、それだけだ。グロリアだっておれには興味がない。サファイアが嫉妬するようなことはない」
そう答えると、ソロルは少しだけ振り向いて、くすりと笑った。
「分かっていない人ね。でもいいわ。あたしはサファイアじゃないもの」
そして、再び窓辺から外を眺め始めた。
すぐ傍の通りでは、青い炎が辺りを照らしている。その光がサファイアの目の輝きに似ている気がした。
「お友達と話しているあなた、何だかほっとしていた」
ソロルはそう言った。
「あたしといる時とは違うあなたの姿だったわ」
「グロリアの知らない私もいるさ。サファイアと一緒にいた時の私を彼女は知らない。そして、今の私の姿も」
グロリアは夢にも思っていないだろう。
ピーターは正義の味方のまま死んでしまい、ジャンヌは新しい未来を歩む手前で死んでしまった。グロリアはそんな彼らの死と向き合いながら、それでも剣を手放す様子はなかった。このままソロルと歩めば、彼女と対立する日も近い。
友の姿をした死霊を相手に剣を向けると発言したグロリア。彼女は敵対する私にも容赦なく剣を向けられるのだろうか。
「……そうね」
ソロルは静かに肯いた。
「でも、ゲネシス。この町であなたは大きな選択をしなくてはいけないわ。あたし達と歩むか、彼女たちと今の世界を守るのか。あなた自身が決めて、指輪を受け取るか決めなくてはならない。もしも、あたしと歩むならば、お友達とは会わない方がいい」
「分かっているさ。だから、顔を見ておきたかった。私はグロリアを殺せるだろうか。剣を向けて戦えるだろうか。それを自分でも確かめてみたかった」
思い出すのはエクリプスでのことだ。
聖剣を携えた私は、カリスを殺せなかった。コックローチとかいう翅人の男には躊躇いなんて生まれなかったのに、何度も会話をし、一方的にこちらに好意を向けてくるカリスに見つめられると、剣を向けることが出来なかったのだ。
私は弱い男なのだろうか。それとも、まともな人間なのだろうか。狂いきることも出来ぬまま、カリスは野放しにしたままだ。グロリアもきっと同じだ。殺せと言われて殺せるだろうか。カンパニュラでの楽しかった日々を思い出すかもしれないのに。
「迷うのなら、考え方を変えればいいわ」
ソロルはイグニスの炎を見つめながら言った。
「相手が人の血を継ぐならば、その全てが死霊になれる。一度、囚われて解放されてしまった魂は二度と呼び戻せないのが現状。でも、巫女たちの力を手に入れれば、あたしは人の生と死を完全に操ることが出来るようになる。全てあたしの指示の下でね。一度死んで、復活した兄弟姉妹はあなたと敵対することはない。みんなが一つになれる。お友達の心も、あなたと一つになれるのよ」
「……そのために、グロリアを殺せと言いたいのか」
「敵対し続けるよりはましよ。それに別れは一瞬だけ。ジャンヌを見たでしょう? そして、このあたしを。あたし達は死んだ人を蘇らせることができる。あなたの手で殺せば、間違いなくグロリアも蘇るわ。あたしと一緒なら、永遠を生み出せる。もう何も失わないで済む世界をふたりで作ることが出来るのよ」
振り返る彼女の眼差しに、吸い込まれそうになった。
愛しい人の姿をしていても、やはり彼女は人間ではないのだろう。だが、そんな彼女と共に歩む私は何者だろう。迷い続けてもなお、共にいる。指輪さえ受け取れば、躊躇いすらなくなるのだろうか。
この手で殺し、蘇らせれば、いがみ合う事もなくなる。それが人の血を継ぐ者ならば、志を共にすることが出来る。そうして歩んだ先にあるのはどんな世界だろう。足並みをそろえてくれる者たちに囲まれて、理想はそこにあるだろうか。
知らず知らずのうちに思考が偏りかけ、はっとした。サファイアの眼差しが何処か寂しそうに私を見つめていた。
「海巫女がカエルムを発つまで、あなたは悩み続けられる。けれど、永久のことではないわ。お友達と会いたいのなら無理に禁止はしない。けれど、顔を見て、考え直してごらんなさい。あなたの覚悟と指輪があれば、味方を増やすことも出来るという事を」
何が正しくて、何が真実なのかはどうでもいいのかもしれない。
親しい者の魂を持つ死霊に囲まれながら暮らすことを想像し、ふとその中に麦色の髪と翡翠の双眸を持つ者が含まれていないことに気づいた。
人の血を継がぬカリス。ソロルと共に歩んで向かう理想の世界に、人狼の彼女は入れない。彼女の誘いに乗ることは、サファイアとミールを諦める事。ならば、彼女の方に諦めさせることは出来るだろうか。
「その味方の中に、カリスは含まれるだろうか」
そっと訊ねてみた先では、ソロルは再びイグニスの炎を見つめていた。こちらを振り返る様子はない。
「無理やり、ということなら否定するわ」
ソロルは言った。
「あたしに、人狼を使役する能力はない。指輪も同じ。この指輪であなたに与えられるのは神獣を呼び出して殺す力だけ。その力を利用して支配することは出来ても、強制的に思考を歪めることは出来ない。あの人狼を味方につけるのならば、あなたの言葉と交流次第よ」
「私は関わるなと言ったんだ。けれど、彼女は信念を曲げようとしない」
「それが彼女の尊厳だからでしょう。ああいう女は油断ならない。人の血も継がないのなら、死霊にすることも出来ない。それなら、排除するしかないわ。これ以上、関係が深まる前に、剣を向ける覚悟を。――それが、あなたに最愛の人を贈る条件でもあるわね」
「サファイアの復活と引き換えに、カリスを切り捨てろと」
「かの人狼がしつこさを失わない限りは、ね。勿論、あなたがそれを嫌がっているのは知っているわ。あたしも、あなたに必要以上に辛い思いをさせたいわけじゃない。何なら、このあたしが直々に、彼女に警告してあげましょうか」
それとも、とソロルは声を低くして訊ねてきた。
「あなたはまだあの人狼と一緒にヴァシリーサを見つけ出せると信じているの?」
その問いに、可能性を信じるカリスの姿を思い出した。
不可能だと決めたのは誰だ。本当に不可能かどうか一緒に試してみよう。その歩みにサファイアを復活させる力はないが、ミールの未来を滅茶苦茶にした忌まわしい魔女の首を獲る力はあるかもしれない。
人間としての力しかない私とは違って、カリスは人狼だ。その不可思議な力がサファイアの命を攫ったのだとしても、今度はサファイアの忘れ形見を奪った相手への復讐に利用できるとしたら、どうするべきか。
「可能性があるなら、試してみたいという気持ちはある」
正直にそう答えると、ソロルは小さく息を吐いた。生きていた頃のサファイアのようだったが、そのまますっと歩みだす姿は妙に神秘的だった。彼女は真っすぐ部屋の隅で休んでいる聖剣〈シニストラ〉へと近づいていくと、私を振り返った。
「この剣を手に持って」
「何故だ?」
「いいから」
言われるままに立ち上がり、〈シニストラ〉へと近づいた。鞘に納められたままの聖剣。魔女を即死させるほどの聖なる力は、死霊にとってもあまりいいものではないだろう。それでも、ソロルは恐れる様子はない。
アルカ聖戦士として認められて以降、私の命を守り続けた聖剣。その使い慣れた柄を持ってみれば、ソロルもまたその手を重ねてきた。
「聖剣に力をあげる。愚かにもあたしを振ってあの狼と手を取るとしても、この剣があなたを守ってくれるように」
その瞬間、僅かにだが聖剣が震えた気がした。生き物が目を覚ましたかのような感覚だ。守りの力がどういうものかは分からないが、明らかにこれまでの〈シニストラ〉とは雰囲気が違った。
じっと刃を見つめていると、ソロルはそっと手を放し、相変わらず寂しそうな表情のまま言った。
「気休め程度のものよ。指輪を受け取らず、あたしと共に神殺しの道を歩んでくれないのならば、強大な力は手に入らない。ヴァシリーサに会うことも出来ないでしょう。それを確かめたいというのなら、無理には止めないわ」
「どうして、そんな力を……?」
でたらめなどではない。確かにこの〈シニストラ〉には聖なる油による力以外のものが感じられた。強固な守りだとすれば、今まで以上に我が身を守れるだろう。
しかし、何故。どうして彼女は与えてくれるのだろう。純粋な疑問と共に見つめれば、彼女はサファイアと瓜二つの顔で微笑みを見せてくれた。
「それがサファイアの気持ちなのよ」
ソロルと言われても、サファイアと思わずにはいられない。
「あなたの選択がどちらに転ぶにせよ、あたしは大地を踏みしめる死霊として、サファイアの気持ちを重んじる。故人を蔑ろにするのがあたし達だとあなた達人間は思っているでしょう。けれど、違う」
胸に手を当てながら、ソロルは主張する。
「あたしを現世につないでいるのはサファイアの心でもある。故人の想いを尊重するか、利用するだけなのかは、同胞によってもそれぞれね。兄弟姉妹によっては、もしかしたら踏みにじるような事ばかりしているものもいるでしょう。でも、少なくともあたしは違う。あたしは故人の遺した想いを尊重する。サファイアが死してなお、遺したかった気持ちを蔑ろには出来ない。その純粋なる願いこそ、あなたが無事でいることなのよ」
死霊の言葉は信じるな。
飽きるほど聞かされた言葉が頭の中でこだまする。だが、なんと無慈悲な言葉だろうか。ソロルの言葉が本当だとすれば、なんて優しい現実だろう。
死んでしまっても遺るサファイアの心が、私の無事を願うものであるとすれば、確かな愛と絆を再び噛みしめることが出来る。嬉しいし、幸せなことだ。だが、同時にとても苦しくて、とても痛い。目の前で話しているこの人物が、本物の妻ではないという現実が非常に辛かった。
「サファイアの心は……あなたの中にどれだけ残っているんだ」
苦痛をまぎらわせるために訊ねてみれば、ソロルはすぐに答えてくれた。
「ほとんど遺っていないわ」
悲しい答えだった。
「遺されているのは、その人の一番大事にしていた感情や願いばかりよ。あなたと明白に意思疎通するのも困難でしょう。完全なる復活をさせてあげられない限り、せめてあたしが遺った感情を大事にするだけ。剣に力をあげたのは、そのためよ」
「サファイアがもっとも大事にしていた願い……」
その気持ちがソロルに伝わり、剣の守りとなっている。
それは、ソロルを介して久々に感じる絆だった。忘れかけていたものを取り戻したかのよう。かつては当たり前にそこにあって、いつしか有難みを忘れていた。フリューゲルに寄れば、サファイアとミールに会える。当たり前になりすぎて、その奇跡を真面目に考えたことがなかったのだ。
彼女に会いたい。取り戻したい。今度こそは守り切りたい。何者にも触れさせず、肌一つ傷つけぬように。またミールと三人で暮らせないだろうか。失ったものを取り戻し、やり直すことは出来ないだろうか。
だがそれは、罪への入り口だ。私はどうするべきなのか。この迷いとどう向き合えばいいのだろう。
「出かけてくるわ」
思考の迷路に落ちかける私に、ソロルは突然そう言った。
「今から? 日も暮れているぞ。危険ではないか」
すると、ソロルは笑って答えた。
「勘違いしていない? あたしはサファイアじゃないのよ。あたし達にとって暗闇は家族みたいなもの。あなたが心配するほど危険ではないわ」
そして表情を少しだけ険しくした。
「またあの友好的ではない翅人紳士があたし達を眺めているようなの。ご挨拶に行かないと失礼でしょう? あなたはここで待っていて」
返事を待ってくれる様子もなかった。
あっという間に彼女の姿は消えてしまう。後に残されたのは私一人。いや、雰囲気の変わった〈シニストラ〉とふたりきりだ。
相手はソロル。これまでだって何度も私の傍から消え、何事もなかったように帰ってきたものだ。しかし、死霊は不死身ではない。どんなに力を手に入れたとしても、滅ぼされることはある。
いつか、サファイアの姿をした彼女も滅ぼされる時が来るだろうか。ピーターの姿をした死霊がカリスに滅ぼされたように、サファイアの遺した気持ちを抱えている彼女も、冥界に戻される時は来るのだろうか。
――もしも、彼女の言っていることが本当だとしたら……本当に、サファイアの心がソロルの中に残っているとしたら……。
疑問はじわじわと不安に変わっていった。




