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蒼と紫紺の出会い

 皆さん、運命の出会いって信じますか?

 ……あっ、ごめん引かないで。お願いだからせめて私の話を聞いて。


「さすがに午前中に十件は厳しいっての……」


 スケジュールに示された今日一日の予定。分刻みで書かれたそれは、見るだけでさすがの私でも参ってしまいそうになる。仕事人である自覚はあるけれど、いくら何でもこのスケジューリングは間違ってると上司に訴えたいところである。


「お昼ご飯……はさすがに遅いかぁ。せめて一服できるところ……」


 時計を見れば十六時を過ぎたところ。様々なお店もほとんどランチの時間から外れているだろうし、下手をすれば昼休憩でやってないところだってあるだろう。お腹は減っているが、場所がなければ最悪コンビニ弁当だ。でもさすがに五日連続でコンビニ弁当は、できることなら避けたい。

 しかも最近は禁煙スペースが増えてきて、喫煙者には厳しい世の中。どんどん狭くなってきているスペースを見つけるのは割と困難だ。

 さらに言えば、ここは閑静な住宅街。仕事の関係上仕方ないこととはいえ、そもそも食事処がないのだ。コンビニはここから数百メートルくらい先に一軒しかないと先程携帯の地図アプリに絶望的宣告を受けたばかり。


「こうなるなら先に買っておけば……ってこのスケジュールじゃさすがに無理か……」


 むくむくと湧き上がってくる上司への不満を何とかこらえる。幸い、この後の予定は二件だけなのでゆったりお客さんと話もできるし、何なら次の場所まではそれなりに時間もある。

 ……もう少しましな割り振りをしてくれればいいのに。

 愚痴を言ったところで変わる現実ではない。代わりに一つ、大きなため息が漏れた。


「次の家までの道にお店があったら入ろう……」


 頭でいくら考えていたって結局何も変わらないなら、とりあえず動くしかない。体で考えた方が何とかなるし、動かなければ何も始まらない。

 ……それこそ、恋とか人間関係とか。


「……はぁ」


 別にいまの人間関係が悪いとは思ってない。たくさんの人たちに支えられながら協力してやれているし、人同士のトラブルがあるわけでもない。お客さんもみんないい人たちばかりだし、自分で言うのもあれだが、人間関係は恵まれている方だと思う。

 でも、私の隣には誰もいないのが現実。仕事でもプライベートでも、特別な誰かがいるわけではない。

 世知辛い世の中である。ため息がこぼれたって仕方ないと思わせてほしい。

 どこか重苦しい足取りで目的地なく歩いていると、私の目の前に見えてきたのは何の変哲もない、一軒の家。住宅街に紛れて見過ごしそうになったが、立て看板の存在でここが店だということに気づくことができた。


「喫茶……店?」


 看板を見つつ、考える。

 こういうところの喫茶店は最近禁煙のみだからなぁ。

 次の店を探そうか、と通り過ぎかけたが、その家から香る珈琲のいい匂いにお腹が反応する。次の店に行こうと片足は剥くのだが、もう片足が店の前から離れようとしない。

 ……要は私、今すぐ座りたい。ご飯、もとい、何かしらお腹に入れたい。できることなら一服もしたい。


「……どうにでもなぁれ」


 明後日に向いていた片足を向き直して、目の前の喫茶店を見上げる。タバコは最悪吸えなくてもかまわない。とにかく私は、座りたい。ご飯が食べたい。お腹に何かを入れたい。

 本当に何の変哲もない一軒家。家先に飾ってある植物たちは私のことを歓迎しているのか、それとも拒んでいるのかいまいちわからない。ただ、玄関口付近にいる猫は「入ってきて大丈夫だぞ」とふてぶてしそうな表情でこちらに視線を向けている。

 猫に愛されている店ならまぁ、悪い店ではないのだろう。

 獣道――とまではいわないが、それなりに整っている道を選んで玄関の方へと向かっていく。私が近づいても動く気配を魅せない猫の肝の座り方に感心しつつ、ドアノブに手をかける。

 何の障害もなく開いたドア。ドアの隙間から足元の猫はするりと入っていくのを見送って、視線を上げたその先にいたのは。



 ――息をのむような美人。店員さんと話をしている姿はどこか憂いを帯びているが、その背中でさえ美しい。



 ぼんやり見ていたら、彼女と目と目があった。蒼の瞳はさながら青空のように澄み渡っており、少し丸くなっているその形はまるで本物の宝石の用。髪は長くまとめられていて、紫と紺を混ぜたような鮮やかな髪色で、外からの風になびいてふわりと上がった髪とその姿は大和撫子という言葉がまさにぴったりだ。


「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか」


 カウンターからいつの間にか出てきていた店員さんに声をかけられ、ようやく我に返る。さすがに見知らぬ人に見つめられ続けるのは不快だろうから目を離したが、意識は完全にカウンター席の美人さんだ。


「は、はい」

「お煙草は」

「お願いします」


 丁寧に話をしてくれている店員さんには申し訳ないが、私の意識は完全に彼女に向かっていて、珈琲どころの騒ぎではない。


「ふふっ」

「え?」

「あぁいえ、お気になさらず。こちらへどうぞ」


 嬉しそうに私のことを見つめる店員さんに首をかしげる私。席まで誘導してくれたところで、ようやく内装に目を向ける余裕が少し出てきた。

 家の内装をアレンジしたのか、あまり広くはないが植物が様々なところにあってなんだか心が落ち着く空間だ。

 煙草の煙も、これだけの植物に吸い込まれてしまえば問題ないのかもしれないし、こういうところで吸う煙草も悪くはない。

 ポケットの中に入れていた煙草を取り出して、いつもの要領で火をつける。チリチリと鳴る葉を眺め、ようやく一息つけたと安心する。


「……なぁぅ」


 ある程度、落ち着いてきた頃、珈琲を頼もうと顔を上げようとしたら足元から小さな声。視線を向ければそこにいたのは先ほどの猫で、いつの間にか私のところで丸くなっていたらしい。私が座った時点からいたらしく、動いた時に起こしてしまったようでどこか不機嫌そうだ。


「おや、カナが人に懐くとは珍しい」


 どうしようかと考えていると、メニューを聞きに来た店員さんが意外そうな声に顔を上げた。入ってきた時点からほぼ一緒だったから、人によく懐く猫なのかとばかり思っていたから、私こそ意外だった。


「あまり懐かないんですか?」


 未だ私の足から離れてくれない猫――カナというらしい――の頭を撫でながら店員さんに問う。話をしている間もごろごろと喉を鳴らして目を細め、こちらを見ている。


「えぇ。カナは元々野良で、人をよく怖がって近づかないので」

「へぇ……そうなの?」

「なぁ……う?」


 聞いたところで答えてくれるわけもなく、首をかしげてゴロゴロと再び私にすり寄ってきた。


「お客さんが初めてですね。カナがここまで懐いたのは」

「そうなんですか。私、あんまり動物に好かれないんだけどなぁ」


 近づいても逃げられるか、すれ違っただけでも吠えられるか。動物にあまり好かれる体質ではない方なのだが。


「えぇ。あのお客様は初めていらっしゃったとき、カナに思い切りかまれておりましたよ。今はだいぶ打ち解けてきましたが、当時は本当に落ち込んでおられましたね」


 その時のことを思い出したのか、目尻の皺を寄せて笑った。一緒に足元のカナも鳴いて、カウンターの女性のもとへと走り出した。


「あっ」

「おや、これまた珍しい。カナが進んで東堂さんのところへ行くとは」


 そう言いながらも、どこか嬉しそうに笑う店員さん。その言葉を聞きながら、カナの向かった彼女に再び視線が向いた私。


「なぁ……」

「カナさん、珍しいですね。今日はご飯、ありませんよ?」

「にゃぁ……」

「へっ、ちょ、カナさん?」


 ご飯目当てだと思っていた女性は加奈の頭を撫でていると、軽い足取りで彼女の膝上に飛び乗り、そのまま丸まって眠ってしまった。

 今までこんなことがなかったからなのか、淡淡とカナのことを起こさないように慌てている。店員さんに助けを仰いでいる。



 ――つまり、その後ろにいる私とも目があってしまうわけで。




「あっ」

「あ……っ」


 顔を赤くして目をそらしたのは、どちらが先だっただろう。私の顔が赤くなって逸らした時には漢書も赤かったから、どちらから、とは言えなかった。

 気まずい空気が流れる。指先でチリチリと鳴る日の音と、彼女の膝上で眠るカナの寝息、室内BGMだけが流れていて、誰も言葉を発さず、静かな時間が流れていた。


「……さて。アイスとホット、どちらがよろしいですか?」


 どれくらいの時間が流れたのか、そんなころ。私の近くにいた店員さんが苦笑しながら私に問う。そういえば注文もまだなのに煙草だけで随分いてしまったものだ。


「あっ、すみません。アイスでお願いします」

「かしこまりました」

「あと、何か食べるものがあれば助かるのですが……」


 さっきまで女性に見惚れていたせいかすっかり忘れていたが、朝からほとんど何も食べていないから今更になってお腹が減っていることを思い出した。


「すみません。うちでは……自宅の方には材料があるのですが僕の腕があまり」

「そうですか。ありがとうございます」


 最悪この後コンビニに行けばいいし、仕方ないと片づけられる。私も急に入ってきたわけだし、無理をしてもらうのは私も申し訳ない。





 お礼を言って、珈琲を待とうとした、その時。







「……あの」

「東堂さん?」


 カウンターに座っていた女性が立ち上がった。私と店員さんの二人で首をかしげて見ていると、だんだんと近づいてきたのだ。


「材料があるのなら、私がやりましょうか?」

「へっ?」

「時間がかからないものにしますし、ご迷惑でなければ、ですけど……」

「い、いやさすがにそれは申し訳ないというか……」


 驚きの申し出に嬉しさはあるが、初対面の人にそんなことをしてもらうのはさすがにこちらの罪悪感がやばい。


「でも」

「いやいや、お気持ちだけで十分――――」



 ぐぅ。



「あの」

「こ、これは別にそういうわけじゃ――――」



 ぐうぅ。



「……あの」

「だ、大丈夫で――――」



 ぐううぅ~~。



「…………」

「…………」


 再び流れる気まずい空気。あまりにも欲望に忠実すぎる自分の胃に怒りを覚え、彼女の顔を恥ずかしくて見ることができない。

 どうしたらいいのか。恥ずかしくて穴があったら埋まりたい気分だ。


「え、えっと……」

「お客様」


 慌てる女性と私を交互に見てから、店員さんの声がかかる。恐る恐るそちらに視線を向けると。


「お時間がありましたら、少々お待ちいただけますか?」

「で、でも」

「お客様をおもてなしするのは我々の務めです。彼女は僕の補佐としてでしたらよろしいでしょうか?」


 やや、というかかなり強引な進め方だと思ったが、彼の笑顔にはどこか有無を言わせぬ雰囲気があって。


「……はい」


 私はその場で、頷くことしかできなかった。





 これは、こんな私と、喫茶店で出会った女性とのお話。

 さっきまで彼女の膝の上で丸くなっていたカナが、私の足元で再び、にゃぁと鳴いた。





 運命的な出会いなんて、私は知らないけれど。

 これがもしかして、そんな出会いなのかもしれないな、なんて。


 あぁ、申し遅れました。自己紹介がまだでした。

 私の名前は烏丸理恵、どこにでもいるような営業の、外回り中に出会った、一人の女性の人のお話を聞いてくださり、ありがとうございます。

 しかし残念ながら、このお話はまだまだあるんです。


 だって私も、彼女との出会いがこんな風になるなんて、思わなかったのですから。

なおこのお話達は全てPixivにも同一作品があります。

両方とも私が管理しているので、著作権は問題ありませんのであしからず。

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