3.聖剣士
翌日も、翌々日も、ルーナにせがまれるままに外出をし、ルーナの興味があるままに店を訪れた。
ルーナにとって何もかもが初めて見るものだったせいか、たどり着いた日を含めて三日かけてもその興味は尽きない。ただ、私も限界はあった。出来ることならいつまでも連れまわしてやりたいところだが、空腹のときは少しずつ訪れていた。そろそろ一匹程いただかなければいけないだろう。
カリスは相変わらずつかず離れずのところにいる。接近すればすぐに逃げてしまうだろう。となれば、この町でぬくぬくと暮らしている人狼の一人に犠牲となってもらうしかない。
生憎、宿は当初期待していた通り、問題がない。隣人の夢魔とやらも、ここ二、三日の食事として私やルーナはお気に召さなかったようだから安心だ。
なので、日が落ちるとルーナを宿に戻し、ついでに宿の主人とその妻に彼女を外に出さないように固く言いつけてから、私は再び夜の町へと繰り出した。
アリエーテの町では昼には昼の顔があるように、夜には夜の顔がある。あらゆる猛獣や盗賊の侵入を防ぐために築かれた高い壁はそれだけ人々の心を緩ませているらしい。
日が落ちると賑やかになる通りがある。暗い噂がウソのように明るい笑い声や客引きの声が聞こえてきた。ルーナの教育に非常に悪い世界が広がっている。
そんな賑やかさから外れて、私は建物と建物の間をそっと歩いていた。さすがに夜も深まれば、一つ通りが違うだけでかなりひっそりとしている。
騒いでいる町人がいても、皆、楽しそうにしていても、吸血鬼がいるという噂の影は町全体に漂っているらしい。ああやって集団でいるのも、騒いでいるのも、もしかしたら吸血鬼を恐れてのことかもしれない。そして、一人きりにならないことで、何かあったときに疑われることを防いでくれる為かもしれない。
宿屋の主人が言った通り、そしてコックローチの情報の通り、この町はやはり危険なのだろう。
――人狼を一人いただいたら、早く次の町に行こう。
そんなことを考えながら路地裏を歩いていたその時、暗い道の先に人影があるのが見えた。緊張と驚きで声を上げそうになったが、先に驚いたのは向こうの方だった。月明かりがその姿を照らしている。男性だ。随分と背は高く、クロコ帝国の者にはあまり見ない服を着ている。
目を凝らして、緊張が高まった。よくよく見て見れば、その服は見覚えのあるものだった。各国、各地方でたまに見かける制服。その素材は魔獣羊からとれるもので、庶民が身に付けられるものではない。制服を覆うのは鎧。聖戦士が支給されるというベスト状のものだ。鎧に刻まれた紋章に目をやり、静かに確認する。コックローチが言っていたのは彼のことだろう。その印は教皇領で使用されるリリウムの紋章であった。
間違いない。派遣されてきたアルカ聖戦士だ。
「ああ、すまない。気配がなかったもので驚いてしまった」
私の緊張をよそに、彼はそう言った。紳士的に振る舞ってはいるが、背負っている剣は聖剣である。あれで貫かれれば私は即死する。〈金の卵〉たちの尊い犠牲によって生まれた魔を断罪する武器だが、とりわけ魔女や魔人に対して強い。
「君は……」
彼はじっと私の目を見つめてきた。自然と目を逸らしてしまいそうになる。そして恐れていた事態は起こった。
「なるほど、君は不思議な心臓を持っているらしい。〈赤い花〉の心臓。人々から恐れられる魔女でありながら、古い伝説に記された聖女の末裔でもあるのだったかな」
ただの人間だと思っていたのに。だが、聖戦士として認められるものは不思議な力があると言われていたことも確かだ。神に認められているからこそ、魔物を見抜く力があるのだと。ただの人間にそんな力があるはずがないと思っていたが、考えを改めるべきだろうか。
目を合わせたまま一歩下がると、聖剣士はただ目を細めた。
「脅すつもりはない。私が聖剣士になった日、聖下は仰せになった。人に害をなす気のない魔を魔というだけで殺してはならない。生まれというものは罪にはならない。罪は生き方によって生まれるもの。君が私の視界で罪を犯さないのならば、私にはこの剣を向ける理由など生まれない。この剣は人を守るために存在するからね」
「大した信仰心ね……それなら大丈夫よ。私は人間を襲ったりはしないわ」
「襲おうと思っているのは人狼かな?」
言い当てられ、私はさらに怯えた。これが怯えずにいられるだろうか。
「どうして分かるの? それも聖戦士の力なの?」
「いや、違うよ」
苦く笑いながら彼は教えてくれた。
「人狼狩りの〈赤い花〉がいると聞いたことがあったのさ。ちょうどいい。今このアリエーテは吸血鬼騒動の渦中にあるが、実を言えば人狼の被害もあるんだ。この町の人狼は狡猾なようでね、事件自体を発覚させないように社会の端くれにいる人を狙っているらしい。私は吸血鬼の件で忙しい。もしも君が人狼を食べてくれるのなら、有り難い事この上ない」
「……交換条件ね」
見逃すから人狼を減らせということだろう。むしろ、その方が私にとっては分かりやすい。取引で解決するのなら、喜ぶべきところだろう。
「この町にいる間に見つけ出して食べておいてあげる。だから、私と私の連れのことは放っておいて」
そう言うと、聖剣士はにっこりと笑みを向けてきた。とても爽やかな笑みだが、好きになれない。やはり、相手が聖戦士だからだろう。私の正体をあっさり見破ってきたというところも理由の一つだ。嘘をつくのは得意だと思ってきたが、どうやら違うらしい。不快さや不安な気持ちはどんなに隠そうとしても表情に漏れてしまった。鏡を見なくても分かる。私は大変失礼な表情で彼を見ているのだろう。
けれど、彼の方は、さほど気にしていないようだった。モラルのあるアルカ聖戦士という人種は器が大きいと言われている。そんな話を妄信することはないが、彼らが任務以外の遭遇者に好んで勝負をけしかける可能性が低いということは知っていた。
幸いなことに、目の前にいるこの人物もそうらしい。
そんな彼の名前は……読み取れない。本質を表す色も分からない。
聖剣の姿に動揺しているのか、集中できていないようだ。
「それは有り難い」
彼は平然と言ってのけた。
「この町の人たちのためにもなるだろう。関係のない人狼たちが巻き込まれたら申し訳ないが、仲間の横暴を止められなかった連帯責任という話でもあるからね」
「ずいぶんと手厳しいのね。この町の騒動はてっきり吸血鬼だけなのかと」
「そうだとよかったのだけれどね。この町の人狼は吸血鬼とは違って死体を残さない。だから、発覚していないようだ。私は気づけたが、町の者が気づいている気配がない」
「皆、吸血鬼狩りに躍起なのでしょう? 疑わしい人を処刑してまで」
訊ねた言葉が責めるようになってしまった。
もちろん、私に責めるような権利はない。そもそも、この町で次に処刑される女のことも、他人事だとしか思っていないのだから。
だが、アルカ聖戦士は深く息を吐き、腕を組んだ。
「そうなんだ。困ったことにね」
その表情は悲しそうだった。
「皆、吸血鬼なんかじゃない。私には分かる。次に処刑される女性もそう。彼女は身寄りがなくてね、庇ってくれる家族がいなかった。何度か彼女と話したが、やはり違うと断言できる。だが、説得には時間がかかってね。誰もが納得する『彼女ではない』という証拠を持って来いと言われてしまった」
「……それで証拠を探しているの?」
「いや、探しているのは吸血鬼だ。真犯人を突き出して白状させればいい。吸血鬼には牙がある。いくら知識がなくとも、真犯人を見れば彼女が吸血鬼じゃないことは一目瞭然だろう。それで、私は毎晩、吸血鬼の被害がありそうな場所を探している。……その結果、人狼が野放しになってしまっていてね」
「そう……よく分かったわ。さぞお忙しいのでしょう。じゃあ、なおさら、怪しい人狼は私が一匹もらっておいてあげる。それが確実に犯人である保証はできないけれど」
「いいのです。ありがとう。さすがは〈赤い花〉の聖女の末裔だ。だが、よく心得ておいてほしい。この町の人々は君の存在を理解してくれないと思われる。特にアリエーテ教会の司祭と助祭はどちらも頭の固いお人だ。一連の騒動で、修道士も断頭台の犠牲となったと言えば、君にも分かるだろう。〈赤い花〉の聖女伝説を知っておきながら、君を魔女と罵る者もいるだろう。罵るだけならばいいが、危害を加えようとする者もいるかもしれない。正体を知られないように気を付けて」
「言われなくてもそうするわ。もう行っていい?」
説教臭いのも嫌だし、聖剣の存在感も耐えられない。さっさと逃げ出したい。
やはり聖剣士という輩はどんなに友好的でも苦手だ。問答無用で剣を向けてこないだけ賢いのは助かるが、これ以上一緒にいたら頭や心臓がおかしくなってしまいそうだ。
「ああ、行きなさい。呼び止めて悪かったね。よい夜を」
「よい夜を」
道をあけられて、その横を通る間、緊迫した時間は続いた。
いつ彼が豹変して剣を向けてきても対応できるように意識しなければと野生の勘が囁き続ける。もちろん、不安だからと言って先手を打つわけにはいかない。下手に戦いを挑んで斬られるのは御免だ。いくらなんでも聖剣の毒を浄化できる魔術なんて私は知らない。殺されれば宿に残されたルーナはどうなる。考えただけで恐ろしいことだ。
恐怖のせいで、ただ横を通り過ぎるだけなのに、人狼を狩る時以上に疲労がたまった。だが、実際に通り過ぎてしまえば、案外あっけないものだった。
聖剣士はにこにこしたまま私を見送っている。本当に、ただそれだけだった。




